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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
大正編

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118/216

『古椿の宴』・3(了)




「苛々してんなぁ、偽久」


 南雲の別邸。

 空にはのっぺりとした雲が薄くかかり、昼間だというのに随分と暗い。

 縁側に腰を下ろし、偽久は乱暴に酒を煽っている。井槌は随分と荒れた様子の彼を横目で見ながら自身も一口、喉を通る熱さに息を吐いた。


「そりゃそうだろう。爺の命令とはいえお守に餌集め、稀代の退魔も名前ばかり……くだらねぇ」

「秋津の四代目はかなりやると思うが。まあ気持ちいい仕事ばかりじゃねえさ。できりゃ代わってやりたいが……力不足ですまん」


 ガトリング砲を担いで護衛なぞ目立ちすぎるし、吉隠の<力>は殺さないことに特化している。町中でのあれこれは偽久が最も適しているのだ。

 南雲叡善もそれを見越した上での配置、判断は決して間違いでもない。間違いでないと分かっているからこそ、鬱憤を晴らす先を見出せず偽久は苛立っていた。


「別にお前に文句があるわけでもなし、気になるってんならこの酒でチャラにしてやるよ」

「ありがてえ。そら、もう一杯」

「おう」


 がはは、快活に笑いながら盃に酒を注いでやる。一息で呑み乾すのは井槌の気遣いを汲んでのことだ。

 安物ではあるが気分が良ければ酒もすすむ。薄暗く風情のない空の下酌み交わす、偶にはこんな酒も悪くないだろう。


「あれ、男だけで愚痴を肴にお酒? 背中煤けてるよ?」


 もっとも、最後まで穏やかに終わるなどとは、微塵も思ってはいなかったが。

 呑んでいる井槌達の背後から声をかけたのは、南雲叡善の配下たる四匹の鬼の一角、吉隠よなばりである。


「……鬱陶しいからすり寄ってくんな」


 偽久はあからさまに不機嫌な顔をした。両者は非常に仲が悪く、顔を合わせる度に言い争っている。

 井槌自身はどちらも嫌っていないが、せっかく穏やかに酒を呑んでいたのだ。できればいつもの喧嘩は勘弁してほしかった。


「ボクは井槌に話しかけただけ。たまたまそこに偽久がいただけでしょ? というか、なに憂鬱気取ってんの? やだやだ女々しい男って」

「黙ってろ。男か女かも分からねえツラしやがって」 


 それは確かに、と井槌は思わず頷いた。

 髪は短く切り揃えており、肩には掛からない程度。線の細さ輪郭の柔らかさからすると女性のようだが、上背はそれなりにあり百六十くらい。体格はそう悪くもなかった。

 咽喉仏はなく高めの声は中性的で、容貌は気の利いた少年風の少女にも、少女のように可憐な少年にも見える。

 相変わらずの性別不詳。実のところ井槌も吉隠が男か女か気にはなっていた。


「……なあ、吉隠よ。正味の話、お前って男? 女?」

「え? 今更それ聞くの?」

「いや、気になってはいたんだが、なかなか機会がな」


 この性別不詳の鬼とはいい加減付き合いも長くなった。今更聞くのも、とは思いつつも一度考えると興味が湧いてきてしまう。

 つまり単純な好奇心からの問い。やれやれ、と大げさに吉隠は肩を竦めた。張り付いた笑み、どこか演技染みた仕種で答える。


「別にいいけどさ。っていうか、どっちもだよ?」

「は?」

「だから、どっちも。ボクは半月はにわりだからね」


“はにわり”とは弦月・弓張り付きの異称である。

 半陰陽やふたなりとも呼ばれ、男女両性の特徴を備えた、或いは両性の特徴を持たないなど、分類できない性をさす言葉だった。


『古事記』では、天地開闢の際に現れた三柱の神、天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神を造化三神と呼ぶ。

 この神々はいずれも性別のない独神ひとりがみ、即ち男でも女でもない神だとされている。

 

