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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
平成編

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182/216

『過ぎ去りし日々に咲く花の』・2(了)



 むかしむかしのお話です。

 大切な人を殺された男は、失意のうちに故郷を離れます。

 旅の供は、腰に携えた刀と、曖昧な憎悪。

 何も守れなかったから、仇を仇として憎むことが出来なかったから、男の願いはただ一つ。


“強くなりたい”


 もし強ければ、きっと守れた。

 強くなれれば、振るう刀にも疑いを抱かないで済む。

 だから強くなりたくて、それだけで全てで。

 何を目指せばいいのか、手にした刀の意味も分からないまま彼は旅へ出ました。 


『人よ、何故刀を振るう』


 耳にこびりついた問いの答えは、今も出ていません。

 それでも強くなりたかった。

 なにも疑わないでいい、迷いのない、そういう強い自分で在りたかった───




 ◆ 




 夏は紫陽花、いつかの庭。

 何一つ守れず、全てを失って。

 けれど残るものはあると、必死になって歯を食いしばり。

 その果てに、鬼は大切なものを見つけた。


「そりゃな。だってじいちゃん、元々俺のひい婆ちゃんの家で庭師やってたし」


 いきなり甚夜は早退してしまい、みやか達は茫然とそれを見送った。

「なんだったんだろう?」「さあ?」

 今一つ少女達には理解できず、しかし夏樹は付き合いの長さからか、「まあ、じいちゃんのことだからなんかあるんだろ」と軽い調子で突飛な行動を受け入れていた。

 残された彼女らはよく分からないままにそれでも話し合い、話題はやはり教室を出ていった彼のこと。

 やけに詳しい花の知識は何なのだろう、というみやかの疑問に、夏樹はこれくらいなら問題なしと判断して甚夜の過去を少しだけ明かした。


「庭師?」

「おう。うちのひい婆ちゃん大正華族で昔は結構な豪邸に住んでたんだけど、そこが紫陽花屋敷って呼ばれてたんだ。んで、庭の紫陽花を育ててたのがじいちゃん。仕事だったんだから、花に詳しいのは当然って言ったら当然だと思うぞ?」

