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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
明治編

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『二人静』・1



 京都は西大路四条から一歩裏へ分け入ると、華やかな通りとは打って変わった、静けさの漂う細道がひっそりと存在している。

 夜半。星の隠れた夜。光は黒色の空に浮かぶ月のみ。

 灯る明りのない小路は僅か先も見通せない。深々とした闇の中では擦れ違う誰かの顔さえ定かではなく。


 だから、きっと。

 其処にあやかしが潜んでいたとして、誰も気付きはしないのだろう。


 日本有数の都市でありながら魔境として名高い京の都は、新時代が訪れた後も依然妖異が跋扈していた。

 細い小路には三匹の鬼。

 赤黒い体。ところどころ皮膚が破け、肉がむき出しになっている。

 双眸は虚ろで何を映しているのか分からない。だらりと放り出された腕の先、手には獲物を切り裂く為の鋭い爪が生えていた。

 

 欲しい。

 足りない。

 返せ。


 禍々しい気配を漂わせた異形達は、不明瞭な言葉を発しながら道の端に屯している。

 その中心には幼い娘子の姿があった。

 異形に取り囲まれ、微動だにしない童女。あまりにも分かりやすい構図である。

 一歩。鬼が童女へと近付いた。

 


「魔都とはよく言ったものだ。夜毎、鬼が練り歩く」



 小路に鉄のような声が響いたのはほぼ同時。

 反応し鬼は振り返る。其処にいたのは、いやに眼付の鋭い男だった。

 黒の羽織に灰の袴、腰に携えた大太刀。出で立ちは侍のようだが髷は結わず短髪。六尺近い偉丈夫である。


「一応、聞いておこう。名はなんという」


 当然鬼は答えない。答えられるだけの知能がなく、悠然と立つ男をただ睨み付けるのみ。

 最初から期待していなかったらしく、返答がなくとも男の様子に変化はない。

 自然な動作で左手は太刀へ掛かり、鯉口を切った。男は無遠慮に、まるで散歩でもするが如く気安さで鬼へ近づいていく。


 その仕種に敵だと理解したのか、三体の異形は童女から離れ男へと襲い掛かった。

 乱雑な動き、しかし人には出せぬ速さ。振り上げられた、彼の身を容易に裂くであろう猛禽の爪。

 それでも男は平静を崩さず、斜め前に一歩を踏み込む。

 鬼の突進を躱し、すれ違いざまに抜刀。


 一つ。


 太刀を引き抜く動作はそのまま横凪の一閃に変わり、左から迫る鬼の体躯を両断した。

 次いで左足を軸に小さく体を捌き、逆風、切り上げる。


 二つ。


 今度は右の鬼が地に伏す。

 同胞が瞬時に切り捨てられた。

 自我は薄いように見える。だが迫る危機くらいは感じ取れたようだ。残された鬼は動揺にじりじりと後ずさり、背を向けて逃げ出す。

 だが遅い。

 男は振り上げた刀で中空を斬る。

 瞬間、風を裂く音と共に周囲の空気とは密度の違う、透明な斬撃が切っ先より放たれる。

 飛来する斬撃。在り得ぬ一刀は逃げ惑う鬼の背を容易に切り裂く。


『マガ…ツメ……』


 呻き声を挙げながら鬼は地に伏し、立ち昇る白い蒸気となった。


 これで、三つ。


 数十秒、僅か三振りで鬼の命は絶えた。

 しかし予断なく周囲へ意識を向ける。周りに気配はなく、伏兵もなし。

 それを確認してようやく男は血払いに刀を振るい、ゆっくりと鞘へ納めた。

 息も乱さず妖異を討ち払った男は、だというのに眉を顰めている。

 勝利の愉悦も絶えた命への憐憫も其処にはない。

 ただ鬼の残した言葉が気になった。


 男───葛野甚夜は噛み締めるように呟く。


「“マガツメ”……?」


 何を指した言葉かは分からない。

 だというのに、その響きが妙に耳から離れなかった。






 鬼人幻燈抄『二人静』






 明治五年(1872)・四月。

