阻止しようと思って
「ばあ」
アシュレイが逸らしていた顔を向けると、腕の中のメアリは笑った。
何が面白いのかメアリはよく笑う。
体を揺らしても、名前を呼んでも、何をしても、ふにゃあと笑う。
「メアリ、お父様だよ。分かるか?」
笑いかけると、メアリの小さな手がアシュレイの指を握った。
まだ視力が弱いこの子が声だけで父親を判断できているかは不明だが、もしかして分かってるのではないかと期待してしまう。
子供が可愛いのはシシーで知っていたが、赤ん坊がこんなにも可愛いだなんてアシュレイは知らなかった。
しまい方が分からないのか、いつもペロっと舌がはみ出ているメアリの可愛さったらもう……。
「にいさま、ししーも『ばあ』するです」
「うん」
「いなぁい、いなぁい……ばあっ!」
隣に座っていたシシーが手で隠していた顔を見せると、メアリは弾かれたように笑った。
さすがシシーだ、アシュレイの時よりも反応が良い。
「めーちゃん、かわいいねえ」
ぷに、とシシーがメアリの頬をつつくと、メアリはまたふにゃあと笑った。
年の差を考えればジェーンとシシーが姉妹というよりも、シシーとメアリが姉妹の方がしっくりくるし、シシーもメアリを妹だと思っている節がある。
だが、シシーには姉と叔母の違いは難しいので、それが分かる年齢までは勘違いしているままでいいということにしている。
何はともあれ、シシーは今日も『良いお姉さん』だ。
しかし、アシュレイには一つだけ気になることがあった。
それはメアリが生まれてからシシーが「だっこしてください」と言わなくなったことである。
もしかしたら、『良いお姉さん』の条件に「だっこしてください」を言わないことが含まれているのかも知れない。
そうであるならば訂正したい。だって寂しい。いや、シシーの成長は嬉しいのだが……義兄離れするにはまだ早いと思うのだ。
それに、シシーの可愛いおねだりや我が儘をアシュレイは気に入っている。
だからアシュレイは「だっこしてください」を復活させる為、口を開いた。
「シシーは最近『抱っこして』って言わなくなったな」
「はい! ししー、いいおねえさんだから、もういわないです。だっこ、がまんです」
「……ふむ」
アシュレイは、やっぱりそうかと思いながら考える。
解決策はすぐに思いついた。
言葉は悪いが、小さなシシーを丸め込むことなど大人のアシュレイには容易い。
「シシーの思う『良いお姉さん』って、ジェーンのことか?」
「?」
「えーと、シシーがお手本にしている『良いお姉さん』はジェーンで合ってるか?」
上手く伝わらなかったので、言い直すとシシーはこっくんと頷いた。
「はい! ししー、ねえさまみたいな、おねえさんなるですっ」
「なるほど。でもな? それだとシシーが『抱っこして』を我慢する理由にはならないと思うんだ」
シシーはアシュレイの言葉にぽかんとしている。
もっと簡単な言葉を使わないといけないのかも知れない。
さて、どういう風に言えばいいのだろう……と、思っているとジェーンがやってきた。
「ジェーン」
いいタイミングで来た、と嬉しくなると、ジェーンはぱっと顔を綻ばせた。
ジェーンはアシュレイが名前を呼ぶといつも嬉しそうに笑う。
メアリが生まれる前──結婚一年目、鈍感過ぎるアシュレイはこんなにも分かりやすい妻の好意に気付かずにいたのだが、今ではそれが信じられない。
鈍感は罪だ。
「アシュレイ様、シシーとメアリと遊んでくれてありがとうございます」
「むう。……ししー、めーちゃんあやしてたもん」
ソファーに腰を下ろしてにこにこするジェーンに、シシーはぷくっと頬を膨らませて姉に抗議する。
「ししー、いいおねえさんしたもんっ!」
「あ、そうだよね。ごめんね、シシー」
ぷんぷんしているシシーにジェーンが謝罪すると、傍にいたノラとココがすかさず「さすがシシーお嬢様ですね」「良いお姉さんぶりでしたよ!」とヨイショする。
実に良いチームプレイだ。勉強になる。
