表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼人幻燈抄  作者: モトオ
平成編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

166/216

『歪なるもの』・2(了)




《口裂け女》


 夕暮れ時のことである。

 学校帰りの子供に、白い大きなマスクをした若い女性が訊ねてくる。


『ワタシ、キレイ?』


 マスクをしてはいるが、色白でほっそりとした、整った顔立ちをしている。

 だから子供は素直に答えた。


『うん、きれいだよ』


 すると女はおもむろにマスクを外し、再度質問を投げかける。


『……コレデモ……?』


 女の口は、耳元まで大きく裂けていた。






 昭和五十四年の春から夏にかけて流布され、社会問題とまでなった、おそらくもっとも有名な怪人系都市伝説。

「きれい」と答えれば「お前も同じにしてやる」と鎌で口を裂かれ殺される、或いは家までついて来られあと一歩というところで殺される。

「きれいじゃない」と答えれば激昂して滅多切りにされる。

 遭遇した時点でどう答えても殺される、極めて殺傷性の高い怪異。

 ただし地方・年代によって内容は差異があり、生き残るための対処法もいくつか存在している。

 基本の流れこそほぼ変わらないが、なにをしても死ぬパターンや的確な答えを返せば生き残れるパターン、そもそも殺すことさえしないパターンなどさまざまなバリエーションがある。

 服装は赤いコートや白いコート、手にする刃物は鎌にハサミ、包丁。

 他にも『三』という数字と関連性が強く、三姉妹であったり、三のつく地名に出現するなど、その特徴は多岐にわたる。

 口裂け女は昭和年代に流行し現代まで語り継がれた都市伝説。歴史を積み重ねるうちに変化し、多様性をもち、結果多くの口裂け女が生まれている。

 その増殖は留まることを知らず、2004年には韓国にも姿を現したという。

 ちなみに韓国に現れた口裂け女も、ちゃんと「ワタシ、キレイ?」と質問してくるらしい。

 如何なる起源やパターンであっても、口裂け女は問いを投げかける。

 答えを求めて夕闇をさ迷う都市伝説の女。

 つまり彼女の本質は、殺害よりも問いにある。




 * * *




 はらりと、マスクが外れる。

 女の顔を見て、みやかは小さく悲鳴を上げた。

 耳の辺りまで大きく裂けた口。


『ワタシ、キレイ?』


 気付けば、みやかは走り出していた。

 先程まで固まっていた体は、口裂け女の存在を現実だと受け入れた瞬間、弾かれたように動き出す。

 意識しての行動ではない。恐怖に頭の中は真っ白、反射だけの行動だった。

 それでも中学の三年間女子バスケをやっていたみやかの走りは相当のもの。普通の通り魔ならば容易く置き去りに出来る。

 しかし都市伝説は語る。

 曰く、口裂け女は100メートルを3秒で走る。

 中学生では相当な速さかも知れない。だとしても、それがなんだというのか。かの怪異を前にして、子供の足掻きなど如何程でもない。

 口裂け女は答えずに逃げた者をどこまでも追いかけ殺す。

 つまるところ、みやかがとった行動は悪手も悪手、最悪だと言っていい。

 ほとんど反射的に走り出した。圧倒的にスタートは早かった。

 なのに、


『ヒヒ、ア、ハァ』


 口裂け女の顔はすぐ近くに。

 置き去りにしたはずの怪異は、尋常ではない速度で迫り並走している。


「ひぃ……!?」


 短い悲鳴、足がもつれる。無様に転んだみやかは、それでもどうにか逃げようとして、その無意味を悟る。

 体を起こし立ち上がるつもりだったのに、力が入らない。

 がくがくと震えている両脚は、準備運動もせず走り出したからか、あまりの恐怖故にか。

 ぺたんと地面に座り込んだまま見上げれば、視界の先には夜空と月。

 あとは、振り上げられた鎌。

 錆びついた刃は月の光を受けても曇ったまま。あの錆は、おそらく血の跡だ。

 NNN臨時放送は、姫川みやかが今日死ぬと伝えた。

 だから想像は簡単についた。自分は今ここで、あの鎌を曇らせる原因となる。滅多切りにされ、血を撒き散らし息絶える。都市伝説に語られる犠牲者と同じ末路を辿るのだ。


 にたりと、口裂け女の口が歪む。


 おそらくは、笑ったのだろう。そうと思えない程に凄惨ではあるが、口裂け女は確かに笑った。

 何故? 問うまでもない。愚かな少女の最後が見えたから、堪えきれなかった。


「あ、あ……」


 恐ろしさに腰を抜かしたまま後ずさる姿はさぞや滑稽だったろう。

 抵抗は程よい刺激だ。獲物の無駄な足掻きは絶対的な捕獲者の自尊心を満たしてくれる。一歩一歩ゆっくりと、鎌を振り上げたまま口裂け女はにじり寄る。

 なぶるように、蜘蛛の巣でもがく蝶を愛でるように、少女を追いつめる。

 けれどそれにも飽いたのか、十二分に満足したのか。口裂け女は大きく一歩を踏み出した。


 殺される。

 

