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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
平成編

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177/216

『 My Dear? My darlin' ! 』・1




 明るい茶色に染めた髪をリボンでワンサイドアップに纏め、ケバくならない程度にメイクを整えている。

 手にしたケータイはいわゆるデコ電で、犬や猫などの動物系ストラップなども多くとても重そうだ。

 服装の方もかなり派手、スカートは当然のように短く、ブラウスのボタンは常に一つ二つ外している。

 胸元が豊かなせいで、見せブラなのだろうが、谷間と共に黒い布地がちらちらと覗いていた。

 総合すると桃恵ももえもえは非常にギャルっぽい、いかにもといった女子高生だった。

 

 顔立ちが整っており、そこそこの露出があり、言動も軽め。

 遊んでそうな容姿から言い寄ってくる手合いも結構な数に上るが、そういったチャラい男についていったことは一度もない。

 そもそも萌はファッションセンスが派手なだけで、決して素行が悪いという訳ではなかった。

 普通の女の子、と表現するには些か軽めで真面目とも言い難いが、良識はしっかりと持ち合わせている。

 授業をサボって街に繰り出すくらいはするが、他人をこき下ろす娯楽は趣味じゃないと公言憚らず、いじめだのカツアゲだのは一切やらない。

 当然ながら援助交際なんてもっての外だ。

 金で自分を売るような安い女に成ったつもりはない。

 しかし世間では色眼鏡を大安売りしているらしく、一部の生徒は『桃恵萌は援助交際をしている』とか根も葉もない噂を流しているのが現状だった。


「だからさー、あたしはイチズだってーの!」


 ここは三浦花店。

 戻川高校から程ない距離の住宅街、桃恵萌の自宅の近くにある、若い女店主一人で切り盛りする小さな花屋だ。

 もっとも若いといっても年齢は四十をとうに超えているらしい。

 にも拘らずまるで十代のような肌のうるおい。スキンケアの方法を教えてもらおうと、割合本気で萌は詰め寄っているのだが、店長曰く「特になにもしていませんが……」とのこと。世の中は本当に不公平である。


「ええ、知っていますよ、萌ちゃんは、いい子ですからねぇ」

「でっしょ!?」


 桃恵萌は日曜日には結構な頻度でここを覗くため、店長とも仲がいい。

 だからなのか、「萌じゃなくてアキって呼んで」とは言わない。もっともフルネームで呼ばれれば流石に物申しはする。

 こんだけ気合入れてんファッショナブル気取ってんのに「もえもえ」とか有り得ない、いやマジで。


「でも、かわいい子には色々噂が付きまとうものですから」 

「ありがとー。もうマジてんちょー愛してる」

「ふふ、ありがとうございます」

「それに比べてうちの男子共と来たらさぁ」


 かわいいとか派手とか、そういう評価はどんとこいだ。

 軽く見られるのもいい。言動からすれば仕方ないし、というか実際授業サボって遊びに行くし。

 見せるためにやっているのだから、多少谷間を覗かれたりブラみられるくらいも問題なし。鼻の下伸ばす男子もちょっとした優越感を味合わせてくれる。

 盗撮するようなヤローは拷問かけてやりたいけど、ミニスカートは心意気。下着は見られても恥ずかしくないような可愛いデザインをちゃんと選んでる。覗かれるのは癪だが、まあ良しとしよう。

 だが援助交際してるって噂はどういうことか。

 桃恵萌の目下の悩みの種は、そういう「ウリやってる安い女」に見られているという点だった。


「高校決めたのだって、お目当ての男子が行くって聞いたからなのに。めっちゃまじめに勉強して合格したんだっつーの。なんだ体で推薦入学取ったって? AV見過ぎだろオマエラこんちくしょうが」

