『In Summer Days』・3
【天女と縁日】
少し前、梓屋薫は甚夜に聞いたことがある。
『葛野君の刀って、やっぱり特別製なの?』
ひきこさんの時は赤い刀を使っていた。
でも口裂け女や赤マントなど、最初から都市伝説と戦うような時は、いつも鉄鞘に収められた武骨な太刀を持っていた。
赤い刀は自分の血液を固めて作る、特殊な<力>だと言っていたけれど、武骨な太刀の方はそういったものではない。ちゃんとした、という表現は微妙だが、ともかく真っ当に造られた刀だ。
そういうもので容易く都市伝説の怪人を斬り裂く。それが薫にはすごいと思え、同時に不思議だった。
『ああ。こいつはかつて住んでいた集落で崇められていた、千年を経ても朽ち果てぬ宝刀。銘を夜来という』
『宝刀……やっぱり振ったらビームとか、衝撃波とか出たりする?』
『いや、生憎そういう力はないな。だが長に託されてから今迄、私を支え続けてくれた愛刀だ。……他人に預けたのは、後にも先にも一度しかない』
思い出すのは昭和の頃、最後まで一夜の夢であろうとした女に夜来を託した。
彼女の決意に見合うものは、この刀しかなかった。
懐かしさに目を細め、しかし彼の内心など薫には分からず、ただ素直に感心してしまう。
『葛野君はすごいなぁ』
なのに漏れたのは嘆息。
笑っているような、泣いているような、中途半端な疲れた笑みだ。
『愛刀って言えるくらいの長い間、怖いのとずっと戦って来たんだもんね』
『私の理由は義心ではなく私怨。都市伝説を討つのも目的があってのこと、褒められたものではないさ』
『ううん。それが、すごいんだよ』
だって私には、その目的がないから。
親友のみやかは将来の為、夏休みなのにバイトしたり夏期講習に出たり頑張っている。
彼だって、目的が何かは分からないけれど、その為に傷ついても戦い続けた。
そういうものが薫にはない。
学校は楽しい。勉強は苦手だけど、友達は沢山。
皆でおしゃべりして、帰りには買い食いしたり遊びに行ったり。
毎日毎日、楽しくて忙しくて。
でも時々、ちょっとだけ息苦しくもなる。
頑張っている親友や彼のことを知ると、何もしないでただ楽しいだけの私は、いったい何をやっているんだろうと思ってしまうのだ。
それが、少し前の話。
八月十五日、甚太神社の縁日の当日。
朝顔の浴衣に袖を通した薫は、ふとそんなことを思い出していた。
折角の縁日だが一番の親友とは一緒に遊べない。
みやかは神社の娘で、縁日の当日は何かと忙しい。けれど将来のことを考えるようになったからか、お手伝いもそんなに嫌がっていない様子だ。
富島柳と吉岡麻衣は、用事があるからと今回は辞退。なんでも二人の知り合いの『メアリー』という外国人の知り合いが訪ねてくるそうで、観光がてら案内をするとのこと。
葛野甚夜は先約があると、やけに優しげな態度で言っていた。
結局いつものメンバーで参加するのは藤堂夏樹と根来音久美子のみ。夏樹の妹の里香も来るらしいので、薫も含め四人。人数としては少なくないが、ちょっとだけ寂しい。
寂しさの一番の理由は、多分みやかと甚夜だ。
三人で一緒に行動することが多いから、頑張っている彼女らを見ると、なんだか置いて行かれてしまうような感じがする。
そう感じても、薫には“これだ”と自信をもって言える何かがなくて。
朝顔の浴衣を纏い歩く神社への道すがらも、その表情は少しだけ沈んでいた。
────だから彼女は、迷い込んでしまったのだろう。
八月十五日、縁日の当日。
約束の時間よりも早く甚太神社に着いた梓屋薫は、忽然と姿を消した。
* * *
《モーバリー&ジョーダン事件》
ふとした切っ掛けで過去へタイムスリップしてしまった二人の都市伝説。
1901年にフランスのヴェルサイユ宮殿を訪れたイギリス人、シャーロット・アン・モーバリーとエレノア・ジョーダンは、宮殿内の庭園に向かって歩いていた。
しかし途中天気が急変し、二人とも奇妙な感覚に襲われた。
立ち眩みを起こし、少し立ち止まっていると、前方から女性が歩いてきた。
その姿に二人は驚く、彼女はどう見ても現代のものとは違う服装をしていた。
御貴族様が着るようなドレス。
何かのイベントなのかとも考えていたのだが、後に出会った男性もどこか古めかしいデザインの衣装。言葉も現代のものとは多少異なり、二人は不安を感じていた。
早く庭園へ向かおう。
男に教わった道を歩いていると、スケッチをしている女性に二人は遭遇する。
その女性は巨大な帽子とスカートを身に付け、不思議な表情をしていた。
不思議に思うが二言三言交わして先に進む。
庭園に付くと見慣れた観光客で賑わっており、先程まで感じていた奇妙な感覚も消えた。
その後二人はヴェルサイユ宮殿について調べ、そして驚愕する。
庭園へ向かう途中であった巨大な帽子の女性。
彼女の姿は、マリー・アントワネットの肖像画とそっくりだったという。
末来からやってきた『ジョン・タイター』。
未来の知識を利用して株で大儲けした『アンドリュー・カールシン』。
ステルス実験中に十秒間過去へ戻った『フィラデルフィア計画』に、かつて使われていた飛行場にタイムスリップした『時間を超えた空軍中佐』。
タイムスリップは都市伝説の中でもポピュラーな現象である。
ふとした瞬間過去へ戻ってしまう、或いは未来に行ってしまう。
並行世界や異世界への訪問なども含め、この手の異世界来訪系都市伝説は、現実に不満を持っている者が巻き込まれやすい。
ちなみに戻ってくる方法は幾つかある。
時間が経てば勝手に戻る、過去を変えようとすると戻されてしまう。
また本人がなにもしなくても『時空のおっさん』が助けてくれる場合もあり、タイムスリップは都市伝説の中では比較的安全な部類に入る。
* * *
なんだか、とても珍しいものを見た。
「む、みやかか」
