『終の巫女』・8(了)
《都市伝説》
近代、或いは現代に広がったとみられる口承の一種。
その定義は非常に曖昧であるが、都市伝説の第一人者ジャン・ハロルド・ブルンヴァンはこのように定義している。
1.知合いの知合い程度の間柄において口伝という手段によって伝播する噂
2.怪奇で魅力的な、真偽が明らかにならないような噂
3.半分くらいは真実かもしれないと信じてしまうような噂
また辞書には「現代社会で語られる噂話の総称」と載っている。
実態を掴むのは非常に難しいが、「真偽に関わらず定着した噂」は全て都市伝説と言ってもいいだろう。
都市伝説はその性質上、根拠は不明瞭なものが大半となる。
また都市伝説に怖い話や不思議な話、或いはエロい話が多いのも上記の定義に由来する。
根拠が明瞭であればそれは明確なデマか真実でしかなく、人の興味を引かないものはそもそも噂として定着しない。
何処かの誰かが「そんなの嘘だね!」と否定しながらも、「もしかしたら、ちょっとくらいあるんじゃないか」と思う“なにか”。
都市伝説は、どのような形であれ人々に望まれてこそ成立するのである。
◆
死者に花を手向けるのは何故だろうか。
その理由を本で調べると、もともと遺体に添えられた花は薬効のあるもので、遺体の腐敗を少しでも防ごうという目的から始まったのだという。
何度でも再生する花や草木が生命力の象徴と見なされ、死者の新生を願うために供えられるとも。
単に亡くなった誰かへの愛情と哀悼を示す為とする場合も多い。
斜に構えた意見では、人が花を手向けるのは、自分を慰める為。だから死者を悼んでのことではない、というのもあった。
みやかは最後の意見に、妙に納得してしまった。
確かに死んだ人は何も食べないし飲まない、花を見て綺麗だなんて思わない。
だとしたら花を贈る行為に一体どれだけの意味があるのか。
どんなに考えても、姫川みやかには分からない。
人は何故、死者に花を手向けるのだろうか。
「さあ?」
「さあ、って……」
休日に訪れた三浦花店。
かんかんだらの件が解決し、白峰八千枝の墓前の添える花を買い求めるみやかは、ふとおふうに「死者に花を手向ける理由」を聞いてみた。
おふうの反応は「さあ?」というあまりに簡素過ぎるもの。もうちょっと真面目な答えが返ってくると思っていたから、なんだか肩透かしを食らったような気分になってしまう。
「どうして、そんなことを?」
「……私は、こうやって白峰先生に花を手向けるけど。その意味って、あるのかなって。別に、先生が喜ぶわけじゃないし」
もう死んでしまったのだ、何をしても返ってくるものはない。
ならこうやって花を贈るのは、ただの自己満足。自分を慰める為だけの虚しい行為なのかと思ってしまった。
「私は死んだことがありません。死んだ方がどう思うかは、分からないです」
そういう少女の心境を察したのか、嫋やかにおふうは微笑む。
「ですが毎日父の仏前に花を飾りますよ」
「何故ですか?」
「本当に、大好きだったから。今でもあの人に感謝しているから。花を手向ける理由なら、十分ではないのでしょうか?」
幸福の庭から連れ出してくれた、大切な“お父さん”。
もう百年以上前に亡くなった彼を、今も大切に想えるから。大好きな花に、大好きという想いを贈る。
意味がないと、自己満足だと言う人もいる。けれど花に添えた心に嘘はない。それでいいのだと思う。
「そう、でしょうか」
「貴女は、先生に花を手向けたいと思った。そのくらい、大切な人だったんですよね?」
「とても。中学時代の、恩師なんです」
「なら、それでいいじゃないですか。周りがどう言おうと、ただの慰めに過ぎないとしても。添えた心に嘘がないのなら、贈った花にも意味はあります、きっと」
そっと背中を押すような、優しく柔らかい言葉。
見た目は中学生くらいにしか見えないけれど、やっぱり年上なのだと思い知らされる。
そういえば彼女は甚夜と同じ鬼だと聞いた。いったいどういう関係だったのだろうか。
みやかの視線に苦笑を落とし、悪戯っぽくおふうは昔を語る。
「昔ね、一緒に蕎麦屋をやらないかって誘ったことがあるんです。振られちゃいましたけど」
「そ、そうなんですか?」
「だから、おばさんのことはあんまり気にしないでいいですよ。はい、どうぞ」