「あらあら。女の子がこんちくしょうなんて言ったらいけませんよ」 

「でもさー、ひどくない? こちとらイチズじゅんじょー、ダイヤモンドバージン乙女だってのにさ」


 処女を公言するのは果たして純情なのか、異論の余地があるところだろう。

 しかし一途であるのは間違いない。

 なにせ萌が戻川高校への入学を決めたのは、とある男性がそこへ行くという話を聞いたからである。

 まともに喋ったことはなく、彼も彼女を知らない。

 それでもお近づきになろうと、伝えたい想いがあると、同じ学校に行こうと決めたのだ。

 まあ実際入学した後も、彼の様子を遠くから眺めたり周囲に彼の人となりを聞いたりと、明確な行動には移せてはいなかったりするのだが。

 ストーカーとかほざいた奴は犬のエサにしてやる。


「はあー、すっきりした。ごめんね、てんちょー。毎度愚痴に付き合ってもらっちゃってさ」

「いえいえ、お得意様には報いるものがないと」

「あはは、この商売上手ー。それじゃ、ソケイに白バラ、トルコ桔梗。次の日曜に取りに来んね」

「はい、毎度ありがとうございます」


 ちなみに、ギャルっぽい容姿ではあるが、萌は母の教えにより幼い頃から生け花を嗜んでいる。

 花は当然自分で選ぶし、着物の着付けもお茶の子さいさい。ついでに言えば料理も得意で、和食ならそこそこ自信がある。

 店長とも随分仲良くなったのも、生け花の花材を大抵三浦花店で買うからだ。最近は溜まった愚痴を聞いてもらったり、オトナの女から恋愛テクニックを学んだりと、てんちょー依存率が高まっていたりもする。


