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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
大正編

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『古椿の宴』・1




 東京は浅草。雷門のある通りからは外れた薄暗い小路には、小さな骨董屋・古結堂こげつどうがある。

 明治の中頃に居を構えたが然程客足はよくない。建物の作り自体もかなり古く、古結堂はうらぶれたという表現がぴったりとくる店構えだ。

 陽は既に落ち始め、辺りは夕暮れの色に染まっている。店内も薄暗い。ゆらりと揺れる行燈の灯に濡れた骨董はひどく艶かしく見えた。


「あんま客こんなぁ」


 秋津染吾郎は適当に店内の骨董を眺めながら、店を預かる青年に声を掛ける。

 それを受けた齢18になる青年、本木もとき宗司そうしはなんとも言えない苦笑いを零した。

 宗司は古結堂の店主の孫にあたり、加齢から衰えた祖父に代わって店番をすることも多い。父親は普通の職に就いている為、いずれこの店を継ぐのは彼になるだろう。もっとも、その時まで店が潰れずに残っていればの話であるが。


「どっちのですか?」


 客がいないのをいいことに、宗司も本を読みふけっている。

 既に一冊読み終えているのだから、古結堂の客入りの少なさは推して知るべきといった所だろう。


「そら、どっちも」

「好事家相手の骨董屋ですからね。そこまで頻繁にはお客さんも来ませんよ。退魔にしたって、今時それ一本で食べていけませんし」

「世知辛い話やなぁ」


 甚夜もそうだったが、昔は鬼の討伐だけでも十分食っていけた。鬼や怪異はそれだけ現実的な脅威だったからだ。

 しかし悲しいかな、大正の世になり信心も薄れ、妖怪が出たから退治してくれなんて言い出す者は極端に減った。このご時世、名家なら兎も角、十把一絡げの退魔では職業として成り立たなくなっていた。


 本木宗司はそういう十把一絡げの退魔の家に生まれた。

“勾玉”の久賀見や“妖刀使い”の南雲のような由緒正しい家柄ではない。かと言って“付喪神”の秋津のように腕で黙らせる程の力もない。

 本木の家は曾祖父の代から営んできた骨董屋で、その規模は決して大きくなかった。

 退魔といっても相手取るのは鬼に代表される屈強な怪異ではなく、古い骨董に宿った魂や妖化した器物だ。

 店に流れ着いた“いわくつきの品”を取扱い、それを求める客に売るのが古結堂の生業。

 講談にもよくある「不思議な商品を取り扱うお店」そのものである。

 その過程で危険な品物に関しては祓うというだけで、退魔の嗜みとして練磨は重ねているが、暴れ狂う怪異と切った張ったをやるような案件は殆どない。

 だからこそ如何な鬼も屠る稀代の退魔と名高い秋津染吾郎は憧れの対象だ。

 何と言っても分かり易い。大衆雑誌の冒険活劇に出てくる強い主人公のようなもの。秋津染吾郎は、年若い宗司にとって一番身近な英雄像なのである。


「で、聞きたいことってなんですか?」

「おお、そやそや。お前さん、一応退魔なんやろ。最近の浅草で起こった怪しい事件とかなんか知らんか? 特に、人が失踪したとかそういうの」

「失踪事件、ですか。新聞ではそんなの見てないですけど」

「そらそやろ。そない派手な真似するんやったら俺も楽なんやけどな」


 そこまで迂闊な相手ではないから手こずっているのだ、染吾郎は僅かに顔を顰めた。

 南雲叡善。

 下種な人喰いは未だ大きな動きを見せておらず、染吾郎は人知れずその影を追っていた。

 甚夜は助力を乞わなかったが、だからと言って無関係でもいられない。巻き込まぬようにという義父の配慮を無碍にするのは申し訳ないが、率先して戦うかどうかはともかく、情報を集め伝えるくらいのことはしておきたかった。


「うーん、でも。すんません。浅草ですから幽霊を見た、くらいの話はありますけど、人がいなくなったとかの噂は聞いたことが無いです」

「そか……悪かったな、妙なこと聞いて」

「いえ。こっちこそお役に立てなくて」


 とはいえ順調とは言い難い。

 地元の京都ならばもう少し動きやすいのだが、東京では勝手が分からない。その為偶然知り合った退魔である宗司の元を訪れた。

 話を聞いたのはもしかしたら程度の期待である。実際方々を歩いてみたが尻尾さえ掴めない。そう簡単に有力な情報を得られるとは思っておらず、ここが空振りで終わっても落胆はない。