 そうと確信し───口裂け女に投げつけられた、中身がたっぷり詰まったビニールのレジ袋。

 鎌を振り上げ無防備だった彼女は、避けることもせずにそれを顔面で受け止めていた。


「え……?」


 絶体絶命の危機に入った、なんとも奇妙な横槍。

 レジ袋はどこぞの薬局のものだった。中からゴージャスミルクキャンディだのヘアワックスだのが零れ落ちている。結構な重さがあったようだが、ぶつけられても口裂け女は微動だにしない。

 能面のような無表情で、動きを止めていた。


「みやかちゃん、大丈夫っ!?」


 ビニール袋が飛んできた方から、聞き慣れた声。

 みやかは驚きに目を見開いた。小走りに駆け寄ってくるのは、この数日散々探し回った親友、梓屋薫だ。

 無事だった、という喜び。どうしてここに、という疑問。危ない逃げて、と叫ばないと。

 いろんな考えが浮かび過ぎて上手く反応できない。視線は薫に固定されている。

 薫もまた、みやかの無事を喜び一直線に彼女の元へと向かう。

 お互いに、お互いしか見えていない。

 だから少女達はお互いを視界に捉えながら、全く別の反応を示した。

 一人は純粋な驚き、もう一人は絶望に悲鳴を上げる。


『アァアアァアアァァァ……!!』


 みやかは、親友の登場に驚いた。

 視線は固定されてしまっていた。

 だから口裂け女の無表情が激昂に変わり、怒りのままにみやかの脳天へと鎌が振るわれたのを見逃した。








 ……世の中には、都合のいい幸運はいくつも転がっていない。

 たとえば正義の味方がいたとして、悪をくじくヒーローとやらが実在したとして、ヒロインのピンチにドンピシャで間に合うなんて幸運は、どのくらいの確率であるのだろうか。

 いや、それがヒーローであるというのなら、如何なる危機においても必ず駆けつけてこそかもしれない。

 しかし、それがただの男であれば、きっと間に合わない。

 窮地を救うのがヒーローの生業ならば、どれだけ足掻いたとしても、その資格を持たない只人に救えるものなぞたかが知れている。




 きぃん、と甲高い鉄の音が響く。




 そんなこと、今更だ。

 態々取り上げる必要もないくらい、“彼”はよく知っていた。

 本当に守りたくて、それでもこの手をすり抜けていった小さな小さな欠片達。

 大切なものはいくつもあって、けれど守れないことの方が多かった。

 つまりは世の中に、都合のいい幸運などいくつも転がってはいない。

 だから振るわれた口裂け女の鎌は当然のように頭蓋を叩き割り、少女はここで無惨な死を遂げる。


「あ、れ……?」


 漏れた吐息は誰のものか。

 少女は口裂け女に遭遇し、一目散に逃げ出した。

 追いつかれて転んで、それでも逃げようとした無様さが、怪異の興味を引いた。

 買い物袋をぶつけられて怯み、ほんの少しだけ時間を得た。

 都合三度、姫川みやかは生き永らえた。

 それが彼女の限界。もう出来ることは何もない。

 強いて言えば、そのまま何もせず、口裂け女に斬り殺されるくらい。その筈だった。


「これも、縁というものかな」


 振り下ろされた鎌は、少女に届かない。

 錆びついた鎌は鈍色の刃に遮られる。突如としてみやかの前に現れた少年は、口裂け女の一撃を手に持った刀で平然と止めてみせた。

 彼はヒーローなんて名乗れるような男ではなく。

 けれど三度。僅か三度の幸運があればこそ。

 守ろうとして、失って。それでも歯を食い縛ってしがみ付いてきたからこそ、ただの男でも間に合った。


「なんにせよ、いつきひめを守るのは巫女守の務めだろう」


 始まりから幾星霜。

 巫女守は、いつきひめの窮地にようやく間に合うことができたのだ。


「え、え?」


 突然のことに頭がついていかない。

 いつきひめ、と呼ばれた。もしかして、以前会ったことがあっただろうか。しかしよく思い出せない。

 二月に会った時は単なる参拝客でしかなかった為、別段意識しておらず、みやかは彼の顔をよく覚えていなかった。

 だから“いつきひめ”という単語が少女の混乱を助長する。

 けれど一呼吸おいて、ようやく状況が見えてくる。口裂け女はみやかを殺そうと斬りかかり、それをいきなり現れたこの少年が止めてくれた。