言いながら注文した花束を渡される。
料金を支払い、深く頭を下げて、みやかは三浦花店を離れた。
結局、死者に花を手向ける理由は分からないまま。
でも少しだけ納得はできたような気がする。
先生のことは、本当に大好きだったから。
ちゃんと心を添えて、花を贈ろうと思う。
捏造された都市伝説に纏わる事件は終わりを迎え、既に二か月が経った。
しかし解決したところで失われた者は還らない。四十九日の法要も恙なく済み、白峰八千枝は葛野市のはずれにある霊園で眠っている。
墓参りしたいとは思っていたが、高校生もそれなりに忙しい。結局休みの日くらいしか行く機会はなく、来るのが随分と遅くなってしまった。
「先生、こんにちは」
墓は綺麗に掃除されている。
やることは殆どなかったため、みやかは買ったばかりの花を墓前に添え、静かに手を合わせる。
薫を誘ってもよかったが、色んな事に整理をつける為にも、今日は一人で来たかった。
思い出されるのは昔のこと。不愛想に見られがちなみやかを、八千枝はさり気なく助けてくれた。
恩師といえばやはり彼女が一番に思い浮かぶ。
『ごめんね、姫川。男の子にも、ありがとう』
溜那から伝え聞いた、八千枝の遺言。
無惨にも殺され、都市伝説となり。
最後には、大好きな先生に戻って死んでいった。
それが救いになったかは分からない。或いは、男前な彼女のことだ。みやかが気に病まないよう心を砕いただけだったのかもしれない。
今更真実を知る術はなく、もう二度とその優しさに触れることはない。
そう考えると、やはり寂しくはある。その寂寞は、みやかが確かに白峰八千枝を慕っていた証拠で。
「先生がいないの、悲しいです。でも私が悲しんでると心配してくれる人、いっぱいいるみたいなんです」
けれど薫は、自分だって悲しいくせに、無理に明るく振る舞って元気づけようとしてくれる。
萌や麻衣、柳や夏樹に久美子。高校から知り合った友人達も同じ。
それに今回の件で一番辛い立場だったであろう彼も、いつまでも悲しんだままでいたら苦しいだろう。
「だから、ごめんなさい。悲しいけど、私ちゃんと笑おうと思います」
先生のことを忘れる訳じゃない。悲しみも寂しさもあって、開き直るつもりもない。
でも、彼ならきっとこう言う。
“いつまでも、立ち止まってはいられない”
慕っていたのは間違いない。けれど悲しんで寂しがって、ぐずぐずしたまま周りに迷惑をかけるのは、なにか違うと思う。
「また来ます。今度は薫と」
だから、にっこりと。
もう大丈夫と伝えるようにみやかは微笑んで、八千枝の墓に背を向ける。
吐息は少しだけ白い。
うっすらと雲のかかった日曜日。冬になり、空は澄んだ青から灰色に近付いた。
みやかは弱い日差しを遮るように手をかざす。
「空が高いなぁ……」
遠い遠い、薄墨の空が目に染みる。
もう大丈夫、ちゃんと笑える。
でも、今日はとてもいい天気だから。
少しだけ空を眺めていよう。みやかは暫くの間、広がる灰色の空を静かに見上げていた。
◆
「昔、夏樹に漫画を借りて読んだんだがよ」
同じく日曜日、甚夜は井槌と休日を過ごしていた。
昼間から酒もない。適当なファミレスで飯を食い、食後のコーヒーを飲みながら、時々思い付いたように言葉を交わす。
かつては敵対していたが、今ではお互い暦座キネマ館で世話になる。昭和の初期には二人旅をしていたこともあり、それなりに楽な関係ではあった。
「主人公がいて特殊な力持ったヒロインがいて、それを狙って襲ってくる敵をぶっ倒してなんやかんや、最後には結ばれたハッピーエンド。まあ、普通の少年漫画だな」
「ふむ、それで?」
「なんつーか、思っちまったんだよ。その漫画では、ヒロインは守ってもらえた。でも、もし守ってもらえなかったら、どうなってたのか、ってな」
主人公の力が及ばなかったら、ではなく。
そもそも助けてくれる誰かがいなかったとすれば、特別な力を持つヒロインは。その力は何処へ向いていのだろうか。
漫画の話ではない。井槌が何を言いたいのかくらい、甚夜にも分かる。
鬼の血を引く、時代に捨てられた巫女。
吉隠は人に裏切られ怪異となったが、元は人を愛し、優しく美しいミヅチの巫女として崇められていた。
ならば奴は“敵の首魁”ではなく、言うなれば“主人公に守ってもらえなかったヒロイン”だったのではないだろうか。
