がおがおだ~~~っ!
「──旅は大変厳しいものでした。七つの山と、いくつもの夜を越えたその先には悪い怪物と、高い塔の上に囚われたお姫様が……あれ? シシー? 寝ちゃったの?」
ふっくら頬っぺたをつんつんしたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢したジェーンは絵本を閉じ、ぷすぷすと寝息を立て始めた妹の額に唇を寄せる。
「おやすみ、シシー。いい夢を見てね」
そして、顔を上げたジェーンは妹からソファーに視線をずらす──子供用の桃色のソファーでアシュレイは眠っていた。
今日、三人で行くはずだったピクニックは、昨晩シシーが熱を出したことから中止となった。
酷く落ち込んだシシーを慰める為に昨夜は三人で一緒に眠り、目を覚ましてからは出来るだけ共に過ごしている。
『ねえさま、おはなし、して?』
シシーのお願いに、ジェーンは頷いて絵本を読んであげていたのだが……シシーは二冊目の絵本の読み聞かせの途中で眠り、それを一緒に聞いていたアシュレイも眠ってしまった。
ジェーンは眠っている夫にそっとブランケットをかけてから少しだけ悩んだ後、シシーと違いぷにぷにしていないアシュレイの頬に唇を落とし、そっと囁く。
「いい夢を見てくださいね」
それからジェーンは真っ赤な頬を押さえて部屋を出たのであった。
「勇者アシュレイ」
王の言葉だ。
「はっ!」
アシュレイは戸惑いながらも、それを表に出さずに返事をした。
──いつの間に自分がここにいたのか思い出せない。
「頼みがあるのだ」
「何なりと」
王は玉座の上からアシュレイを見下ろし、言葉を続けた。
「攫われた我が娘を救い出し、怪物を倒してはくれまいか」
「……は」
アシュレイは混乱の極みにいた。
この国の王に娘はいない。王の子は三人とも息子だ。
生まれてから今まで二十六年間の記憶は、王国に姫がいることを否定する。
が。
「お任せください」
気が付いたらアシュレイはそう言っていた。
「おお! そうか!」
王に何か違和感を感じていると、王が「賢者をここに」と側近の男に指示を出した。
「勇者よ。この賢者と共に怪物を倒し、姫を救い出すのだ!」
どこからか聞き覚えのある「じゃじゃーん!」という声が聞こえるが、誰もいない。
『この賢者』って、どこに賢者がいるのだと、アシュレイがふと視線を下に落とす。
「こんにちは。けんじゃです」
そこには、だぶだぶのローブを着た得意顔の義妹がいた。
「シシー?」
「ししーちがう。けんじゃ」
「賢者?」
「いだいなけんじゃ」
「偉大な賢者」
「そうです。けんじゃ、ゆうしゃさまといっしょに、おしめさまたすけるですよ!」
シシーもとい賢者が、「えいえいおー!」と腕を上げると、これまたいつの間にか現れた見慣れた家の者達が「よっ! 賢者様!」「さすが賢者様」「賢者様しか勝たんっ」と声を上げていた。
アシュレイの「お前達、どこから来たんだ?」と言う声はかき消された。
場面変わって──
「いってきまーす!」
意気揚々と城を出発した勇者と賢者は、怪物を倒す厳しい旅に出たのであった……いや、訂正しよう。
旅は全然厳しくなかった。
買い食いしたり、だぶだぶのローブに焼き豚串のソースをこぼしてしょんぼりしている賢者に新しくワンピースを買って着せたり、歩き疲れた賢者を抱き上げたり、ご機嫌な賢者が歌う歌に和んだりと平和でとっても楽しい旅路であった。
「ゆうしゃさま」
「どうした?」
「おしめさま、ひとりぽっちでまつ、かわいそうです。あそぶしないで、はやくたすけるしないと、だめです」
さっきまで美味しそうにパンを頬張っていた賢者は、パン屑を付けながら真剣な表情でアシュレイに言った。