 手にするは武骨な刀。見た目高校生くらいの男の子が何でこんなものを。状況は見えてきても、やはり訳が分からない。


「みやかちゃん、こっちこっち!」

「あ、え、かお、る?」


 刀と鎌で鍔迫り合いのような形のまま、少年と怪異の相対は続く。

 その隙に傍まで来た薫は、みやかの腕を引っ張って無理矢理に距離を空けようとしていた。

 非常事態だというのに、薫の所作はどこか危機感がなく、なんとなく子供っぽい。気が抜けて、呼吸が整い、ようやく足が動くようになった。

 ちらりと少年が横目でこちらを見る。今のうちに早く、ということだろう。

 まだ少し震えはあるけれど、重い体を引きずって、みやか達はどうにか距離を空けた。

 空気が唸る。

 少女達の安全を確認した途端、少年は颶風の如く剣戟を繰り広げる。

 刺突袈裟懸け横薙ぎ、尋常ではない速度で振るわれる刀は全てが必殺。一太刀で命を刈り取る致死の業だ。

 しかしかの怪異もまた然る者。もはや少女らの目には何をしているか分からないほどの速度で放たれる刃を、口裂け女は手にした鎌で凌いでいる。


『ア、ギィ……!?』

「100メートルを3秒で走る、だったか。走る速さだけでなく、肉の運用もなかなかのものだ」


 けれど、その均衡も長くはもたない。

 戦況はすぐさま傾く。信じられないことに、少年の方にだ。

 口裂け女は遭遇した者に問いを投げかけ、その如何によって殺害する極めて危険な怪異。どんなに逃げても逃げきれず、抵抗など意味もなく殺される。少なくとも、都市伝説ではそう語られている筈だった。

 だというのに少年は、息も乱さず口裂け女を相手取り、それどころか明らかに優位。夕闇をさ迷い人を刈る怪異が、今度は刈られる側に回っている。


「よかったぁ、みやかちゃんが無事で」

「薫……じゃあ、さっきのは」

「あ、袋投げたの私だよ? 口裂け女の弱点準備してきたんだー。べっこう飴売ってなかったから一番高いキャンディにしてみたの。あとポマードってよく分かんないから取り敢えず髪固めるのならなんでもいいかなって」

「ごめん、そこはもうちょっと頑張って? ……じゃなくて」


 ここ数日姿をくらませていた親友は、傷もなく元気そうで、あまりにも普段通りだ。

 心配させておいてのほほんと笑っているのだから、少しばかり引っ掛かるところはあるが、それでも無事が確認できてよかった。落ち着いてきたからだろう、安堵がじんわりと胸の内に広がる。

 そして冷静になってきたからこそ、他事に気を回す余裕が生まれる。

 薫は、口裂け女の弱点を準備してきたと言った。

 つまりこの子は、口裂け女が存在していることを知っていて、尚且つみやかが襲われるという状況をある程度予見していたのだ。

 その事実が普段の振る舞いから受ける印象とはかけ離れていて、思わず親友を見詰める。

 けれど肝心の薫は、みやかの疑問を察せずきょとんとしていた。


「どしたの、みやかちゃん?」

「あ、うん……あの、さ。あの人、誰? なんで、知ってたの?」

「え?」

「だから、私が口裂け女に襲われてるって。知ってたから、来てくれたんでしょ?」


 ようやく合点がいったらしく、あはは、と薫は朗らかに笑う。

 まだ少年は口裂け女と戦っているというのに、随分と気を抜いている。


「えと、実はちょっと違うというか。なんていうかね、私も助けられたんだ、葛野君に」


 そういって、繰り広げられる激しい戦いに目を向ける。

 先程から、少年の表情は全く見えない。どれだけ激しく動いても、彼は常にみやか達を背にして戦っていた。

 まかり間違っても口裂け女が少女らの方にいかないように。

 そういった理由に気付けるほどみやかは場慣れておらず、それでも同年代にしか見えない少年の後ろ姿は、薫の余裕も頷けるくらいに頼もしく見えた。




 ◆




『助けた、という訳でもない。元々私はあれを追っていた』


 失踪した当日、みやかや八千枝と別れた後、薫は赤いコートを纏う女性と遭遇した。

 ぼさぼさの長い髪、猫のような眼。手にした鎌、口元は大きなマスクで覆われている。

 ワタシ、キレイ? 

