『天邪鬼の理』・2
昔々のことです。
お婆さんが川で洗濯をしていると川上から瓜が流れてきました。
お婆さんは瓜を拾い家に持ち帰ります。それをお爺さんが割ってみると中から可愛い女の子が。
瓜から生まれたので、二人は女の子を瓜子姫と名付けました。
大事に育てているうちに瓜子姫は成長し、機織をしてお爺さんとお婆さんを助けるようになったそうです。
或る時、お爺さんとお婆さんが出かけて留守の間に、瓜子姫はいつもどおりに機を織っていたところ、天邪鬼が現れ、瓜子姫をだまして家の中に入ってきました。
鬼は嘘を吐かない。
けれど天邪鬼は嘘を吐く鬼だったのです。
天邪鬼は瓜子姫に包丁とまな板を持ってこさせると、そのまま彼女の皮をはいで、肉を切り刻んで食べてしまいます。
後には指と血だけを残し、自分は皮をかぶって瓜子姫になりすまし、お爺さんたちが帰ってくると、指は芋、血は酒だと偽って食わせてしまいました。
こうして天邪鬼は瓜子姫として日々を過ごします。
そのうち瓜子姫を嫁にしたいという長者が現れました。
瓜子姫に化けた天邪鬼はまんまと長者の妻になります。
けれど夫婦となった二人が長者の屋敷へ行く途中、それを見ていた烏が、
「瓜子姫の乗り物に天邪鬼が乗った」
と鳴くではありませんか。
いったい何のことかと思いながらも長者の家に着き、姫が顔を洗うと、長者は驚きました。
化けの皮が剥がれ、瓜子姫はもとの天邪鬼になってしまったのです。
長者に正体がばれてしまった天邪鬼は山の中に逃げていきます。
その後の天邪鬼はようとして知れません。
これが古く伝わる「あまのじゃくとうりこひめ」のお話です。
大和流魂記 『天邪鬼と瓜子姫』
◆
甚夜はいつも通りかけ蕎麦を注文し、少し遅めの昼食となった。
啜る蕎麦は慣れ親しんだ味。特別美味いという訳ではないが、他の店のものよりも舌に合う。
夕凪はもう食事を終えていたようで、子供を抱いたまま何をするでもなくただ隣に座っていた。
「しかし、なぁ。旦那はおふうと一緒になってうちを継いでくれるもんだと思ってたんですが」
「お父さん!?」
思わず箸が止まる。
流石に表情が強張った。妻が隣にいるというのに、一体何を言い出すのか。
「へえ、そうなの?」
怒るかと思えば、夕凪は店主が振った話題に平然と乗っかってきた。
ちらりと覗き見た横顔は、悪戯っぽいとでも言うのか、実に面白そうである。
「その為に蕎麦作りを仕込んだり俺なりに色々やってきたんですがねえ。おふうも結構積極的に二人で過ごそうとしてたんですが……」
「違います! 花のことを教えてただけでっ」
「おふう、そんなに慌てると逆に怪しいよ?」
わやわやと言い合う三人を余所に甚夜は無言で蕎麦を啜る。
どうにも参加し辛い話題が続いている。首を突っ込んでもろくなことにならないのは容易に想像がついた。
「嬢ちゃん、実際のところ、この鉄みたいに頑固な旦那をどうやって陥としたんで?」
けれど店主の一言で、店内の視線が彼に甚夜に集中する。
出来れば無関係のままいさせてほしかったのだが、そうもいかないらしい。
「さぁ、付き合い長いからじゃないかな」
夕凪は遠い目をしている。
まるで昔を懐かしむような。しかし彼女が妻になった経緯は、なんだったろうか。
思い出そうとして、くらりと頭が揺れる。
「では甚殿とは以前からの知り合いだったのですか?」
直次が問うと、妻は悪戯っぽい笑顔を浮かべて頷く。
そうだったような、違うような。夕凪が言うからにはそれが正しいのだと思う。