「情報集め、手伝いましょうか?」

「いんや、止めとけ。ちぃとばかり今回の相手は性質が悪くてなぁ。話を聞かせてくれりゃそんで十分、間違っても首突っ込もうなんざ考えんなや」


 命が惜しいなら余計なことはするな。

 暗にそう言った染吾郎は片目を瞑り、苦笑するように息を吐く。

 年老いてはいるが、悠々とした態度には貫禄がある。何気ない仕種から経験に裏打ちされた相応の自信というものが感じられた。

 宗司はそれを素直に格好いいと思う。

 退魔に足を突っ込んではいるが華々しい活躍の出来ない宗司には、誰よりも強い退魔はそれだけで尊敬に値する。

 ただ最近は少しばかり鬱陶しくも思ってしまっているのだが。


「染吾郎様ぁ、お茶が入りました」

「おう、すまんな嬢ちゃん」


 店の奥から出てきた少女は、それこそ満面の笑みで染吾郎に湯呑と茶菓子を差し出す。

 三枝さえぐさ小尋さひろ。今年で十六になるこの娘は一応古結堂の従業員という扱いになっている。

 給金を払えていないのだから、正確には「お手伝いをしてくれている」という方が正しい。

 小尋は祖父の知り合いの娘らしい。彼女の家も退魔に携わっており、勉強の為としばらくの間古結堂に寝泊まりしていた。


「おい、俺の分は?」

「へ? ないよ? お客様に出す分用意しただけなのになんで宗司の分まで?」

「てめえ……」


 いけしゃあしゃあとのたまう小尋に、若干の苛立ちを感じる。

 この辺りが染吾郎を鬱陶しく感じてしまう理由だ。

 そもそも宗司が秋津染吾郎と知り合ったのは、“妖刀使い”の南雲が開いた夜会でのこと。

 古結堂は骨董品屋。歴史ある骨董は値が張り、一番金を落してくれる客層は好事家や暇を持て余した華族様になる。

 祖父が南雲の当主と知り合ったのもそういう理由で、没落したとはいえ名家の当主、時折古結堂を訪れる。その縁で「よければ来てみないか」と夜会に誘われ、祖父の代わりに宗司と小尋の二人が南雲の家を訪ねたのだ。

 もっとも、誘われた本当の理由は南雲叡善の企みにあった。

 集めた人間の命を使い、なにやら怪しい儀式でも試みようと思っていたらしいのだが、寸での所で秋津染吾郎に助けられた。

 付喪神使い、その名に恥じぬ技を見せつけ鬼と相対する稀代の退魔。

 それこそ読本の中に登場する英雄よろしく、秋津染吾郎は鬼を退けて見せたのだ。

 とまあ、そこまではいい。稀代の退魔の姿を目の当たりにし、命を救われた。恨み言などある筈もなく、感謝も尊敬もしている。


「物も買わんと入り浸っとんのや。そない気ぃ遣わんでもええで?」

「そんなぁ染吾郎様ならいつでも大歓迎ですよ!」

「はは、元気のええ娘や。おお、そや、嬢ちゃんにも聞きたいんやけど、なんや怪しい噂知らんか? ちっとばかり調べもんしとってなぁ」

「噂、ですか? ううん、最近お隣さんの娘さんが家出したーって言ってましたけど、そういうのじゃないですよね?」


 しかしどうしても引っかかるのは、小尋が「染吾郎様ぁ」などと甘えたような声で話しかけている点である。

 命を救われたのは彼女も同じ。感謝の念や尊敬を抱くのも当然だろう。

 だとしても普段どちらかと言えば強気な彼女が爺さんに尻尾を振っている様は、何故だか非常に苛立たしい。お前、そんな性格じゃないだろうと思わず言いそうになってしまう。実際に言えば後で報復が待っているので、結局何も言えはしないのだが。


