とんだ小悪魔だな
天気の良い、ある日の昼下がり。
お腹が大きくせり上がってきたジェーンが、えっちらおっちらクラークソン家の庭を散歩をしていると、どこからともなくシシーがぴゅーんと走ってやって来た。
満面の笑みのシシーに、こちらまで笑顔になってしまう。
今日もジェーンの可愛い妹は元気いっぱいだ。
そして、
「ねえさまぁ!『ぴざ』って、じゅっかい、いって〜!」
はふはふと息切れ混じりのシシーが言った言葉がこれである。
──ピザって、十回言って?
なんで、と思いつつも。
「……ええと、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ? これでいい?」
「うんっ」
ジェーンが指を折りながら十回『ピザ』を唱え終わると、シシーが肘を指差しながら「ここは?」と、にこにこ顔で聞いてきた。
「膝でしょ?」
「ぶっぶー!『ひじ』だよぉ!」
「……あっ」
「ねえさま、まちがった!」
「ほんとだねえ、間違えちゃった!」
演技でなく、素で引っかかったジェーンの反応が面白かったのだろう。シシーは嬉しそうに「わあい!」と叫んで喜ぶ。
……世界で一番可愛い得意顔である、と思うジェーンは姉馬鹿だろうか?
──これはシシーが、休憩中の門番のロジャーとメイドのクレアに教えてもらった『十回クイズ』というものだそうだ。
『的』という言葉を十回言わせて、「赤い果物は?」と聞き、『トマト』と答えさせるというものもある。
こちらの答えは、シシーの大好物の『苺』が正解だ。もしくは『林檎』でも可。
『スプーン』と十回言わせて、「スパゲッティを食べるのは?」と聞いて、『フォーク』と答えさせるクイズの答えは『人間』である。
ジェーンは見事に全問間違えた。ちょっぴり悔しい。
「ねえさまも、ししーにきいてみて?」
引っかからないよう練習をしてきたであろうシシーに、ジェーンは「うーん」と考える。
側にいるノラも、人差し指を顎に当て考えている。
そして、ジェーンは一つだけ思い付く。
「思い付いたよ。……あのね、シシー? 『好き』って、十回言ってみて?」
クイズとは、ちょっと(?)違うかも知れないが、これ以上は思い付かない。
「わかった! しゅき!」
──シシーは『好き』と言っているつもりなのだろうが、舌が足りないせいでジェーンには「しゅき」と聞こえた。
が、もちろん、そんな意地悪な指摘はしない。
なぜなら、指を折りつつ「しゅき! しゅき!」と一生懸命言うジェーンの妹は、とっても可愛いからだ。
途中で十回言ったのか分からなくなって、十一回言ってるところも、ただただ可愛い。
「いったよぉ」
言い終わり、ぷすーっと鼻を鳴らすシシーに、ジェーンが「姉様も、シシーが好きだよ」と言うと、シシーはぽかんと口を開け目を二・三度ぱちぱちさせた。
そして、一拍置いてからジェーンの足に抱きついた──もふっとジェーンのドレスに埋もれたシシーが、ノラとココに救出されるまでがセットである。
「クイズじゃないけどね。こういうのも面白いでしょ?」
「うんっ! おもしろーい」
ジェーンは、きゃっきゃっと楽しげに笑う妹の頭を撫でる。
シシーが元気だと、ジェーンはとっても嬉しくなる。
「ししーも、ねえさまのことしゅきーっ!」
「姉様はシシーよりも、もっともーっと、シシーが大好きだよ」
「ししーも! ねえさま、だあいしゅき!」
「ふふっ」
どうやら、ジェーンの『十回、好きって言って』がかなり気に入ったようで、シシーは「みんなにもしてくるー!」と言って、またぴゅーんと走って行ってしまった。
その後ろを「あー! シシーお嬢様ー! 転びますからー!」と、ココが慌てて追いかけていく。
……シシーに大甘な使用人達のことだから、シシーの可愛いクイズに良いリアクションをすることだろう。
「大きくなったなあ」
シシーがいなかったら、ジェーンはとっくの昔に生きることを諦めていたに違いない。
あの子がいたからジェーンは頑張れたし、こうして愛する人の子供を授かることができた。
初めての出産は、本音を言えば怖い。──しかし、きっと乗り越えてみせる。
ジェーンは、夫と妹に家族を作ってあげたいのだ。
「早く会いたいねえ、赤ちゃん」
ジェーンはお腹を擦りながら小さくなっていく背中に目を細める。
それと同時にぽこっと腹が中から蹴られた。
シシーはジェーンの予想した以上に、昼間の『十回、好きって言って』が気に入ったらしく、屋敷の皆に「『しゅき』ってじゅっかいいって」と言っていた。
その場面に何回か遭遇したジェーンは、有能でそつのない執事の赤面顔を初めて見た。
ちなみに料理長は感涙していたとか、いないとか。
そういうわけなので、アシュレイが帰宅する頃には、シシーからクイズを出題されていない者は屋敷に一人もいない状態であった。
「ただいま」と言うアシュレイの言葉に、シシーが「『しゅき』ってじゅっかいいってくださぁい!」が被さる。
アシュレイを出迎えるために整列していた使用人達が堪えきれずに笑い声が漏れた。
「ん? 手記?」
シシーを抱き上げたアシュレイが、はふはふと興奮する義妹に笑いかけてからジェーンに、『しゅき』って何? と、目で問う。
「えっと、『好き』です。アシュレイ様」
──ジェーンのこの言葉は、『「しゅき」ではなくて、シシーは「好き」と言ってます』という意味である。
が、色々言葉を抜かしてしまっている。
態とではない。ただ単に、ジェーンがうっかりさんなのである。
その為、うっかりさんに告白されてしまったアシュレイは一人混乱していた。
「………………え?」
恥ずかしがり屋なジェーンが周囲に使用人がいる状況でこんなことを言うのに、驚いているのだ。
いや、でも、嬉しいには嬉しい。当たり前だ。
それに、返事も返さねばならない。
──俺も、ジェーンが好きだよ。
そう言おうか三秒ほど迷い、よし! 言おう! と、決意したアシュレイに、シシーの二回目の「『しゅき』ってじゅっかいいってください!」が放たれる。
そして、アシュレイはようやくジェーンの『好き』を正しく理解した。
「……あ、ああ、なんだ、そういうことか。……好き、好き、好き、好き、」
──しかし、なんだこれ、すっっっっごく恥ずかしい。
「好き、好き、好き、好き、好き、好き」
後半はやや早口で言ったアシュレイは耳が熱い。
なんてったって静かに奇声を上げてるメイドの発狂ぶりと、その他の生暖かい視線がすこぶる気まずい。
「……これでいいか?」
シシーに問うと、アシュレイに最上級に可愛い笑顔が返ってきた。
そして、内緒話をするようにシシーはアシュレイの耳元に口を寄せ、小声で囁く。
「あのね、ししーもね、にいさまがしゅきです」
えへへ、と笑ってぎゅうっと首に抱きついてくるシシーに、アシュレイは「とんだ小悪魔だな」と呟いて、小さな義妹を抱き締め返した。
──余談ではあるが、照れながら十回「好き」と言うアシュレイの妻は、それはもう可愛かった。