なのに靄のかかった頭には、何故か微かな違和感がある。
「私達は元々幼馴染でね。故郷に流れる川を一望できる小高い丘で、私の方から告白したの。いつか、私をお嫁さんにしてって。それが本当になるとは思っていなかったけど」
「そうだったんですか……いいですね、そういうの。少し憧れてしまいます」
どくん。
ひときわ大きく心臓が高鳴る。
待て。それは、何の話だ。
「かぁ……付き合いの長さ。そいつは確かに有利ですね」と店主が言えば、小さな笑いが起こる。
けれど知らない。一緒に暮らしていたのは、夕凪ではない筈で。
「故郷というのは、葛野でしたか」
「うん。昔は同じ家に住んでたんだよ。しばらくして別々に住むようになったけどさ」
「では、甚殿の小さな頃も知っているのですか?」
「勿論。昔からこの人は頑固でね。生き方は曲げられない、ってのがほとんど口癖だったよ」
ああ、そうだ。
私は最後の最後に誰かへの想いではなく己の生き方を選ぶ。
そういう男だと、“彼女”も言っていた。
だけど、それは。
「甚夜君は昔から不器用だったんですね。夕凪さんも大変だったでしょう?」
「そりゃあね。でも嫌いじゃなかったよ。だからずっと一緒にいたんだ。それに」
覚えのない過去を語る妻。
疑問は言葉にならない。
一瞬の空白の後、柔らかな笑みと共に夕凪は穏やかに息を吐く。
「この人は私がいないと何にも出来ないんだから」
心臓が一際大きく跳ねた。
だから待て。
お前は、何を、言っているのか───
「まあ、全部嘘なんだけどね」
焦げた胸の内に水をかけられた気分だった。
遠い目をしていた夕凪は、いつの間にかにまにまと意地の悪い笑顔を浮かべており、ぺろりと舌を出してそんな言葉で締めくくる。
「……へ?」
数瞬遅れて今迄の話が全て冗談だと理解した店主は、ぽかんと大口を開けている。
他の者も騙されたと気付いたようだが、彼女の雰囲気の変化があまりにも唐突過ぎて上手くついていけず茫然としていた。
「嘘、全部嘘だよ。男女の話を突っ込んで聞くのは野暮って話さ」
全員が呆気にとられる中、夕凪だけはやけに楽しそうだ。
男女の仲を根掘り葉掘り聞くものじゃない。だから嘘で誤魔化した。
彼女が言いたいのはそういうこと。けれど、甚夜はひどく戸惑っていた。
何故ならば彼女の嘘は。
「さ、そろそろ行こうか?」
疑念に囚われた思考を無理矢理引き上げる、おどけた声音。
夕凪は腕の中の赤子を一度二度あやすように揺すると、軽やかに席を立った。
「……ああ」
聞きたいことは色々あった。それでも幼い娘を抱いてゆったりと笑う彼女が眩しく見えて、甚夜は口を噤んだ。
疑問を口にすれば、穏やかな今は壊れてしまうような気がした。
そうして甚夜と夕凪は暖簾を潜る。
親子三人並んで店を出る。
いつも通りの光景。
不意に視線を向ければ隣にいる妻が穏やかに笑う。
多少の引っ掛かりはある。それでも心地よいと思える距離感だった。
なのに、何故かそれが寂しい。
◆
「新刊では大和流魂記や心中天目草子なんかが人気ですよ」
七月の空。雲一つなく広がる青。息を吸えば熱せられた空気が肺に満ちて、横たわる夏の重苦しさを強く意識させた。
周囲の思惑通りに事が運び、結局親子三人で出かけることとなった。
しかし家族水入らずで過ごすと言っても別段行きたい場所がある訳でもない。
歌舞伎や落語を見に行くにも赤子を連れては入れないし、食事も既に終えている。
やれることといえば、特に目的もなく江戸の町を歩くのがせいぜい。それでも夕凪は楽しいのか、微妙に口元を綻ばせていた。