「ひろ、あんま迷惑かけんなよ」

「別に迷惑なんてかけてませんー。そっちこそ、態度悪くない? 大先輩なんだからもっと敬うべきでしょ?」

「ちゃんと敬ってるっての」


 苛立っていたせいで、つっけんどんな言い方になってしまった。弁明しようにも、小尋はいーっと子供のように威嚇してくる。

 いつも通りと言えばいつも通り、しかしまたやってしまった。もう少し上手く言えればいいのに、と宗司は憮然とした表情を作る。


「お前さんら、おもろいなぁ」 


 そんな二人のやり取りを眺める染吾郎は何処か楽しそうに、にまにまと頬を緩ませている。

 馬鹿にされたような気がして、宗司は思わず眉間に皺を寄せた。

 恨みがましく視線を向ければ、それが余計ににおもしろかったのか、老翁は堪えきれず笑った。


「……なんですか」

「すまんすまん、なんや懐かしい気持ちになってなぁ。いや、俺も昔はそないな態度とっとったんかと思うと、笑えてもうた。別にお前さんの馬鹿にした訳やない」


 言葉通り懐かしむようにゆるりと頬を緩める。

 宗司には分かりようもない、遥か昔のことである。

 染吾郎の妻は父親と非常に仲が良く、彼女の態度は傍目には懸想(恋い慕う)でもしているのかと思えるほどであった。

 親娘の遣り取りだというのに、それがやたらと苛立たしく感じられ、彼女の父親には散々な態度を取ってきたことを覚えている。対するあいつはいつも平然としいて、殊更子供扱いされているようで嫌だった。

 しかし今になって思う。

 青い恋心を隠そうともしない宗司は、なんとも言えず微笑ましく映る。昔のあいつも、俺を見てこんな気持ちだったのだろうか。その想像がおかしくて笑ってしまった。

 いや、歳を取ったものだ。染吾郎は歳月の重さをしみじみと噛み締め、郷愁を閉じた瞼に映す。

 再び開いた時には、にっかりと悪戯小僧のように口の端を釣り上げた。


「まぁ、あれや。気になるんやったら早めに素直にならなあかんな」

「はぁ!?」


 近寄ってがっしりと肩を組み、耳元でそう囁いてやれば、宗司は面白いほどに慌てていた。

 図星を指され、今の話を小尋に聞かれていないかと顔を真っ赤にして視線をさ迷わせている。


「嬢ちゃん可愛いもんなぁ。背ぇはちっこいけど出るとこ出とるし、短い黒髪も活発そうでええなぁ。案外モテるんちゃうか?」


 言われて改めて小尋を見る。

 確かに彼女は十六歳という年齢から考えれば、背こそ低いものの発育はいい方だが……と、そこまで考えて宗司は煩悩を払おうと首を何度も横に振った。

 なに言ってんだこの爺。

 内心の罵倒は届く訳もない、染吾郎はからかい交じりの言葉をどんどん続けていく。


「恥ずかし、ゆうのも分かる。そんでもちぃとは動かんと、伝わるもんも伝わらん。とろくさいことしとったら、他にかっさらわれるで?」

「いや、別に。俺は、ひろのことなんてどうでも」

「誤魔化すことに慣れたらあかん。そういう奴はな、いざって時、本当に大切なもんを選べんくなる。そんで、なんもかんも終わってからこう言うんや。“仕方なかった”ってな。お前さん、一生自分を誤魔化し続けるつもりか?」

「う……」


 分かっている。分かっているのだ。

 しかしそれは十二分に理解しながらも今まで出来なかったことで、だから宗司は何も言えず口を噤んだ。


「ま、あんま俺がゆうてもしゃあないか」


 まだまだ、青い。

 あいつならばそう言うだろうか。染吾郎は悩める青少年を穏やかな気持ちで見つめる。

 これ以上はからかうのも可哀相だ。ゆっくりと宗司から離れ、そろそろ行こうと出入り口の方に歩みを進める。


「染吾郎様、もう帰られるんですか?」

「おお。ちょいと気になることがあってな」

「そんなぁ」


 心底残念そうに小尋は言い、一瞬宗司の眉間に皺が寄る。

 ああも分かり易いのに、彼女はなにも気付いていないようだ。恋する若人というのは中々に大変そうだと、染吾郎は肩を竦めた。


「ほなな、宗司君。なにを、とは言わんけど頑張りや。嬢ちゃんもまたな」

「え、あの。ちょっと待」


 それだけ残し去っていく。

 一度も振り返らず歩いて行く様は、颯爽と呼んでもいいかもしれなかった。


「なんで私は嬢ちゃんで宗司は名前で呼ばれてるの? なんかずるくない?」


 むーっと頬を膨らませる小尋に構っている余裕はない。

 散々言いたいことを言って、こっちの返答も聞かずに帰っていく。あまりにも勝手すぎる。


(背はちっこいけど出るとこ出とるし……)