 男でもあり女でもある。男でもなく女でもない。

 実存の性から逸脱した特質は、古来日本では尊きものだと信じられた。

 独神は“国を産む神”を産む尊い存在。

 故に、独神と同じく男性でも女性でもない“はにわり”は完璧な性であり、現世において最も神に近しいと考えられたのだ。

 またその特性から、神降ろしを行う巫覡に最も相応しいと言われる。

 男神女神、独神。

 はにわりはあらゆる神性をその身に降ろせる器であり、取りも直さず現世に神仏の加護を伝える神の使者であった。


「はに、はにわり?」

「ほんと馬鹿だね、井槌は。だーかーら、男で女。両性具有ってやつ」


 しかし時代は流れる。

 男性器と女性器を持つはにわりは、医学の発展により病気の一種と区分されることとなる。

 同時に神への畏敬が消え去った近代では、神に近しいという評価に何の価値もなく、男性でも女性でもない「気持ちが悪いもの」として扱われた。

 かつて神に近しきと崇められ、時代に異常と断ぜられた存在。

 それが大正時代における“はにわり”である。


「りょうせいぐゆう……あー、男でも女でもないってことか?」

「ぎゃくー、男でも女でもあるの。分かりやすく言うと、おっぱいあるし、穴も棒もあるってこと」

「いやお前、もうちょっと恥じらいというものを……」

「ボク恥じらいもって遠回しに言ったじゃん!? なんでちょっと引いてんの!?」


 珍しく大声を上げる吉隠。そもそも井槌の頭の巡りが悪かったから直接的な表現を使ったのだ。そこを責められる謂れなど微塵もなかった。


「井槌、そう突っ込むな。気持ちいい話題でもねえだろうが」


 いつもとは違い、井槌と吉隠の言い争いを偽久が止める形になった。

 視線も向けず酒を呑みながら。片手間の仲裁ではあったが、吉隠は意外そうに目を見開く。


「あれ、いっがいー。偽久がボクのこと気遣うなんて。明日は雨か槍かな?」


 人の世を覆そうとする南雲叡善、それに従うはにわり。

 時代に流され、異端となった巫覡。

 偽久にはそいつが周囲からどんな扱いを受けていたか、だいたい想像がついてしまっていた。

 そのせいでらしくないことを言った。軽い舌打ちと共に表情を歪める。


「酒がまずくなるから止めただけだ」


 そうして心底鬱陶しそうに酒を煽る。

 改めて言うまでもないが、偽久は吉隠を嫌悪している。人を簡単に殺してはいけないと公言憚らぬ吉隠は、互いに全霊を尽くした命の遣り取り、鍛え上げた己と譲れない我のぶつけ合いを至上とする古き鬼には不愉快極まりなかった。

 だとしても他人の不幸を肴に盃傾ける趣味などない。仲裁は人道以前の矜持の話、やはり吉隠に対する嫌悪感は拭えぬままだ。


「ふむ。つまり一応は女でもある訳か……よし、吉隠。今度一緒に呑みに行くか」

「あはは、そんな下心隠さないお誘い初めて。殴るよ?」


 そうと分かっているからこそ、井槌は冗談めいた物言いをした。場を和ませるには少し下世話だが、酒の席ならそれこそ冗談で終わるだろう。

 意図が分かっているのかいないのか、吉隠は手をひらひらとつれない態度で流す。

 本気だった訳でもなし、断られても痛手はない。多少なりとも空気が和らいだなら目的は果たせた。

 そりゃ残念、井槌は「がはは」とおかしそうに笑った。釣られるように零れた吉隠の表情が、普段より少しだけ優しく見えたのは気のせいだろうか。

 