 大政奉還により江戸の世は幕を下ろし、明治維新を経て、日の本は新時代を迎えた。

 江戸幕府の解体により成立した明治新政府は、政体書において地方制度では大名領を藩とし、大名を知事に任命して諸大名統治の形を残す府藩県三治制を打ち立てる。

 昨年、明治四年八月には幕末より倒幕の主導を取ってきた薩長の軍事力を持って廃藩置県を行い、府県制が確立された。

 かつての名残は緩やかに姿を消していく。

 幕藩制は完全に崩壊。

 武士は一部大名が華族として特権階級に残り、しかし多くは士族と呼称され、ある程度の特権は認められたが以前の身分を剥奪されることとなる。

 また政府は明治三年に庶民の帯刀を禁じ、翌年には散髪及び脱刀を自由とする散髪脱刀令を発した。



 ───これから訪れる新時代は、武士も刀も必要としない。



 畠山泰秀の遺した予言は真実となる。

 長らく続いた安寧を支え、新時代を切り開いた筈の武士達は明治においてその存在を認められず、過去の遺物として駆逐されようとしていた。




 ◆




「無事か」


 全ての鬼を討った後は童女へと近寄り、平坦な声で問い掛ける。

 時代が変わっても彼の為すべきは変わらない。甚夜は相変わらず鬼の討伐を生業としていた。


「あの、もしかして、助けて下さったのでしょうか?」


 舌足らずな幼い声で、しかし丁寧な口調だった。 

 状況がまだ掴めていないらしく、童女は不思議そうな顔で甚夜を見上げる。


「一応、そうなる」

「そうですか、それは、有難うございます」


 深々とお辞儀をする。

 なんというか、丁寧ではあるが掴み所のない娘だった。

 異人の血が入っているのか、娘は栗色の髪をしていた。肩までかかった髪は柔らかく波打っている。

 年齢は見た所八つか九つといったところだろう。大きな黒い瞳。まだ幼く見える背格好に反してほっそりとした顔の輪郭は、可愛らしさよりも綺麗という印象が強かった。

 纏う着物は薄い青に紋様は宝相華、金糸まであしらっている。庶民が着るには些か上等すぎる。案外華族の令嬢なのだろうか。


「そう言えば、名乗っておりませんでした。向日葵ひまわり、と申します」

「珍しい、だがいい名だ」

「お前はこの名に相応しいと、母がつけてくれました。私も気に入っています。ですので、どうぞ向日葵とお呼びください」


 名を褒められたのが嬉しかったらしく、満面の笑みを浮かべている。

 幼げな向日葵の笑顔はそれこそ夏に咲く鮮やかな花のようで、成程、確かに彼女は向日葵を思わせた。

 それに言葉の端々に母への愛情が感じられる。掴みどころはないが、いい子であるのは間違いないようだ。


「しかし、あー、向日葵は礼儀正しいな」


 いきなり呼び捨てでいいものだろうかと思いながら、本人の希望もあったためそう呼んでみた。

 戸惑った甚夜の姿が面白かったのか向日葵は余計に笑っている。


「今年で八つになります。もう子供ではないのですから、それなりの応対をせねば母の恥となりますので」


 愛娘である野茉莉よりも年下だが、随分としっかりした娘である 。

 母親の教育が行き届いているようだ。そう言えば友人である三浦直次も礼儀には五月蠅かった。

 やはり躾は多少厳しい方がいいのだろうか、などと若干ずれたことを考えていると、向日葵は不思議そうに小首を傾げた。


「いかがなされましたか?」

「いや、私にも娘がいてな。多少、思う所があっただけだ」


 ちょうど、お前の一つ上だ。

 そう伝えると向日葵は意外そうな顔を浮かべる。それも当然。甚夜の外見は十八の頃の姿を保っている。とてもではないが九つの娘がいるようには思えない。


「失礼ですが、お歳は」

「今年で五十になる」

「……見えま、せんね」


 丁寧な言葉が一瞬崩れる。

 どうやら冗談の類と受け取ったようで、向日葵は微妙な笑みを浮かべていた。

 しかし俄かに信じられるようなことでもはないし、仕方ないとも思うので軽く流しておく。