 染吾郎の言葉が頭の中で反芻する。そうすると視線は自然と首から下へ。

 いや、それは駄目だと無理矢理目を逸らす。


「ん、どうしたの?」

「あ、いや。別に」

「なんか顔赤くない? 大丈夫?」


 大丈夫、大丈夫だから、今は近付かいなでくれ。

 一度意識すると思考はどうしても妙な方に流れていく。しばらくの間宗司は混乱したままで、小尋とまともに会話も出来なかった。









 ◆






 昔、お師匠に聞いたことがある。

 浅草は寺やほおずき市などで有名だが、古くは処刑場であったという。

 江戸の頃の処刑場と言えば「北の浅草」「南の芝」。次第に江戸の人口が増え民家が建ち並ぶようになってからは人目のつかない所に移されたが、浅草に纏わる怪異譚が多く存在しているのは、血生臭いかつての名残りなのだろう。


 染吾郎は古結堂を離れ、小塚原にまで足を延ばした。宗司を訪ねたのはもののついで、そもそもの目的はこちらにある。

 南雲叡善の足取りを追う途中、一つの奇妙な噂を聞いた。

夜の浅草で死に装束を纏った女の幽霊を見たという、いかにもな話だ。

 それに付随し、幽鬼のように夜を歩く人影を見ただの、神隠しを目の当たりにしただの、怪しげな噂が実しやかに語られている。

 古結堂に立ち寄ったのは、その噂を確認する為。あの二人からは、幽霊や家出した娘の話を聞けた。それがどうつながるかは分からないが、これだけ浅草に集中して噂が流れているのだ。何かあると考えた方が自然だろう。

 そうして幾つもの噂を集め、辿り着いたのが小塚原。江戸の頃、処刑場だった場所である。

 些か出来過ぎているような気はするが、ともかく真相を確かめようと染吾郎は小塚原へと訪れた。

 既に陽は落ち切って、通りは夜に包まれた。寺社仏閣がまばらに建つ小塚原の通りは、夜の暗さも相まってひどく不気味に見える。幽霊の噂が流れていることを考えれば尚更雰囲気があった。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか。できりゃ、鬼の方が来てほしいんやけど」


 街灯に照らされ薄ぼんやりとした夜道を染吾郎は歩く。

 時折立ち止まり、辺りを見回し様子を窺う。それを何度か繰り返すと、ちゃり、と背後で砂を踏み締める音が響いた。

 弾かれたように染吾郎は振り返った。背後には人影。早速当たりか、と思ったのも束の間、落胆するように溜息一つ。


「なんやお前か……」


 背後にいたのは見知った顔。

 柔らかく波打った栗色の髪、纏う着物は袴にブーツの女学生スタイル。

 見た目は九歳前後といった所だろうか。しかし染吾郎は彼女が外見通りの年齢でないと知っている。

 

