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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
大正編

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143/216

終章『街の小さな映画館』・(了)




 兵庫県立戻川高校、部長と二人の一年生、計三人だけの放送部。

 周りの進学校に比べれば施設が充実していることもあり、弱小の文化部ではあるが放送室だけではなくちゃんとした部室を与えられている。

 もっとも放送部の部長は中々にいい性格をしていて、コーヒーメーカーやらテレビを個人的に持ち込んでいたりするのだが。


「なんだかなぁ……」


 昼休み、みやかは何故か友人の梓屋薫、そして葛野甚夜が放送部の部室にいた。

 といっても、この三人のうちの誰かが放送部に所属しているという訳ではない。

 此処にいる理由は、薫が「どうしても見たいテレビがある」と言って、放送部の部長に部室を貸してほしいとお願いをしたからだ。……お願いしたのは薫ではなく甚夜だが。

 放送部の一年生とは同じクラスの友人同士であり、更に甚夜はオカルト関係の事件で部長とも面識があるという。

 そこで薫の我儘を叶えるために、彼が骨を折ったという流れだ。

 相変わらず、薫には妙に甘いな。

 若干引っかかりを覚えながら見回す部室。薫はテレビの前に陣取って、その隣には相変わらずの無表情で甚夜が座っていた。


「ねえ、薫。そんなに見たいなら予約録画しておけばよかったんじゃない?」

「え、当然してるよ? それはそれとしてリアルタイムでも見たいのがファン心なのです!」


 むふー、と興奮気味の薫。なにを言っているのかよく分からなかった。

 昼帯の番組、三十分だけなので五時間目には間に合うが、態々学校でまで見るファン精神は天晴と称えるか呆れるべきか。 

 とはいえ「一緒に見ない?」という誘いに乗った時点で傍から見ればみやかも似たようなものだろう。

 というかなんで誘いに乗ったのかと今更になって考える。

 実際最初は来るつもりもなかったのだが、「甚くんも来るよー」と薫に言われて、他には誰も来ないと聞いて、「じゃあ私も行こうかな」なんて答えていた。

 その理由を考えて、なんとなくもにょっとしたので中断する。


「映画すっごい面白かったから、これも見たいって思ってたんだー」


 多分、とても楽しそうな薫の様子にテレビの内容が気になったのだ。

 そうに違いない。そう思うことにした。


「そうだ、これ。ついでに飲み物買ってきた」

「わ、ありがとー、みやかちゃん」


 自分に言い聞かせながらも、なんだか胸には妙な罪悪感がある。

 いや、決して二人きりという状況を邪推した訳ではないのだが、せめてものお詫びと思い買ってきたパックジュースを渡す。

 いちごミルクは薫の好物。笑顔で受け取ってくれるのが何故か心苦しかった。


「はい」

「ああ、済まんな」


 コーヒー牛乳を受け取り、甚夜も素直に礼を言う。

 しかし話を聞いていたので知ってはいるが、ここに彼がいるのは正直意外だった。こうやってテレビの前に陣取っている姿にはかなり違和感がある。

 というのも薫がどうしても見たいと言った番組は、とある男性俳優が主演を務めた映画の番宣だ。

 薫は元々ファンだから見たいと言うのも分かるが、件の俳優はいわゆる“イケメン俳優”というやつで、甚夜が興味を持つとは思えなかった。 

 つまり彼が此処にいる理由は、薫の趣味に付き合っているだけということになる。


「甚夜も、たいがい付き合いいいよね」

「そうでもない。これに関しては、私も見たかった」


 更に意外な返答だ。

 今から始まるのは、この前公開されたばかりの映画の番宣として、舞台となった場所へ主演の男性俳優が赴くというもの。

 彼が俳優のファンという訳もないだろうし、「見たかった」というのなら映画自体に興味があったのだろうか。

 そういえば、以前も『夏雲の唄』という映画のDVDを買っていた。案外映画好きなのかもしれない。


「二人とも、しーっ」


 考えている途中、強い語調で薫が制する。

 どうやらもう始まるらしい

 流れる音楽、タイトルコール。

 ナレーションの声が、穏やかに語る。


『映画、“暦座物語”。今日は、その舞台となった暦座キネマ館を訪ねます』






 長い休みにはレジャー、アウトドア。

 学校帰りのカラオケ、ゲームセンター。

 ちょっと気取ってダーツバー、ビリヤード。

 家に帰ればテレビ、ゲーム、インターネット。

 数え上げればキリがない。キネマが娯楽の王様と謳われていた時代も今は昔。

 平成の世は娯楽に満ち溢れている。

 映画も数か月待てばテレビで放送されるのだ、昔ほど持て囃されることもなくなった。

 とはいえ、一角の娯楽であることに依然変わりはなく、王様の座こそ追われたが毎年たくさんの新作映画が上映されている。 

 作品数が多くなれば主題が被ることも多くなり、そうならぬよう奇を衒ってマイナーなネタを取り上げた映画でてくる訳で。

 時には思いもよらぬ作品を見つけたりもする。




 これはそういう、本来ならば見向きもされないような些細なお話。

 何かの偶然で誰かに見つかった。




 街の小さな、映画館の物語───






 鬼人幻燈抄 大正編終章『街の小さな映画館』






 大正十三年(1924年)