「よく言われる。さて、夜道は危ない。送ろう。此処には一人で来たのか?」

「あ、いえ。母と共に来たのですが、逸れてしまって」


 夜も深い頃、子供が一人出歩くのはおかしいとは思ったがどうやら迷子だったらしい。

 逸れたというのなら連れまわす訳にもいかないし、どうするかと悩ませていると向日葵の方から提案をしてくれた。


「母は私が家に戻ったと思っているのかもしれません。西大路まで出れば帰れますのでそこまで送っていただけますか?」


 本当にしっかりした娘だ。

 首を縦に振って返せば、向日葵のような笑顔が咲く。


「では行きましょう」


 自然と手を繋いでくる。

 無邪気というか、無警戒というか。育ちのよさそうな立ち振る舞いの割に人懐っこい娘である。

 多少の驚きはあったが小さな手を振り払うことも出来ず、甚夜はされるがまま西大路までの道を進む。

 月の夜。薄明かりに照らされた小路。小さな娘と手を繋いで歩く。

 何気ないその道行を、何故か懐かしいと感じた。





「有難う御座いました、おじさま」


 年齢が五十だと聞いたせいもあるのだろうが、向日葵の呼び方は甚夜の外見に見合わぬものだった。

 とはいえ嫌な気はしない。普段年齢通りの扱いを受けたことがないので、おじさまという呼び方はそれほど悪くないと思っていた。


「此処でいいのか」

「はい、もう一人で帰れますので」

「何なら家まで送るが」

「いえ、直ぐ近くなので大丈夫です」


 やんわりと断られてしまう。

 辺りに目を配る。西大路はまだ人通りがある。再び鬼に襲われることはないだろう。

 しかし人が害をなさぬとは言い切れない。やはり送っていきたいが。


「そんなに心配しなくても大丈夫ですから」


 本人がそれを望まない以上、無理に着いて行くのも気が引ける。

 仕方なくその言を認め、小さな溜息を零した。


「分かった。気を付けて帰れ」

「はい。ではおじさま、またお逢いしましょう」


 ぺこりと一礼。顔を上げ、無邪気な向日葵の笑顔を振りまいて少女は人混みへと消えていった。

 しばらくそれを眺めていたが、いつまでもそうしている訳にもいかない。

 家では愛娘が留守番をしてくれている。早く帰ってやらなければ。思い至り、甚夜もまた帰路へと着いた。




 ◆




 東海道に繋がる京の出入口は『粟田口』と呼ばれ、近くにはその由来となる粟田神社が鎮座している。

 スサノオノミコト・オオナムチノミコトを主祭神として祀り、厄除け・病除けの神と崇敬されるこの神社はその立地故に古くから東海道を行き来する人々が多く訪れた。

 旅の安全を願い、また道中の無事を感謝して参拝する為、いつしか粟田神社に祭られるは『旅立ちの神』と信仰されるようになった。


 さて、粟田口から白河橋を越え、南北路の東大路通を過ぎると京都は三条通に辿り着く。

 粟田神社の北側に位置するこの通りには、明治元年に創業した一軒の蕎麦屋があった。

 店には『鬼そば』と書かれた暖簾がかけられている。


「父様、お帰りなさいっ」


 暖簾を潜った甚夜を出迎えたのは、腰まで届く長い黒髪を編み込み穂先で一纏めにした、小柄な少女だった。

 まだ幼く、丸みを帯びた顔の輪郭。そこに邪気のない笑顔を浮かべている。

 名を野茉莉。今年で九つになる愛娘である。 


 時代が変わっても甚夜の為すべきは変わらない。相変わらず鬼の討伐を生業としていた。

 しかし変わったこともある。

 庶民でも姓を名乗ることが許された新時代、自身の育った故郷にあやかり「葛野甚夜」と名乗るようになった。

 そして、かつて世話になった蕎麦屋の店主から蕎麦打ちを教わった経験を生かし、甚夜は明治の新時代を蕎麦屋の店主として生きていた。

 初めは閑古鳥が鳴いていた。そこから経験を積み、徐々に客足を伸ばし、五年経った今ではそれなりに人気の店だ。

 店舗兼自宅である『鬼そば』に、甚夜は野茉莉と共に住んでいる。

 血の繋がらない二人ではあったが傍から見ても仲の良い親子で、父の親馬鹿ぶりを常連の客に揶揄されるのが日常となっていた。