 荒い息で女は問う。昭和五十四年に流行し、今尚語り継がれる都市伝説だ。薫も口裂け女の存在は知っていた。 

 しかしまさか現実に存在するとは思わず、逃げることもできず、恐怖に駆られ反射的に答えてしまう。


『きれいですっ!』


 口に出してから、それが最悪の答えだと気付いてしまう。

 同じようにしてやる。綺麗だと答えれば、そういう結末が待っている。

 はらり、マスクが落ちて。振り上げられる鎌。 

 薫はがくがくと体を震わせ。

 ただ彼女が幸運だったのは、“神出鬼没な口裂け女”と遭遇したのではなかったことだ。

 かの怪異は夕闇をさ迷う。しかし今宵に限っては、偶然の遭遇ではなく、口裂け女は何者かに追われ逃げていた途中。

 だから薫の返答がどうあれ、追跡者が現れた瞬間、口裂け女は弾かれたように再び逃げ出したのである。


『……あさ、がお?』


 口裂け女を追ってきた少年……葛野甚夜の第一声は、よく分からない呟きだった。


『え? 朝顔?』

『……ああ、いや。済まない、古い知人に似ていたから、少し驚いた』


 凶悪な怪異を前にしても平然と、一太刀で追い払った彼は、薫の顔を見るとほんの僅かではあるが動揺した。

 今の薫は林檎飴の天女の話を知らない。だから知人に似ていたという言葉以上のことは、彼女には分からない。 

 ともかく彼に助けられたのだけは間違いなく、突如現れた少年に何の疑念も抱かぬ程邪気のない少女は、心から感謝し大きく頭を下げた。


『まあ、“おしごと”だよ。元々口裂け女を討つ為に動いていたんだ』


“助けた、という訳でもない。元々私はあれを追っていた”とは彼の弁。

 話を聞けば葛野甚夜という少年は、怪異を討つのが“おしごと”のようなものらしい。

 今回のターゲットは口裂け女。運よく遭遇し追い詰めたものの、危機を察するや口裂け女は逃げの一手。かの怪異の足は非常に早く、まんまと逃げられてしまった。

 口裂け女を追い払ったのも、追走の途中で偶然怪異は薫の前に姿を現し、結果としてそういう形になっただけだという。

 もっとも逃げられた本当の理由は、追撃の途中偶然出会った薫の安全を確保するため、深追いを断念したからである。

 勿論甚夜はそれを語るような真似はせず、薫も気づかない。

 取り敢えず『追っていた怪異を払い除けただけ、過度の感謝は不要』と彼は言い、『それでも、ありがとう』と謝意を示す少女で一応のこと話はついた。

 と、本来ならそこでおしまいになる筈だったが、甚夜には一つの懸念があった。

 それは、薫が口裂け女の問いに「きれい」と答えてしまったことだ。

 かの怪異は質問に答えた者を殺す。ならば、一度離脱したとはいえ再び狙われる可能性があるのでは?

 正直なところ、推測の域を出ない不確かな想像だ。だとしても行動に移そうと思ったのは、彼女が『朝顔』だったからだろう。


『朝が……いや、違ったな。私は、葛野甚夜という。すまないが君の名前を教えてくれないか?』

『あ、ごめんね。梓屋薫です。あんまり歳も変わらなそうだし、葛野君でいい?』

『ああ、よろしく。梓屋』


 互いに自己紹介を終え、甚夜は薫に提案する。


『怪異は再び君の前に姿を現すかもしれない。どうだろう、しばらく行動を共にしないか?』


 共に行動することで薫の安全は確保される。甚夜も口裂け女との遭遇の機会が得られるかもしれない。

 互いにメリットがある。そう甚夜に言い包められ、助けられた恩もあり薫は殆ど即決で頷いた。

 こうして偶然再会した二人は、奇妙な同盟を結ぶこととなったのである。




 ◆




 このような経緯をもって梓屋薫は失踪し、しかし昨日になって状況が変わる。

 甚夜の住居で寝泊まりしていた薫は、昨夜見てはいけないものを見てしまった。


“NNN臨時放送”


