とっても嬉しいんですよ
街の飾りと人々の気持ちが華やぐ季節。
今年も年末が近付いてきた。
年末は家族と一緒に過ごし、一緒に新年を迎えることが一般的な過ごし方だ。王都でも田舎でもそれは変わらない。
家族がいるものは家族と、恋人がいるものは恋人と。
または、独り者でも似たような仲間とつるんで酒を飲んで新しい年を祝う──アシュレイの過ごし方は毎年ほとんどこれだった。
仕事の合間に新年を迎えたことも何回かあるし、一度だけアンナ夫婦の年越しに呼ばれて参加したこともある。アンナの夫は穏やかで心優しい男で、息子夫婦も家族の集まりにアシュレイを快く迎えてくれた。
しかし、アシュレイはその一回きりでアンナの誘いを受けることはなくなった。
自分を邪魔だと思ってしまうからだ。
家族と過ごす年末が心底羨ましかった。それに、朝方の帰り道はとくに虚しかった。
でも、今年は家族と過ごせる。
今年はいろんなことがあった。
家族ができたし、来年には家族も増える。
アンナ夫婦や、希望があれば使用人達やその家族も参加を許そうと思ってそれを伝えると思いの外喜ばれ、ほとんどの使用人が参加となった。
準備はしなければいけないが、参加ができるパーティーを体験したことがない者ばかりなので皆がアシュレイに礼を言った。
アシュレイも元は平民なので彼ら彼女らの気持ちがよく分かる。
年末のパーティーは華やかなものにしたいという憧れがあるのだ。
家を飛び出したのは十三になったばかりだったが、それまでにアシュレイが家族と年を越した記憶はない。
部屋の窓から抜け出して屋根に上って空に上がる花火を見た記憶がアシュレイの一番心に残っている年末の記憶だ。少しぼやけていた花火を見て、父の部屋からくすねた高い酒に口を付けてせき込むまでがセットで思い出されて少し恥ずかしい。
あの時、アシュレイは家を出る決意をした。
「ししー、ねんまつぱーちーで『だいすきけーき』やくです」
ふふん、と得意顔のシシーにアシュレイは首を傾げた。
「『大好きケーキ』? って何だ?」
「えー、にいさま、しらないですか?」
知らない。何だ、その名前からして可愛いものは。
「私達の田舎で焼くケーキなんですよ」
だんだん腹の膨らみが目立つようになってきたジェーンがシシーと「ねー?」と言って笑い合う。
「そうなのか。ジェーンも焼くのか?」
「はい。チーズケーキを焼きます」
「美味そうだ」
チーズはアシュレイの好物だ。
肉も魚も野菜(ニンジンを除く)も好きだが、一等好きなのはチーズだ。もちろんチーズケーキも好きだ。
アンナに替わって料理長がクラークソン家の食事を管理するようになって食卓に好物が並ぶことが増え、食後にトレーニングをすることも増え、この年にして体が大きくなった気がする。
アシュレイは自分のことを『食に興味のない人間』だと思っていたが、家族で食事をすると美味しく感じるということを知り、日々食べ過ぎと戦っている。
「ししーは、いちごのけーき、つくるです!」
「ケーキの種類に決まりはないんだな」
シシーの言葉にふと疑問を感じてジェーンに聞くと、「えっと」と言いにくそうに視線を彷徨わせる。
耳と目の下が赤いジェーンは今日もとっても可愛いが、一体アシュレイの質問のどこに照れたのだろう。
「ケーキの味には何か意味があったりするのか?」
ちょっと問い詰めて意地悪したい気持ちが湧くが、シシーもいるので我慢することにした。偉い。
「新年のお祝いに焼くというのが起源なんだそうです、けど、今は……好きな人にあげるケーキという意味合いが強くて……相手の方の好物と自分の好物を使って焼いたケーキを二人で食べると、ずっと一緒にいれるっていう……あ、もちろん迷信なんですけど……」
言いながらどんどん真っ赤になっていくジェーンに、アシュレイはやられた。
……まいった、妻が可愛い。
いや、すんっっっごく可愛い。どうしよう。
嫌って怒られるくらい甘やかしたい衝動を隠していると、ジェーンはとどめを刺すかのように「食べてくれますか?」と両手を組んで懇願するように言うので、アシュレイはいつかのように『覚えてろ』と思うのであった。
「美味い」
甘さ控えめのチーズケーキをアシュレイは気に入った。炒ったナッツや木の実をタルト生地に練りこんであるのも食感が楽しい──ナッツや砂糖漬けの木の実はジェーンの好物だ。
それに何より、自分の為のケーキという事実が美味しい。
「本当ですか?」
「うん」
ほっとしているジェーンに、「来年も作ってほしい」と言うと嬉しそうに頷かれた。
ジェーンはアシュレイと結婚する前は、近所の人間と合同で『大好きケーキ』を作っていたらしい。これを聞いた時、アシュレイは安堵した。
正真正銘、彼女の『大好きケーキ』はアシュレイだけのものだ。
ちなみ『大好きケーキ』という呼び方はジェーンが幼い頃に命名したものだそうで、本来は『祝福のケーキ』というらしい。
シシーからも大きなスプーンでたっぷり掬った苺を使ったケーキを食べさせてもらった。「にいさま、いちごすきだから、ししーといっしょです」と自信満々に言われ、笑った。