 帝都は今日も慌ただしい。

 関東大震災から一年、東京の町は見事に復興を果たした。

 勿論災害の爪痕は残されている。しかし一年前は瓦礫の山だった町並みは既に以前通り、それどころか以前よりも洗練された印象を受けた。

 建物はより近代的になり、同時に政府主導の下で上下水道とガス等の基盤も整備、鉄筋コンクリートの小学校の建築などにも着手している。

 染吾郎ではないが、本当に人はしぶといと思う。

 未曾有の大災害に直面し、尚も立ち上がり前に進んでいく。

 一個の生物としては弱いが、彼等の逞しさは鬼をも凌駕するかもしれないと、以前の様相を取り戻しつつある帝都の姿に甚夜は感心していた。


「本当に、綺麗になりましたね」


 隣を歩いている希美子も何処となく楽しそうに真新しいビルヂングなどに目を向けている。

 溜那もきょろきょろと辺りを見回しながら、その意見に同意しこくこくと頷いていた。

 復興した町並みを希美子と溜那、三人で眺めて歩き、向かう先は渋谷。

 しばらくすると見慣れた建物が見えてきた。壁に入ったヒビも補修が終わり、以前通りの佇まいを取り戻した暦座キネマ館である。


「あ、希美子さん! 爺やさんに溜那ちゃんも来てくれたんですね!」


 劇場の前で掃き掃除をしていた芳彦は、三人の姿を見つけると嬉しそうに手を振った。

 浮かれた様子で、にこにこと満面の笑みだ。つられるように希美子も笑顔になって、小走りで彼の傍へ寄る。


「御機嫌よう、芳彦さん。本日はお招き預かり、ありがとうございます」

「希美子さん、こんにちわ。暦座ようやく直りましたよ」

「おめでとうございます……と、芳彦さんに言うのは少し変でしょうか?」

「あはは、そうかも。頑張ったのは館長ですし」


 挨拶の距離は近く、それだけで二人の親密が分かる。

 友人同士のそれよりは若干甘やかなやり取りを、甚夜と溜那は微笑ましく見つめていた。


「爺やさん、溜那ちゃんもようこそ。済みません、無理言って来てもらっちゃって」

「なにを。お誘い感謝している。この娘も楽しみにしていたんだ」

「……ん」


 溜那は相変わらずあまり喋らないが、無邪気な微笑みで淑やかに頷いて見せる。

 それが綺麗で、ちょっとだけ鼓動が跳ねたのは希美子には内緒にしておこうと、芳彦は誤魔化すように軽く笑った。





 今日暦座を訪ねたのは、言葉の通り芳彦に誘われたからだった。

 関東大震災の被害で、暦座キネマ館も多少ヒビが入り補修やら改装を余儀なくされた。

 ようやく工事は終わり、明日から暦座は通常営業に戻る。

 ならばと館長の発案で、パーティというには細やかだが、少し贅沢な食事を幾らか準備して昼食会でも開き、英気を養おうと言うことになった。

 そこで以前間借りしていた縁もあり、「折角だから甚夜達もどうか」と館長が言ってくれた。

 芳彦にしてもそれは嬉しい。早速三人を誘い、その結果が今日の来訪である。


「館長はおられるか? 挨拶をしておきたいのだが」

「あ、すみません。ちょっと出かけてるんですよ。昼食会までには帰ってきますけど」

「そうか。ならば君に預けておこう。志乃の勧めだから味は悪くないと思うが」


 手渡したのは志乃のお気に入りの菓子だ。

 舶来の品で結構な値段はしたが、折角の祝いということで奮発した。クッキィという西洋の焼き菓子とチョコレイト。なかなか豪華な詰め合わせである。


「なんか逆に気を使わせちゃったみたいですみません」

「いや、君には世話になっているからな」


 珍しい西洋の菓子に芳彦は表情を明るくした。

 実際、希美子のことを抜きにしても、吉隠との戦いで重傷を負った時には随分と世話になった。 

 それを考えれば多少の出費など何の仔細もない。喜んでもらえたのなら幸いというものだ。