「あっと、こんなことしてる場合じゃなかったや」

「ん、なんか用事か?」

「おしごとにいかなきゃなんないの。叡善さんに仰せつかってね」


 丁寧な表現ではあるが、皮肉めいた響き。やはり吉隠も頭から柳観に従っている訳ではないらしく、ぺろりと舌を出しておどけて見せる。

 割りに楽しそうな雰囲気を纏っているのが井槌は不思議だった。


「ほーう? の割に楽しそうじゃねえか」

「そりゃ趣味には合ってるからね。殺すな、が絶対条件。それ以外の過程は問わないっていうんだから気楽だよ。終わったら暦座に寄るつもりー」


 吉隠の<力>は殺さないことに特化している。

 殺さずにつれてくる、というのはこの鬼にとっては一番楽な任務である。

 だからこそ井槌は顔を顰めた。偽久ほどではないが、人を殺そうとしない吉隠には、多少なりとも引っ掛かりがあった。


「……まあなんだ。あんま無茶はすんなよ」

「分かってるって」


 そう言った吉隠は振り向くことなくこの場を後にする。

 背中を見送って、すっかり温くなってしまった酒を喉に流し込む。

 味が濁ったように感じたのは何故だろうか。







 ◆






 三枝さえぐさ小尋さひろは、普通の感性を持った少女だった。

 彼女の家は退魔とは名ばかりで、大正に至りなおも退魔の名家として在り続ける久賀見や稀代の退魔と名高い秋津、それどころか古い器物に宿る魂を相手取る本木にすら劣る。

 そもそもが民間除霊師の真似事程度。お世辞にも力があるとは言えず、近代化と共に廃れ、とっくの昔に市井へ帰化した家系である。

 そういう家だから代々伝えてきた技術などなく、残ったのは似たような格の低い退魔である本木の家との繋がりくらい。そんなものでも大切にしたかったのか、小尋の祖父は「勉強の為」と銘打って古結堂に孫娘を預けた。

 

 本当に勉強の為だったのか、それともかつて退魔として在った家のものとしての自尊心故の行動かだったのかは分からない。

 それでも小尋は祖父が好きだったし、なにより彼女はまだ十六歳。不思議な世界への興味もあった。

 だから喜んで本木の家に行った。幸い本木のおじいさんは優しく、孫の宗司も好意的で居心地は悪くない。

 宗司は年齢こそ若いが、その能力は高く、色々不思議な骨董品を請け負ってきた。

 想いの籠った合貝や、恋をする屏風。悪戯好きな根付に、悪夢を退ける蚊帳。ベタなところで女の幽霊が宿った掛け軸など。

 一つ一つ、真摯な態度で接していく。物には想いが宿るというけれど、彼はその想いを大切にする。魔を討つのではなく、諭し穏やかな眠りを与えるのが本木の家の生業だ。

 それが小尋には眩しかった。

 大日本帝国は近代化を果たし、巷には大量生産品が溢れている。その中で、失われていく古きものにこそ拘る彼等はどうしようもなく時代遅れで。

 けれど小尋はそんな在り方に、密かな憧れを抱いていた。

 その憧れに艶っぽい名前がつくまでは、まだまだ時間がかかりそうだったけれど。


「……お客さん、来ないなぁ」


 古結堂に住み込みで働き始めてからしばらく経ったある日。

今日も今日とて手伝いをしていたのだが、ちょっとした仕事を頼まれて宗司は店を離れていた。

 お爺さんもいないし、仕方なしと今は小尋が一人で店番をしている。

 彼女自身には大した力はなく、せいぜい一般人よりも勘が鋭い程度。赤瀬の夜会に参加したのは宗司の気遣いに他ならない。

 そんな少女だ、店番と言っても退魔の真似事は出来ない。やれるのは普通の客の相手くらいのものだろう。


「こんにちはー、ってあれ? 小尋ちゃんだけ?」


 程無くしてようやく客が訪れた。

 といっても今まで何一つ買っていったことはない。いつも骨董品を眺めて、宗司や小尋と一頻り話して帰っていく変な人だ。


「あ、こんにちは吉隠さん」

「宗司君は? ちょっと用があるんだけど」

「あー、ごめんなさい。宗司ならちょっと前に仕事に」

「なんだ、残念」


 吉隠は大げさに肩を落としてみせる。

 この性別不詳のお客は、宗司をからかうのが楽しいのか、最近よく足を運んでくれる。売り上げに貢献してくれる訳ではないが、客の少ない店だ。顔を見せてくれるだけでも有難い存在ではあった。