「そんじゃ、またねー」

「はい、それでは。あと、萌ちゃん。遠くから見つめるのも恋の至上でしょうけど、いつかはちゃんと声をかけられるといいですね」

「ていうか今までは、本当にその人か自信がなかったからだし? ……だから、まー。そこは、うん。がんばる」


 ちょっとだけ強がりは入ったが、間違ったことは言っていない。

 彼の名前を知った時、自身の記憶にある大切な名前と同じだった。

 けれど同一人物かは確信が持てなかったため、今まで声をかけずにいたのだ……いや、ほんの少し恥ずかしいという気持ちがなかったわけでもないけれど。

 ともかく、今はもう確信している。

 彼が、あの人なのだと。

 だから、


「もうちょっと、がんばる」


 よっしゃ、と可愛らしく気合を入れて、萌は足取り軽く駅前へと向かう。

 幸い今日は日曜日。

 決戦に向けて、新しい服と新色のリップ。あと化粧水と美容液、乳液もちょっといいやつを取り揃えておこう。






鬼人幻燈抄『 My Dear? My darlin' ! 』






 2009年 7月


 七月に入りぐっと暑くなり、緑の色も匂いも濃くなった。

 昼休みの校舎裏も、日陰になっているとはいえ、かなりの熱気だ。

 ほんの少し風が吹いて、生い茂った木々の葉がざわめく。そっと肌を撫ぜる涼やかな風と、耳を擽るような音が心地良い。

 ただ今はそういったものに浸っているような状況ではないだろう。

 目の前の男子生徒にも余裕などないらしい。なけなしの勇気を振り絞って、彼は想いを打ち明ける。


「一目見て好きになりました。付き合ってください!」


 ……まあ、これも学生特有のイベントというか。

 中学の頃はあまり縁のなかった状況に思わず目を丸くする。

 みやかはお昼休みに呼び出され、隣のクラスの男子生徒から、いわゆる「お付き合い」というやつを申し込まれていた。


「え、と。私、貴方のこと知らないんだけど。どこかで会った?」

「会ったことは。俺、サッカー部で、姫川さんのことを見て。それで、返事お願いできますか!」


 一目惚れと聞いても、今一つしっくりこない。

 そもそも、みやかはあまりモテる方ではない。少なくとも本人はそう認識していた。

 容姿は絶世とは言わないまでも、それなりに整っている。 

 うっすらと茶色がかった長い髪に、高校一年の女子としては高めの身長。

 女性らしい起伏はあまりないが、すらりとした手足に余分な肉のない細身。

 切れ長の目に通った鼻筋、ほっそりとした顔立ち。

 かわいいよりも綺麗がしっくりくる少女で、本人が知らないだけで中学の頃から周囲の評価は上々である。

 しかし年齢に反して落ち着いており、情動に任せた言動も苦手なせいだろう。無愛想に見られることが多く、男子とはあまり交友が無かった。

 その為これが生まれて初めての告白であり、一目惚れと言われても、からかわれているとしか思えなかった。


「ごめんなさい。今はあまりそういうの、考えてなくて」


 もっとも、一目惚れでなくとも、今は恋愛にも目の前の男子にも大して興味はない。

 顔色一つ変えず男子の告白を退け、颯爽と去っていく。

 相手は上手く反応できずに立ち尽くしてしまっている。

 みやかは彼には目もくれない。神社の娘としてしっかり躾けられているからか、歩く姿に乱れはなく、立ち振る舞いは堂に入ったものだった。





「あっ、みやかちゃーん。お帰り!」


 教室に戻れば、中学時代からの友人である梓屋あずさやかおるが好奇心に満ち満ちた笑顔を向けてくれる。

 あ、これ絶対面倒くさいことになるなー。

 そんなことを思いながらみやかは席に着き、遅くなった昼食を取り始めた。


「で、どうだったの、告白っ」


 きゃー、と妙に楽しそうな雰囲気で薫がぐいぐい来る。

 告白された本人よりも興奮しているのはどうなんだろうと思いながらも、母謹製のお弁当を箸で突きつつ普段通りの調子で答えた。


「断った」

「端的すぎるし早いよみやかちゃん」

「そう言われても、話したこともない人だし」

「そーなの?」

「うん、今日が初めて。一目惚れって言われてもね」


 とりあえず事の顛末を粗方話しておく。

 先程の男子は隣のクラスらしい。話したことはなく、しかも告白理由は一目惚れ。みやかにとっては一番“ない”相手だ。

 今後親しくなれるとも思えないので、それはもうきっぱりと断っておいた。 


「なんか、ちょっと怒ってる? その人そんなにいやな人だった?」

「別に嫌な人ではなかったけど……時期的に、夏休み用の恋人ってのが透けて見えてて。それに、一目惚れってあんまり信用してないから」

「えー、少女マンガとかだと定番なのに」

「一目で好きになったんなら、中身はどうでもいいってことでしょ? だいたいその相手が私って時点で趣味が悪いと思う」


 みやかは、はっきり言うとあまり社交的ではない。

 勿論友人はいるし暗い性格という訳でもないが、基本的に感情を表に出すのが下手で、無愛想であることも自覚していた。

 だから一目惚れなんて理由はイマイチぴんと来ない。

 せめて何度か話をして、「一緒にいて落ち着く」みたいな理由ならばもう少し考えるのだが。


「みやかちゃん、きれいだと思うけどなぁ」

「そう思うのは、薫が優しいからだと思うけど」

「そんなことないよ」


 リボンがトレードマークの童顔の少女は、朗らかに笑っている。

 みやかからしてみれば、こういう可愛らしい娘こそ一目ぼれの対象だと思う。小っちゃくって丸っこくって、いかにも女の子という感じだ。


「でも、一目惚れが嫌なら、やっぱり付き合うなら仲のいい男の子の方がいい?」

「まあ、よく知らない相手よりは」

「じゃあ……葛野くん?」

「ごふっ……!?」


 女子高生らしからぬ声を上げてしまったが、ごはんを喉に詰まらせなかった自分をほめてやりたい。