「あら、甚夜さん、来てくださったんですね! それに、希美子さんに溜那ちゃんも」


 しばらく雑談をしていると、暦座の方から一人の女性がひょっこりと顔を見せた。

 キネマ館の弁士を務める館長の娘、みゆきである。

 暦座に間借りしていた時は、彼女が食事などの用意をしてくれた。その姿を見つけるや否や甚夜は丁寧に頭を下げる。


「みゆきさん、お久しぶりです。今日は厚かましくもお誘いを受けさせていただきました」

「いえいえ、こちらこそ来ていただいてうれしいです。甚夜さん、お体のお加減は?」

「問題なく、後遺症もありません。あの折りは大変お世話になりました」

「そんな、当然のことをしただけですよ。今日は楽しんでいってくださいね。芳彦君のお祝いもかねて、ごちそうを用意しましたから」


 言われて芳彦の方を見ると、照れた様子で頬を掻いている。

 お祝いとはどういうことかと問えば、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに破顔した。


「へへ、実はですね。僕、みゆきさんから免許皆伝いただいちゃいまして」

「ほう? ということは」

「はいっ、今度から僕も弁士として劇場の方に出るんです!」


 大正の無声映画において弁士は花方。

 弁士の実力いかんによってキネマの面白さが決まるとまで言われる、非常に重要な役割だ。

 モギリをやる傍らみゆきに教えを乞うていた芳彦であるが、ついにその努力を認められ、弁士として公の場に出るのを許されたらしい。

 つまり芳彦は花方を務めるに足る人物だと評価されたということ。浮かれるのも無理からぬ話である。


「おめでとうございます、芳彦さん! でしたら、今度からは芳彦さんの語りでキネマを見られるのですね?」

「いやあ、流石に全部とはいきませんけど。ちょっとずつ、ですね」

「凄いです、絶対見に行きますから!」


 我が事のように希美子は喜び、その純粋な賞賛に芳彦は顔を赤くしていた。

 甚夜もまた彼の躍進を嬉しく思う。外見こそ若いままだが中身は百を超える老翁。成長する若者というのは、見るだけで清々しい気持ちになる。過ぎ去った青き日々故に、微笑ましく映るのだろう。


「おう、鬼喰らい。嬢ちゃんらも来たか」


 そろそろ昼の時間も近付き、暦座の玄関に人が集まってきた。

 といっても今日の昼食会に参加するのは館長一家と暦座の従業員、それに甚夜ら三人だけ。館長の妻と息子、井槌も来たし、後は館長が戻ってこれば全員揃う。


「随分と買い込んだな」

「まあよ。どうせお前も呑むだろ? 芳彦先輩の祝いだ、派手にいこうや」

「ああ、御相伴に預かろう」


 遅れてきた井槌の手には、しこたま酒瓶が。昼からどれだけ呑むつもりなのか、と突っ込むようなことはしない。甚夜も大概“うわばみ”で、酒はあればあった方がいい。

 井槌もまた底無しで、酒呑みが集まればこんなものである。


「せっかくだから岡田さんや向日葵ちゃんも呼びたかったんですけどね」


 残念そうに呟く芳彦に甚夜の片眉がぴくりと上がった。

 人斬りにマガツメの娘。詳しいことを知らないとはいえ、あれらを呼びたいと言う芳彦はなかなかに剛毅だ。

 そも井槌の正体を知りながら後輩として扱っている時点で、器の広さはかなりのものではあるのだが。


「……向日葵は、母の下に帰った。仕方あるまい」

「そっか、東京の人じゃなかったんですもんね」


 誤魔化しではなく事実だ。

 もともと一時の協力体制、全てが終わった後向日葵はマガツメの配下へと戻った。

 誰にも挨拶はしていなかった。彼女にとっては母が、甚夜が全て。他事など余計に過ぎない。


『それでは、おじさま。ひと時の協力関係でしたが、楽しかったです。芳彦さんや希美子さんによろしくお願いします。……あと溜那さんには私が本物の姪ですと念を押しておいてください』