いつか、シシーの『大好きケーキ』を食べる男が現れる日までの期間限定ではあるが、義妹の『大好きケーキ』はアシュレイのもののようだ。
「はなび! はなび!」
「綺麗ですね、お嬢様」
「きれいだねえ」
シシーとココとビル、使用人の子供達が窓にべたーっと額をくっつけて、空に上がる花火を見ている後ろ姿にアンナが温かいじゃがいものポタージュを持って声をかける。
裏ごしをしっかりしたアンナのポタージュは絶品だ。
特にパンをカリカリに焼いたものを浸して食べるのが美味い。多めに作っているようなので後でアシュレイも貰うつもりだ。
「王都では花火が上がるんですね」
隣にいるジェーンが窓の外を見ながら目を細める。
「ああ。他にも広場ではパンやスープや菓子が配られるんだ、第一皇子の意向でね。来年以降、行く機会があったら行こうか。街での年越しも結構楽しいよ」
「はい、是非。楽しみです」
「うん」
「ねえさまー!」
口にポタージュの白い髭を付けたシシーが、とてててーっと駆けて来たのでジェーンがシシーの口をナプキンで拭う。
「やーん」
「だって、シシーにお髭さんできてるんだもん」
「え~」
「はい、取れたよ。……それよりどうしたの? もう花火は見なくていいの?」
「ぽたぽたおいしかったの! ねえさまも、のも? にいさまも!」
「『ぽたぽた』?」
「ぽたぽた!」
「アンナが作ったポタージュのことだろう。貰ってくるよ」
アシュレイがそう言うと、ジェーンはアシュレイに礼を言った後シシーにも礼を言う。
「あのね、ぽたぽた、とってもおいしいんだよぉ」
「そうなの?」
「うんっ」
シシーはジェーンの膝に頭を乗せてゆらゆら揺れている。
あの甘え方はジェーンにしかしないものだ。
仲の良い姉妹にほっこりしながらポタージュを貰いに行くと、アンナがスープカップにたっぷりと温かいポタージュを注いでくれた。アシュレイの好きなカリカリに焼いたパンももちろんつけてくれる。
「こんな時くらい働かなくたっていいんだぞ、アンナ」
「いやですよぅ。自慢のポタージュを食べてもらうのは、私の楽しみなんですから」
「ならいいけど。無理はするなよ」
「分かってますよ。……ふふ、良かったですねぇ、旦那様」
「うん?」
「旦那様に素敵なご家族ができて、私はとっても嬉しいんですよ」
アンナは本当に嬉しそうだ。
「……心配かけたな」
「いいんですよ。それに心配くらいさせてくださいな」
「ああ。これからも頼むよ」
「はい。あ、ポタージュは熱いですからね。気を付けてくださいよぅ」
「はいはい、分かってるよ」
ジェーンとシシーの元に戻ると、シシーがジェーンの腹にこしょこしょと内緒話をしていた。
「貰ってきたけど、シシーも飲むか?」
「ひとくち、ください」
「もっと飲んでもいいぞ」
シシーが木のスプーンで掬ったポタージュを一生懸命ふうふうする横で、ジェーンも同じことをしていて頬が緩む。
「美味しいです。これ、アンナさんが作ったんですか?」
「うん。毎年冬になると作ってくれるんだ」
「こんなに美味しいものが飲めるなら、冬が好きになれそうです」
「……冬は嫌いだった?」
「田舎は雪が本当に凄くて、私は毎年冬が来ると憂鬱でした。シシーも寝込むことが多かったですし……あ、ごめんなさい、こんな話」
「いや、俺はもっと聞きたいよ」
「そうですか?」
「うん」
「にいさま、ししー、ねむねむ……」
ジェーンと会話している途中、静かだなと思っていたシシーはどうやらもうお眠のようで目がしょぼしょぼしていた。
「うん。おいで」
四分の一ほど減ったポタージュの入ったカップを片手に受け取って、空いている方の手でシシーを抱き上げるともうむにゃむにゃしている。普段はもうとっくに眠っている時間だから仕方ない。
ついでにポタージュの入ったコップに口を付ける。美味い。
そろそろ会もお開きだ。
でもいつものように虚しい気持ちは微塵もない。
「片付けは明日以降でいいから、今日はもう皆帰っていいぞ。あ、でもノラとココはちょっと手伝ってもらってもいいか?」
ジェーンの湯あみや、シシーの清拭や歯磨きを頼みたいと言うと、すぐに頷いてくれた。
「しっかり温まっておいで」
「はい」
丸い額が可愛くて口を寄せると、眠っていたと思っていたシシーがアシュレイとジェーンを交互に二回ずつ見てから、アシュレイに「ちゅう、してたですか?」とこそこそ耳打ちしてきた。
「うん、してた」
「どうしてするですか?」
「好きだから、かな」
「……ししーもするですっ」
「えっ」
アシュレイがシシーの言葉に驚くと同時に頬にぺとりと柔らかいものが当たり、次の瞬間にはシシーはジェーンに向かって「ねえさまとも、ちゅうするー!」と叫んで身を乗り出していた。
「ねえさまぁ」
むちゅうっとシシーがジェーンの頬に口を付けると、ジェーンはくすぐったそうに笑ってお返しにシシーの額に口付けた。
──新年まで、もう少し。
クラークソン家の年末の夜はこうして更けていった。