八月十五日、今夜は甚太神社で縁日がある。
みやかも社務所で手伝うのだが、これがなかなか大変だ。
だから準備はしっかりしておこうと、ちょっとした休憩に飲むジュース類を買いにスーパーへと出かけた。
祭りならジュースぐらい買えるだろう? ペットボトルの飲み物に300円も払う気にはならないのである。
ともかく夕方、みやかはスーパーへ出かけ、その途中に偶然友達と出会った。
いや、友達と言っていいのかすごく微妙だけど。
仲が悪い、ということじゃなく、普通の付き合い方をしていないので普通に友達と言っていいのかよく分からない。
取り敢えず彼が変な奴だってことだけは確かだ。
「あれ、その恰好……」
それはいいとして、みやかは彼……葛野甚夜の格好に驚いた。
普段は学生服か、ジーンズとシャツのラフな格好しか見たことが無い。でも今の彼は何故か浴衣を着て、夕暮れの町並みを堂々と歩いている。
しかもやけに似合っていて、まるで時代劇の1シーンかというくらいのハマりようだ。
「見ての通りだが。今日は甚太神社で縁日があるだろう?」
「うん。そうだけど。行くの?」
「ああ。君は?」
「行くっていうか、私は手伝う側だから」
ああ、そうだったか、と納得したように甚夜は頷く。
神社のいつきひめとして、雑事にてんやわんやで縁日なんて楽しめる訳がない。
お母さんは別に「手伝わなくていいのよ」って言ってくれるけど、毎年忙しそうにしているのを知っている。だから少しくらい楽をさせてあげたかった。
「でも、なんか意外かな。こういうの、自分から参加するタイプとは思ってなかったし」
今迄も一緒に海で遊んだり、買い物やカラオケにも行ったりはしたけれど、こちらが誘ったから付き合ってくれた面はあると思う。
だから正直、彼がこういったイベントに自分から参加するとは思ってもいなかった。
もっとも実際は梓屋薫が誘ったので、みやかの予想も外れている訳でもない。指摘された甚夜は、少しだけ苦笑していた。
「そうでもない。祭囃子を聞きながら呑む酒は格別だ」
「おい高校生」
なんか聞いてはいけないことを聞いてしまった。
ちなみに未成年者の飲酒は法律(未成年者飲酒禁止法)で禁じられています。
「なんだかなぁ。じゃあその浴衣って縁日の為?」
「浴衣ではなく着流しだ」
訂正されたけど、違いが今一つわからない。
みやかが疑問に思っていると、彼はすぐに説明してくれた。
「浴衣は湯上がりや夏場の着物。着流しは襦袢と着物……袴を省いた略着だな」
相変わらず妙なところで博識だ。機械系は全然ダメなのに。
どれくらいダメかというと、未だにDVDをビデオとか言ってしまうくらいだったりする。
結局『夏雲の唄』のDVDを見る為に買ったプレイヤーは、みやかが全部選び、セッティングまでやったのだから相当である。
「へぇ。……それにしても、気合い入ってるね」
「そうか?」
「うん、だってその恰好。普段着で行く人だって多いのに、わざわざ、着流し? なんて」
女性は浴衣で来る人も多いけれど、男性でそういう人は結構少ない。
彼がここまでして縁日に臨むのは、なんとなく不思議だ。
けれどみやかの問いに、彼は穏やかに表情を綻ばせた。
落すような、とても柔らかい笑い方だった。
「気合も入るさ。古い馴染みとの、随分前からの約束だ」
そう言った彼の声は本当に優しくて、だから何となく分かってしまった。
「………………もしかして、女の子?」
「ああ。よく分かったな」
否定するとか照れるとか、そういう反応は全然なく、まったく平然と言ってのける。
咎めるつもりはないし、別に恋人とかではないから何かを言う資格もない。でもほんの少しだけ引っ掛かってしまう。
「ふーん……随分と嬉しそうだけど、可愛いんだ?」
いけないとは分かっているのに、言い方にはちょっと棘があったかも知れない。
だけど彼はそれほど気にしていない様子。半目になったみやかの言葉に頷き、あまりにも堂々と言ってのける。
「無論だ。何せ相手は天女だからな」
冗談なのか、本気なのか。
勝ち誇ったように吊り上がった口の端。甚夜は本当に嬉しそうで、思わず呆気を取られてしまった。
「では、な。そろそろ行かせてもらう」
「え、あ、ちょ」
そのせいで上手く受け答えが出来ず、彼が立ち去るのを止めることさえ出来ない。
みやかがまごまごしている間に彼はどんどん歩いて行き、直ぐに見えなくなってしまった。
天女みたいな女の子、なんて恥ずかしいことを言った彼。
そういえば、彼は梓屋薫を知人に似ていると言っていた。そしてその知人は、天女のようだとも。
もしかしたら今日の約束は件の相手となのだろうか。
一人残された少女は、もやもやとしたものを抱えながら彼の去っていった方を意味もなく見詰める。
だから何、という訳でもない。なのに、なんだか負けたような気がした。何に負けたのかはよく分からないけど。
とりあえず、
「……………………なんか、むかつく」
ぽつりと呟く。
答えるようにカラスがカァと鳴いた。
◆
物語はとうに終わっている。
だから別段何かをする必要はない。
彼女はあの頃と変わらぬ姿をしていた。
後はただ待てばいい。
遠い約束は、此処にある。
“別に、つまらない訳じゃないんだー。友達もいるし……でもね、時々なんか疲れる”
“学校に行って、勉強して、友達と一緒に帰って。帰りにはいろんなところに遊びに行くの……毎日すっごく楽しいよ”
“でも時々ね、同じくらい、すごく息苦しくなるの”
いつか出会った天女、朝顔。
明るくて、無邪気で。けれど天は少しだけ息苦しいのだと彼女は語った。
まっすぐに幸せだと言えなかった当時の彼では、伝えられることなんて幾つもなくて。
それでも僅か一週間程度の休息を経て、天女は笑顔で空へと帰っていった。
────もし、機会があったら。今度は一緒にお祭りへ行こうねっ!