 ちょうど甚夜がいない時、深夜のテレビに映し出される、明日の死を告げる都市伝説。

 その番組は明日梓屋薫と姫川みやかが死ぬと予言した。だから分かった、明日再び口裂け女は姿を現す。

 薫と、おそらくはみやかの前に。

 だから力を貸してほしいと願った。

 聞き入れられないのなら、土下座をして「なんでもするから」と必死に請うつもりだったが、彼は驚くくらい簡単に了承してくれた。

 結果として薫の予想は的中する。

 口裂け女はみやかの前に姿を現し、甚夜はそれをちゃんと救ってくれた。

 こうやって二人とも無事なのだから、薫の判断は間違っていなかったのだろう。


「……なら家に帰らなかったのって」

「葛野君と一緒にいたからだよー? 家に戻ったり学校に行ったりすると、もしもの時に大変になっちゃうから、ちょっと休んでたんだ」


 薫の言葉を聞き、みやかは微妙に顔を顰めた。

 確かに、もし本当に口裂け女が再び現れたとしたら。

 そこが学校や自宅だったら、大変なことになる。理屈としては分かる。分かるのだが、感情の方はどうしても納得してくれない。


「なによそれ……それなら、連絡くらいしてくれたっていいじゃない」

「……うん、ごめんね」


 心配をかけるのは薫にも分かっていた。

 甚夜も一度くらいは連絡をと勧めてくれたが、彼女は結局何も告げず姿をくらました。

 怖かったのだ。オカルトに襲われ、誰かに連絡を入れ、その人にも被害が及ぶというのは使い古された怪談のテンプレである。

 口裂け女が実在した以上、そういうこともあるかもしれないと尻込みしてしまった。

 しかし、それは失敗だったのかもしれない。

 親友であるみやかは、僅かに瞳を潤ませている。普段落ち着いた雰囲気の親友に、こんな顔をさせてしまった。

 だから間違ってはいなかったけど、失敗だったのだろうと、薫は申し訳なさそうに俯いてしまう。


「ほんとに、ごめんなさい。心配、してくれたんだよね」

「当たり前でしょ、ばか。……でも、無事でよかった」


 怒られると思った。でも違った。ぎこちなく微笑んだみやかは、ぎゅっと薫のことを抱きしめる。

 わぷ、と変な声が出てしまった。

 いきなり抱き着かれて驚いて、でも振り払ったり暴れたりはしなかった。

 まっすぐな好意は照れてしまうけれど、親友と思っている相手が、同じように思ってくれているのだと知れたのが嬉しかった。


『ギィィィィィィィ!?』


 みやか達の触れ合いを切り裂くように、口裂け女は金切り声をあげた。

 袈裟懸けに放たれた一閃、少年の太刀が怪異の皮膚を裂き肉を斬る。しかし、骨を断つとまではいかなかった。

 追撃を鎌で退け、どうにか距離を取ろうと後ろへ下がる。 


「ねえ、みやかちゃん。もしかして私達、空気読めてない?」

「そう、かも」


 自分達を守るために少年は戦ってくれている。だというのに、それを無視してなんだかんだやっているのは、流石にひどいかもしれない。

 どうにもバツが悪くなり、彼らの戦いを眺めながら、互いに乾いた笑みを浮かべる。

 笑えるだけの余裕が今の彼女達にはある。

なにせ少年……葛野甚夜はそれほどまでに強い。刀一本で口裂け女と渡り合うどころか追い詰める。

 戦況はやはり一方的、甚夜の優位は揺らがない。

 素人目でも、あと一押しで決着がつくと分かる。


「ふむ」


 しかし攻めない。

 そこで甚夜は追撃の手を一端止め、少女らを背にして、僅かながら後ろに退いた。

 なんで? とみやかは疑問に思い、しかしそんな思考は一瞬で吹き飛ぶ。

 距離を空けた口裂け女。視界の先にいる怪異が、更なる異形へと変化し始めたからだ。


「……な、なに、あれ?」


 甚夜の強さを知っているからか、どことなく余裕を感じさせていた薫の声に初めて怯えが宿る。

 ごきゃごきゃと気持ちの悪い音を立てながら、口裂け女の皮膚の下で骨格が変化していく。

 背骨が盛り上がり前傾姿勢に。足の骨が筋肉が急激に発達し、伸びた皮膚は破れ筋繊維がむき出しになる。

 恐怖よりも嫌悪感が先に立つ不気味な光景だ。


「口裂け女……じゃ、ない?」


 鎌を持つ、口の裂けた女性、ではある。

 ではあるのだが、変容していく姿は伝え聞く口裂け女の容貌とはかけ離れた異形だ。

 それは人間よりも獣に近い。口裂け女を名乗るには、こういう表現は微妙ではあるが、少しばかり化け物過ぎた。

 だからみやかは呟く。あれは、口裂け女ではないのでは、と。


「いいや。口裂け女だよ、あれは。ただ“成り切れていない”だけだ」


 振り返らず、無造作に答えた。

 口裂け女を注意深く観察しているが、甚夜には然程の動揺もない。まるで最初から知っていたかのように、変容する怪異を静かに見据えていた。


「成り切れていない?」

「過程を踏まず、足りない部分を補って無理矢理形にしたが為に、無理がきているのだろう。もっとも、それも狙いの一つかもしれないが……事実、あれは元の存在より力を増している」


 返ってきた答えは、みやかには理解できない。

 それ以上の説明もなかった。変容が止まり、その眼光が甚夜へと向けられたからだ。

 口裂け女という言葉を躊躇う程に変容した怪異。鎌を手にしたまま前傾姿勢、その姿はさながら四足獣のようだ。

 顔付きも人間とはかけ離れてしまっている。耳まで裂けた口はそのままに、細長く歪み突き出された形状。四足を用いた前傾も相まって、それは毛のない狐を思わせた。








 口裂け女は昭和五十四年の春から夏にかけて流布され、社会問題とまでなった都市伝説である。

 しかし本来口裂け女は非常に古い歴史を持つ怪異で、一説によれば1754年まで遡ると言われている。

 江戸時代の怪談集『怪談老の杖』には、江戸近郊に狐が化けた「口裂け女」が現れた話が記されている。

 雨の町を歩く青年は、道の途中でずぶ濡れの女を見つける。

 体を壊してはいけない。傘に入るよう誘うと、振り向いた女の顔は、口が耳まで裂けていた。

 青年はあまりの恐ろしさには腰を抜かし、気がつけば老人のように歯が抜けた呆けた顔になり、言葉も話せなくなった挙句、息を引き取ったという。


“狐はよく妖怪となり、百歳に至り、化して女となるなり”


