おい、その顔やめろ
人生はなんだかんだ、どうにかなるものだ。
クラークソン家の門番を務めるロジャーは思う。
肩を壊して騎士として使い物にならないと判断された自分の絶望感は、今ではきちんと思い出話として他人に話せるくらいだ。
もう俺なんて……と腐っていたことなど、恥ずかしいので、むしろ笑って聞いてほしい。
「三年前の話だ」
ロジャーは末端ではあるが尊敬する男の下で騎士を生業としていた。
年は自分とさほど離れていないというのに、男——アシュレイ・タウンゼント改め、アシュレイ・クラークソンは群を抜いて誰よりも強かった。
そんな彼にレベルが違い過ぎて嫉妬を覚える間もなくロジャーは憧れた。
ただし、女運はない。と何度か思っていたが、変な意味ではなく男にモテる男というのはてんで女にモテないというのが世の定石である。
しかし、アシュレイはそんなロジャーの同情を跳ね除け(?)、若くて美しく心優しい少女と婚姻を結んだ。
なんて、今では言われているが当時はそれはもう気を揉んだ。
お人好しを発揮して貧乏貴族の娘と結婚なんて、と。
しかも、幼い妹と借金付きが条件の女との結婚だ。騙されているのではないか! と盛大に憤るのもお察しいただきたい。
いくら顔が可愛かろうが若かろうが、自分の尊敬する英雄の嫁にはふさわしくない。
そう、思っていた。
もちろん昔の話だ。
「……もう時効だよな?」
アシュレイは、クラークソン姓になってから出世した。
身分が上がり、ようやく実力に見合った地位に就いたのだ。
彼が隊を離れることは寂しかったが、彼の後任となった隊長も志の高い人間だったので大きな不満はなかった。
戦争孤児だった自分が騎士として、国と人の役に立っていることが誇りであり自信だった。
末端騎士団のせいか、面倒ごとが回されるのが常だったが、アシュレイが騎士団から離れてすぐ、そんな理不尽な依頼や扱いは目に見えて減った。
理由は言わずもがな。
「憧れるしかねえよなあ。あの男、ほんとに凄え」
アシュレイとは、上司と部下の関係ではなくなってからも交流があった。
クラークソン家にお呼ばれしたことだってある。
そこで会った彼の奥方は見た目も中身も可憐で、ロジャーは心の中で謝罪の言葉を叫んだ。
奥方の足元から、ひょこっと顔を出してにこりと笑う妹君も大層可愛くて……以下略。
結婚を考えている女性のことを紹介した日もこの日だった。
自分にはもったいない美人の恋人を、クラークソン夫妻に会わせた。
幸せだった。
順調だった。
ロジャーが任務で後輩を庇って肩を壊すまでは。
『騎士でなくなったあなたに価値はないの』
結婚の約束を交わしたばかりの恋人の言葉であるが、正しいかどうかは定かではない。
他にも二・三、言われたのだが今でも靄がかかったように思い出せない。
それ程に打ちのめされた。
しかし、それは恋人だった女の素直な言葉だけではなかった。
ロジャーが庇った後輩と恋人だった彼女が一緒にいたことこそが、とてつもなく堪えたのだ。
『ロジャー、クラークソン家で働かないか?』
管を巻いて酔い潰れていた自分に、かつての上司がくれた言葉だ。
『隊長、同情なんていらねえんですよ』
可愛くない返事だったと思う。そんな自分の態度に、アシュレイはおかしそうに笑った。
『馬鹿だな』と言って、笑った。
あの時、ロジャーは救われた。
「——てな経緯で、俺は門番してるんだ」
「へえ〜!」
遅めの昼休憩で裏庭でパンを齧っている時だ。
ロジャー同様、これまた遅めの昼休憩の庭師見習いビル少年と休憩場所が被りなんともなしに一緒に過ごすことになったのだ。
「騎士だったんですよね!」ときらきらした瞳で見つめられ、「どんな訓練するんですか?」「剣はどのくらい重いんですか?」と少年らしく矢継ぎ早に質問された。
子供は素直だ。
大人達が傷付けまいとしない質問もしてしまう。
しかし、ロジャーとしては、そんな遠慮や心配の言葉の方が心を沈ませる。
「もう肩が使いもんにならねえし、役に立たない俺の話聞いても参考になんねえよ」
「そんなことないです。できないなら教える側になればいいって、俺の爺ちゃんが言ってました」
爺ちゃんは鋏はもう握れないけど、勘はまだ鈍ってないから後任を育てるんだって意気込んでます。
そう言ってパンを美味そうに頬張るビルに、ロジャーの目から鱗が落ちた。
「……そっか」
「そうですよ。あ、ロジャーさん、今度俺にかっこいい必殺技とか教えてください」
「ははっ、必殺技?」
「はい、俺でもできるなら……」
「んー、あるんじゃねえか? 考えとくよ」
「本当ですか? 約束ですよ? 絶対ですよ!?」
ぱあ、と嬉しそうなビルの頭をロジャーは撫でた。
ビルが騎士に憧れつつも、自身の父や祖父のことを誇りに思い、彼等のような立派な庭師になることを目指していることをロジャーは知っている──それが諦めでないことも。