鮮やかな約束だけを残して、颯爽と。
あれから気が遠くなるくらいの歳月が流れ、満ち足りた懐かしい日々の記憶を取り出すことも少なくなった。
それを嘆きはしない。
変わるもの変わらぬもの、失って手に入れて。
そんなことを繰り返して、今の自分がある。
かつての記憶が薄れていくのは前に進めているからで、ならば悔やむ必要などある筈もない。
けれどほんの少し、寂しいと思わないでもなかった。
だから、ふとした偶然から再び出会えた時。
懐かしいあの頃を思い起こさせる笑顔に触れた時、どれだけ嬉しかったかなんて、きっと彼女には分からないだろう。
別れの際、彼女の残していった約束を今も覚えている。
甚夜は神社の石段の下、天女が訪れるのを待っていた。
多分、本当に“再会”出来る日を、ずっと心待ちにしていたのだ。
祭囃子を聞きながら、揺れる行燈を眺める。
暗がりに浮かぶ灯はどこか幻想的で、それだけで心浮かれるような。
溢れかえる雑踏の中、ふと見つけた少女の姿に、彼の目は優しく細められた。
石段を勢いよく降りてくる、朝顔の浴衣を纏った少女。
あんなに走っては危ない。転んでしまわないか心配しながらも、迎えにはいかず此処で待つ。
走ってきてくれた彼女の心を無駄にはしたくなかった。
「遅かったな、梓屋」
辿り着いた朝顔の娘。
息を切らして、うまく喋れなくて。
けれどその表情には見覚えがある。
周囲と自分を比較して落ち込んでいたクラスメイトではない。
ほんの少し休んで、鮮やかな笑顔で空に帰っていった、懐かしい天女が此処にいる。
「あの、えっと、あの」
「とりあえず落ち着け」
「う、うん、ごめんね? えーっと、あの。ひ、久し……ぶり?」
ようやくだ。
ようやく、本当に再会できた。
甚夜は万感の意を込めて、今度こそ正しく彼女の名前を呼ぶ。
「ああ、久しぶりだ。これで気兼ねなく呼べるな……朝顔」
薫は、天女は約束を守ってくれた。
だから今度はこちらが約束を守ろうと思う。
さて、林檎飴の屋台にでも行こうかと、甚夜は小さく笑みを落とした。
◆
「まるで、いつか見た天女のようだ」
朝顔の浴衣を褒める彼に照れて、顔を真っ赤にして。
けれどなんだか心浮かれて、薫はにっこりと満面の笑み。
本当は夏樹や久美子と合流する予定だったが、その前にちょっとだけ、二人でお祭りを見て回ろうと思った。
「ほら」
「わー、ありがとう!」
いの一番に向かったのは、林檎飴の屋台。
林檎飴をご馳走する。明治の頃に交わした小さな約束だ。
たった一週間しか一緒にいなかった女の子の言葉を、彼はずっと忘れずに抱えてくれた。
嬉しいような恥ずかしいような不思議な気分。それこそ林檎飴みたいに甘酸っぱかった
「ところで今更だが、朝顔と呼んでもいいかな?」
「うん、いいよー! あ、でも私はどうしよう。いつまでも葛野君、じゃ味気ないよね」
明治時代にタイムスリップをして、昔の彼と出会った。
つまり言ってみれば百年来の友人みたいなものだ。正確には全然違うのだが、少なくとも薫はそう思っている。
前よりも仲良くなれたことだし、こちらも呼び名を変えてみたい。
「じゃあ、私は甚くん……て呼んでいい?」
「ああ、勿論」
「よかったぁ。これからもよろしくね、甚くん」
百歳を超える彼に君付けは変かもしれないけど、そこは薫的には譲れない。
だって、さん付けでは余所余所しいし、呼び捨ては偉そう。
それに比べて名前を君付けはいかにも仲良さげで、なによりクラスメイトという感じがする。
年齢なんて関係なく、「同じクラスの仲良しだよ」と伝えられるような気がして、我ながらいい呼び名だと薫は満足げだ。
「では、朝顔。少しは休めたか?」
その意味を間違えない。
みやかや甚夜と自分を比べて落ち込んでいた。頑張っている彼女達とは違い、何もしていないことが恥ずかしかった。
今でも劣等感は拭えない。
けれど明治の頃の、素直に幸せだと言えない彼と出会い、日常から抜け出しのんびりと休憩できた。
だからほんの少し、呼吸は楽になった
「やっぱり、今でもみやかちゃんや甚くんはすごいなぁって思うよ。でも、なんだか楽になったや」
「それならよかった。なに、足踏みばかりの情けない男だって、どうにかこうにかやってきた。そう焦ることもないさ」