 古い時代、歳月を経た狐は妖化し女に化けると信じられた。

 裂けた口というのは正しく狐の特徴であり、江戸時代において、口裂け女というのは悪狐の類であった。


「口裂け女と悪狐の合成……つまりあれは、“捏造された都市伝説”だ」


 口裂け女でありながら、かの怪異とはかけ離れたシルエットを持つ異形。

 忘れかけていた死を予見させる、濃密な殺意を纏う、掛け値なしの化け物がそこにいる。

 捏造された都市伝説、という言葉が何を意味するのかは分からない。みやか達に分かるのは、あれが人では追い縋ることのできない領域にいる化生であるということくらいだ。 

 その容貌を見るだけで震えが沸き上がる。少女達は茫然と異形を眺めていた。

 眺めていた……にも拘らず、見失う。

 甚夜の言葉に反応して、短い呻きと共に口裂け女は駆け出す。

 先程よりも更に速い。あまりに速過ぎて、みやか達では残像さえ捉えられなかった。

 しなやかな筋肉の躍動は人よりも獣のそれだ。瞬きの間に詰まる間合い、口裂け女は錆びついた鎌で首を狙う。

 しかし空を切る。

 視認さえ難しいほどの速度、殺意に満ちた一撃を、甚夜は僅か半歩退くだけで躱す。

 翻る獣の肉体。頭蓋を、心臓を、目を、口を。次々と繰り出される、命を抉り取る致死の刃。

 至近距離で暴れ狂う口裂け女。だというのに彼はそれを真正面から迎え撃ち、その暴威を顔色一つ変えずいなしていく。

 相手は見るからに化け物だが、少女達からすればこの少年も十分化け物じみている。

 刀一本で異形へと変化した怪異の突進を捌き、更には返す刀、一瞬で腕を切り落とす。

 しかも目まぐるしく動く中でさえ、みやか達を庇うような立ち位置を維持したままで、である。 

 バランスを崩す口裂け女、立ち直る暇など与えない。距離を詰め、そのまま頭部を蹴り飛ばす。

 無惨なほどに顔面がひしゃげ、しかし甚夜は冷酷に怪異を見据える。


「……嫌な気分だな」


 忌々し気に吐き捨てる。

 成長はお前の専売特許ではないと奴は語った。成程、その言は正しい。だとしても、こういう形での成長は想像していなかった。

 あの都市伝説を造り出したであろう者を思い浮かべながら、甚夜は苛立ちに口元を歪める。

 しかしほんの僅か垣間見えた憤怒の色に一瞬で掻き消え、心は眼前の敵に傾けられる。右足で大きく踏み込む。

 腕を失っても口裂け女は止まらない。残された右腕で鎌を振り上げ、忌むべき敵の命を刈ろうと襲い掛かる。


「悪いな、口裂け女。哀れと思わない訳でもない。が、ここで消えていけ」


 決死の突進でさえ届かない

 脇構え。残した左足を引き付け、右足を軸に腰を回し、繰り出す横薙ぎの一刀。

 自ら飛び込んできたのだ、回避などできる筈もなく。

 口裂け女はいとも容易く両断され、地へと伏した。


“以上がぁ明日のぉ……被害者でぇす。それでは、おやすぅみぃ、なさぁいぃぃぃ”


