めっちゃタイプだったってことね
胡散臭い男だ、とでも言いたげな警戒の目。
この顔に微笑まれて、そんな目で自分を見返す少女を、コーエンは大いに気に入った。
人身売買や武器の密輸に関わっている加虐趣味を持つ変態爺のことは、敢えて泳がせていた。
証拠は十分だったが、もう一つ二つ罪を重ねた所を押さえたかったのだ。
だから、コーエンはクラークソン姉妹を利用することにした。
姉のジェーンが男の書類に判を押し、人身売買の取引場所であり、商品を置く店舗でもあるアンサリの孤児院に妹のシシーが預けられた所で男を捕縛する手筈になっていたのだ、予定では。
コーエンは説明をしないまま利用することの罪悪感から、詫び料として利子分を払わなくていいようにするなど、姉妹に残された借金を軽くしてやるつもりだった。
しかし、どうしたことか吃驚仰天。
想定外のことが起こった。
記載内容に怒ったジェーンが書類を破り、幼い妹を連れて逃走したのである。
大人しく従順な少女だと聞いていたコーエンは彼女の行動に大変興味を惹かれた。
元々、姉妹に第一騎士団の副団長である自分がわざわざ会う必要も予定もなかったのだが……気になったら、自分で確認しないと気持ちが収まらないのがコーエン・バンクスである。
コーエンの部下がクラークソン姉妹を保護したのは、彼女達が逃げた日から数えてちょうど一か月目の夜だった。
田舎街から乗合馬車を乗り継ぎ王都の二つ隣の街までやって来たそうなのだが……正直、よく無事だったと思う。無茶が過ぎる。
「『国の英雄』を知ってるかな」
「……お名前だけなら存じ上げてます」
ジェーンはコーエンの瞳から質問の意味を読み取ろうと探る目を寄越す。
普段、女性からは熱い視線ばかり送られるコーエンは物珍しさから「へえ?」とつい声を漏らしてしまい、それがジェーンの警戒を更に深めた。
「君は、まだ結婚する気がある?」
「あの書類を読むまではありました。でも、今はありません」
「どうしても嫌?」
「嫌です。私はこの子と一緒にいます。その為なら……」
ジェーンは、続きの言葉を飲み込んだ。
妹に聞かせたくない内容だったのだろう。
ジェーンの腕の中にいる四歳になったばかりだという妹のシシーは、熱が高いのか赤い顔でぐったりとしていた。
「ね、さま、ねえさま……」
「どうしたの?」
「こわいひと、くる? ……こわい、やだ」
「姉様がいるから、大丈夫だよ。ねんねしようね」
末の息子と一つしか違わないはずの妹の身体はとても小さく、姉の服を握る手の力は弱々しい。
コーエンは早く医者に診せてやりたい、と強く思った。
「ねえ、あの爺よりマシな条件の男とならどう?」
「……まさか」
「そう、そのまさか。君は頭の回転も早いんだね」
コーエンが手を叩いてジェーンをわざと大袈裟に褒め称えると、ジェーンは不安そうに瞳を揺らした。
アシュレイを悪魔と呼ぶ噂の方が根強い田舎出身の娘だったことを思い出し、コーエンはこほんと空咳を一つ落とし己のふざけた態度を後悔した──気に入った者を揶揄うのはコーエンの良くない癖だ。
コーエンをよく知る人間はコーエンの悪癖を知っていなせるが、目の前の少女はそれを知らない。
しかし、今更繕えない。
可哀そうだが、アシュレイが悪魔なんかではないということは後で自分の目で確認してほしい。
「悪い話じゃないと思うんだ。アシュレイは広い屋敷を持っていて金もたんまりあるし、末端とはいえ騎士団の団長で実力は国一番だ。金遣いは荒くないし、曲がったことが嫌いで一途で優しい男だ。……と、まあ良い所しかないんだが如何せん、あいつは一代限りの士爵。だから、これ以上は出世が見込めない。戦争が終わってガチガチな貴族制度は幾分和らいだように見えるだろうけど、それはそう見えているだけで、基本的には身分が高い者が優先される。でも、俺はあいつにもっと出世してほしい。アシュレイほど信用に値する人間はいないからね。それに──」
本当は時間なんてたくさんあるのだが、迷う時間はないと思わせるように一気に話す。
「──あの爺よりは、千億倍も良い男だよ」
自分の人生の半分も生きていない小娘を言いくるめることは簡単だ。当然、罪悪感はない。
だって、コーエンの言葉に嘘は一つもないのだから。
「もちろん、君達が背負ってる借金はなくなる。それに、妹さんと君は一緒に暮らせる。今頷いてくれるなら腕の良い医者だって手配しよう。ああ、式までの間の仮住まいも用意するね。世話係も一人付けよう」
「……」
コーエンの言葉に、ジェーンはいつの間にか眠っていた妹の寝顔を数秒見る。
それから、ぎゅっと目を閉じ、細く息を吐いた。
「さて、どうする?」
ジェーンは、決意を湛えた緑の瞳をコーエンに向けて頷いた。