 しかしそんな言葉を残していく辺り、少しは心境の変化があったのかもしれない。

 だとすれば心苦しくはあるが。再び対峙した時、彼女に刃を向けられるかは甚夜自身分からない。

 これではまた岡田貴一に濁っていると嗤われる。

 誤魔化すような笑みは、自嘲が多分に混じっていた。


「岡田の奴も何処にいるのか分かんねえしなぁ。あいつは芳彦三鬼衆の自覚がねえよ」

「……なんだ、その奇怪な集団は」

「あ? だから芳彦三鬼衆。芳彦先輩に仕える三匹の鬼だ」


 井槌のぼやきに若干どころではない引っ掛かりを覚える。

 当然一匹目は井槌。二匹目が岡田貴一。だとすると、三匹目は。


「おい、井槌。まさかとは思うが私を数に入れているのではなかろうな?」

「はっはっはっ」


 笑うだけで答えないところを見るに、おそらく正解なのだろう。

 呆れるように甚夜が溜息を吐けば、なにやら袖口を引かれる。振り返れば、溜那が自分の顔を指差してにっこり笑っていた。


「……しきしゅう」

「しきしゅう? ……おお、四鬼衆か。嬢ちゃんも入りたいのか?」

「ん」


 なにかが溜那の琴線に触れたらしい。

 自分も仲間に入れて欲しいと、こくこく頷いている。

 よっしゃ、なら芳彦四鬼衆だと豪快に笑う井槌と、ぐっと両の拳を握りしめる溜那。あまりにも疲れる光景だった。


「爺やに井槌さん、岡田さんに溜那さん……大変です芳彦さん。芳彦さんの命令一つで帝都が滅ぼせそうです」

「勘弁してくださいよ……」


 希美子もそんな二人を楽しそうに見詰めている。

 甚夜と芳彦は一瞬だけ視線を重ねあわせた。

「大変だな」「お互いに」。まさしく目と目で通じ合う。思うところは同じらしく、二人して肩を落とした。


「あ、お父さん帰ってきたので、建物の前に集まってもらえますか?」


 そこでちょうど館長が帰ってきた。

 みゆきが先導となって全員暦座の前へ移動する。

 何事かとも思ったが、外で待機している館長と、彼が連れてきた人を見て理解する。


「写真、ですか?」

「うんそう。お父さんが記念に撮ろうって」


 館長と共にいたのは写真館の者で、写真機は既に設置済み。

 話を聞けば新生暦座の前で記念写真を取ろうと館長が手配したらしい。

 大正時代、キャメラは国内に普及していたが、まだまだ高価で一般の家庭では手が出辛い。その為、祝い事の際は写真館に依頼することが多かった。


「ならば、私達は外れていよう」

「いやいや、甚夜さんらも入ってくださいよ。特に希美子ちゃんは芳彦の嫁さんになるかもしれないんだから、これも記念でしょう」


 脇に行こうとした甚夜達を、館長が引き留める。

 いや、しかし。折角の記念に部外者が、と遠慮するも周りから今度は芳彦や井槌にも止められた。


「いいじゃないですか、爺やさん。折角なんですから」

「だな。さっさと撮って呑もうや」


 みゆきたちも笑顔で一緒にと言ってくれる。

 希美子や溜那に視線を送れば、なにも言わずにただ小さく頷いた。


「……好意に、甘えるか」

「はいっ」

「ん」


 ようやく話がまとまり、揃って暦座の前で並ぶ。

 真中には館長ら夫婦、息子と娘。後ろには一番背の高い井槌、左には芳彦と希美子。右には溜那と甚夜。

 位置が定まり、一瞬流れる和やかな雰囲気。


「はい、それじゃいきますよー」


 写真家の声がかかり、皆がぴたりと動きを止める。

 響くシャッター音は、暦座の新しい始まりを告げる鐘だ。


 大正時代、活動写真は大衆娯楽の王様だった。

 ある人は活動写真を見て、大日本帝国の近代化を誇り。

 またある人は美しい映像に心を打たれ。

 紡がれる恋物語に自分を重ねたり、誰かと一緒に見て和やかに昔を振り返ったり。

 色々な想いを銀幕に写し、大衆はキネマを愛した。

 だからキネマ館には、たくさんの想いが、物語が詰まっている。


 一匹の鬼の物語。

 何一つ守れず、全てを失って。

 けれど残るものはあると、必死になって歯を食いしばり。

 その果てに鬼は大切なものを見つける。


 一人の少女の物語。

 暗い牢に繋がれた少女。

 何も持たず全てを諦め。

 けれど様々なことを乗り越えて。

 少女は誰よりも綺麗に、誰よりも優しく笑えるようになった。


 少年と少女の物語。

 いつの時代も若者は流行に魅かれるもので。

 とある子爵令嬢は、屋敷を抜け出してキネマ館へと出かけ、ひょんな偶然から少年と出会う。

 いつしか二人は仲を深め、ちょっとした事件に巻き込まれ、けれどいろんな人の助けを借りて最後には大団円。

 