「うーん、どうしよっかな。宗司君いないのかぁ」

「伝言でもしときましょうか?」

「ううん、どっちにしろ本人がいないと駄目だし。……あっ、でも、うん。小尋ちゃんでもいっか」


 そう言って何度も頷き、一人で納得してしまっている。

 反応に困って何も言えない小尋に、吉隠は満面の笑みで語り掛けた。


「ねえ小尋ちゃん。女の子に頼むのはちょっと気が引けるけど、少し手伝ってほしいことがあるんだ。いいかな?」

「え? それは、内容にもよりますけど」

「簡単なことだから大丈夫だよー」


 張り付いたように笑顔は変わらない。

 客のいない店内では、靴音がやけによく響く。

 こつ、こつ。

 嫌味なほどに音を立てて、吉隠は小尋の傍まで近寄り。


「ちょっと、一緒に来てもらえる?」


 抜き手で少女の心臓を貫いた。








「ただいまー。って、おーい。ひろ?」


 それからしばらくして宗司は古結堂に戻った。

 しかし店番を任せた筈の小尋は何処にもいない。店内は何故か、鉄錆の匂いがする。

 

「あいつ、どこいったんだ」


 床に零れた血液は既に拭い取ってある。

 ここでなにがあったか、本木宗司は最後まで知ることはなかった。




 ◆





 吉隠は、人を殺すのが嫌いだと公言憚らない。

 だから偽久をひどく嫌悪している。

 偽久は簡単に人を殺す。一般人だろうが強者だろうが、分け隔てなく、容赦なく殺してしまう。

 胸糞悪い話だ。何も考えず人を殺せる奴が吉隠は大嫌いだった。

 勿論、不殺を気取る訳ではない。 

ただ最低限の礼儀として物は大切にしたいし、無駄に殺すのもごめんで、復讐だとかの仄暗い感情は好きになれないというだけのこと。

 特に女を殺すのなんてもってのほかだと思っていた。


「小尋ちゃん、大丈夫ー?」

「あぅ……」


 だからこその<力>だったのかもしれない。

 頭部を掴まれたままの持ち運ばれる小尋は呻き声を上げるしか出来ない。逃げ出せるなんて思っていない。もはやどうしようもないくらい絶望し切っていた。


「此処が僕たちの今のねぐら。叡善さんの別邸だよ。いやー、華族様ってすごいよね。こんな豪勢な屋敷が別宅なんだから」


 あはは、と朗らかに笑う。それがあまりにも恐ろしい。

 吉隠は古結堂に客として訪れた時と同じ表情をしている。

 宗司をからかったり、小尋に笑い掛けたり、そんな寛いだ空気のままだ。

 だから恐ろしい。


「さて、もうちょっと遊ぼっか?」

「いやぁ……」


 もう、やめて。

 涙が滲んでも、血と混じり合って直ぐに消える。

 吉隠の<力>は<戯具>。

 その能力は実に単純、自分以外の対象一人を“死なせない”こと。

 だから吉隠が人を殺したくないというのは本当で、事実小尋は死なない。


「おね、おねがぃ。ころ…してえ……」


 たとえ心臓を貫かれても。

 右腕をもがれても。

 眼球をくりぬかれても。

 頭蓋を叩き割られても。

 臓物を引きずり出されても。

 両足が千切れていても。

 脳の半分がなくなっていても。

 痛みがあるだけで、意識を失うこともなく。

 吉隠が能力を解くまで絶対に死なない。

 戯具とは古い言葉でおもちゃと同義。

 即ち命をおもちゃにするのが吉隠の<力>である。


「もう、小尋ちゃんってば。そんな悲しいこと言わないでよ。ボクはあんまり人を殺すのは好きじゃないんだ、特に女の子は。やっぱりさ、女の子は男の人と結ばれて、子をなして、穏やかに過ごすのが一番だと思うんだ。……まあ、叡善さんの命令だし、そうさせてはあげられないんだけどさ」