 ゆっくりと呑み込み、お茶を飲んで一呼吸。いきなりなことを言い出した薫を半目で見る。


「……なんで、そこであいつがでてくるの?」

「え? だって、みやかちゃんがクラスで一番仲いい男の子って葛野くんだよね?」


 それはそう、それはそうなのだが。

 みやかは件の男子生徒について、思い付く限りを脳裏に浮かべる。

 葛野甚夜。

 同じクラスの男子で、夜な夜な都市伝説を討つ退魔剣士? とかそんな感じ。

 彼とみやかが親しくなったのは、よく分からないオカルトな事件に巻き込まれたところを助けて貰ってからだ。 

 それで、自称百歳を越える鬼。

 磯辺餅が好き。

 異常なほどの細マッチョ。

 なんか歴史系の知識が豊富。

 他には、案外説教臭くて。

 こちらにいつも気を遣ってくれて。

 優しいというか、過保護というか。

 あとは、姫川の娘とか。花のように美しいとか平然と言ってきて。

 その、やっぱり頼れる奴ではあると思う。


「……ごめん、ない。全然ない」


 そこまで考えて、みやかは首を振った。

 確かに仲はいいが、恋愛に繋がるとは思えない。というか保護者目線で見られているような気がする。

 そもそも今の自分では恋愛なんて正直想像もつかない。

 まあ彼に関しては、頼りにはなるのは事実、そこそこ格好いいとも思うけれど。


「そうなの? でも、みやかちゃんがあんなに男の子と仲良くなるのって初めてじゃないかな」

「それを言ったら薫もでしょ。というか、あいつ薫には妙に優しくない?」

「そうかなぁ? ふつーだと思うけど」


 いや、見るからに甘い。それはもう、初孫を可愛がるお爺ちゃんのように。

 しかし薫にその自覚はなく、今の彼女は林檎飴の天女の存在を知らない。

 葛野甚夜が梓屋薫に如何な感情を抱いているか知るのは、もう少し後の話である。


「ともかく、別にその手の好意がある訳じゃないから」

「でも、葛野君の方はみやかちゃんのことすっごい好きだよね」

「……どこが?」

「だって、前言ってたよ? 私が天女なら、みやかちゃんは春の花だって」



『巡る季節の中で咲いた美しい春の花。君はまさしく“姫川の娘”と、そう思ったんだ』



 いつかの夕暮れの屋上を思い出す。思い出してしまった。

 あまりにも優しく、穏やかに。心を取り出すようにそっと告げられた言葉。

 あんなにも真剣に、まっすぐ美しいと言われたのは初めてだった。

 ……実際のところ「あなたの容姿は美しい」ではなく、「君達いつきひめの在り方は尊く美しい」という意味なのだが、どちらにしても彼がみやかのことを春の花に例える程美しいと感じているのは事実。

 そして男性から褒められ慣れていない少女は、お昼休み食事中でも関係なく、彼の心からの賞賛を思い出し、傍目からも分かるくらい頬を赤く染めていた。


「どうしたの? 顔真っ赤だよ」

「なんでもない、なんでもないから」

「そう? 調子悪かったら言ってね?」

「うん、ありがと」


 調子は悪くない。悪くないどころか、思い出し照れなんぞ出来る辺り寧ろ絶好調である。

 取り敢えず深呼吸。どうにか心を落ち着けて、昼食を再開する。


「そういえば、葛野君遅いね」


 薫はきょろきょろと教室を見回すが、お目当ての男子生徒の姿はない。

 いつもなら昼食は一緒に取るのだが、今日は用事があるらしく、甚夜は昼休みが始まると同時に教室を出ていってしまった。

 それから三十分以上は経っているのにまだ帰ってきていない。あまり遅くなると食事の時間も無くなるし、なにより彼は都市伝説の討伐を主な目的としている。また厄介な事件に巻き込まれたのかもしれないと、心配になってくる。


「あ、藤堂くーん。葛野君どこ行ったか知らない?」


 薫も似たような気持らしく、甚夜とやけに親しい男子、藤堂夏樹に声をかける。

 すると根来音久美子との会話を中断し、事も無げに彼は言う。


「ん? じいちゃんなら二年の女子の先輩と昼飯食いに行ってるぞ? 手作り弁当だから断れなかったてさ」


 は?

 少女達がはしたなくも大口を開けて聞き返したのは、多分仕方のないことだろう。




 ◆



「これ、お弁当どうぞ」

「ああ、済まないな」

「いえ、そ、そんな。お礼ですし」


 照れた様子で弁当箱を差し出す女子は、二年生の先輩で、数日前にちょっとした縁で知り合った相手である。

 彼女と出会ったのは夜のこと。当然ながら“ちょっとした縁”の中身は、多少危なっかしいものだった。

 偶然とはいえ甚夜はそれに遭遇し、結果的に助けた。少女はいたく感謝しており、お礼にと手作り弁当を作ってきてくれたのだ。

 折角の心尽くしを無碍にはできない。有難く受け取り、雑談がてら昼食を共にした。それだけのことである。


「ねえねえ、葛野君。今日彼女さんとお昼して来たってホント?」


 教室に戻ると、いきなり薫が無邪気にそう聞いてきた。

 なにを言っているんだ、この子は。

 そう思ってしまったのは、多分仕方のないことだろう。






 甚夜が教室に戻る十分ほど前。

 夏樹から「二年の女子と一緒にご飯、しかも手作り弁当で」という情報を聞かされたみやかは、非常に悶々としていた。

 感情表現の苦手な彼女だ、表情はほとんど変わっていない。傍目から見れば「今日もクールな女の子だ」と評される、いつも通りの落ち着いた様子だった。

 しかし彼女の親友は僅かな表情の変化からでも内心を察せるようで、しかし気遣いの然程上手くない薫はド直球ド真ん中、剛速球のストレートボールを投げつける。


「気になるなら、帰ってきたら聞けばいいと思うよ?」


 そう、薫の言う通り、みやかは気になっていた。

 一緒に昼食、これはいい。最近では甚夜と吉岡麻衣の二人で行動することもある。つまり友達同士なら何の問題もない行動だ。みやかとて女子高生、その程度で騒ぐつもりはなかった。