 死を告げた声が、遠く離れて、薄れていく。

 なにが起こったのかは分からない。少女達の視点では、気付いたら口裂け女が倒れていた、くらいのものだ。

 そもそも口裂け女の実在も、NNN臨時放送も、突如現れた少年も、彼が語る“捏造された都市伝説”も。

 みやか達にとっては全てが理外。何一つ、理解はできていない。

 それでも、何もわからない彼女達でも、たった一つだけ実感できたことがあった。


 死を運んできた怪異は彼に打倒された。

 此処に、少女達の死の運命は、覆されたのである。




 ◆




 2009年 3月 卒業式 当日



 そっと風が吹いて、桜の花びらがはらりと落ちた。

 満開にはまだ少し、けれど校門から続く道は薄紅の花で溢れている。冬の名残か、流れる風はひんやりと肌に冷たく、今はそれが火照った体に心地良かった。

 みやかが通う中学校の体育館の前では、大勢の生徒たちが歓声をあげたり、むせび泣いたり随分と騒がしい。

 クラスメイトとの日々を惜しみ、涙を流す後輩に見送られ、寂しさを語り、きたる高校生活に目を輝かせる。

 飛び交う声はそれぞれあって、耳を塞ぎたくなるほどの喧噪だというのに、何故か心地よくもある。

 長かったような、短かったような。

 思い返せばなんだかんだで楽しかった中学生活は、今日終わりを迎えた。


「先輩、卒業おめでとうございますっ!」

「ありがと。みんなも、頑張ってね……部長さんもこれから大変だと思うけど」


 卒業式が終わり、体育館を出た生徒達は各々最後の別れを交わしている。

 みやかも出待ちしていた女子バスケ部の後輩達に囲まれていた。

 決して明るい先輩ではなく、それなりに厳しくもあっただろう。けれど後輩達は皆、目を潤ませて卒業を祝ってくれる。

 嬉しくもあり、気恥ずかしく。もうこの娘達と一緒に何かをすることもないのだと思えば、やはり込み上げるものがあった。

 特に次代の部長である女の子はみやかによく懐いていた。

 その理由はバスケの実力ではなく、偶々甚太神社にお参りへ来た時交流を持ったとか、神社の夏祭りに来てくれたとかだったが、それでもまっすぐな好意というのは嬉しい。

 そういう一直線で無邪気なところは薫に似ているかもしれない。多分この手のタイプに弱いのだろうな、と苦笑を零し、小さく手を振って彼女達の見送りに応える。

 世話になった先生方へ挨拶をし、クラスメイトとの別れを済ませ、最後にみやかは親友の下へと足を向ける。


「心配かけてっ、この子は本当に!」

「わぷっ、やめ、やめてせんせぇ!?」


 肝心の親友は、卒業式に参列してくれたかつての恩師、白峰八千枝にヘッドロックをかけられていた。


「……えーと」

「お、姫川。卒業おめでと」

「ありがとうございます、白峰先生。で、この状況は」

「いや、散々心配かけた梓屋に愛の鞭を」


 NNN臨時放送に告げられた、死を迎える筈の日はとうに過ぎ。

 姫川みやかと梓屋薫は、どうにかこうにか命を拾い、こうして無事卒業の日を迎えることとなった。

 口裂け女の話を持ち出す訳にもいかず、薫の失踪は単なる家出ということで落ち着いた。

 両親には泣かれ学校からは怒られ散々だった様子だが、他に説明しようもないので仕方ないといえば仕方ない。

 とはいえ、それでは納得しない者もいる。

 薫からしてみれば、オカルトな事件に回りが巻き込まれないよう気遣っただけかもしれないが傍目には単なる失踪。

 心配した者も多く、その筆頭である八千枝などは門出の日でも遠慮なく、猛然と薫を叱りつけていた。


「ちょ、見てないで助けてよみやかちゃん!」

「先生、頑張って」

「おうよ!」

「なんで!?」


 ちなみに心配したのはみやかも同じなので、しっちゃかめっちゃかにされても止める気は全くなかった。

 叱りつけると言っても弱い力でヘッドロックをしているだけ。かつての担任教師の顔に浮かぶのは、あからさまな安堵と喜びだ。あんな表情をされては止める気になんてとてもじゃないがなれない。

 勿論、心配をかけたのだから、という考えもなくはなかったが。

 だいたい、あの少年にも連絡は入れた方がいいと言われていたらしい。だというのに事件が解決するまではと判断した薫には、多少の罰くらいはあっていいと思う。


「ひどい目にあったよ……」

「そこは自業自得ってことで」

「分かってるけどさぁ」


 ようやく解放されほっと一息。

 見るからに疲れた様子で肩を落とす薫だが、表情はどこか明るい。

 それも当然、怒られるのも生きていればこそ。数日前のことを考えれば、こうやって卒業式を迎えられただけでもありがたい話だ。


「でも、お互い無事でよかったね」

「それは、ほんとに。というか薫はこれに懲りて、あんまり寄り道をしないようにね」


 自業自得とは言ったが、口裂け女の件自体には薫の落ち度はない。なにが悪かったかなんて、おそらく運が悪かった以外の答えはないだろう。

 だからみやかの言葉はからかい程度のものでしかなく、しかし失踪当日の薫の行動もいただけない。

 話を聞いたところ、あの日みやかと別れた後、薫は「息抜きだー」などと言ってマンガを立ち読みに本屋へ行き、商店街でクレープ買い食いしたりと夜遅くまで寄り道を満喫していたらしい。