 まるでキネマのような。

 けれど色鮮やかな物語達は、此処に一つの節目を迎える。


「どうにも気恥ずかしいな」

「……ん」


 顔を合わせて苦笑する。

 区切りには、皆で撮った一枚の写真を添えて。

 節目を迎え。しかし日々は終わらず、彼等の物語は続いていく。


「まあまあ、爺やさん」

「さ、爺や。いきましょう。お酌しますね」


 続いて行く日々も、きっと騒がしいものになるだろう。

 甚夜はうっすらと目を細めた。

 失くし続けた男が手にした、束の間の平穏。

 人は鬼程長くは在れず。

 いつか再び失うと知っている。

 失くして、手に入れて。

 これからもそんなことを繰り返して、彼は生きていく。

 けれど今は、目の前に在るこの景色を大切にしようと思う。



 いつかこの日々が過ぎ去った時。

 確かに大切だったと、胸を張って言えるように。



 

 これにて大正の物語は一旦おしまい。

 かくして歳月は流れていった。




 ◆





「暦座物語」は、その名の通り暦座キネマ館という実在の映画館を舞台にした映画である。


 始まりは大正時代。

 当時娯楽の王様と謳われたキネマは東京で大流行していた。

 館長ら一家と雇いの清掃員、こじんまりとした規模の暦座も盛況で、目まぐるしい毎日を過ごしていた。


 昭和になってもその人気は衰えず、しかし大日本帝国は太平洋戦争に敗戦。東京は焼け野原となり、当時の館長も死亡、暦座は営業できなくなってしまう。

 そこで立ち上がったのは、暦座の従業員だった「藤堂芳彦」とその妻「藤堂希美子」である。


 思い出深い暦座がなくなるのは耐えられないと、夫婦は手を取り合って暦座再建に臨む。

 もともと華族であった妻は方々に頭を下げ、夫も新たな暦座の為建築依頼からフィルムの仕入れ、機材の準備と駆け回った。

 そんな二人に感銘を受け集まる人々。

 こうして昭和20年代後半、戦争の傷跡が残る東京の町に、小さな映画館が出来上がった。

 芳彦は館長に就任。

 映画館の名前をどうするか、と問われ彼は一切の躊躇いなく断言する。


『ここは暦座。大正から続くキネマ館、あの頃と何も変わらない暦座です』


 勿論、それからも激動の日々は続く。

 昭和中期、映画全盛の盛況。

 テレビやビデオの普及による衰退。

 一時は営業を中止せざるを得ない状況まで追い込まれ、しかし芳彦らは決して諦めず、暦座の灯を途切れさせぬよう必死になって働いた。

 区画整理の為、暦座をたたむかどうかの岐路に立たされたこともあった。

 ここいらが限界なのではないか?

 過る考え、しかし芳彦らは暦座に拘った。

 多少の規模縮小はせざるを得なかったが、それでも暦座キネマ館は、東京の小さな映画館として在り続ける。

 物語の主人公は藤堂芳彦ではなく、あくまでも暦座。

 小さな映画館に携わった人々の努力と、過ぎ去った歳月を群像劇で描いた映画が「暦座物語」である。


 この作品は小説が原作で、作者は実際に暦座を訪れ、館長である芳彦とも話をしたことがあるそうだ。

 抒情的な物語はそれなりに受け、映画化が決定。

 トレンディドラマに出るような俳優が参加し、上映後の評判も高い。

 お昼に「あの映画の舞台を来訪」なんて番組が組まれる程度には人気の映画となった。


「わーすごい、映画のまんまだぁ」


 それを楽しみにしていたのは、みやかの中学時代からの友人、梓屋薫だった。

 別段映画好きという訳ではないが、『藤堂芳彦役』の俳優は彼女のお気に入りの男性俳優らしく、映画初公開と同時に見に行き今でも熱は冷めやらぬ様子である。

 この番組は藤堂芳彦役、主演俳優である久賀見くかみ隆介りゅうすけと聞き役である女性アナウンサーで、舞台となった暦座キネマ館を紹介するというもの。時々流れる映画のシーンを見て、興味を持った人は「どうぞ映画館に」という意図だろう。