「ええー……」


 百歳を超えているというのは聞き及んでいたが、大正時代に華族の下で働いていたとか、そんなとてつもない話が普通に出てくるのはなんとも奇妙だ。

 しかし夏樹に嘘を吐いている様子はない。つまり今語った内容は紛れもない事実だということ。高校生になってから、色々と常識が崩壊しつつある。


「案外三浦花店ってのも昔付き合いがあったりした花屋だったりな?」


 ああ、そういうことも考えられるのか。

 いつきひめや秋津染吾郎という前例もある。実はあの店の何代か前の店主と知り合いだったとか、夏樹の言は意外に的を射ているのかもしれない。

 けれど、それならば季節外れの花はいったい何なのか。


「というか葛野君って、働いてたんだねー」


 呑気な薫の発言にみやかも考えるのを止め、頷いて同意を示した。

 クラスメイト、外見は同年代。なのに就業経験があるというのはやはり不思議だ。


「あー、昔は色々やってたみたいだぞ? 聞いただけでも巫女の護衛役、浪人、蕎麦屋の経営、庭師に映画館勤務に刀とか」

「待って、職業が刀ってどういうこと?」

「いや、俺も“昔は刀やってた”って聞いただけで詳しいことは……」


 流石に夏樹も詳細までは知らない。

 三人揃って頭を悩ませるが、全く想像できない。

 結局朝のホームルームが始まるまで考え込んでも、刀をやっているという状況は謎のままだった。




 ◆




 夏から秋にかけては、オシロイバナ。

 夕暮れから花開き、異称を野茉莉という。

 オシロイバナは一株ごとに色違いの花を咲かる珍しい品種だ。 

 夕凪の景色を、家族で会った日々を、忘れることはきっとない。


「うあああ、遅刻遅刻ー! ……って、あれ? 甚、どしたの?」


 早退を担任に伝え、学校を出る途中、校門で桃恵萌と出くわした。

 昨日はクラスメイトとカラオケで日付が変わるまではしゃぎ、睡眠不足から寝坊して、思いっきり遅刻してしまった。

 彼女は十代目秋津染吾郎。

 ああ、そう言えば。明治の頃、蕎麦屋の開店を手伝ってくれたのは染吾郎だった。

 野茉莉と二人静に暮らして、けれど染吾郎と平吉は毎日のように訪れ、兼臣が居候して。

 満ち足りた日々を彼女の向こうに想い、しかしそれは失礼だとすぐに振り払う。


「おはよう、萌。悪いが今日は早退だ」

「……もしかして、なんかあった? 手伝うよ」

「いや、そうじゃない。少し花を巡りにな」

「へ?」


 怪異関連の事件かと思えば、どうやらそうではないらしい。

 呆気にとられた萌へ軽く別れを告げ、散歩をするような気楽さで甚夜は校門をくぐる。

 どゆこと? 疑問に答えてくれる人はもうおらず、立ち尽くしているうちに始業のチャイムが鳴ってしまう。


「やっば、ちょっと待ってー!?」


 甚夜を追うのは憚られ、慌てて萌は教室へ向かう。

 なんかよく分からないけれど、彼はちょっと楽しそうにしてた。

 邪魔するのも悪いかなと、そんな風に思った。




 ◆




 秋は鬼灯ほおずき、木犀の花。

 浅草のほおずき市は、江戸から続くお祭りだ。

 今更ながら、あの時行っておくべきだったかと少しだけ後悔する。

 花について教えてもらっていたのもこの季節。

 ゆっくりと歩くことを覚えたのも、彼女のおかげだった。


「いらっしゃいませー。む、夜叉か」


 学校の近く、アイアイマートに寄れば、人斬りの笑顔が迎える。