「えへへ、ありがとうね」
あの時、素直に幸せだと言えなかった甚夜は、こうも変わった。
だから大丈夫。迷い立ち止まりながらでも、君も同じように変わっていける。
それを証明してくれた彼の言葉だから、すとんと胸に落ちる。
朝に感じていた憂鬱はもう欠片もない。気持ちを誤魔化す為ではなく、心からお祭りが楽しいと感じられた。
「なんかほっとしたらお腹減った! 甚くん、他の屋台もまわろうよ」
「そうだな。折角だ、いろいろと試してみるか」
「うん。まずはたこ焼きー」
「これ、走ると危ないぞ」
人の流れに沿って、二人は屋台を巡る。
たこ焼き、焼きそば。腹ごしらえをしたら射的に金魚すくい。
ちょっとしたことが面白くて、簡単に笑顔は零れる。
「そだ、私も今度バイトしてみよっかな。ウェイトレスも経験したことだし。ねえねえ、甚くん、もうお蕎麦屋さんはやらないの?」
「今はな。だが為すべきを為したなら、それも悪くはないかもしれない」
「ならその時は声かけてね、またお店手伝うよー」
明治の頃のように、彼の経営する蕎麦屋でアルバイトできたら素敵だと思う。
ああ、でも。それだとすぐには無理だな、と自分の発言に苦笑してしまう。
けれど薫はほんの少し先の未来を想像する。
これから先、高校を卒業して大学生になって、その頃には彼も全てを終わらせて。
彼はのんびりお蕎麦屋さんを始めて、私はいつかのようにお手伝いをする。
今はもう野茉莉ちゃんや秋津さん、平吉君や兼臣さんはいないけれど。
きっと、あの頃と同じくらい騒がしい毎日が待っている筈だ。
夢というには些細かもしれないけれど、そんな日々が来ればいい……なんて言ったら、馬鹿にされてしまうだろうか?
「どうした、朝顔?」
「んーん、なんでもないっ!」
聞くまでもない。
なんだかんだと甘い彼のことだ。“ああ、悪くない”と優しく言ってくれるに違いない
「ねぇ甚くん、お祭り楽しいね!」
「ああ、そうだな」
子供のように無邪気な彼女を眺め、彼は小さな笑みを落とした。
これにて林檎飴の天女の話は本当におしまい。
ほんの少し羽を休め、遠い約束は結実し、今度は梓屋薫の話が続いていく。
その先は、今の彼女には見えない。
だけど大丈夫。
何もかもが上手くいく訳ではないし、将来のことはやっぱり分からないままだ。
それでもちょっとだけ休めたから、ちゃんと笑える。
これからも悩みは尽きないだろうけど、きっと大丈夫だと信じることが出来た。
二人の手には、宝石のように綺麗な林檎飴があるなんて、今更付け加えるまでもないだろう。
・蛇足
「そういえばさ、ここの神社に鏡ってあるよね?」
「鏡……ああ、ご神体のこと?」
「ご神体?」
「うん。狐の鏡っていって、戦時中に焼けた荒城稲荷神社のご神体をうちに移したんだって」
縁日が終わって幾日かが過ぎ、みやかの家に遊びに行った時のことである。
今日は久しぶりに二人だけ、女の子同士気兼ねなくおしゃべりに興じていた。
途中薫は、狐の鏡について聞いてみた。
明治時代にタイムスリップするという、とんでもない事態に巻き込まれてからそれほど日は経っていない。
色々と気になることはあり、神社の娘である親友ならば何か知っているかもしれないと思った。
「説話では天と地を繋ぐ鏡ってされてるけど、本当かどうかは分からない。全部お母さんに聞いた話だけどね」
「へぇー、でも口裂け女とか考えたら、そういうのもありじゃない?」
「それは、確かに」
実際過去に行き、狐の鏡の力で帰ってきた薫だ。与太話にしか聞こえない内容もすんなり受け止められる。
世の中には不思議なお話が多い。多分過去と未来を行き来する鏡くらい、大騒ぎするようなものではないのだろう。
「ねえねえみやかちゃん、じゃあさ、過去にタイムスリップしちゃう都市伝説ってあるの?」
「どうしたの薫、急に?」
「えへへ、なーんか気になっちゃって。そういうのって、ある?」
「まあ、結構。ジョン・タイターとか、フィラデルフィア計画とか。タイムスリップは都市伝説の中でもメジャーな部類だから」
「へぇー。それじゃあね、戻る方法ってあったりするの?」
「うん、あるよ。勝手に戻れたり、<時空のおっさん>に助けられたり」
「時空のおっさん?」
なんというか、変な名前だ。