『ここは受付、少年時代の芳彦がモギリをしていた場所ですね』

『ここがですかぁ』


 男性俳優が説明をすると、同道しているアナウンサーが必要以上に大きなリアクションで驚いて見せる。

 様式美と言えばそうなのだろうが、実にわざとらしい。白けた気持ちで見ているみやかとは打って変わって、薫は映画で登場した場所が出てきて嬉しそうだ。

 ちらりと見れば、何故か甚夜の目も真剣そのもの。至って真面目にテレビを見ている。

 紫陽花の花で飾られている玄関を潜り、受付を通り中に入る。

 館内廊下や張られたポスターを眺め、かつて芳彦が弁士を務めた劇場を覗き、次いで映写室へ。

 古い時代の映画館は興味深く、途中からはみやかもしっかりと見始めた。

 一通りキネマ館を紹介し終え、主演俳優は感慨深げに口を開く。


『劇中でもそうなのですが、暦座キネマ館は時代の節目で何度も苦境に立たされます。けれど芳彦達の努力でこうやって現代まで残ったんです』


 そうしてコマーシャル。

 一息ついて薫は楽しそうに笑う。


「いいなぁ、なんか歴史ある建物って見るだけで楽しいよね」

「そう、だね」


 途中から見入っていたみやかも、素直に答えた。

 映画自体は見ていないが、多くの人が精一杯頑張り、その結果残った小さな映画館というのは確かに素敵な話だ。

 映画、見ようかな。そう思うくらいには心を動かされている。

 はしゃぐ少女を尻目に、甚夜は気付かれぬようほんの少しだけ目を細めた。


 暦座物語。

 時代背景は大正から昭和、舞台は暦座キネマ館。

 かつて甚夜はその場所にいた。

 留まることなく歳月は流れ、尚も忘れ得ぬ景色がある。

 芳彦と希美子、二人の結婚は大騒動だった。

 充知が反対し、それを志乃が窘めて。纏まるまでの紆余曲折も今ではいい思い出だ。

 井槌や館長らにも随分と世話になった。

 結婚の祝いは暦座を使わせて貰った。幼い頃から知っている希美子が花嫁になる。嬉しさと寂しさが綯交ぜになった不思議な感覚を味わったものだ。

 溜那はいつの頃からか暦座の手伝いをするようになった。

 玄関の紫陽花は彼女が育てたもの。じいやといっしょ、なんて無邪気に喜んでいたのを今も覚えている。

 過ぎ去ってしまった、しかし心から大切だと思える懐かしき日々だ。  


 郷愁に浸っていたが、大きくなった音量に意識を取り戻す。

 コマーシャルが終わり場面は変わる。

 当時を知っている人たちに話を聞くということで、男性俳優は再度受付の方へ足を向ける。

 かつては藤堂芳彦がモギリをしていた懐かしい場所に、車椅子が二つ。

 後ろには背丈190はあるだろう筋肉質な男性と、黒髪の綺麗な少女が車椅子をしっかりと固定していた。

 車椅子には、しわくちゃの顔をした老翁と老婆。

 枯れ木のように細い手が震わせ、けれど時々その手が重なる。なにげない仕種に、二人が想い合いながら年月を重ねてきたのだと見て取れた。


『ええ、そりゃあねえ。もう大変で、したよぉ』


 老翁は年老いて掠れてしまった、しかし感慨に満ちた声を落した。

 途中まごつきながらも当時の苦労を絞り出す。長らく暦座で働いたという彼は、このキネマ館と共に歳をとってきたと言えるだろう。


『たぁくさん苦労して。でも辛くはありませんでした。わしは、ここが大好きですから』


 そう言った老翁の目にはきっと、懐かしい景色が映し出されている。

 彼にとって暦座は愛する妻に出会った場所であり、ちょっと不思議な出会いに心踊らされた場所であり。

 多少気恥ずかしい表現ではあるが。

 此処には、青春の全てが詰まっていた。


『ほんにねぇ……』


 彼に長年連れ添った妻もまた、ゆったりと頷く。

 子爵令嬢として生まれ、籠の鳥の生活だった。

 抜け出した先、辿り着いたキネマ館。

 まだ少女だった頃、恋愛映画に心を躍らせ、いつしか彼に恋をした。

 手を取り合って“まるでキネマみたい”なんて笑った日のことを、彼女は生涯忘れないだろう。


 いつか誰かが言っていた。

 変わらないものなんてないと。

 無情なまでに歳月は流れゆき、あの幸せな日々はどこかに消えて。

 けれど、残るものは確かにある。


 藤堂芳彦102歳。その妻、希美子103歳。

 老いて益々盛んなり、とまではいかないが。

 大正、昭和という激動の時代に在って、思い出の場所を守り抜いた仲睦まじい夫婦は。

 今もこうして、暦座キネマ館を見守り続けている。


『昭和から平成にかけて、映画は廃れていきます。なのに何故、この映画館を続けようと思ったんですか? それも、建て直して今風の映画館にすることもなく、本当に昔のままの形で』