「当たり前の結末だろう」
コーヒーを啜りながら、投げ捨てるような調子で甚夜が言う。
「ってーと?」
「成り行きがどうであれ、殺して生きたなら殺されて終わったさ。守ってもらえなかったなどと、言い訳にもならない」
「違いねぇ」
漫画の話ではない。甚夜が何を言いたいのかくらい、井槌にも分かる。
理由がどうあれ殺して生きた吉隠は、似合いの最後を迎えた。
ならば甚夜も井槌も、似たような結末を迎える。結局下種は落ち着くところに落ち着くのかもしれない。
「あともう一個、姫川の嬢ちゃんだ」
「みやか?」
「おう、あれだよ。最後の時の話だ。かんかんだらの呪詛に耐えられたのはいい。秋津の十代目が付喪神を山ほど渡してってことだからな。怪異に襲われたって、そりゃ岡田の奴なら簡単に斬る。その辺りは別にいいんだ」
そこまでは井槌にも納得できる。
ただ甚夜の過去を多少なりとも知っている彼にとっては、最後の最後だけはどうしても理解できない。
「でもよ、最後、なんで吉隠は止まったんだ? 姫川の嬢ちゃんはいつきひめって言っても、厳密にゃ初代の血は流れちゃいねえんだろ?」
「まあ、そうだな」
「ならよ、見ず知らず縁もゆかりもない嬢ちゃんの為に足掻くくらいなら、夜風って鬼も、義理の息子であるお前の為に頑張ってもよかったと思うんだがなぁ。つか、あの炎は何だったんだ?」
その辺りは、甚夜にもよく分かっていなかった。
そもそも夜風の足掻きというのは甚夜の想像に過ぎず、本当は自身を都市伝説化したことで吉隠になんらかの弊害が起こっただけなのかもしれない。
炎に関しては仮説すら立てられない状態。
真相は闇の中。結局、明確な答えは返せないままだった。
それに彼は<8月32日>を知らず、みやかもまた覚えてはいない。
だから力を貸してくれたのは夜風だけでなく。
『頑張ってね、女の子。彼、すっごく不器用だから大変だと思うけど』
夜刀の血を引く最後の巫女。
“終の巫女”が頑張る女の子の背中を押してくれた、なんて。
彼には想像出来る筈もなかった。
なんにせよ、かんかんだらの都市伝説は巫女に始まり巫女に終わる。
納得できないところも多々あるが、それでよしとするより他にないのだ。
「ま、全部今更か。おう、そろそろ出ようぜ。この後は溜那の奴も来るんだろ?」
「ああ、須賀屋デパートで買い物がしたいそうだ。……ん、井槌。伝票はどこだ?」
「あん、お前が持ってんじゃねえのか?」
「いや、こちらにもないが」
会計しようにもテーブルには伝票が置いていない。
もしかしたら店員が置き忘れたか? そう思って声をかければ、近くにいたウェイトレスがにっこりと営業スマイルで返す。
「ああ、こちらのテーブルの会計でしたら、先程高校生くらいの女の子がしていかれましたよ。お世話になったからお礼だと」
最後の謎、吉隠を包み込んだ火の話。
いつきひめは鬼の血を引く家系。
姫ではなく、火女であり緋目。赤い目で、火に纏わる女を意味する。
だからもしかしたら、その始まりとなった鬼。兼臣の妻、夜刀は火に纏わる<力>……<火女>を有していたのではないだろうか。
そして夜刀がもしも現代まで生き延びたなら、自身の血族を喰らった鬼に立ち向かう少女へ。
“始まりの巫女”がほんの少しだけ助力することも、あるのかもしれない。
「高校生くらいの女の子……みやかか、萌か?」
「あれだ、都市伝説じゃねえのか。<金払い女>みたいな」
「そんな都合のいい奴がいてたまるか」
それもまた彼らの与り知らぬ、心の積み重ね。
よく分からないまま二人はファミレスを出ようとして、
「ねえねえ知ってる?」「うん、聞いた!」「あれ、<首なしライダー>が出るってやつ?」
「なにそれ?」「都市伝説よ。首のない人が乗ったバイクが走り回るっていう」
通りすがったテーブルの客、数人の学生達の話が僅かだが聞こえてきてしまった。
「おい」
「ああ」
吉隠を倒したとて、それは『捏造された都市伝説の怪人』を造り出す大本がなくなったというだけ。巷では相変わらず都市伝説が囁かれている。
それも仕方なし。今も昔も変わらない。街の片隅、どぶ臭い路地裏。光の当たらない場所には魔が差し込むものである。
聞いてしまった以上捨て置くこともできない。