 慣れないが、最近のコンビニは便利だ。一人暮らしの甚夜は案外利用率が高かった。

 缶コーヒーを買いつつ、カウンターで道を聞く。

 交番で聞くと横柄な警察官に当たることも多いが、買い物をした後ならコンビニ店員は意外とちゃんと教えてくれる。

 繰り返すが、笑顔の人斬りにはやはり慣れなかった。


「済まない、道を聞きたいのだが」

「はい、構いませんよ」

「……敬語はなしで頼む」

「ふむ、ならばそうしよう」


 途端カウンターにいるコンビニ店長、岡田貴一はつまらなそうに鼻を鳴らす。

 良い態度とは言えないが、正直助かる。こちらの方がよほど接しやすかった。


「三浦花店という場所を聞きたい」

「ああ、住宅街の方の花屋か。ちと待て、今地図を書こう」

「……手慣れてるな」

「レジ業務をしていると、聞く客も多い。まごつかぬよう地図は頭に入れておるのだ」


 血生臭い人斬りが、随分真面目なことだ。この男も変わったな、と妙に感心してしまう。

 ほれ、と無造作に渡されたメモ書きを受け取り、コーヒー代をちょうどで払い店から出る。

 変わったのは、私も同じかと甚夜は独り言ちた。

 こうやって穏やかな気持ちでいられるのだから、きっと変われた。

 強くなりたくて、それだけが全てで。

 そう信じた自分はもうどこにもいない。

 それを思えば、少しだけ足早になる。

 彼女は色々なことを教えてくれた。だから、伝えたいことも沢山あった。




 ◆




 冬は水仙、寒葵。

 見渡せば小さな池、水仙の咲き乱れる艶やかな庭。

 かつて彼女が過ごした幸福の庭の景色だ。

 明治の頃には、寒葵に如き女と再会した。

 直次の妻となり、“夜鷹”ではなく“きぬ”と名乗るようになった彼女は、寒葵を思わせた。

 根元に咲くため葉をかき分けなければ見えないが、静かに冬を彩る優しい色。

 寒さに耐えてひっそりと咲く、慎ましやかな強さ。

 高校に入学し、五月の芸術鑑賞会。

 雨夜鷹という演劇を見た。


『中々面白い。だが、悉く私が無能に描かれているのは解せんな』


 そう悪態をつきながらも、零れる笑みは止められなかった。


「この、先か」


 岡田貴一から貰った地図を頼りに、住宅街を歩く。

 みやかに道を聞かなかったのは、ルール違反だと思ったから。

 懐かしい女性を訪ねるのに、親しい女性に道を聞くのは、どちらに対しても無粋だろう。

 そろそろ件の花屋。実際の距離よりも長い間歩いている気がする。

 閑静な住宅街は昼間ということもあって随分と静かだ。あまりに静かなせいか、様々な考えが浮かんでは消える。

 その大半を占めるのは彼女のことだった。

 君は今何を考えているのだろう。

 君に会えたら何を話そう。

 まるで恋人との待ち合わせを楽しんでいるように、心浮かれて。

 苦笑を零し、通りを抜けて、見えてきた店舗に目を細める。

 ああ、随分と長くかかってしまった。

 もう百年以上、歩いてきたような。

 そんな不思議な気分だった。




 ◆




 春は沈丁花、雪柳。

 沈丁花の香りは春の訪れを告げる、そう言ったのは彼女だった。


“ほら、それしかないなんて嘘ですよ”


 強くなりたくて、それだけが全てで。

 そんな無様な男を、彼女は否定した。


“偶にはこうして足を止めてみてください。貴方が気付かないだけで、花はそこかしこで咲いています。見回せば、きっと今まで見えなかった景色が見える筈ですから”