 男性俳優の問いに、しっとりとした微笑みで希美子は答える。


『世の中はいつだって新しい方に流れていく。だから私達は、変わらないでいようと思ったんですよ。若い人には、分かり辛いかもしれませんがねぇ』


 それは彼女が若かりし頃、紫陽花屋敷の庭で教えて貰った大切なこと。

 いつか爺やに聞いた、紫陽花の話。

 紫陽花は剪定せずとも勝手に花を咲かせる。

 にも拘らず細やかに手をかけるのは、十年後同じ花を咲かせるためだと。

 変わる努力があれば、変わらない努力もあると爺やは言っていた。


“……そうですね、例えばお嬢様が誰かと結ばれ、子を為したとします”

“子を為し、育み、大きくなった子供とこの庭で遊んだ時、ふと紫陽花に目をやる”

“その時にはきっと、今と変わらぬこの花は、今以上に美しく映る。私が何を言いたかったのか、分かる日も来るでしょう”


 穏やかに語り、頭を優しく撫でてくれた爺や。

 少女だった希美子にはその意味が分からなかった。

 けれど歳月を重ね年老いて、穏やかに昔を振り返って、ようやく彼が言いたかったことを理解した。


『ちいちゃな子供が、お父さんお母さんに連れられてここで映画を見て。でも子どもはいつか大人になって』


 今も時折、希美子は思い出す。

 まだ少女だった頃のことを。

 紫陽花屋敷に閉じ込められて、でも時折抜け出して遊びに行ったキネマ館で芳彦と出会った。

 恋愛ものの活動写真を見て、抜け出すのがいつの間にか当たり前になった。

 少しばかり生まれは特殊だった。

 そんな彼女を、爺やはいつだって守ってくれた。

 お父さんやお母さんは優しくて、爺やが溜那を連れてきて。

 閉じ込められていた生活は終わり、眩しいくらいの日々が始まった。 


『大人になったら働いて、毎日忙しくて。子供の頃は楽しかったと昔を想うこともあるでしょう。そんな時、そう言えば小っちゃい頃みんなで映画を見に行ったなって、ふと思い出して。懐かしさに誘われて、ふらりと立ち寄ったのに、思い出の場所がなくなっていたら寂しいでしょう?』


 けれど歳月は過ぎ、今は思い出に変わり。

 幸せだった毎日はあまりにも早く流れ去る。

 辛いことも悲しいこともたくさんあったけれど、それ以上に幸せで。

 それでもキネマのように鮮やかなかつては、もう二度と訪れない。

 そう思うことが、寂しくて。

 でも大人になって、生まれた子供たちと共に、愛する人の隣で穏やかに過去を振り返って。

 何も変わらない紫陽花を見た時、希美子は思った。


 ───ああ、本当に美しいと。


 あの頃と変わらない花が、今と昔を繋げてくれた。 

 そうやって思い返したくなる昔があること。

 それを幸せと思える今が、たまらなく愛おしくなった。


『だから暦座は、昔のままなんですよぉ。今日訪れたあなたが、十年後二十年後。自分の子供と一緒にここへ訪れた時、あなたの知っているままキネマ館である為に。十年後訪れるあなたが、今日の日をありありと思い返せるように』