響きからは内容が想像できず、薫は不思議そうに首をこてんと傾け聞き返した。
* * *
《時空のおっさん》
過去、未来、並行世界、異世界。
此処とは異なる場所に迷い込んでしまった時に出会える、謎のおっさんの都市伝説。
見た目は作業着を着ていたり、普通の服だったりもするが、外見的には普通のおっさん。
存在自体が謎であり、何者なのかはまったくの不明なおっさんである。
時空の迷子を元の世界に帰す力を持っていて、おっさんのおかげで帰還できた人は数知れず。
おっさんは一人ではなく、他にもおばさんやお姉さんなどと遭遇した例もある。
基本的なパターンは、以下の通り。
1.不思議なところに迷い込んでしまい、帰り方が分からない。
↓
2.そんな時、謎のおっさんに出会う。
↓
3.おっさんは上着に手を突っ込み、何らかのアイテムを取り出そうとする。
↓
4.気付くと元の世界に戻っている。
おっさんの正体は未だ分からず、様々な議論がなされている。
タイムパトロールだ、時空管理局の人間だ。或いは時の番人、並行世界の管理者など。
なんにせよ、話の特性上、彼もまた異界からの来訪者である点は基本的に変わらない。
時空間を超える能力を持ちながら、それをただ人助けの為に使い続けるおっさんは、その活躍をネット上でまとめられるほど愛されている。
ちなみに多くの話で共通しているのが、『奇妙な場所』、『おっさん』、『ポケットに手を伸ばす』、『夢から醒めたように元の世界へ戻っている』といったキーワード。
つまりおっさんのポケットには不思議なアイテムが入っていて、何かしらの操作をして元の世界へ戻されたということが考えられる。
おっさんと、不思議なアイテムが組み合わさって生まれる、時空間を超える都市伝説である。
だから例え過去にタイムスリップしても、不思議なアイテムを持つ謎のおっさんに出会えれば、ちゃんと助かるのだ。
* * *
「……っていうお話」
「へ、へー?」
みやかの説明を聞き、薫はなんだか微妙な顔をしていた。
過去で出会う謎のおっさん。不思議なアイテム。なんとなく引っ掛かるフレーズだ。
実際彼女は明治時代にタイムスリップし、奇妙な鏡を所有する神主に出会い、こうやって戻ってきた。
だからもしかしたら、あの神主も明治ではない時代に生まれ、何かの偶然でタイムスリップし。
自分と同じ境遇の人間を元の世界に返す為、そのまま明治の世に残り続けたのでは……。
「……まさか、ね」
いや、それは流石に話が出来過ぎている。
とうに過去のこと、確かめる術はない。しかし多分気のせいだと、薫はすぐさま考えるのを止めた。
そうしてまた何気ない雑談に興じる。
まだまだ暑い夏の日の午後。
少女達は時間を忘れ、楽しそうに笑っていた。
【続・神社の娘と封じられた鬼の話、或いはお母さんと刀さんの話】
「じゃあ、ごめんね。みやかちゃん」
「うん、大丈夫。クラスの男の子が手伝ってくれるって言ってるし」
甚太神社では、八月十五日には毎年縁日が開かれる。
その日は屋台が立ち並び大層な賑わいを見せるが、反面祭りの後のゴミで境内は大変なことになってしまう。
テキ屋の人達が粗方は掃除してくれるものの、どうしても残ってしまい、最後の最後は神社の方で片づけるのが恒例となっていた。
ただ今年は十六日の午前中父親が用事で出かけるので、母であるやよいとみやかの二人で掃除をしなければいけなくなってしまった。
けれど縁日の当日は忙しく、母も疲れている。
そこで少しでも休んでもらおうと、みやかは一人で掃除を受け持つと決めた。
『流石に一人では大変だろう』
境内はそこそこ広いし、大変は大変だが仕方ない。
覚悟を決めた矢先、名乗りを上げてくれたのが、クラスメイトである葛野甚夜である。
夜中メールのやり取りをしている途中、この話をポロリと零せば、母親を慮るみやかに感じ入るものがあったらしく甚夜は自分から手伝うと言ってくれた。
有難くはあるのだが、日頃から色々と助けてもらっている手前申し訳なくも思う。
その為最初は断っていたが、相手は案外頑な。
迷いつつ両親に相談すると、『そう言ってくれているのだからいいじゃない? 代わりに、私達からもお礼をしましょう』と促された。
それなら、手伝ってもらえる?