 だから吉隠は偽久を嫌悪している。

 簡単に人を殺すなんて考えられない。物は大切にするべきだし、無駄に殺すのはごめんだ。

 折角の命ならば、全力で楽しむのが最低限の礼儀だろう。

 それを一瞬で終わらせるなんて、命に対する冒涜だ。


「でも大丈夫、安心して。女の子の喜びくらいは与えられるよ。古椿に操られた人間……鬼に改造しようとしたけど失敗したみたい。そいつらに君の相手をするよう手はずを整えているんだー。多少乱暴に扱われても死ぬことはないから、存分に楽しんでね。今夜一晩だけで、普通の女の人が生涯で経験する回数よりも多くなるよ?」


 もはや叫び声を上げることは出来ない。

 肺も喉も壊れている。死なないだけで、人としての尊厳は既になくなってしまった。

 それを吉隠は、今度は女の尊厳まで奪おうとしている。

 死にたい。でも殺してくれない。 

 どうしようもなくて、小尋は唯一残された道を選んでしまった。

 ぶつり、と嫌な音が聞こえる。その所作に何をしたか悟ったらしく、吉隠は朗らかな笑顔を見せた。


「あーあ、駄目だよ。何度も言ってるでしょ。小尋ちゃん、ボクは君を殺す気ないんだって」


 早く楽になりたくて、自分で舌を噛み切った。

 それすらも無意味。

 死ねない。どんなに頑張っても、死ねない。

 つまり小尋はこれから起こることを受け入れねばならない。

 受け入れて、気を失うことも死ぬことも出来ず、全ての痛苦を味わうのだ。

 なんで、なんでこんな目に。

 悲嘆にくれるでは生温い。光の届かぬ沼の奥底へと引きずり込まれたかのような、身動き一つとれぬ絶望だ。

 しかし少女の頭部をしっかりつかんで持ち運んでいた吉隠が、ぴたりと歩みを止めた。


「おい、モヤシ。叡善の爺様がお呼びだ。遊んでんじゃねえ」


 偽久が心底不愉快といった態度で、吉隠の行く手を阻んでいた。


「ぶー、なんでもうちょっと後に声かけてくんないのかな。せっかく小尋ちゃんを楽しませてあげようといろいろ準備してたのに」

「黙れ下衆。命令には従えや」

「下衆って、君だって人を殺してるじゃないか。なのにボクだけ責められるっておかしくない?」


 互いに嫌悪感を隠そうともしない。

 吉隠は簡単に人が殺せる偽久が嫌いだった。

 偽久は人を殺そうとしない吉隠が嫌いだった。

 どれだけ言い争おうとも、二匹の鬼が理解し合うなどあり得ない。しかし、それでも偽久は言葉を止められなかった。


「成程、人は命を奪う俺は確かに外道だ。だがよ、てめえみたく踏み躙ったことは一度もねえ」

「前も言ったけど、君のそういう潔癖症なところ嫌いだなー。過程がどうでも殺すのは一緒だろ? それともなに? ボクはすぐ殺してるから罪はないんだーとか思ってるの? あんがい冗談が上手いんだね」