「こんばんは、秋津さん」


 名を向日葵。

 マガツメの娘にして、現在甚夜と協力体制にある鬼女だった。


「夜も遅いのに、大丈夫ですか? 御歳を召された方は早く寝るものだと思っていましたけど」

「お前舐めとんのか、ほとんど歳変わらんやろーが」

「女に歳の話なんて、秋津さんは無粋ですね」


 やれやれ、とばかりに向日葵は肩を竦める。

 実際の年齢は兎も角見た目十歳にも満たぬ娘にそういう態度を取られると、舐められていると感じてしまう。

 そもそも彼女に対して敵意はないにせよ好意的でもなく、自然こちらの態度も雑になる。


「おい。まさか女の幽霊て、お前やったなんてオチちゃうやろな」

「ああ、やっぱりそれが目的ですか」

「やっぱり、てこた」

「はい。私の目的も、秋津さんと同じです」


 どうやら向日葵も件の幽霊を探しに来ていたらしい。

 態々マガツメの娘が出張ってきたのだ。ますますただの噂とは捨て切れなくなってきた。

 それが有難いのか、厄介なのかは微妙なところではあるが。


「溜那ちゃんらはええんか」

「今はおじさまが希美子さんを、溜那さんはお知り合いの方が面倒を見ていますから」


 言ってから少し表情が陰った。

 不思議に思いよく見れば、向日葵はどこか不満気だ。


「ん? なんや苛立っとる?」

「私、あの人……あの鬼? 好きじゃないです」


 お知り合いの方、というと以前聞いた「深川に住んでいた頃の知人」だったか。随分と不機嫌そうに頬を膨らませている辺り、相当嫌な奴なのだろう。

 むぅ、と幼げな顔立ちの娘は眉間に皺を寄せる。感情を露わにする向日葵は普段よりも子供っぽく見えて、その分複雑な心境になった。

 染吾郎にとって向日葵は、今まで直接の関わりはなかったが、ひどくやりにくい相手だった。

 師の仇の娘、同時に東菊の姉である彼女は、何もできなかった頃の自分を思い起こさせる。

 この娘に咎はない。

 けれど先代染吾郎の死に間接的にではあるが関わっており、東菊はマガツメの目論見通りに動きただの駒として命を終えた。

 頭で納得しても、心の片隅にはしこりのようなものが残っている。 


「ほーん? 俺は会ったことないから何とも言えんけどな」


 それを隠すように。殊更軽い調子で言った。

 生意気な小僧だった時分から随分と老いた。今では自分の感情を隠すくらい訳なくできるようになってしまった。

 歳月を重ねた分、気付けることは増えた。けれど気付けることが増えた分、気付かないふりも多くなった。

 そう考えれば歳をとるというのは、決していいことばかりでもない。あの頃の自分ならば向日葵とどう接しただろうか。考えても答えの出ない疑問がふと脳裏を過った。


「逢わないで済むならその方がいいと思います……あ、今度はこっちに」

「おう。そやけど、女の幽霊なぁ……叡善がらみやと思うか?」

「不本意ですけど、まず間違いなく」


 下らない考えを振り払うように言葉を交わす。

 向日葵の言葉は推測ではなく確信に近い。そこに違和を覚え、問い質そうとして、しかし口を紡ぐ。

 生暖かい風が吹いた。

 なのに、ぞくりと背筋が寒くなる。


「おうおう、噂をすれば。空気の読める奴やな」

「秋津さんとは逆ですね」

「黙っとれ」


 軽い調子は崩さず、意識を研ぎ澄ます。

 小塚原の寺社近く。街灯の届かぬ小路には、夜の暗がりの中、ゆらりと浮かび上がる影が在った。

 曰く、夜の浅草で死に装束を纏った女の幽霊を見た。

 その噂を辿り此処まで来たが、しかし間違いであった気付く。

 影は背丈五尺程度、丸みを帯びた輪郭は、確かにどことなく女性を思わせる。

 ただ幽霊と呼ぶには、圧倒的に足りない。

 目が無い。鼻が無い。口が無い。耳が無い。髪が無い。

 まさしく無貌。纏うのは白のぼろきれ、肌も異常に白く、死に装束のようにも見える。


「鬼……か?」


 幽霊と呼ぶにはちと異形すぎる。鬼にしてもまっとうではない。

 数多の怪異を相手取ってきた染吾郎をして、その奇怪な容貌には戸惑いを隠せなかった。

 対して向日葵は実に冷静である。

 当然だ、初めからある程度予測はしていた。だから動揺はなく、自身の予測が当たっていたことにこそ歯噛みする。


「はい。溜那さんや、命の貯蓄……正直予想はしていましたが」

「おい。そら、どうゆうこっちゃ」

「気を付けてください。まだいっぱい来ます」


 呼応するかのように、新たな人影が現れた。

 今度は男、女、若者、老人。多種多様ではあるが、鬼ではなく全て人だ。

 皆一様に生気のない目、覚束ない足取り。件の鬼よりも遥かに幽霊らしく映る。


「なぁ……」

「なんでしょうか」

「もしかしせんでも、俺ら罠に嵌った?」

「そうですね。南雲叡善を追って噂を集めていくと、此処に辿り着くようになっているのかと」


 身構える染吾郎を余所に、感情を乗せないまま、当然のように向日葵は語る。

 そうこうしているうちに取り囲まれ、逃げ道はなくなった。

 尚も鬼女は平静、ゆらりゆらりと揺れている。


「あれはあやかしの本懐。あの娘の<力>は、心の弱い人間の意識を乗っ取り、操ります」


 叡善の配下である筈の鬼。その詳細を向日葵は知っている。

 染吾郎はそこに疑問を抱かなかった。彼とて鈍くはない。幼げな娘の、ほぞを噛むような表情に、気付かない訳がない。

 向日葵は、絞り出すように、決定的な言葉を口にする。




「鬼の名は古椿……私の、妹です」





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