 ただ手作り弁当となると、話が変わってくる。

 女子が男子に弁当を作る。それは友達の範疇を越えている。いや、中学の頃親しい男子などいなかったみやかには実際のところは分からないが、少なくとも薫に貸してもらった少女漫画では手作り弁当というのは相応のイベントとして扱われていた筈だ。

 つまり件の先輩の女子は、恋人でなかったとしても、明確な好意を抱き、彼もそれを受け入れている訳で。 


「……聞いて、いいと思う?」

「え?」


 だからその辺りのことが気になっているのは事実。

 同時に、無遠慮に聞いていいものかと思う気持ちもある。しかしやはり気になっており、と先程からグルグルと思考が回ってしまっていた。


「甚夜とはそれなりに仲良くなれたし、あっちもそこまで悪い感情は持ってないと思う。でも別に恋人って訳でもないし。あいつの交流に口を挟む権利はないから、聞くのは失礼じゃないかなって」

「えー、でも友達なんだし、そんなに遠慮しないでもいいと思うけどなぁ」


 そうかもしれないが、知らない女の子との食事の顛末を聞くのは、嫉妬深い女の行動のようで気後れしてしまう。

 勿論、多少気になっているとはいえ、甚夜に恋心を抱いている訳ではない。だから嫉妬などありえないのだが、彼にそういう女と見られるのはなんとなく癪だった。

 なにより、聞くこと自体が彼の負担にならないだろうか。他意のない、純粋に慮っているからこその躊躇いだった。


「それに、結構隠し事してると思うしね。変な踏み込み方すると、隠しておきたいところを突くことにならないか、少し心配なんだ」

「え、と。どういうこと?」

「もし薫が、知られたくないことについて聞かれたらどうする?」

「うーん、嘘付いたり、誤魔化したり?」

「でしょ? だから、そういうことはさせたくないって話。多分、話せることってあんまり多くないだろうから、あいつの場合」


 都市伝説を討伐する謎の男。隠しておきたいことの量は常人の比ではないだろう。

 それでもみやか達の身を気遣って、いろいろと教えてくれている。そういう彼に、余計な負担を強いたくはなかった。

 つまるところ、まだ距離感が上手くつかめていないのだ。

 そもそも男子でこれだけ仲良くなったのは甚夜が初めてだし、都市伝説と戦う自称百歳の鬼なんて、当然の如く今迄で会ったこともなかった。

 どのくらい踏み込んでいいのか、みやかは未だに計りかねていた。


「そっか……うん、じゃあ私が聞いてくるね!」


 真面目な話をしていたのに、薫は勢いよく席を立つ。

 ふと見れば昼食を終えたのか、ちょうど甚夜が教室へ帰ってきたところだった。


「ねえねえ、葛野君。今日彼女さんとお昼して来たってホント?」


 そのまままっすぐ甚夜へ突撃、前置きもなくそんな質問をぶつけている。

 なんというか、すごい。

 今の話の後に、即行動の即質問。本当にすごいとしか言いようがない。


「いきなりどうした?」

「あのね、藤堂君から。二年生の先輩にお弁当作ってもらってるって聞いたから、もしかして恋人なのかなーって」

「ああ、そのことか。残念ながら違うよ。相手は以前都市伝説がらみで助けたことのある娘でな。弁当はそのお礼だそうだ」

「あ、そうなんだ?」

「普段カップ麺やらコンビニ弁当で済ませているのが気になったらしい。意外と美味いんだがな」

「あははー、でもやっぱり体には悪いしね。それじゃあ、今恋人っていたりする?」

「見てのとおり独り身だ。しばらくそういう艶っぽい話はないな」

「そっか、ありがと!」


 じゃねー、と小さく手を振って、今度はみやかの方まで一直線。

 にぱっと笑って結果報告。


「だってさ!」

「薫、ホントにすごいね……」

「そりゃあ友達だもん。変に遠慮したりしなくても大丈夫って思えるから友達なんだよ?」


 無邪気に、当たり前のように、相手のことを信じられる。

 親友のこういうところを、みやかは素直に尊敬している。

 踏み込み過ぎてはいけない、こちらを気遣ってくれる相手だからこそ負担にはなりたくないと思う。

 そこを譲る気はないが、遠慮しすぎるのも確かによくないのかもしれない。

 そんなことを考えていると、ちょいちょいと肩の辺りを指先で突かれる。振り向いてみれば、藤堂夏樹が苦笑を浮かべて立っていた。


「どうしたの、藤堂君?」

「あー、一応言っとくけど、じいちゃんあれで結構世慣れてる人だからな? あんま気遣わなくても聞かれて困ることはさらっと流すし、それで姫川さんのこと嫌うってのは絶対ないから」