 吉隠は嘲笑う。肩が揺れる度に、左手で掴んだ小尋の頭部も一緒になって揺れ、苦悶の表情が滲んでいる。

 それがわざとだと分かるからこそ強く睨み付ける。

 偽久は命のやり取りを至上と信じ、その結果強者を殺すことに至福を覚える。

 殺すことで幸福になれる、そういう外道だと自分自身理解していた。

 だが強者を屠ることに悦楽は覚えても、弱者を弄る趣味はない。

“強い”とは、命を磨き上げた者が至る境地だ。

 ならばこそ奪う価値がある。人が鬼よりも遥かに短い生涯をかけて鍛えた全てを真っ向からぶち壊し、その上で命の輝きを刈り取るからこそ楽しいのだ。

 歪んではいるが、偽久は人の命を尊いと信じている。

 だから命を玩具にする吉隠は、嫌悪を越え憎悪の対象ですらあった。


「趣味みたいに人を殺すヤツが気取るなよ。命を奪うのは一緒。なら一瞬で刈り取る君より、大切に扱う分ボクの方がましだと思わない?」


 しかし吉隠もまた、人の命を尊いと信じていた。

 だからこそ命は大切にするべきだ。殺すのは仕方ないにせよ、一瞬で殺すなんて勿体無い。脆く儚いのなら、大切に扱って精一杯楽しまなければ申し訳が立たないと考える。

 互いの意見は平行線、混じり合うこと在り得ない。

 ぴん、と空気が張り詰める。一触即発、向ける眼差しは敵に対するそれだった。


「随分と遅かったのう、吉隠よ」


 あわや殺し合いが始まる、というところでしわがれた声が通った。

 南雲叡善。既にたらふく命を喰らい、甚夜に付けられた傷も癒えている。寧ろ以前よりも生気を感じさせた。


「ふむ、小僧ではなく小娘の方か。いや、どちらでも構わんが。そのまま運んでもらおうかのう」

「……はーい」


 肩透かしを食らって、吉隠は見るからに不満げな様子だ。しかし叡善は気にもせず、年寄りらしからぬ機敏さで屋敷の奥へと向かう。

 信の置けぬ者達に背を向けるのは絶対の自信。己ら如きでは儂は殺せぬと、言葉にせずとも語っている。

 結局、小尋を楽しませてやれなかった。

 処女のまま生を終えるなんてかわいそうだな、なんてことを思いながらも吉隠は渋々と叡善に従った。


「で、一応目的は果たしましたよー。宗司君か小尋ちゃんのどっちか、ちゃんと連れてきました」

「ようやった。では、さっそく始めるとしようかの」


 辿り着いた薄暗い奥座敷には、無貌の鬼がいる。

 古椿。マガツメの娘にして、今は柳観の忠実な手駒である。


「古椿……始める? んん?」


 状況が呑み込めず小首をかしげる吉隠に、ごく淡々とした口調で叡善は告げた。


「マガツメの娘は、それ単体では出来損ない。他者を取り込んで初めて自意識を為すのだ」


 地縛が南雲和紗の魂を縛り付けたように。

 東菊が白雪の頭蓋骨を取り込んだように。

 故に古椿は無貌。現状の彼女は、まだ何者にもなり切れていない。


「初めは適当に選ぶつもりだったが、折角だ。秋津染吾郎にも楽しんでもらおうと思ってのう」


 叡善の目は仄暗く濁っている。

 もしも秋津染吾郎が判断をちがえなければ、和紗が死ぬことはなかった。その恨みは無能の弟子たる四代目にとってもらう。

 その為に、本木宗司か三枝小尋を選んだ。奴が親しくしていた若造。なんともおあつらえ向きではないか。


「では、それを古椿に」


 あぅ、とかつて人間であったそれは言葉にならぬ呻きをあげる。

 三枝小尋は物のように古椿の方へ投げられた。無貌の鬼はそれを受けることはせず、しかし体に当たった瞬間、彼女は捕食された。

 ごきゃ。骨の砕ける音。

 ぐちゃ。肉の潰れる音。

 ずるずると、体液を啜る。

 古椿の体に小尋の肉が溶け込んでいく。全身を使って食べている。

 目を背けたくなる程に醜い光景だが、目を背けるようなまともな神経をしたものは此処にはいない。

 眼前の凄惨な光景を、退屈そうに吉隠は眺める。

 叡善は愉悦に表情を歪めた。これで、秋津染吾郎の呆けた顔が見られる。無能の弟子の絶望、想像するだけで心が躍る。

 こうして、古椿は無貌ではなくなった。

 

「ふぅ……なんだか、悪い夢でも、見ていたみたいですね」


 そこにいる鬼は、三枝小尋と全く同じ姿をしていた。
















 ◆




 その翌日、吉隠は昨日行けなかった場所に足運ぶことにした。

 昨日と似たようなことをするために。それは南雲叡善の命令ではなく、自分の楽しみの為だった。



 帝都東京は渋谷、暦座。

 モギリも一段落を終え、今はキネマを上映中。客足もぱたりとなくなり、芳彦は暇を持て余していた。


「うーん、やっぱりこの時間って手持ち無沙汰だなぁ」

 