遠慮がちにお願いすれば、しかし甚夜は然程気にしていない様子。
というのも、彼はみやかの両親と知り合いだったらしく、『久々に顔を見たかった。掃除はそのついでだ』という話だ。
それが本当なのか、みやかに気を遣わせない為だったのかは分からない。
ともかく彼の申し出を有難く受け、八月十六日は甚夜と二人で境内の掃除をすることになった。
『む、手伝ってくれるクラスメイトって薫ちゃんじゃないのか?』
『うん、葛野甚夜君っていう、男の子』
『男……変な奴じゃないだろうな? 大丈夫か』
『……折角手伝ってくれる人に、そういう言い方はひどいと思う』
『いや、下心があって近づく男ってのはいくらでも……おい、みやか?』
『もういい』
手伝ってくれるのが男だと知った父、啓人は露骨に顔を顰めた。
かちん、ときてしまった。
父が心配してくれるのは分かる。
けれど甚夜は今迄身を張って助けてくれて、こちらの我儘にも付き合ってくれて。下心など全くなく、みやかや薫のことを純粋に案じ、貧乏くじを引き続けてくれた人だ。
そういう人を貶めるような父の言い分に苛立ってしまい、話の途中で部屋に戻った。
娘を案じる父の気持ちは彼女には上手く汲み取れない。
反抗期というやつだろう。大人びていると言われても、みやかはまだまだ子供で、親の心配を素直に受け取るのは難しかった。
「こっちは済んだぞ」
「あ、ゴミ袋一杯になったね。新しいの持ってこなきゃ」
そうして八月十六日。
みやかは境内の掃除に勤しんでいた。
縁日の翌日はゴミが多く掃除も一苦労。それでも今年は随分と負担が少ない。
申し訳ないが、一人では大変だろうと手伝ってくれた甚夜には正直かなり感謝している。
途中でソーダのアイスを食べ、休憩してから掃除を再開。
粗方片付けばちょうど昼時。お母さんに何か作ってもらってもいいけれど、折角だし二人でどこかへ食べに行くのも悪くない。
そう提案すれば、「いいな」と彼も同意してくれた。
「じゃあ決まりね。今度はそっちに合わせるよ」
「そうか? なら……今日の気分は、コロッケだな」
彼のリクエストでお昼ご飯はコロッケに決定。
母に一声かけてから近くの定食屋さんへ行くことにした。
「そうなの? なら、挨拶だけでも」
「あ、別にいいよ。どうせ後で戻ってくるし」
それは甚夜からの提案でもあった。
両親と知り合いだという彼は「どうせなら啓人くんが帰ってきてから会いたい」と言う。
二時頃には父も帰ってくるという話だし、ご飯を食べて、駅前を少し散策してから帰ればいいだろう。
まずは定食屋。コロッケにだぼだぼソースをかける彼と「ご飯に合うおかず談義」なんてしつつ、美味しく定食を平らげる。
暑いから外を歩き回る気にもなれないし、駅前のデパート『須賀屋』で時間を潰して、時刻は三時ちょうど。
「じゃあ、そろそろ戻る?」
「ああ、そうだな」
頃合いだ、そろそろ神社に戻ろう。
甚夜の手には土産の酒……は二人の外見的に買えなかった為、ペットボトルのサイダー。
いや、だからってサイダーはどうなの? と思わなくもないが指摘はしない。
では菓子折りを、なんて言い出されたら、まるで「両親にご挨拶」みたいな感じになってしまう。
その想像にちょっと照れつつも、すました顔でみやかは甚夜を先導する。
「そう言えば、お母さん達と知り合いだって言ってたけど、どこで?」
「以前東京に住んでいたからな。彼女らが浅草に訪れた時、少し。やよいが小学生の頃だったかな」
「へぇ」
クラスメイトがお母さんの子供の頃を語る。
彼の年齢は知っているが、なんとなく奇妙な感じはやはり拭えない。
そんなこんなで自宅へ戻れば、玄関には父の靴がある。ちょうどいタイミングで戻ってこられたようだ。
「お父さん、お母さん。ただいま」
「おお、お帰り、みやか」
母は台所、リビングに入れば父である啓人がソファーでくつろいでいた。
反抗期に差し掛かったとはいえ、元々の性格もあり、普段から父に冷たい態度をとっている訳ではない。
時々父の言葉に苛々してしまうだけで、ちゃんと声はかけるし、啓人の方も普通に接している。
「掃除終わったよ。あと、手伝ってくれた人も来たから」
「おお、そうか。ご苦労さん。んで、そっちが例の…おと……こ?」
それでも娘にちょっかいをかける悪い虫はやはり歓迎できないらしい。
リビングへ入ってきた甚夜をやたら好戦的な態度で迎え入れ……しかし何故だか言葉の途中で固まってしまった。
まるでお化けでも見たかのように唖然としている。いや、彼は鬼だという話だから似たようなものかもしれないが、明らかに父の態度はおかしい。
啓人は甚夜を指さし、口をパクパクとさせながら、体を震わせていた。
そんな珍妙な父に対し、あまりにも気安い調子で彼は片手をあげて挨拶する。
「やあ、啓人くん。久しぶりだな」
「……すいません。おたく、どこかで会ったこと、ありません?」