途中、何気なく立ち寄った貸本屋で夕凪は流行の読本を物色している。彼女がそうしている間は甚夜が娘を抱いて、店の前で待っていた。
ふにゃりと柔らかい肌、首もまだ座っていない。生まれて間もない赤子はすぐに壊れてしまいそうだ。
そのせいで肩には必要以上に力が入っており、緊張して突っ立っている甚夜の姿は傍から見れば相当に滑稽だろう。
事実、貸本屋にいた数人の客、それも女性客がくすくすと笑っている。何ともいたたまれない状況だ。
「それはどんなの?」
「大和流魂記は怪異譚を集めたものです。『天邪鬼と瓜子姫』や『寺町の隠行鬼』など講談になっていないような地味な話まで載っているため、読む人は多いですね。心中天目草子は名前を聞くと心中ものようですが、内容は妻に先立たれた男の苦悩に焦点を当てた読本となっています」
「ふうん、どうでもいいけど夫婦に進める話じゃないね」
「ごもっとも。他には……」
夕凪はまだ貸本屋の店主から話を聞いていた。
貸本屋とはその名の通り本を借りることのできる店である。
紙や製本した和本は高価で、町人ではなかなか手が出ない。そのため草双紙、読本、洒落本などを貸し出す貸本屋という生業が生まれ、江戸に住む庶民の手軽な娯楽として親しまれている。
「うん、詳しくありがと。でも今日は行くところがあるからまた借りに来るわ」
「左様ですか。よろしくお願いします」
散々話を聞いたはいいが、借りるつもりはなかったらしい。
その手の客は少なからずいる。店主も慣れたもの、営業用の笑顔で深々とお辞儀をして送り出す。
店から出てきた夕凪の表情は晴れやか。当然、行くところなんてなかった。
「お待たせ」
「いや」
子供を差し渡そうとすると少し顔を顰めた。
それを疑問に思い目を細めると、唇をとがらせて夕凪は言う。
「私は子供が……この子が嫌いなんだよ」
幼い娘から目を背け、ふうと溜息を吐いた。
心底面倒くさいとでも言いたげである。
「ま、でも仕方ないか。あなたに任せきりって訳にもいかないしね」
そう言って結局は娘を抱き、二人は並んで江戸の町を歩き始めた。
言葉の割に夕凪の手つきは柔らかく、娘も気持ちよさそうにしている。やはり男親に抱かれているよりも嬉しいのだろうか。しかし肝心の夕凪の顔は不機嫌なままだ。
「何故嫌う。お前の娘だろう」
「違うよ。だって、この娘は元々捨て子なんだから。腹を痛めて産んだ子供じゃないんだ。愛着なんてわかないさ」
「捨て子……」
言われてみれば、そうだったような気もする。
だが深く考えようとすると頭が痛む。
妻のこと、娘のことなのに、思い出せない。
「ならば何故」
「そんなことより、何処かで休もうか? ちょっと疲れたし」
ならば何故拾ったのだ。
そう聞こうとすれば、誤魔化すように夕凪は近くの茶屋へ向かう。
その足取りは軽い。とてもではないが疲れているようには見えなかった。
「お茶二つと団子一皿、ああ、磯辺餅があるんならそれも」
夕凪は手早く茶を注文して、店の前に在る長椅子に座って寛いでいる。
全く勝手なものだ。憮然とした表情で甚夜も彼女に倣い腰を下ろす。
「不機嫌だね」
けれど平然とした様子。
夕凪はくすくすと悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。
「別に腹を立てている訳ではない。ただ真意が掴めない。……お前は、嘘ばかりを言う」
「女は元々嘘吐きなんだよ」
あまりにも容易く夕凪は嘘を認める。