 椅子に座って足をぶらぶらとさせ、玄関の方に目を向けるも、待てども待てども客は来ない。

『手引き』も芳彦の仕事であるため、受付を離れることも出来ず、ぼーっと客を待つしか出来ない。楽でいいのだが、あと一時間はこうしていないといけないのは、やはりつらいものがある。

 希美子さんが来たら楽しいんだけど、爺やさんと溜那ちゃんもまた来ないかな、なんて思っていると、ちょうどよく玄関に人影が映った。

 といっても、訪れたのは希美子達ではない。


「やっほ、芳彦くん元気?」

「あ、吉隠さん」


 待ち人とは違ったが、この性別不詳のお客様も親しくさせて貰っている。

 ちょっと変だけど明るくて面白い人で、芳彦は彼? 彼女? のことがそんなに嫌いではなかった。


「もう上映はじまってますよ。途中だけど入りますか?」

「ううん、今日はさ、キネマ見に来たんじゃなくて芳彦くんに会いに来ただけー。一つ仕事が終わったから息抜きだよ」


 会いに来た。そんなことを真正面から言われるのは流石に恥ずかしい。

 性別はよく分からないが美形であることに間違いはないし、何となく照れてしまう。


「あはは、嬉しいですね」

「うん、ボクも芳彦くんに会えてうれしいよー。きっと希美子ちゃんもおんなじだと思うなぁ」

「へ? 希美子さん?」


 思ってもみない名前が出てきて思わず聞き返してしまう。

 どうにもその反応が楽しかったらしく、にこにこと笑っている。


「実はボクね。南雲のお屋敷で働いてるんだよ。当然、あの娘のことも知ってる」

「南雲って、確か希美子さんの家の本家でしたっけ? はー、妙なところでつながりってあるもんですね」

「本当だよね」


 言いながら吉隠は懐に手を伸ばし、なにやらもぞもぞと探っている。

 不思議に思いながらも、「どうしたんですか」と問うよりも早く言葉が続けられた。


「だからね、希美子ちゃんにとって芳彦くんがとっても大切な友人だってことも知ってるんだ」

「え、あ。なんか、照れますね」

「初心だなぁ。それで、こうも思うんだ。芳彦くんがお願いしたら、希美子ちゃんって大抵は聞いちゃうんじゃないかって。鬼喰らいよりも優先するんじゃないかなっていうのがボクの予想。まあ、叡善さんの命令と若干内容カブってるのが気になるけど、そこはまあ仕方ないか」


 おにぐらい?

 耳慣れない単語が出てきて、それと一緒に懐から吉隠はナイフを取り出す。

 この人は、何をしようとしているんだろうか。

 頭が現状に追いついてこない。甚夜や染吾郎ならばもっと早くに対応を取る。しかし芳彦は所詮一般人。自分が危機的状況にあっても、相手が知人である為に、うまく対応が取れなかった。

 だって吉隠さんとは親しくさせて貰っている危害を加えるようなことはきっとしない。

 芳彦は、この状況にあっても、そう考えてしまった。

 だから、反応は取れなかった。


 突き立てられたナイフ。

 腹を刺され、ぐりぐりと臓器を抉られ、ゆっくりと引き抜かれていく。

 声が出ない、傷が熱い、なんだこれ。

 血が流れている。痛い。しかしそれだけだ。

 致死の一撃であると素人目にも分かる。なのに痛みがあるだけで、意識はひどくはっきりしていた。


「これがボクの<力>。<戯具>を解くまで死なない。逆に言えば、解いたら死ぬ。分かるよね? ボクに従ってる間は生きていられるってこと」


 芳彦は、信じられないといった面持ちで吉隠を見る。

 そこには先程とまるで変わらない笑顔がある。


「勿論こんなことしても鬼喰らいは動揺しない。君を見捨てて希美子ちゃんを守る。でも、希美子ちゃんは違う。大切な芳彦くんの為に、こっちに従ってくれると思わない?」


 そうして、やはり変わらぬ笑顔のままで。


「うん、これで鬼喰らいの勝ちの目、消えたね」


 朗らかに、吉隠は言った。




 これで手筈は整った。

 ああ、本当に、楽しいなぁ。





『古椿の宴』・(了)




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