甚夜達は小さく溜息を吐いた。溜那には申し訳ないが、どうやら折角の休日は、<首なしライダー>探しに費やされてしまうようだった。
◆
怪異は消えず、しかし取り敢えずの区切りを経て、騒がしかった周囲も日常へ収束していく。
八千枝のことで悲嘆に暮れていたみやかや薫も少しずつ持ち直し、今では楽しそうに高校生活を送っている。
みやかは日曜日の墓参りで大分吹っ切れたようだ、もう以前と同じように振る舞っていた。
「ねえねえ、アキ知ってるー? 首なしライダーの話!」
朝のホームルーム前、桃恵萌はギャルっぽい派手目のグループの皆と、ジュースやお菓子をつまみつつおしゃべりを楽しんでいた。
みやか達は大事な友達だが、こいつらだって中学からの付き合いのあるツレ。
新作コスメやら服やら、久々に今ドキのコーコーセーをしていたのだが、そのうちの一人の発言に思わず固まる。
「……なにそれ?」
「知んねーの? 最近さぁ、真夜中に首のない幽霊がバイクで暴れ回ってるってやつ」
「あーなんだっけーこういうの」
「都市伝説! 口裂け女とか」
「それそれ。なんかひき殺されたりとかけっこーヤバいんだって!」
なんだか盛り上がっているが、十代目秋津染吾郎としては聞き捨てならない。
吉隠が倒れても怪異が消え去る訳ではない。もしも首なしライダーの話が本当なら、ちょっと釘を刺しておかないと。こいつらバカでテキトーだけど、案外いい奴らだし。
オレンジジュースを一口、萌は窘めようとして。
「だーいじょうぶだって、だってここらには<鬼を斬る夜叉>がいるし!」
それはもう満面の笑みで言う女子のせいで、飲み込みかけたオレンジジュースが気管の方へ入っていった。
「げほぅっ!? ごほ、うぐぅ、変なとこ入った……って、はぁ!?」
「ちょ、アキ大丈夫ー?」
「大丈夫か大丈夫じゃないかでいったら確実に大丈夫ではないけど、それより今のなによ!?」
「えー、夜叉の話? あのね、友達の友達に聞いたんだけどさー。この街で都市伝説に殺されそうになると、日本刀を持った男子コーコーセーが現れて、ずばーん! って感じで化け物を退治してくれるんだってー。これも都市伝説ってやつ? なんで夜叉なんていわれてるのは知んないんだけどねー。だからここら辺で遊ぶ分には安全っぽい?」
「へ、へー?」
その都市伝説、初めて聞くのにすっごい聞き覚えがあります。
そういえば昔江戸では<鬼を斬る夜叉>は噂になっていたと祖父に聞いたことがある。
考えてみればそれも都市伝説のようなものなのだろうか。
「そーそーそれ! だから大丈夫! だってさ、これも友達の弟のお姉さんの友達から聞いたんだけど、実は首なしライダーもそいつが倒しちゃったって噂なの! めっちゃすげーんだから!」
初めに首なしライダーの話を持ち出した女子は、ものすごく嬉しそうだ。
っていうか友達の弟のお姉さんの友達って戻って来てるじゃん、それお前本人じゃん。めっちゃすげーって完全に助けられてんじゃねーか。
「どしたのアキ、やっぱ気分悪い?」
「うん、なんかすっごい変な感じ」
すごく興奮している女子とは裏腹に、萌はひどく微妙な表情をしている。初めて刀一本で鬼を斬る剣豪と出会った時、似たような態度だったのは棚上げである。
なんか頭が痛くなってくる。萌はきゃいきゃいと燥ぐ友達を眺めながら、こめかみに手を当てて顔を顰めていた。
「みやかちゃん、なんかしんどそうだけど大丈夫?」
同じく教室では、みやかも苦々しい顔をしていた。
最近は元気になってきたと思っていたけど、今日は朝から様子が変で、薫も心配そうに覗き込んでいる。
「別にしんどくはないよ。ただ昨日、後輩から久しぶりに電話があったの」
「後輩って、女子バスケの? そう言えば新しい部長さん、すっごくみやかちゃんになついてたよねー。あ、もしかしたらなんか悩み事の相談?」
「じゃなくて。最近首なしライダーが」
それ以上語らなくてもオチの分かる話だ。
みやかが語るのは、後輩の友達の男子がどっかの退魔剣士に助けられたとか、そんな感じの内容。流石に件の剣士が誰なのか途中で気付いたらしく、薫は無邪気に笑っていた。
「甚くん、頑張ってるんだねー」
「頑張ってる、といえばそうかな? 最近だと<鬼を斬る夜叉>なんて都市伝説まであるんだって」