「姉様ね、シシーがメアリと遊んでくれるから本当に助かってるよ」
「えへへ」
シシーは褒められて照れてしまったのか、ジェーンの膝に顔を埋めた。
機嫌がすぐに良くなるのはシシーの美点だ。
そして。
アシュレイは今がチャンスだと思い、立ち上がってノラにメアリを預けた。
そしてソファーに座るジェーンの前にしゃがんだ──傍から見ればアシュレイはジェーンに跪いているように見えていたかも知れない。
「シシー、ちゃんと見てるんだぞ」
「にいさま?」
「アシュレイ様?」
アシュレイの言葉に姉妹の声が重なった次の瞬間、ジェーンの視界が高くなった。
アシュレイがジェーンを抱き上げたのだ。
「えっ!」
ジェーンが戸惑いの声を漏らすが「合わせて」と小さく呟いて、ジェーンの返事を待たずに目線を下にやってシシーに話しかける。
「ほらな? ジェーンは『良いお姉さん』だけど、抱っこされてる」
「いいおねえさんでも、だっこしてください、いいですか?」
「ああ、もちろん」
「ねえさま、いっつも、にいさまにだっこされてるの?」
「…………うん」
「いいおねえさんなのに?」
「そ、そうだよ」
ジェーンが真っ赤な顔で、無邪気な妹の質問にしどろもどろになりながら頷くと、シシーはぴょんっとソファーから降りて「やった! だっこ!」と跳ねてココと両手を繋いでくるくる回った。
「あの、アシュレイ様、これはどういう……?」
「シシーが『良いお姉さんは抱っこしてって言わない』なんて言うから、阻止しようと思って」
アシュレイが状況が分かっていないジェーンに小声で言い訳をすると、ジェーンは感激したのか本日一番の笑顔を見せた。
「シシーを可愛がってくれて、とっても嬉しいです。ありがとうございます」
「もしかして、シシーのおねだりがなくなったのはジェーンが何か言ったからだったりする?」
「……ごめんなさい。アシュレイ様を疑っているわけではないんです、けど……」
義妹よりも子供を可愛がって、そのことでシシーが傷付く前にシシー自身から離れさせようと考えたのだろうか。
「また色々考えて不安になってたんだな?」
ジェーンは、良くない勘違いをしてしまうことがある。
アシュレイと結婚するまで嫌な予感が全て的中してきたのであれば、それは当然かも知れない。
「心配なことがあるなら、何でも相談してほしい。一緒に考えよう」
「……はい」
「大丈夫だよ、ジェーン」
アシュレイがそう言うと、妻はアシュレイの首に手をまわしてきた。
ジェーンは泣いているようだ。
相変わらず、妻は泣き虫である。
でも、アシュレイはそれがちっとも嫌ではなかった。
嬉しい時に涙を流すジェーンを、もっと泣かせてみたいとすら思う。
「にいさま、だっこしてください」
「いいよ、おいで」
翌日からアシュレイの思惑通り、シシーの「だっこしてください」は復活した。
帰宅後、着替えを終えて食堂に行こうとドアを開けるとシシーが手を伸ばしていたのだ。
「えへへ。だっこ、うれしいです」
「俺も嬉しいよ。……なあ、シシー?」
「なんですか?」
「うん。何歳になっても、大好きな人には『大好きだ』って言って甘えてもいいんだ。俺にも、ジェーンにも、ずっと甘えてもいいんだよ」
アシュレイの言葉にシシーは首を傾げた。
「甘えられることが嬉しいってことを、シシーはこれから知っていく。そうしてシシーは大人になっていくんだ。もちろんメアリも」
「……ししー、たくさんあまえる、いいですか?」
「うん」
アシュレイの言葉の意味をシシーが理解したかは分からない。
でも分からないのなら、分かるまで教えてあげればいいだけだ。
アシュレイはシシーを抱えたまま腕を高く上げた。
「わあ! たかーい!」
「楽しいか?」
「たのしいです! もっかい、してくださいっ」
「はいはい」
アシュレイは満面の笑顔のシシーに満足しながら、いつまでもこれができるように鍛えようと心に決めたのであった。