 その上で帰り道、近所の公園を通ったところで口裂け女に遭遇したという。

 つまるところ素直に家へ帰っていれば、こんな厄介なことに巻き込まれることもなかったのだ。


「大丈夫大丈夫、心配しないでもあんな変なこと滅多に起こらないって!」

「本当にこの子は……というか今の時期は素直に帰って勉強しなさい。試験、もうすぐだよ?」

「うぅ、ヤなこと思い出させないでよみやかちゃん……」

「そんなこと言わないの。遅れた分、取り返さなきゃ」


 生き残ったから出てくる贅沢な悩みだが、追い込みの時期に勉強時間を奪われたのは中々の痛手だ。

 特に薫の成績は正直ギリギリ、予断を許さない状況である。


「ほんと、仲いいね、あんたたち」


 二人の遣り取りをにやにやと眺めていた八千枝が、ゆったりと息を吐く。

 一年の頃に受け持っただけだが、その門出を祝う気持ちは他の先生方と変わらない。

 八千枝にとっても、少女達は大事な生徒だ。失踪だのと騒がれたが、無事を確認できたのは本当に嬉しい。

 来年度から教職に戻るとはいえ、もうこの中学で逢うことはないのが残念に思えるくらい、みやか達のじゃれ合いは微笑ましかった。


「試験はこれからだし、もし受かったとしても高校生になっても大変なことはある。でも、あんたたちなら大丈夫だって思ってる。しっかりね、姫川、梓屋」


 嬉しく、微笑ましく思える分、やっぱりほんの少しの寂しさはある。

 けれど折角の門出を湿らせるのも性に合わない。僅かに顔を見せた寂寞を心の奥に押し込んで、明朗な笑みで大切な生徒達の背中を押す。


「はいっ」

「ありがとうございます、白峰先生」


 返ってきた声は朗らかで元気で、なにより迷いがない。

 よかった、と心から思う。

 この子達の卒業が悲しいものではなく、前を向いて歩いて行けるような、底抜けに明るいものであってくれて。

 一年しか一緒にいられなかったけれど、ちゃんと先生をやれて、本当によかった。


「それじゃ、先生さよーなら!」

「落ち着いたら、また来てもいいですか?」

「うん、さよなら。勿論、いつだって来ていいんだよ」


 そうしてお別れ。

 少女達は卒業し、初めの一歩を踏み出す。

 鮮やかに彩られた春の道。風にはらりと落ちる桜の花びらさえ、その行く末を祝福しているようだ。


「ねぇねぇ、みやかちゃん。商店街でなんか甘いの食べていこー」

「あのね、ちょっとは自重しようよ」

「えー折角のお祝いなんだよ?」

「お祝い?」

「そ、だって卒業式って、みんなよく頑張ったねおめでとーって日でしょ?」

「……まあ、そうだけど」


 その背中は頼もしいと言えるほどのものではないけれど、聞こえてくる声は本当に無邪気で。

 だからきっと、少女達がこれから歩む道は、陽だまりのような暖かさに満ちているのだと、訳もなく信じることができる。

 見上げれば遠い空、青く透き通るようなその色に目が眩む。

 麗らかな春の日。

 少女達は、また一つ、大人になっていった。
















 兵庫県立戻川高校。

 四月の入学式、この高校でも今日から新一年生達が通い始める。

 真新しい制服に身を包んだ新入生はどこか緊張した面持ちで、高校に繋がる長い銀杏並木を歩いていく。

 その中には姫川みやかと梓屋薫の姿もあった。


「あっという間だったねー」

「ほんと、なんかすごく慌ただしかった」

「でも、これで今日から私達も女子高生。なんだかちょっと大人な気分?」


 新品の制服が嬉しいのか、薫はくるんとステップを踏みながら一回転。見てるこっちが恥ずかしくなるくらいに浮かれた様子だ。

 中学を卒業し、その後の入試にも勉強の甲斐あって見事合格。

 四月になり、晴れてみやかと薫は高校一年生。慌ただしかった日々も一段落付き、ほっと一息というところだ。

 とは言っても、これから高校生活が始まることを考えれば気を抜いてばかりもいられない。

 期待と同時に不安もある。勉強についていけるか、新しいクラスに馴染めるか、心配事を数え上げれば切りがない。

 取り敢えず、高校でも薫と同じクラスになれたというのは安心できる要素の一つではあり、親友と比べ人見知りのあるみやかにとっては心底有難いことだった。


「あ、みやかちゃんここだよ、1のC」


 入学式を終え、歩きなれない校舎を進み、辿り着いたのは二人がこれからの一年を過ごすクラスだ。

 やはり、少し緊張してしまう。

 なんというか、同じ一年生だというのに中学の頃のクラスメイトよりも大人っぽく見える。

 小学校の持ち上がりだった中学とは違い、知らない顔が多いのも緊張に拍車をかけた。


「はやくみんなと仲良くなれるといーねっ」

「そう、ね」


 教室に入った瞬間、はしゃいだ様子で周りをきょろきょろ。薫のこういう物怖じしないところは、素直にすごいと思う。

 みやかは決して明るい性格ではなく、感情表現も苦手なため不愛想に見られがちだ。うまくやっていけるかという不安は、薫よりも大きい。

 どうにか馴染めるといいけど、なんて思いながら周囲を見回し、しかしみやかの視線はある一点で止まってしまった。


「…………………はい?」


 緊張はどこかに飛んでいき、思わず間抜けな声が零れる。

 だって、あんまりにもあんまりだ。予想外過ぎる。なんでこんなところに、という感想しか出てこなかった。


「どうしたの、みやかちゃん……って、あー!?」


 みやかがいきなり固まってしまい、どうしたのかなとその視線を追えば、薫は教室だとだということも忘れ大きな声を上げてしまう。 

 視界の先には、一人の男の子。

 身長は180より少し低いくらいだろうか。肩幅広くがっしりとしていて、体付きといい顔立ちといいクラスの中でも一際大人っぽい。というか目つきが鋭く若干強面で、ぱっと見ちょっと怖そうだ。

 けれど思わず彼を見てしまったのは、彼の外見が怖そうだからという訳ではない。

 驚き過ぎて目を点にしているみやか達。既に着席していた彼は、薫の大声にこちらの方をちらりと見て、座ったまま、あまりにも軽い調子で挨拶をした。


「ああ、朝が……梓屋に、姫川の娘か」


 そう、そこにいたのは三月の中頃に出会った、口裂け女を刀一本で打ち払った奇妙な男の子。

 確か、名前は葛野甚夜といったか。 

 あの尋常じゃない剣の使い手が、なんの冗談か、戻川高校の制服を纏い普通に座っているのである。


「な、なんで、ここに……?」

「なんでもなにも、私もこの高校の新入生だ。君達は息災だったか?」

「あ、うん。あの時はお世話になりました。それと、一年間よろしくねー葛野君」

「……薫、順応早過ぎない?」


 一瞬で驚きから立ち直った薫は、甚夜の手を取って握手なんぞしている。

 みやかの方はそこまで上手く割り切れない。

 非日常の象徴みたいな少年が何食わぬ顔で教室にいるのだから、違和感はものすごい。というか訳が分からない。なんだこの状況?


「いや、学校に通うのは初めてだからな。迷惑をかけることもあるだろうか、一つよろしく頼む」

「こっちこそー」


 そんなことを言いながら、甚夜は小さく口の端を釣り上げる。

 それはとてもじゃないが高校一年生の見せる表情ではなくて。

 高校生活に対して不安も期待もあったけれど、おそらくはその斜め上を突き抜けていくような日々が待っているのだろうと、みやかは引きつった笑みを浮かべていた。





『歪なるもの』・了

    




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