「<寺生まれのTさん>とか<時空のおっさん>みたいな? 考えてみれば私達も助けて貰ってるもん、他にそういう人がいても不思議じゃないよね」
「……それもそっか」
なんだかんだ面倒見のいい彼のことだ。
みやか達が知らないところでも、話を聞いたら捨て置けないと言って都市伝説関連の事件を解決していたのだろう。
人の口に戸は立てられぬ。どれだけ黙っているよう頼んでも「これは友達の友達に聞いたんだけど」なんて人聞きの話として誰かが話す。
そうやって話が増えていけば、いつかは“都市伝説を倒す男の都市伝説”が流れたって不思議ではない。
よくよく考えてみれば、当然の帰結なのかもしれなかった。
* * *
《対抗神話》
口裂け女はポマードやべっこう飴に弱い。
トイレの花子さんに遭遇した時、100点満点のテスト答案を見せると悲鳴を上げて消え去る
また、怖い話を「破ぁ!」の一言で打ち破って去っていく<寺生まれのTさん>、タイムスリップしても助けに来てくれる<時空のおっさん>など。
都市伝説の中には危険なものも多いが、同時に無効化する話もいくらか存在する。
それらを総称して『対抗神話』と呼ぶ。
ちなみに「都市伝説」に対するものなのに「対抗伝説」とならなかったのは、都市伝説の定義や名称が定着するよりも早くこの概念が登場したから。
根拠の曖昧な都市伝説に対するメタである為、対抗神話も都市伝説的な性質を有している。
対抗神話とは、『都市伝説を倒す都市伝説』といえる。
つまり対抗神話もまた「友達の友達から聞いたんだけど」と、曖昧な根拠で語られる。
誰もが「そんなの嘘だね!」と否定しながら、「もしかしたら、ちょっとくらいあるんじゃないか」と心の何処かで信じている“なにか”であれば、その実在の有無は問わない。
別に根拠が存在しなくても対抗神話は成り立つし、存在していても構わない。
だから都市伝説を倒す誰かの噂の陰に、江戸から生きる鬼の姿があったとしても、特に問題はないのだろう。
* * *
「なんだかなぁ。……まあ、ちょっと変な感じだけど。いいことだね、救われる誰かがいるのは」
「そだよ、でもあんまり無理しすぎないようには言おう?」
「うん、そこは薫の言う通り。かんかんだらの時からまだ二か月くらいなのに」
みやかと薫の結論はそれで落ち着いた。
世の中にはルールがある。
社会通念、常識など。破ってはいけない規範というものは、明文化されずとも存在している。
そして同時に、誰にも知られないところにも、ルールというべきものは確かに存在する。
それは往々にして理不尽で、どうしようもなく不合理で、怖気がするくらいに不気味で残虐だ。
古今東西如津々浦々。何なる寓話においても、触れてはいけないモノに触れてしまった人間は無残な最期を遂げる。
だけど、そんな時助けてくれる誰かのお話があってもいいだろう。
何もかもを救える訳ではないけれど、命を懸けて意地を張って、必死に頑張ってくれる誰か。
苦難に立ち向かう、優しく不器用な鬼のお話。
そんな都市伝説があったって、いいと思う。
「ああ、おはよう。みやか、朝顔」
丁度その時、件の都市伝説が登校してきた。
物凄いタイミングの良さに、思わず口元が緩む。どうやら薫も同じような気持らしく、「ふふっ、としでんせつ」なんて笑いをこらえている。
少女達の予想外の反応に、甚夜は少しだけ戸惑った様子。そこで「どうした、なにかあったのか」と心配そうに聞いてくる辺り、彼は本当に甘い。
「なんでもないよ。ねー、みやかちゃん?」
「うん、なんでもないね」
でもそれが嬉しい。
何気ないこの瞬間を失わずに済んだ。
冬の教室、朝の空気は冷たく、なのに胸は暖かい。
少女達は微笑み、彼は戸惑って。当たり前の一日が始まる。
みやかにとっては、そういう些細な結末が、何よりも嬉しかった。
これで都市伝説のお話はひとまずおしまい。
失って悲しくて、寂しいと思うこともある。
けれど少女は前に進み、大切な心と向き合えるようになった。
「いや、しかしな」
「大丈夫だから、そんなに心配しないでね」
だからこれからは、少しだけ強く優しくなれると思う。
みやかは心配しそうな甚夜に微笑んでみせる。
緩やかな川の流れを思わせる、清澄で濁りのない。
それはきっと、今迄で一番の笑顔に違いなかった。
『終の巫女』・了