「起きていたのか」

「うん、もちろん」


 満面の笑みを浮かべる娘はまだまだ幼く、先程の向日葵と比べる訳ではないが子供っぽく見える。

 しかしこの子の方が可愛い、などと思ってしまうのは、多分に親の欲目だろう。


「大丈夫だった?」

「怪我はない」

「ううん、そっちじゃなくて」


 言いながら野茉莉は刀を指差す。

 明治三年になり庶民の帯刀は禁じられた。下手をすると帯刀しているだけで官憲に拘束されてしまう。野茉莉は鬼にやられるよりも警察に捕まることを心配していたらしい。


「見つからなかったから平気だ」

「でも父様、気を付けないと。やだよ、警察に捕まるとか」

「善処はする」

 

 確約は出来ん、とは続けなかった。

 実際、帯刀で官憲の厄介になるというのは流石に問題だ。あまりにも情けなさすぎる。

 とは言え刀を持ち歩かない訳にはいかない。土浦程の体術を習得しているならばまだしも、彼の腕前では素手で高位の鬼を討つのは無理がある。何か手立てを考えておいた方がいいのかもしれない。


「でも最近多いね」

「……ああ、そうだな」


 野茉莉は夜毎出かける父を案じているのだろう。心配と、僅かな寂しさに沈んだ声で言った。それは同時に甚夜自身の懸念でもあった。

 近頃、鬼の討伐依頼が増えている。

 蕎麦屋を営みながら、その裏で甚夜は以前と同じように鬼の討伐を請け負っている。

 噂を聞きつけた者からの依頼は毎度のことではあるが、ここ一年でその頻度はぐっと上がってきていた。

 今夜も依頼を受け、下位とはいえ三匹の鬼を討った。討てばそれなりの報酬を得られるのだから不満はないが、あまりに数が多い。いくら京が日本有数の魔都だとはいえこれ程に鬼が生まれるものだろうか。

 なにより引っ掛かるのは、討たれた鬼が揃って口にする言葉だ。


“マガツメ”。


 それが何であるかは分からない。

 しかし“マガツメ”なる存在が、幾多の鬼が跋扈している現状に関わっていることは間違いなかった。


「父様」

「大丈夫だ」

「……うん」


 知らぬ間に表情が厳しくなっていたらしい。野茉莉は不安に目を潤ませている。

 頭を撫で、心地を和らげようと笑いかけてみても表情は優れない。もう少しうまく慰めてやれればいいのだが。思いながらもそれを為せない己が恨めしい。

 浮かべる表情が自身を案じてのものだと分かる。この娘は、血の繋がらない──人ですらない──甚夜を、本当の父と慕ってくれているのだ。 


 それが嬉しく、だからこそ不安になる。


 今宵の鬼は幼い娘、向日葵にたかっていた。

 その対象がもしも野茉莉だったなら。

 そういう時、傍にいてやることが出来なかったら。

 じわりと不安が広がり、しかし過った想像を無理矢理に頭の外に追いやる。


「さあ、今日はもう遅い。そろそろ休もう」

「父様は?」

「私も休む。先に行っていてくれ」


 内心を隠し、娘を寝床へと促す。

 まだ少し沈んだ色は残っていた。それでも野茉莉は幾分元気を取り戻したようで、店の奥にある畳敷きの寝床へ小走りに向かう。

 その後ろ姿を見つめながら思う。

 

「夕凪、私はうまく父親をやれているだろうか」


 小さく、自身の左腕に語りかけた。

 母は物心つく頃には亡くなり、父の妹へ対する虐待に耐えかねて、五歳で衝動的に家を出た。

 流れ着いた葛野にも義父母と呼べる人達はいた。だが夜風はいつきひめ、殆ど社で暮らしており、元治も鬼との戦いで命を落とした。

 そういう身の上だ、彼には正しい親の在り方というものがよく分からず、ちゃんと父としての役割を果たせているのか今一つ自信がなかった。

 それでも、叶うならば守りたい。

 復讐に身を窶す、間違った生き方。その途中で出会った得難い暖かさ。

 せめて大人になるまでは、あの娘の父で在りたいと、野茉莉の小さな背中を見送った。



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