「なんだ、忘れてしまったのか。冷たいな」
「いや、覚えてる。覚えてるけど、確証がないというか信じたくないというか。えーと、昔刀に封印されたとか、そういう経験があったりは……」
「ああ。確かに鬼喰らいの鬼と呼ばれ、封じられていた時期があったな。君と出会ったのもその頃だったか。昔は、“刀さん”と呼ばれていた」
鬼喰らいの鬼。刀さん。
色々と話を聞いている麻衣や夏樹ならともかく、みやかには意味が分からない。
それでも父にはちゃんと伝わったようで、唖然として大口を開けしばらく停止したかと思えば、大慌てで叫び倒す。
「や、やよいっ! やよいぃぃぃぃぃぃ!? なんか来た! なんかっていうか有り得ない人、っていうか鬼が来た! え、クラスメイト!? クラスメイトなの刀さん!?」
「ああ、みやかにはよくしてもらっているよ」
「どういう状況だこれ!? 悪い虫かと思ったら悪鬼!? なんじゃそりゃ!?」
混乱する父とそれをどこか微笑ましく眺めるクラスメイト。
台所から出てきた母も彼を見て驚き、喜んでいるのか泣いているのか、上手く判別できない得も言われぬ表情をしていた。
その中でみやかだけが状況を理解できず置いてけぼりにされている。
「なんだかなぁ……」
なんともやるせない気分で少女は呟く。
リビングの騒ぎが落ち着くまでは、しばらくの時間を要するのだった。
◆
さて、今更説明するまでもないが、姫川啓人・やよい夫妻と甚夜は旧知である。
かつて甚夜が夜刀守兼臣に封じられていた頃、安置されていた社を何度も訪れたのがやよい。彼女とは短い期間だったが交流を持った。
そのつながりで啓人とも知り合い、やよいとは封印が解かれた後も数える程度だが顔を合わせたりもした。
彼らが結婚し葛野に移り住んでからはそういう機会もなくなり、今日は本当に久しぶりの再会だった。
「刀さん、お久しぶりです」
「ああ。久しぶり、やよい。随分と大きくなった」
「もう、すっかりおばさんですよ」
母を呼び捨てにするクラスメイト、それを懐かしそうに受け入れる母。奇妙過ぎる光景である。
こういうところを見ると、改めて彼が普通ではないのだと思い知らされる。
まあ男子を連れてきても変にからかわれたりしない、という点ではいいのかもしれない。
「最後に会ったのは、啓人くんとやよいが結婚する前だったか?」
「ああ、そんなもんだったかな。親父らが兄貴の家で同居するようになったから、滅多に東京には帰らないしなぁ。あ、どうだ刀さん? 久しぶりだし酒でも」
「有難い誘いだが、流石に昼間からはな」
「それは残念。んじゃ、夜にでも。折角だし夕飯喰っていってくれよ。やよいの手料理、旨いんだぜ?」
「ほう、やよいの。それは興味があるな」
昔話に花が咲く。反面、みやかは話にうまく入れない。
これは、あれだ。親戚のおじさんやおばさんが集まって両親と話をしている時と似た感覚である。
クラスメイトを連れてきたのに、何故こんな状況なっているのかよく分からなかった。
「あまり期待されても、大したものは出せませんが」
「なに、君の手ずからというだけで私には嬉しい。なにより、久しぶりに顔を見られた。それだけで十分酒の肴になるというものだ」
「なんだか恥ずかしいですね、そう言われると。刀さんとこうやってお話しするのも久しぶり、本当に懐かしいです」
「それは私もだよ。あの小さかったやよいが、立派な母になるのだから。歳月というのは不思議だな」
「ふふ……みやかちゃんは学校でどうですか?」
「いい子だよ。思慮深く真面目、慎みのある、今時珍しい娘だ。友人も多く、楽しそうにしている。もう少し我儘になってもいいとは思うが」
本人の前でそういうのやめてほしい。
みやかは僅かに頬を染めて俯く。母はそれを微笑ましそうに見つめ、先程までは楽しそうだった父は少しだけ難しい顔をしている。
「よかった。刀さんが面倒を見てくれているなら安心ですね」
「それどころか、こちらが世話になってるくらいだよ……さて、みやか。部屋を案内してくれるのだったかな?」
微妙な疎外感を察したのか、甚夜がちらりとみやかの方を見る。
居心地悪かったし、正直助かった。「なら、そろそろ」と促し、逃げるようにリビングを離れる。
その背中に、眉間に皺を寄せた父から、ほんの少し不満げな声が投げかけられた。
「おいおい、刀さん。男親の前で年頃の娘の部屋にって、なかなか挑戦的だなぁ」
「やはり気になるものか?」
「そりゃな。一応言っとくけど、世話になったのは事実だが、まだまだうちの娘を何処かにやる気はないからな。特に、あんたには」
父親が娘の連れてきた男の子に向ける言葉としてはベタもベタ。
そもそもいつものことだし、別段気にしても仕方がない。
そう思っているのに、何故かこの時は、父の言い方が癪に障った。
「なにそにょいい、む、むー?」
なに、その言い方。失礼じゃない?