なぜかアシュレイを叱るような口調に、内心首を傾げながらも「その通りだ」と真剣な顔を作り頷いておく。
「えーと、じゃあ怪物と姫のいる場所に急ごうか。……ところで、賢者はその場所を知ってるか?」
「いだいなけんじゃが、しゅうかんいどーでつれていくです」
「瞬間移動? 凄いな、そんなのが使えるのか」
「えっへん!」
「さすが賢者。偉大だな」
「えへへ」
ならばもっと早く言ってくれたらいいのに、という言葉をアシュレイは飲み込んだ。勇者なので。
またまた、場面は変わる──
「ガオー!」
「ぴゃ〜〜! がおがおだ~~~っ!」
「『がおがお』?」
怖い怖いと言って足にしがみ付く賢者の頭をよしよしと撫でながら、『がおがお』とやらを見やる。
「もしかして、あれが怪物か?」
どう見てもシシーのお絵描き帳に描かれていた何かだ。
ペラペラで角が二本ある、見方によっては可愛い熊に見えないことも……ないこともなくもないこともない「ガオー」と鳴く『何か』である。
「がおがお、こわいよぉ」
賢者がぷえぷえ泣き出したので、アシュレイは剣を一振りした。
すると、怪物は、あっけなく消滅する。
「え、弱……これ、俺いらなかったんじゃないか?」
アシュレイは呟く。
だって、激弱だった。
あんな弱いのならアシュレイでなくてもよかった気がする。
訓練兵一人でも倒せそうだ。
「ゆうしゃさま、つよいですねえ」
「……そうか?」
「ゆうしゃさま、かっこいいです」
「はは、ありがとう」
しかしまあ。
こんなに可愛い女の子に褒められて、嫌な気持ちになる男はこの世にただの一人だっていやしない。
もちろんアシュレイも、例に漏れず良い気分である。
「もう怖い怪物はいないよ、賢者」
アシュレイが賢者の涙を拭っていると、今度は目の前に高い塔が出現した。
「とうにのぼるです。おしめさま、まってるですよ」
「じゃあ抱っこしよう。おいで」
「はあい」
「さあ、行こう」
アシュレイは、賢者を腕に抱き高い高い塔のてっぺんを目指し階段を上り始めた。
場面変わ(以下略)──
塔の頂上の部屋のベッドの上で眠っていたのは、アシュレイの妻だった。
「ジェーン!」
「じぇーんちがう。おしめさま」
「お姫様?」
「そうです。おしめさまのおねぼうさんは、きっすでなおるです」
「それ、俺がするんだよな? ……というか、俺以外の男はしてないよな?」
「たぶん、してないです」
「多分じゃ困るぞ、賢者」
「してない、おもうます」
「うん、そうだな。絶対そうだ」
「はやく、きっすしてください」
「あ、うん」
アシュレイが、じーーーっと賢者に見られながら、姫の頬に手を添えた、その瞬間。
唐突に、今いる世界が『夢』であると気付き、アシュレイは、目を覚ました。
「してから覚めさせてくれよ……」
夢の中のジェーンは、結婚式の花嫁衣装だった……滅茶苦茶、可愛かった。
「ねえさま、ししー、おねつさがった。ぴくにっく、いく」
「だーめ。今日は温かくしてお家にいるの」
「むう」
「そんな顔してもだめ」
「……」
「ピクニックは来週。ね?」
「……うん」
「いい子だね、シシー」
「ししー、いいこ?」
「とーってもいい子だよ。だからお家にいようね」
「わかった。ししー、いいこだから、おうちにいるっ」
姉妹の会話に目を細めながらソファーから立ち上がる──
「楽しそうだなあ」
「あっ、アシュレイ様も目が覚めたんですね。シシーもさっき目が覚めたんですよ」
「にいさま、ししー、おねつさがったです」
「そうか、よかった」
──夢の内容を話したら、二人はどんな顔をするだろうと想像しながら。
きっと二人はアシュレイの話を喜んで聞いてくれるだろう。
そんな予感は、アシュレイの心を温めた。