問い詰めたいと思い、しかし二の句が継げない。彼女に違和感を覚えると同時に、自分自身にも違和感がある。
何故彼女に決定的な問いを投げかけないのか。
「ありがと、磯辺餅はこの人に」
分からないままに疑問は流れてしまう。
しばらくして運ばれてきた磯辺餅と茶が甚夜に渡される。磯辺餅は蕎麦以上の好物だった。
「よく知っていたな」
「なに言ってるんだい、あんたが教えてくれたんだろう? タタラ場の育ちで子供の頃は餅なんて滅多に食べれなかった、好物はと聞かれれば蕎麦よりも磯辺餅だって」
ああ、そうか。
確かそんな話をしたこともあった。けれど、夕凪にしただろうか。
「じゃあ、食べようか?」
夕凪という女は分からないことだらけだ。
何処かで聞いたような過去を語り、それを嘘と呼び。
子供が嫌いと言いながら捨て子を拾い、夫婦として振る舞う。
彼女の何が真実で何が嘘なのか、甚夜はそれを計りかねていた。
それでも、一つだけ分かることがある。
『夕凪が嘘を吐くのはおかしい』
それだけは間違いない。彼女は嘘を吐かない筈なのだ。
何故ならば、彼女は────
「お前は……」
ほぎゃあ、ほぎゃあ。
お前は、一体、誰だ?
無意識に問おうとしていた。
しかし口に出そうとした瞬間、遠く聞こえてくる泣き声に、言葉を掻き消された。
見れば夕凪の腕の中で赤子がぐずり始めていた。
「ああもう、仕方ないね。本当にこの娘は面倒くさい」
呆れたような、だが優しさに満ちた声だ。
ほんの一瞬だけ見せた表情。夕凪の横顔は柔らかく、目尻はこちらが微笑ましく感じるくらい垂れ下がっていた。
体をゆすり泣く子供をあやす夕凪の姿。それを美しく感じ、だからこそ思う。
彼女が何者かは分からない。
自分の妻だというのに、どんなに考えても思い出せなかった。
それでも、確かなことはある。
例え何者であったとしても、彼女は、夕凪は間違いなくこの娘の母親なのだ。
ほんの僅かに漏れた彼女の笑みがそう信じさせてくれた。
「なにか言ったかい?」
不思議そうな彼女へ、首を横に振って何でもないと示す。
そうだ、なんでもない。彼女は妻で、母。きっとそれでいいのだろう。
「ならいいんだけど」
「ああ、気にしなくていい。さて、十分に休んだ。次は何処に行くか」
「別に特別な所に行く必要はないだろ? 町をぶらぶら歩くだけでも私は十分楽しいし」
「それでいいのか?」
「うん。こんな機会はめったにないんだからのんびりしようよ、家族水入らずでさ」
「そうだな、そうするか」
疑念はいつの間にか消えていた。
代わりに気安い、本当の家族のような暖かさが感じられた。
だから自然、甚夜も小さな笑みを零す。そう言えば昔、こんな景色に憧れた頃もあった。あれはいつだったろうか。
「そろそろこの娘に名前を付けてやらなきゃ。ねえ、あなた?」
「ああ……どういう名前がいいか」
名前は一生のもの、よく考えてつけてやらねば娘が可哀想だ。
難しい問題に頭を悩ませることさえ心地よく思える。
不思議な暖かさ。今まで知らなかった感覚。奇妙な、それでいて緩やかな。まるでぬるま湯に浸っているような気分だ。
「ま、それはあなたに任せるよ」
向けられた笑顔に思う。
もう少しこのままでもいいのかもしれない。
本当に、そう思った。
ああ、それなのに。
懐かしい声が聞こえる。
“結局、私達は。曲げられない『自分』に振られたんだね”
笑顔の向こうにはいつかの景色。
胸に宿る想い。
その暖かさに何故か、遠い別れを幻視した。