夢だって、希望だって、幾つも持っていい。
これからだって、今からだって、この瞬間からだって。
「ああ、約束だ。俺は約束は絶対に守る」
今までの経験が全て無駄だった訳ではない。
騎士だった経験が今のロジャーを助けている。
何もかも無くした自分から去っていった人間もいるが、去らなかった者もいる。
何より、今、手にしている縁の素晴らしさを当然と思わない謙虚さを得ることが出来た。
驕っていたところが完全に無くなったということは無いのかも知れないが、己の人間的な成長は感じられている。
それは、とても、
「はあ? 何ですか、それ~」
「『それ』って、何だ? 失礼な」
ビルはきらきらした目で、パンを飲み込むのを忘れてうんうんと頷きながらロジャーの話を聞いてくれたのに。
この小娘ときたら。
「いたーい!」
「嘘言うな」
丸い額を指で弾くと睨まれたが、そんなに強くしていないので、ふんっと鼻で笑ってやる。
ちなみに婚約破棄うんぬんについては、ビルには話していない。
初恋少年に重い話をしない常識くらいは、持ち合わせているので。
「違いますよ、全然いいんですよ? 全然いいんですけどぉ、その美人の元婚約者さんと恩知らずな後輩君への復讐話がないのが、うーん……なんか、こう、物語として物足りないというか? ねえ、ロジャーさん、こっそり闇討ちとかしなかったんですか? 肩がだめになったって言っても、相当強いってネタは上がってるんです。隠したってだめです。私、知ってますからね! なのに、なんで闇討ちしないんですか?」
ぶつぶつ文句を言うのは、同僚のクレアだ。今日もよく喋る。
「いや、闇討ちなんてしねえから。捕まるから」
「でも、ムカつきます! その二人には、絶対に! 幸せにならないでほしいです!」
「あー? そういうもんか?」
「そういうものですっ!」
ぷんぷん怒っているクレアを見ながら、こんな風に自分の為に怒ってくれる人間がいることをロジャーは嬉しく思った。
クレアも、ロジャーに負けず……いや、ロジャーよりよほどヘビーな人生を歩んでいた。『いる』ではなく、『いた』。
これは過去形だ。
今の彼女は、毎日毎日幸せそうに見える——クラークソン夫妻の観察で萌えたり、ツンデレ同僚カップルを見ては拝んだり、お嬢様とその幼馴染のわちゃわちゃしている様子に小さく奇声を発したり。
程度は独特だが他人の幸せを喜べて、底抜けに明るい少女をロジャーは思いの外気に入っている。
かつての婚約者や後輩のことは心底どうでもいい。
不幸になれとは思わないが、幸せを願うことなどはないだろう。その程度の感情だ。
が。数日前、門前で追い返したクレアの義母と義姉が彼女を取り返そうと強行をするというのなら、彼女の言う『闇討ち』とやらをしてもいい。
自分達で追い出しておいて、帰って来いとはおかしな話だ。
「そうだ! 私、とってもいいこと思い付きました!」
「何を思い付いたんだ?」
「今度書く物語の主人公はロジャーさんをモデルにするんです!」
「はあ?」
「それで、元婚約者さんと後輩君に華麗なるざまあを……ふふふっ、ぐふふふ……ぎったぎたの、めっためたに……うふふふふ……」
「おい、その顔やめろ。酷えよ」
「ぐふふふ……ああしてこうして……」
だめだ。
妄想の世界に旅立った彼女は、こうなってしまうと長い。
「楽しそうだし、いっか」
少し肌寒くなってきたと感じたロジャーは、やめろと言った顔でぐふぐふ笑うクレアの細い肩に自分の上着をかけて、彼女が妄想の世界から帰ってくるのを待つことにした。
──本日のクラークソン家も平和であった。
鼻の頭に土を付けたお嬢様を追いかける怒れる執事にこっそり笑ったり、騎士に憧れる庭師見習いの少年に必殺技とやらを授けて『師匠』と呼ばれたり、クレアが差し入れだと言ってクッキーを持ってお喋りをしに来たり。
そして、明日はかつての上司であり、現在の雇い主であるアシュレイの休日だ。
早朝稽古を一緒にする約束をしている。
今、手の中にあるものを大事にして生きていこう。
未だに「ぐふ」と笑っている少女のつむじを見下ろしながら、ロジャーはそんなことを思った。
クラークソン家の門番は、英雄の元部下で最も信頼を寄せる男であり、弟子を何人も抱えている凄腕の騎士だとか。
数週間後、ロジャーはこんな噂に振り回されることとなる。
しかし、爽やかに秋風を感じながら想いを馳せている男にそんな未来は読めやしない。
──そして、これからも。
騒がしくって、少しお馬鹿で、自分のことより相手の気持ちになって考える年下の少女にロジャーは振り回されるのであった。
クレア著:『婚約者を後輩に寝取られた元騎士ですが、国の英雄の右腕としてスカウトされました! え? よりを戻したい? 寝言は寝て言ってくれますか?』第一巻