 夏樹は藤堂芳彦・貴美子夫妻のひ孫にあたる。

 当然ながら甚夜に対する理解度は、みやか達とは比べ物にならない。

 彼の経験上、葛野甚夜という男が子供の言うことに腹を立てるというのはまず有り得ない。

 野茉莉や平吉、貴美子に芳彦、青葉という少女に、勿論夏樹自身も。甚夜は基本的に子供には甘い。みやかの我儘や無礼くらい、可愛いものだと笑って許すだろう。


「……そう?」

「勿論。そもそも女の子の我儘を負担に思うってのがまずない。困ったな、なんて苦笑してそれで終わりだよ」

「ああ、なんか想像できる」


 短い付き合いだが、それはみやかにとっても納得のいく話だった。

 赤マントの時も無理を聞いてくれたし、囮になるといえば渋々ながら承知して、姿を消して傍に控えていてくれた。

 成程、よくよく考えてみれば、夏樹の言う通りだ。

 とは言え、やはり彼の隠し事まで暴きたいとは思わない。だから、踏み込み過ぎないように、という基本姿勢を変える気はなかった。

 ただ、ほんの少し。クラスメイトに対するような気安さくらいなら許されるだろうか。


「ありがとね」

「いやいや。もしよかったら、じいちゃんの情報いくらでも流すからなー。なんならばあちゃんと呼ぶのもやぶさかじゃない」

「なにそれ」


 ふふっ、と思わず小さく笑ってしまった。

 下心など全くなく、恩を売る気もさらさらないのだろう。みやかにそう言うと夏樹は久美子の方へ戻っていく。

 顔は平凡、運動や勉強も得意という訳ではない。にも拘らずクラスでも可愛いと人気の根来音久美子に慕われている理由を垣間見た気がする。


「夏樹と随分仲良くなったんだな」

「そういう訳じゃないけどね。でも、いい人だってのは分かった」

「だろう? 昔から人を思いやれる優しい子だった」


 言いながら甚夜も近くの席に座る。

 弁当の件の真相も知れて、みやかの気分は随分とすっきりしていた。おかげで彼に話しかける際も、蟠りなど欠片もない。

 となると色々興味も出てくるが、都市伝説の話は踏み入りすぎると、藪をつついて蛇を出す結果になりかねない。

 だから当たり障りなく、クラスメイトとしての雑談を振ってみる。


「そう言えば、甚夜って料理しないの?」


 口裂け女の事件の際、僅か一日のことではあるが薫は甚夜の家に泊まった。

 後からその時のことを聞いたが、彼は1LDKのマンションで一人暮らしをしているとのこと。

 それなら意外と何でもそつなくこなす彼のことだ、料理くらいはしていると思っていたが、どうやらそうでもないらしい。


「私が泊まった時は近所の中華屋さんに行ったよ。レバニラ炒め美味しかった!」

「あの店は最近のお気に入りだ。料理は、できない訳じゃないが、普段はしない。一人分を準備するのはどうにも面倒でな」


 料理をしない理由が面倒というのは正直意外だった。

 というよりも、オカルトな事件がきっかけで出逢った彼から、生活感溢れる台詞が出てくること自体なにか不思議に思えてしまう。


「……なんか、意外かな」

「自分の為だけに料理というのは、やはり張り合いがない。カップ麺や惣菜弁当も中々美味いし、一人分ならどうとでもなる。最近では、レンジで温めるだけで食べられる磯部餅もあるんだぞ?」