「あれあれ。あいつだよ。背の高い髭面の男。……見た目はちょーっと、もさっとしてるけど、髭剃ったらけっこうイケてる方だと思うんだよね、うん」
伸ばしっぱなしの髭と寝癖の付いたままのアシュレイは、控えめに言っても……残念な部類だ。
「えーっと、アシュレイは誠実だし、仲間思いだし、正義感が強いし、物理的にも精神的にも強いし、」
つらつらとフォローの言葉を並べながら、ちらりとジェーンを見やる──彼女の表情に嫌悪がないことを願いながら。
しかし、それは杞憂であった。
「あの方が……」
──ジェーンはそう呟いたきり口を閉ざし、じっとアシュレイを見つめていた。
その横顔から読み取れるのは嫌悪感などではなかった。
「当たり前だけど、あの後エリーには叱られたんだよね~。顔合わせもさせないまま結婚させるなんて何事か、って。でもさあ、結果的には良かったでしょ?」
コーエンの気安い態度にジェーンはくすくすと笑いながらも、しっかりと頷いた。
初対面の時のように、彼女がコーエンを警戒する感じは一切ない。
妻のエリーもジェーンのことを気に入って可愛がっていて、しょっちゅう茶会を開いている。
何をそんなに話すことがあるのかと思うが、エリーが楽しそうなので良しとしている。
「ジェーンは、初めてアシュレイを見た時どう思った?」
エリーとアシュレイが各々の友人達と話す為に離れている今がチャンスだ! と思ったコーエンは前々から気になっている質問をジェーンに投げた。
「姿勢の良いお方だと」
「うんうん、なるほどなるほど〜。あとは?」
「……え、と」
かあああっと顔を赤くしたジェーンに、コーエンはまたまた何度目かの感動を覚えた。
コーエンの笑顔には顔を赤くしたりなんか絶対しないのに、アシュレイの名前にはこんな反応を示すのだから、やはり自分には見る目というものがある。
「俺とジェーンの仲じゃない。こっそり教えてよ。ね?」
この台詞だけ切り取ると、まるでコーエンがジェーンを誘惑しているように見えるだろうが、コーエンにそんな意図は全くない。
「私には過ぎた方だと思っていたので、見目の良い方だと申し訳ない気持ちでいて……」
「ああ、だからあの時ほっとしてたんだね。で? 式で初めてあいつの顔を見た感想は?」
「……素敵な方だと思いました」
「具体的に」
「赤い目がとても綺麗で」
「ほう」
「爽やかで、鼻筋が通っていて、男らしい顔をしていて」
「ふうん?」
「肩幅が広いからか騎士服が凄く似合っていて、物語に出てくる騎士様よりもずっとずっと格好良くて、」
「ストップ! 分かった。もういい。お腹一杯。つまり、ジェーンの話をまとめるとアシュレイがめっちゃタイプだったってことね」
「……そんなまとめ方、嫌です」
「ジェーンって、アシュレイが初恋?」
「ち、違いますっ!」
「分かりやすい子だなあ」
「もうっ、違うって言ってるのに。……内緒にしてくださいね?」
「あはは。いやぁ、それは無理。だって、もう聞かれちゃってるもん」
「え?」
コーエンはけらけら笑いながら、ジェーンの後ろにいる人物の方を顎で指した。
「やだもうっ! いつから聞いてたんですか!?」
ジェーンの震え声に、アシュレイも耳を赤くして手で口元を覆っていた──ジェーンの質問の答えについてだが、自分の妻が顔を真っ赤にしているのを見て飛んでやった来たなどとアシュレイが言えるはずもなかった。
コーエンは、赤面している夫婦の間でエリーが迎えに来るまで空気を読まずに、にやにやしながら佇んでいた。
「困ったさんね」
エリーの言葉に、コーエンは「何のこと?」とすっとぼけた。
が。当然、彼女には通用しない。
「ジェーンったら首まで真っ赤だったじゃない。若い子を揶揄うのが楽しいのは分かるけど、ほどほどになさい。……で? 何のお話をしていたの?」
興味津々な妻の目がきらんと光るのを見て、コーエンは声を上げて笑った。
「あははっ。エリーこそほどほどにしなよ」
「あなたにだけは言われたくない」
「しっかし、さっきの二人には当てられたな」
「またそうやって話を逸らすんだから……でも、そうね。物語のワンシーンみたいでどきどきしちゃった」
──先ほど、アシュレイはジェーンの手を引いて、攫うようにパーティー会場から退場した。
眉を顰める者もいたがしかし、アシュレイとジェーンの仲の良さがアピールできたのではないだろうか。
下世話な噂話をジェーンに聞かせないようにするアシュレイを見ていたので、何とか力になりたいと思っていたが……結局、アシュレイは自分の力で噂を一蹴してしまった。
「あーなんか、子供達に会いたくなっちゃったなー」
「あら、では私達も帰りましょうか」
「うん」
子供達よ、だしにしてごめん──コーエンは心の中で心にもない謝罪をして、会場を後にしたのであった。