 だから、私達は紫陽花であろうと決めた。

 あなたに守られた私達が、今度はあなたを守りたいと思う。


『わたしたちは、今も昔も。そしてこれからも……変わらず、街の小さな映画館で在り続けます』


 私達は、暦座は今も此処に在ります。

 いつも、いつだって、あの頃と同じ佇まいで。




『あなたが、いつ帰ってきても。あの頃と変わらない想いを抱けるように』




 そう結び、彼女の話は終わる。

 多くの人は「あなた」を来場する客だと考える。それでいい。本当の意味は、あの人だけに伝わればよかった。

 男性俳優が一言二言付け加え、番組も終了時間が近付いた。

 エンディングが流れ始め、女性アナウンサーは「テレビの前の皆さんに、何か一言ありますか?」と問う。

 それは最初から決められていた質問。その時に何を言っても編集で消さない。それが、この番組に協力する条件だった。

 芳彦は、希美子に視線を向け。

 次は自分の後ろに立っている男性へ、最後に少女へと。

 みんながみんな示し合わせたようにこくんと頷き。

 老夫婦はにっこりと笑って、テレビの向こうへ語り掛ける。


『爺や……元気に、やってる? たぁまには、帰ってきてねぇ』

『そうですよぉ爺やさん』


 もごもごと聞き取りにくい、しかし暖かい言葉たち。

 何を言っているのかこの老人達は、と男性俳優も女性アナウンサーも目を丸くしていた。

 しかし暦座の面々には通じている。芳彦の車椅子を支えている背の高い男性が「がはは」と豪快に笑った。


『おう、鬼喰らい。お前今兵庫にいんだろ? 灘の酒蔵の酒送れや、あと神戸のワインな』


 長身の男性……井槌は相も変わらず暦座の受付兼清掃員。

 彼もまた激動の時代を乗り越え暦座に寄り添った。

 歳を取らぬ鬼であるからこそ、最後までこの映画館の行く末を見届けよう。

 大正の世を滅ぼそうとした鬼は、生涯を掛けるに足る生き方を手に入れたのだ。


『じいや……』


 最後に少女がテレビの向こうへ話しかける。

 今時の、年頃の娘にしては珍しい和装。アイドルもかくやという容姿に、艶やかな黒髪。下手をすると“暦座物語”のヒロインよりも綺麗かもしれない。

 彼女は、澄み渡る水のように澄み切った微笑みを浮かべ、ゆっくりと言の葉を紡ぐ。


『……ちゃんと、繋がってるよ』


 いつか失くした日々も、遠く離れた私達も。

 ちゃんと繋がっているから。

 それを忘れないでいて。

 言葉少なく、けれど心からの想いを伝える。

 そうしてエンディングテーマも終わり、番組はこれにて終了。

 最後の一幕はよく分からなかったが概ね満足できる内容だったようで、薫はゆったりと息を吐いた。


「ふう……なんだかんだ面白かったなぁ。うん、よかった」


 好きな俳優のトークや意外な一面を見られて、薫はご満悦だ。

 対してみやかは妙に渋い顔をしている。番組自体は、案外面白かった。けれど彼女には一つだけ気にかかることがあった。

 まさかと思いつつも疑念は強まり、重々しく口を開く。


「……ねえ、甚夜?」

「どうした?」

「あのさ、さっき一瞬出てきた写真に、なんか甚夜に物凄くよく似てる人がいたんだけど」


 そう、暦座には大正時代に撮影したという写真が飾られていた。

 映ったのはほんの一瞬、だがみやかは確かに見た。

 写真に写った人物。その中の一人は服装こそ違えど、どう見ても葛野甚夜だった。

 というか、先程の大男や可愛らしい少女も映っていたような気がするのだが。


「……まあ、世の中には良く似た者が三人はいると言うからな」


 表情も変えず、甚夜はそんなことを言う。

 言葉通り受け取ってもよいものか。いや、しかし。

 普通なら他人の空似で済ませるところだが、今まで散々オカルトな事件を経験してきた。しかもこの彼は百歳を超える鬼。もしかしたら、まさか、という考えが消えてくれない。


「さて、そろそろ行かないと授業に遅れるぞ」

「え、あ、ちょっと待って」


 思考に没頭しているみやかに声をかけ、甚夜は椅子から立ち上がり、さっさと扉の方へ向かってしまう。

 慌ててそれを追うみやかと薫。

 二人の少女からは見えないが、彼の顔はひどく穏やかだった。






 足取りも軽く廊下を歩く。

 不意に窓へ目を向ければ秋の空。雲の切れ間から覗く透き通る青に遠くを想う。

 長くを生き、何度も思い知った。

 どんなに大切な日々も、永遠に在ることは叶わない。

 あらゆるものは歳月に流され、姿を変えてしまう。

 結局、変わらないものなんてない。 

 元治が遺した言葉は何処までも真実で。

 けれどあの頃とは違う形に変わるからこそ、伝わる想いもある。

 それを、あの子たちが教えてくれた。

 過ぎ去った懐かしい日々が返ることは決してない。

 けれどそれを守り続けてくれる人達がいる。

 だから、ちゃんと信じられる。

 あの日々は、今も此処に在るのだと。


「ああ、大丈夫だ。繋がっているよ。今も、これからも」


 誰にも聞こえない小さな呟きは、だからこそ感慨に満ち溢れて。

 そっと風に乗った言葉はどこかへ消えてしまうけれど、暖かい何かが胸に残る。

 立ち止まり振り返れば、慌てて追いかけてくる二人の少女。


「甚くん、どうかした?」

「なにかあった? というか、ほんとに遅れるよ」


 きょとんとした彼女達は、殊更幼げに見えて。

 失くしたものは多かった。

 おそらくはこれからも数えきれない程に失っていく。

 それでも悪くないと今なら思える。

 過ぎ去った日々も目の前に在る情景も。

 確かに大切だと、胸を張って言えるようになったから。









 そんな彼を肯定するように、在りし日の面影は今も東京の片隅に。

 街の小さな映画館では、いつかと同じように、たくさんの物語が流れている。

 





大正編終章『街の小さな映画館』・了

     




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