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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
大正編

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『コドクノカゴ』・4




 長身の女中───吉隠よなばりは、気絶した希美子を抱え地下牢へ訪れた。

 牢の中には四肢を拘束された、“コドクノカゴ”と呼ばれる少女がいる。


「やあ、溜那りゅうなちゃん。元気してた?」


 吉隠は気安い調子で声を掛ける。

 とは言っても猿ぐつわをされたままでは言葉が返ってくる筈もない。それを知っていて話しかけたのだから返答が無くても気にはしていなかった。


「君のお仲間、連れて来たよ」


 言いながらどさりと希美子を床に下す。

 丁重に扱えとは言われたが、死ななければ別に問題ないだろう。取り敢えずは転がしておけばいい。

 なにやら上の方が騒がしかったが、助力も請われていない。叡善が来るまではここで時間を潰そうと、吉隠は床に座り込んだ。


「多分来たのは前言ってた“鬼喰らいの鬼”だよね。さあ、どう転がるのかな」


 くすくすと、楽しそうに吉隠は笑う。

 その表情は本当に無邪気で、だからこそどこか歪だった。






 ◆






 南雲なぐも叡善えいぜんは突如放たれた赤い刀に眉間を貫かれ一瞬で絶命した。

 井槌も染吾郎もそれを見ているしか出来ず、今も突然の事態に指一本動かせずにいた。

 夜に生暖かい風が流れる。

 洋装を纏い、腰に二刀を差した男。葛野甚夜は悠然と庭を歩き、伏したままでいる招待客を背に立つ。

 彼は死に絶えた叡善から目を逸らさないままにぽつりと呟いた。


「向日葵」

「はい、おじさま」


 甚夜が名を呼べば、三体の鬼が姿を現した。

 中心にいるのは、袴姿にブーツ──女学生スタイルに身を包み、髪を大きな赤いリボンで纏めた女童だ。

 更なる乱入者を目にしてようやく金縛りから解き放たれたのか、染吾郎は甚夜を問い詰める。


「おい。あんた、なんで……」


 声は自分が思っていた以上にかすれていた。

 今は一線を退いたとはいえ、戦いに身を置いていた者が動揺を晒すなどあまりに無様。分かっていながらも、取り繕うことさえ出来なかった。

 染吾郎がまだ三代目に師事していた頃の話だ。彼は師匠と共に「鬼そば」という蕎麦屋へ通っていた。鬼そばの店主と師は親友同士で、夜毎に酒を酌み交わす仲だった。

 店主の正体は鬼。名を、葛野甚夜といった。


 染吾郎は当初その男のことが好きではなかった。

 人に紛れて生きる鬼。両親を鬼に殺された彼には、手放しに受け入れるのは難しかった。

 しかし歳月を重ね、それも変わる。

 人と鬼、異なる種族であっても共に在ることは出来ると、甚夜はそう教えてくれた。

 言葉にはしなかったが、鬼でありながら人と共に生きるこの奇妙な男のことを、染吾郎は気に入っていたのだ。


「なんで、あんたが南雲を、退魔の者を殺す?」


 だから分からない。

 鬼が退魔を殺すなぞ日常茶飯事。だが、それをするのは普通の鬼だろう。

 あんたは人と共に生きた。種族が違えど共に在れると、彼こそが教えてくれた。

 なのに、なんであんたが退魔の名跡を潰すなどと言う?