「あ、やっぱり磯部餅好きなんだ……というか、案外普通の生活だね」

「普段は霞でも食って生きているとでも思っていたか?」

「そこまでじゃないけど……古い家で、厳しい修業を毎日繰り返して、みたいなことは考えてた」

「鍛錬はしているが、それ以外は至って普通だと思う。適度に娯楽も嗜むしな」


 普段の印象とは違い、いかにも普通の男子高校生といった感じである。

 彼が人でも鬼でも食事は必要だし、睡眠だって大切だ。そういう意味では、普通の生活は寧ろ当然なのかもしれない。

 同時にその食生活では件の先輩が心配するのも仕方ないと思ってしまう。

 もうちょっと体を労わってほしい、と伝えるのは余計なお世話だろうか。


「えー、嘘だぁ。娯楽って、葛野君の部屋なんにもなかったよ?」

「そうなの?」

「うん。テレビと冷蔵庫と電子レンジくらいで、ゲームとかパソコンとかマンガとか、そういうの一個もないの」


 指摘されて、甚夜はバツが悪そうにしていた。

 じーっと見つめる薫に負けて、軽く目を逸らしながら、小さく両手を上げて降参のポーズをとる。


「あー、漫画はともかく、電子機器は苦手なんだ。あの手のものは進歩が速すぎてついていけない」

「ああ……」


 前言撤回、やはり普通の男子高校生と呼ぶには、彼は少々浮世離れしているようだ。

 まあ自称百歳を超える鬼。近代的な娯楽が得意、という方が変かもしれない。

 更に聞けば彼の言う娯楽は、堅苦しい書物をのんびり読むこと。道理で文学少女の麻衣と話が合う訳である。


「葛野君、もうちょっと高校生らしい楽しみも持とうよ」

「しかし、ファミコンいうやつは、どうにも」

「そうだ! もうすぐ夏休みだし、みんなで遊びにいかない? 麻衣ちゃんや富島君も誘って、海とか山とか泊りの旅行とか! ゲーム苦手でも、そういうのならいいでしょ?」


 確かに、なんだかんだでもう七月。夏休みまであと二週間程度だ。そろそろ夏休みの計画を立てておくのもいいかもしれない。

 柳は薫と同じく楽しそうなことはとりあえずやってみるタイプだし、彼が行くなら麻衣も賛成だろう。

 無表情で堅物そうに見えるが、この手の提案には甚夜も結構乗ってくれる。それはグループワークの打ち上げの時に証明済みだ。実際、薫の提案も悪い感触ではなさそうだった。


「ふむ、折角の機会だ。それはいいかもしれないな」

「うんうん、やっぱり夏休みのメインはそういうイベントごとだしね!」


 ちなみに薫は毎年八月後半まで夏休みの宿題を残し、最後の最後で泣きついてくる。

 今年こそはそうならないように、七月中に何度か勉強会を開こうとみやかは画策しているのだが、それをここで言うのは流石に酷だろう。

 勿論勉強は大切だが、高校になって初めての夏休み。皆で楽しもうと計画している所を邪魔するほど無粋でもなかった。


「ね、みやかちゃん?」

「うん、私も賛成。話だけで終わらないようにちゃんと計画煮詰めようか?」

「……えーと、そこら辺は、その」

「大丈夫、私がやるよ」

「ありがとー! みやかちゃん大好きっ!」

「はいはい」


 感極まった薫は、ぎゅーっと、みやかに力抱き付いてくる。

 教室で、というのは少々恥ずかしいが、悪い気分はしない。

 スケジュールを整えて、しっかり計画を練る。薫の苦手そうな分野だし、こんなに喜んでくれるのなら、多少の手間など気にするようなものでもないだろう。


「まだ企画段階だけど、甚夜も参加でいいのかな?」

「ああ、乗らせてもらうよ」

「そっか……それじゃあ番号とアドレス交換しない? 詳しいこと決まったら連絡しないといけないし」


 一応のこと計画を立てるのだから、やはり参加者の連絡先くらいは把握しておかねばならない。他意はない。

 だから携帯番号とアドレスを聞くのは当然といえば当然なのだが、何故だか彼の反応は芳しくなかった。

 もしかして教えたくない? そう思い少しだけへこみかけたが、嫌がっているといった感じではない。

 じっと彼の顔を見るも、相変わらずの無表情。みやかではその内心を察するのは難しい。

 しかし先程彼が“電子機器が苦手”と言っていた。それって、もしかして。まさかと思いつつも遠慮がちに問うてみる。


「ねえ。甚夜。もしかして」

「あー、なんだ。……すまん。携帯電話は持っていないんだ」


 みやかの想像は見事に大当たりだった。

 いや、電子機器苦手ってそのレベルで? 自称百歳を超える鬼と聞いた。浮世離れしているのも知っていた。

 しかし、これは流石に高校生としてはあり得ないだろうと、少女達は言葉を失っていた。

 

 


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