 いつきひめ、秋津染吾郎。

 長い歳月の果てに出会えた花々を美しいと思った。

 けれど花を美しいと思える心は、きっと彼女がくれたもの。

 たとえ間違えた道行きでも、その途中拾って来たものに間違いはないと、彼女が教えてくれた。




 ───そうして、また夏が訪れる。





 抜けるような晴天、閑静な住宅街には遠くセミの音が降り注ぐ。

 強すぎる日差しを手で避け、夏の眩しさに少し目が眩む。

 辿り着いたのは、洒落た今風の外観ではなく、こじんまりとした昔ながら花屋といった印象の建物。

 店先では若々しい女店主が小忙しく働いている。

 懐かしい、甚夜は小さく笑みを落とした。

 花に誘われた虫のように、足は自然と彼女の方へ向かう。

 近づく学生服を着た少年に気付いたのか、女店主は顔を上げた。

 凜とした立ち姿が印象的な少女。記憶の中にいる彼女が、此処にいる。


「いらっしゃいませ。なにか、お探しですか?」

「雪柳は、流石においていないか」

「ええ、申し訳ありませんが、うちでは取り扱っていませんねぇ」

「春も過ぎてしまった……残念だな。本当は、君と再び会えたなら。一緒に雪柳を眺めようと思っていたんだ」


 ふと過るのは、いつかの別れ。 

 彼女はまた逢えるかと問うた。

 そして彼はまた逢いたいと思った

 ならば幾つもの歳月を越え、流れゆく季節の中。

 いつかどこかの街角で、また巡り合うこともあるだろう。

 その時には、一緒に雪柳でも眺めようか。

 彼はそんな日が来るのを、心のどこかでずっと願っていた。


「ふふ、大丈夫。雪柳は、また来年も咲きますよ。花は季節を巡るものですから」

「そう、だな。咲いては散り、散れど咲いて。ならば今年の花を見逃しても、悔やむことはないか」


 春の花の季節には間に合わなかった。

 けれどこうして出会えたなら、悔やむことはない。

 花は季節を巡る。また共に花を眺める機会だってある筈だ。


「久しぶりだな、おふう」

「はい、お久しぶりです。甚夜君」


 百年を超える再会、交わす言葉はさり気なく。

 だからこそ横たわる歳月を一息で飛び越えて、心の距離はそっと近づく。


「ここは、萌の行きつけだと聞いたが」

「萌ちゃんですか? はい、うちのお得意様ですよ。だからあの子のお目当ての男の子の話も、ちゃんと聞いてます」

「ひどいな。近くにいたのなら、顔を出してくれてもよかったろうに」

「あら、だって甚夜君が言ったんじゃないですか。“生きていれば何処かですれ違うこともあるだろう”って。自分から逢いにいっては綾がないでしょう?」


 おふうは悪戯っぽく、人差し指で自分の唇をそっと触る。

 かつては見られなかった、からかうような仕草。仕事の手際もいい。

 随分と時は経った。彼女とていつまでも不器用な看板娘ではなかった。


「店の場所は、萌ちゃんに?」

「いや、道すがら適当に聞いた。君に逢う為他の女性を頼るのは、それこそ綾がない」

「ふふ」

「どうした?」

「あの甚夜君がそんな気の利いたことを言うだなんて。変われば変わるものですねぇ」


 甚夜は変わった。

 強くなりたくて、それだけが全てで。

 そう信じた頃は遥かに遠く。

 激流のように過ぎゆく歳月の中、散々しがみ付いても耐え切れず、多くのものを手放し失った。

 それでもこの手には、小さな何かが残って。

 間違えた道行きの途中、拾ってきた大切なもの。その分くらいは、変わることが出来た。


「……ああ。いつまでも、あの頃のままではいられないな。君だってそうだろう」

「そう、ですねぇ。今は一人で花屋をしています。幸福の庭に逃げ込んだ私のままで、いたくはありませんでしたから」


 おそらく彼女にも、彼の知らない出会いと別れがあり、大切な日々がある。

 再び出会えたけれど。本当は、再会というには互いに変わりすぎたのかもしれない。


「変わってしまったことを、悔やんでいますか?」

「まさか」


 けれどそれを寂しいとは感じなかった。

 強くなりたくて、それだけが全てだった。

 そんな無様な男に、そうではないとおふうが教えてくれた。

 まず初めに、彼女が変えてくれたのだ。

 だから、あの頃より少しは大人になれた今、伝えたいことが沢山ある。


「守りたいものが増えたから、失くすのが怖くて。濁った剣では切れ味は鈍り、斬れなかったものもある。多分、私はあの頃よりも弱くなった。……けれど今の自分が、そんなに嫌いじゃないんだ。おかしいと思うか?」

「……いいえ、素敵だと思います」


 強くなりたいと気を張って生きてきたのに、今は己の弱さが愛おしい。

 本当に、変われば変わるものだと甚夜は苦笑する。

 変わらないものなんてない。遠い昔、義父はそう言っていた。

 幾星霜を越えてきたからこそ、その言葉が身に染み入る。


「でも変わったけど、変わらない。私の前にいるのは、ちゃんとあの頃の甚夜君ですよ」


 それでも彼女の浮かべた嫋やかな微笑みは、いつか蕎麦屋で見送ってくれた時と同じように見える。

 逢いたいと思って、こうして逢えた。

 ならば変わるものはあっても、同じように変わらないものもあったのだろう。


「そう、だろうか」

「はい。だってあの頃と変わらず、なんてことのない約束を守ってくれたじゃないですか」


 別れ際に交わした“いつか、また”という約束は此処に咲いた。

 だから、花は季節を巡るものなのだと思う。

 咲いては散り、散れども咲き。季節を巡りながら、四季折々、懐かしい花を咲かせる。

 変わるもの、変わらぬもの。是非は今も分からないままだけど。

 あの頃とは違う同じ花には、いつだって会えるのだ。


「君に逢えたら、色々なことを話そうと思っていた。けれどまず、伝えたかった言葉があるんだ」


 ああ、そういえば。

 鬼を討ちに出る時、おふうはいつも「いってらっしゃい」と送り出してくれた。

 あの頃は、逃げるように背を向けて店の外へ出た。純粋に心配してくれる彼女の視線がむず痒かった。

 けれど再会できた今なら、もっと素直に向き合える。


「奇遇ですね。実は、私もなんです」


 彼女は彼が何を言いたいか知っている。

 彼も彼女がなんと返すかを知っている。

 お互いの心なんて分かり切っているが、相手の言葉を奪うような無粋はしない。 

 いつかどこかの街角で、こうして巡り合えたのは。

 歳月を積み重ね多くが変わり、それでも『逢いたい』という想いだけは変わらなかったから。

 散った花は季節を巡り、遠い何処かで咲き誇り。

 そっと離れた想いもまた、歳月を経て寄り添う。

 だから、花が季節を巡るように。


「ただいま、おふう」

「はい、お帰りなさい」


 君想うこの心は、きっと花を巡る。





『過ぎ去りし日々に咲く花の』・了





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