「いや、あんたが出張るくらいや。鬼と組んで南雲が何を企んどったかは知らんけど、殺される程度のことはしとったんやろ。そっちはどうでもええ。それよか」


 数瞬の間を置いて歯を食い縛る。

 染吾郎は、ほとんど睨み付けるような目で甚夜を見た。


「なんで、マガツメの娘と一緒にいる……!?」


 直接の面識はないが、向日葵という娘のことは師から教えられていた。

 甚夜が心から憎む鬼の首魁、マガツメ。 

 その長女の名が向日葵といった筈だ。事実あの娘の目は赤く、配下のように他の鬼を従えている。

 それがなにより分からない。

 南雲が鬼と組んで人を集めていたのは胡散臭いが、マガツメはそれ以上に危険な存在だ。

 そして向日葵はマガツメの娘。

 甚夜から全てを奪った鬼の配下なのだ。

 染吾郎の師を殺し、野茉莉から記憶を奪い、いずれ鬼神になり全ての人に災厄を振りまく。向日葵は、そういう存在の娘だ。

 何故、あんたがそんな奴と一緒になり、南雲を襲うのか。


「答えろ。あんたは、なんでっ……!」


 ともすれば叫び出しそうになるのを何とか堪え、それでも湧き上がるものは抑えられない。

 絞り出した低い声には、突き付けた視線には染吾郎の激情が籠っている。

 しかしいくら睨み付けても肝心の相手は平然とそれを受け流すばかり。


「理由は幾つかある……が、説明は後だ」

「はぁ?」

「まだ、終わっていない」


 取り合おうとしない甚夜に苛立ちは募るが、その一言に頭が冷静になっていく。

 瞬間空気が変わり、染吾郎は先程殺された筈の叡善へと視線を移す。


「ふぅむ。出会いがしらの挨拶にしては、ちと乱暴じゃの」


 むくりと、死骸が体を起こした。

 とはいえ染吾郎にしろ甚夜にしろ、その程度で驚くほど初心ではない。構え直し、叡善の所作を注意深く観察する。

 その間にも死骸は立ち上がり、己が手で頭部に突き刺さった赤い刀を抜き去り砕く。

 刀は甚夜の持つ<血刀>で創り上げたもの。<血刀>はかつて友人から喰らった、血液を媒介に刀剣を生成する<力>だ。生成された刀は実存の物質ではなく、砕かれた後はそのまま霧散していった。


「やれやれ、貯蓄しておける命にも限りがある。あまり無駄遣いはしたくはないのだが」


 抉れた脳が、割れた頭蓋が、裂かれた肉が皮膚が塞がっていく。

 血を袖口でぐいと拭えば、もはや傷跡も見当たらない。

 再生ではなく、完全な蘇生。

 間違いなく甚夜はアレを殺し、その上で蘇ったのだ。

 南雲叡善は何事もなかったかのように息を吐いた。致死の一撃を無に帰しながら勝ち誇ることさえしないのは、歯牙にもかけていないと見せる為。命を取りに来た甚夜を、たかるハエ程度でしかないと見下していた。


「命の貯蓄、やと?」

「うむ。当主としては不出来であったが、隆文もようやっと役に立ちおったわ」


 ぴくりと染吾郎の眉が動いた。

 隆文、というのは南雲の現当主の筈だ。

 それが役に立った。なにより命の貯蓄という言葉。繋げて考えられない程は鈍くなかった。


「……また喰らったか、“人喰い”」


 一部始終を眺めていた甚夜はどうでもいいことのように吐き捨てた。

 その科白に染吾郎は確信する。

 南雲叡善は人を喰い、命を貯蓄することが出来る。貯蓄された分だけ、死んでも蘇生できる。

 鬼の<力>に似た特異な能力をその身に宿しているのだ。


「下衆のように言うてくれるな。同種喰らいはお互い様だろうて、“鬼喰らいの鬼”よ」

「違いない」


 既に二人は面識があるのか、敵同士で在りながらどこか気安い空気を醸し出している。

 一瞬そう思ったが、違った。表面だけの会話、彼等の目に気安さなどない。其処には一切の追随を許さない、純粋な悪意敵意があった。


「さて、お主がここに来たということは」

「今更言うまでもないが……その妖刀、そして“コドクノカゴ”。渡して貰おう」


 叩き付ける研ぎ澄まされた殺気、鋭すぎて刃のようだ。


「出来んな。お主こそ夜刀守兼臣を返せ。それは元々南雲のものだ」


 返すは濁り切った、泥のような悪意。

 叡善の手には刀が握られていた。外観は、夜刀守兼臣によく似ている。

 甚夜の持つ兼臣の刃紋はのたれ刃に葉の組み合わせ、対して叡善のものは数珠刃。それ以外は長さ、柄や鞘の拵えもほぼ同一だ。

 それも当然、奴の持つそれも同じく夜刀守兼臣。そもそも夜刀守兼臣とは戦国後期の刀匠兼臣の造り上げた、四振りの人造の妖刀。叡善の手にある刀も、本物の夜刀守兼臣である。