文句を言おうとしたけれど、他ならぬ甚夜の手で口を塞がれてしまった。
“特に、あんたには”
大切な娘を鬼の嫁にするつもりはない、啓人はそう言った。
裏にある意味を察したからみやかは怒った。
「こちらも今のところ、そのつもりはないよ」
「あ、ああ。……すまん。俺、嫌なことを言ったよな?」
「なに、君がちゃんと父親をやっていると知れて寧ろ安心した。本当に、大きくなったなぁ」
酷い言葉をぶつけたのに褒められた啓人は、バツが悪そうに視線を逸らす。
けれど裏にある意味を察したから、甚夜は小さく笑みを落とした。
娘の為に言わなくてはいけない言葉をしっかりと言える。そういう父であってくれることが嬉しく、その成長が微笑ましい。
穏やかな心地で夫婦を眺めた甚夜は、みやかの口を押えたまま、引きずるような形でリビングを後にした。
◆
結局みやかはそのまま引っ張られ、なすすべなくリビングを出た。父親に噛み付こうとしたのに、何となく締まらない退室になってしまった。
邪魔された彼女には、当然不満がある。
とはいえ、廊下で喧嘩するもあれだし、とりあえず自室まで案内する。
ちょっとだけ怒っていたせいか、初めて男の子を部屋へ入れたという事実にみやかは気付いていなかった。
「……なんで邪魔したの?」
部屋で腰を落ち着けてから、みやかは甚夜にそう言った。
それでもちゃんとお茶とお菓子を準備してから言い出す辺りは、彼女らしいといえば彼女らしい。
「いや、君が不穏当なことを言おうとしていたからな」
「それは、そうかもしれないけど」
でも、それは父が甚夜を馬鹿にしたからだ。
先程までは打ち解けていたのに、娘をやる気はないと語る父は、まるで「お前みたいな化け物に」とでも言いたげだった。
癪に障ったのはそのせい。友達、とは胸を張って言えないけれど、クラスで一番仲のいい男子を軽んじる口ぶりが許せなかった。
「可愛い娘に悪い虫がついたんだ。父親としては当然の心配だろう」
「でも、お父さん。あの言い方、甚夜が鬼だからって」
「それも含めて、当然のことだと私は思っているよ」
そう窘める彼は、まったく気にしていない様子。
本人がその調子なのに怒っていてもしょうがない。妙に脱力してしまい、みやかは小さく溜息を吐いた。
なんだかんだ気遣い、いつも守ってくれる人を悪く言う父にかちんときた。
でも彼はそれさえも楽しげ。胸がもやもやとしてすっきりしない。
「……私って、子供?」
「どうした、急に」
「甚夜は怒ってないから。今日だけじゃなくて、最近よくお父さんに突っかかっちゃうし。怒る私の方が変なのかなって」
「父親と、上手くいっていないのか?」
「そうじゃないけど。さっきのだって、私を心配してくれるって分かってるのに、なんかすごく嫌な気分になるの」
甚夜が百歳を超えているという話は、今更疑いはしない。
だから彼に比べれば子供であるのは間違いない。それを差し引いても、自分は幼いのではないかと思えてしまう。
いわゆる反抗期というやつだ。
母親はともかく、父の言動に何故か苛々して、きつい物言いをしてしまう。
言った後に後悔するけれど、やはりちょっとしたことで冷たく接し、また自己嫌悪。
彼の余裕のある態度を見ていると、殊更自分の未熟が目立って感じられ、みやかはいじけるように俯いて問いかけた。
「いいや、寧ろ君が成長した証拠ではないかな」
「成長? でも……」
「親は何処まで行っても親だが、子供はいつまでも子供のままではいられない。背が高くなれば視野は広がり、遠くへ手が届くようになれば自然背負うものも増えてくるだろう。荷物が多くなれば重くもなる。今迄当たり前のように受け取っていた親の愛情を、煩わしく思う日だって来るさ」
だから父親の愛情を重いと、邪魔くさいと感じるのは、君が成長した証だと彼は語る。
反抗期の最中、けれど父への態度を反省してしまうみやかでは、とてもではないが甚夜の言葉に頷きで返すことはできなかった。
「そう、なのかな。よく分からないや」
「今はそれでいい。けれどいつか、抱えた荷物の重さに慣れて、周りを見渡す余裕が出てきたなら。少しだけ父親のことも考えてあげてほしい。その時にはきっと、今よりも少し優しくなれる」
そんな先の話など、みやかには分からない。
でも彼の言う通り、心配する父親が煩わしく感じられて。
だからいつか余裕が出てきたのなら、素直にそれを受け取れる日も来るのだろうか。
「……うん」
「ああ。……できるなら、その時には酌の一つもしてやってくれ。父親というやつは、案外打たれ弱いんだ」
「ふふ、なにそれ」
やけに実感の籠った言い方に、いじけていたことも忘れ、思わず笑ってしまう。
もしかしたら彼にも似たような経験があるのかもしれない。
真面目な顔をしてうんうんと頷く彼がおかしくて、父に怒っていた自分が馬鹿らしくて、みやかは肩の力に抜いた。
「……ありがと、ね」
小さく舌の上で転がした言葉。多分聞こえなかった。
けれど彼の目は細められた。言葉にしなくても、感謝の気持ちは伝わったのだろう。
なんだか恥ずかしくなって、みやかは無理矢理に話題を変える。
「あ、そういえば夕飯食べていくんだったっけ」
「ああ、ご相伴にあずかるよ。しかし、手料理。あの小さかったやよいがなぁ」
「……甚夜の中でお母さんがどう見えてるのか、よく分からないんだけど」
「啓人くん達と離れるのが嫌で家出して神社に隠れる女の子、だな。ちなみに啓人くんは女子小学生に熱を上げ、女子中学生に振り回される男子高校生だ」
「え、なにそれ詳しく」
父母の面白そうな過去に、思わず食いついてしまう。
時刻は五時。
窓からは夕日が無遠慮なまでに差し込んで、部屋は夕暮れ空と地続きのように染まっている。
夕飯まではまだまだ時間がある。
折角だし、両親の昔の話を聞かせてもらおう。
みやかは先程とは打って変わった柔らかな表情で、甚夜の語る遠い昔の物語に耳を傾けていた。
「……お父さん、昔小学生巫女に興奮してお母さんに結婚申し出たんだって?」
「おい待て刀さんお前なに話した」
もっとも彼の知る話は柚原青葉、七緒母娘の手で恣意的に歪められている。
だから夕飯は楽しくて、いつもより更に美味しかった。