 四振りの妖刀は、それぞれ特異な<力>を宿している。

 甚夜は左足を引き、少し腰を落した。引き足に体重をかけ、いつでも動けるよう態勢を整え、注意は敵へ向けたまま向日葵に声を掛ける。


「向日葵。そこに転がっている奴らを頼む」

「はい。関係ない人を助ける義理はありませんが、おじさまの頼みなら」


 こくりと頷けば、呼応するように鬼どもが動けない招待客たちを抱え上げた。

 向日葵は現状に危害を加えるつもりはない。傷つけないよう鬼は丁寧に客達を扱っている。 


「宇津木、まだ香が抜けていないだろう。お前も一緒に」

「逃げん。幾らあんたでも、ガトリング砲避けながら斬った張ったはしんどいやろ。井槌、やったか。あいつは俺が抑えといたるわ」


 次いで甚夜は染吾郎にも逃げるよう促したが、他ならぬ本人によって却下された。

 それに異を唱えたのは叡善である。


「ふぅむ、妙なことを言う。退魔の家へ襲撃を掛けた鬼の味方をするのか? 稀代の退魔と謳われた四代目秋津染吾郎が? お主が倒すべきはそこな鬼であろう」


 言葉の端々に嘲りがちりばめられていた。

 それを鼻で嗤い、眼前の人喰いにありったけの侮蔑をぶつける。


「やかましい。鬼とか退魔かどうでもええ。マガツメのこと別にしたら、こいつとあんた、どっちに付くかなんぞ端から決まっとるわ」


 堂々と言い切る姿には微塵の疑いもない。

 数十年ぶりに再会し、それでも甚夜の行いを信じられる程度には、日々を積み重ねてきた。ならば加担することを躊躇う理由などどこにあるというのか。


「あんたらが何やっとるかは知らん。そやけど南雲の爺、あんたの方が間違っとる、絶対にな」


 あまりにも真っ直ぐな言葉に甚夜は驚きを隠せなかった。

 かつて彼は野茉莉のことを宇津木平吉に託し、身をくらませた。恨まれているかもしれないと思っていた。

 だからそこまでの信頼を向けられるのは、正直なところ予想外であった。


「宇津木……」

「ただ、後で話は聞かせてもらう。逃げんなや」

「……ああ」


 短い受け答えを経て、互いに己の敵と向き合う。

 井槌は染吾郎の言葉を「見事」とばかりに笑っていたが、叡善はそのやり取りを冷たく眺めていた。

 茶番だ、と口にせずとも目が語っている。漏れてきた声も同様にひどく冷たかった。


「訳の分からぬことを。所詮は無能の弟子か……井槌」

『おお。中々いい男どもだ、気は進まねえが』


 戦いを止める理由にはならないと、井槌は銃口を染吾郎に向けた。

 叡善は初めから甚夜しか見ていない。

 空気がぴんと張り詰め、沈黙が辺りに漂い、しかしそれも長くは続かなかった。 

 開戦に言葉も合図もいらない。

 夜に響き渡る轟音と硝煙の香りを皮切りとして、皆が一斉に動き始めた。

 向日葵は鬼を操り、伏せる招待客と未だ意識を保っていた二人の男女を抱えて逃げ出した。男女もまた退魔に携わる者、鬼に助けられるのを拒否しているようだったが痺れて体は動かない。抵抗も空しくされるがままになっていた。


 染吾郎もまた香により動きが鈍っている。見栄を張ったはいいが、出来ることと言えばせいぜいが付喪神を使っての守勢か援護程度。

 其処に井槌は乗っかる。先程と同じく、ガトリング砲で染吾郎だけを狙った。

 動けない相手など捨て置いて甚夜を狙った方が効率的だろうに、井槌は敢えてそうしなかった。敢えて不合理を選んだのは、加勢すると言った染吾郎の心意気を認めているから。

 重火器を使えど、井槌は酒を嗜み強者を認め、不器用なまでに己が在り方を貫こうとする、昔ながらの鬼だった。


 期せずして甚夜と叡善は一対一の形になる。

 外観十八歳の青年と、枯れ木の如き老翁。傍目には勝負にもならないと映るだろう。

 しかし南雲叡善は他者の命を喰らい内に溜め込む“人喰い”だ。

 それが夜刀守兼臣の持つ<力>ではないと既に甚夜は知っている。

 つまり奴には蘇生能力と、妖刀による“もう一手”がある。決して油断できるような相手ではない。

 だとしても様子見に徹するつもりもない。<疾駆>で一気に間合いを詰め、すれ違いざまに夜来で首を斬り落とす───まずは一殺。 

 足に力を籠め直ぐに振り返り横薙ぎ、二殺。

 いかに退魔の名跡と言えど老いには勝てぬ。反応は鈍い、心の臓を一突きで貫き、これで三殺。


「相も変わらず遠慮のない鬼よ。折角喰らったというのに、三つも命が無駄になったわ」


 そこまでやって尚、老翁は哂う。

 甚夜が知る叡善本人の能力は、マガツメの持つそれとはまた別の蘇生。

 人間を喰うことによる命の貯蔵と、貯蔵した命を使用した自動蘇生だ。

 蘇生には限りがある。そこまで分かっており、だというのにかつての戦いでは倒すに至らなかった。

 十四。以前、出会い頭の戦闘ではそれだけ殺した。

 実力に置いては甚夜が上、叡善が下。其処に揺るぎはなく、しかし「いくつ命を貯蔵してあるか」が分からない。

 故に戦いは優勢であっても優位とは言えない。極端な話、もし相手の貯蔵する命が億を超えるならば、そもそも勝つことは不可能だからだ。


「抜かぬのであれば返してもよかろうに」


 中空に舞った頭部を右手で掴み、首に接着しながら柳観が奥歯を噛む。

 甚夜は今の攻防をすべて夜来で行った。夜刀守兼臣を使わなかった。出来れば使いたくなかった。


「斬るべきものを選べる心こそ南雲の誇り……そう言った貴様になら、“こいつ”が納得すれば返してもよかったが」

 

 そう呟いた甚夜の目には敵意よりも寂寥が滲んでいた。

 それは随分と昔のことだ。

 かつての南雲の当主は、娘に一振りの妖刀を贈った。


『娘はいずれ南雲を継ぐ。しかし剣の腕が無くてな。少しばかり指南をしてやってくれ』


 意思を持つ妖刀に彼はそう願った。

 妖刀に命令するのでは願う。南雲の当主はそういう男だった。


『傷付けることを躊躇えない者は妖刀使いに相応しくない。妖刀は心をもてど斬るものを選べない。ならば、使い手はそれを選べる者でなければならない』

『斬るべきものを選べる心こそ、南雲の誇りなのだ』


 平安より続く退魔の名跡、その当主でありながら彼はお人好しだった。

 娘はそんな父を敬愛し、南雲を継ぐ者としてかく在ろうと心に決めた。

 だが少女の想いは途中で途切れてしまった

 当主の娘───南雲和紗はマガツメなる鬼の娘・地縛に殺され、南雲の当主が贈った夜刀守兼臣はその仇を討つために流れ、“刀一本で鬼を討つ剣豪”の元へ辿り着く。

 それは随分と昔のこと、今更どうしようもない過去の話である。


「鬼風情が、知った風な口を利く」

「……やはりお前には、渡せんな」


 或いは、その喪失こそが南雲叡善という男を変えたのか。

 彼の歩んできた道程を知らぬ甚夜では、それを知ることは叶わない。知ったところで意味もない。

 どのみち討たねば相手だ。ならば如何な過去も斬ることを躊躇う理由にはならない。

 故に四殺、五殺、六殺と幾重にも命を奪い取る。

 それでも足りない。叡善は己の命、否、他人の命を犠牲にして反撃を試みる。

 振り上げた刀。常人よりは多少早かろうがやはり老体、鬼の目から見れば動作は鈍い。しかしそれは十二分に脅威足りえた。


「ならば死骸を漁るだけのこと。<鬼哭>の妖刀……その力の一端、存分に味わうとよい」


 立ち昇る黒い瘴気。

 禍々しいまでの力が、かの妖刀から発された。





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