可愛いな
お転婆過ぎてコニーが大いに手を焼いていたシシーは、最近ほんの少しだけ大人しくなった。
本当に、ほんの少しだけだが。
その理由は、アシュレイとジェーンの第一子のメアリだ。
「めーちゃん、かわいいねえ」
「そうだね」
「おてて、ちいさいねえ」
「うん」
「あっ! めーちゃん、あくびしたよ」
「ふふ、そうだね」
シシーはメアリに夢中だ。
いや、シシーどころか家中の皆がメアリに夢中だ。
真ん丸な目を細めて娘のメアリを見つめる妹の頭を、ジェーンは撫でながら安堵していた──実はシシーのことは、娘に焼きもちを焼くのでは……と心配していたのだが、そんなことにはならなかった。
シシーは、まだ言葉が分からないであろうメアリにあれやこれやと話しかけて、にこにこしている。
本人曰く『お手本になる良いお姉さん』を目指しているようだ。
メアリは黒髪で、薄い緑色の目をしている女の子だ。
アシュレイの髪色と、ジェーンの瞳の色を持って生まれた娘の顔立ちはジェーンにも似ているし、アシュレイにも似ていている。
メアリが生まれた日、アシュレイは目に見えて大喜びした様子はなかった。
しかし、彼は言葉より態度で愛情を示す人なのだ。
その証拠に彼はメアリの世話を嫌がらずにしている。
大きなアシュレイが小さなメアリを抱いて微笑んでいる姿を見ると、ジェーンは胸の奥がきゅーっと掴まれたみたいになる。
アシュレイは自分のことを『平凡』だと本気で思っているし、それを望んでいる節があるけれど、彼は平凡ではないと思う──だって物凄く素敵な人だ。あんな人が平凡でどこにでもいる男の訳がない。
でもこんなことを口にしたら、呆れられてしまうことくらい知っているジェーンは、いつもこっそり夫にときめいている。
休日の午後、ジェーンはシシーと一緒にメアリをあやしていた。
あやすと言っても、メアリはなかなか泣かない良い子なので揺りかごをゆっくり揺らすくらいなのだが。
そんな平和な昼下がり──
「あっ、奥様……」
ノラが何かを思い出したようにジェーンを呼んだ。
「どうしたの?」
「さっき、アンナさんと話していて気付いたんですけど、奥様は旦那様と二人で出かけたことがないのです」
そういえば、そうだ。
いつもシシーと三人で出かけている。
「お嬢様は私共が見ていますから、お二人でお出かけしてきてはいかがでしょうか」
「……えっと」
「奥様は行きたくないのですか? 旦那様と街歩きはきっと楽しいですよ」
「それは……」
とっても楽しそうだ。
行きたい。
でも、アシュレイはどうだろう……せっかくの休日に遊びに行きたいなんて我が儘を言っていいのか分からない。
もしかしたら、家でゆっくりしたいかも知れない。
「──いいね、行こうか」
ジェーンが、うーんと考え込んでいる隙にいつの間にか来ていたアシュレイから声をかけられた。
「シシーは『お姉さん』だから留守番できるし、土産を買ってくればいいだろ」
最近のシシーは『お姉さんならできるよね』と言えば、特に聞き訳が良くなる。
「でも、お疲れではありませんか?」
「平気。それとも、ジェーンは行きたくない?」
「いえ、行きたいです!」
ジェーンは少し声が大きくなってしまってしまったが、アシュレイは揶揄ったりしなかった──ジェーンの勘違いでなければ、アシュレイは嬉しそうに見えた。
ジェーンの初デートの服は、襟と袖の折り返しが赤い色の白いワンピースにした。
ノラが、「こういう服が男性はお好きですから!」と力強く勧めるので決めた。
「うん、似合う」
シンプルなアシュレイの言葉に、ノラは不満げだったがジェーンは十分嬉しいので問題はない。
「いってらっしゃーい!」
アシュレイが何と言ってシシーを説得したのかは分からないが、姉夫婦を快く見送る妹の成長にジェーンは嬉しいような寂しいような気持ちになった。
「どうした?」
「シシーが『お姉さん』になるの、少し寂しいなあって……」
「そうだな」
アシュレイは、一言そう言って手を差し出す。
ジェーンは手を繋ぎながら思った──自分は彼の子供まで産んだというのに、いまだにこういったことに慣れないし、いつもどきどきする、と。
「どこに行こうか。ジェーンは行きたいところはある?」
「いえ、私は特に……」
「じゃあ適当に歩くか。ノラに今人気のカフェを教えてもらったから後で行こう」
「はい」
こういう時、やっぱりアシュレイは大人だなあ、と思う。
九つの年の差は、ジェーンの誕生日が来れば八つになるけれど大して縮まらない。
そんなことを思いながら街を適当にぶらついていると、ジェーンの視界にある店が飛び込んできた。
「あっ!」
「ん?」
「私、行きたいところ見つけました」
「どこ?」
「お洋服屋さんです」
「うん、いいよ」
「えっと、私のではなくて、アシュレイ様のお洋服を選びたいです」
「えー……俺の?」
「はい」
アンナが、アシュレイの似たような私服に文句を言っていたということもあるが、ジェーンが単に『旦那様の服選び』というものをしてみたかったのだ。
「んー、まあいいか。ジェーンの頼みだし」
とは言え、支払いはアシュレイなのだが……真剣に選ぶので大目に見てもらおう。
アシュレイを着せ替え……もとい、試着させ服を購入した後は、彼がノラに聞いたカフェにやって来た。
「一生分、服を着た気がする……」
「大袈裟です。アシュレイ様が私に買ってくれた分の半分も買っていません」
「俺が流行りの服を着てもなあ」
「でも似合ってました。今着てる服も似合いますし、他の服も凄く格好良かったです。あ、いつも格好良いですけど」
実際、ジェーンが選んだ服の中の一つを着ている今のアシュレイは、格好良い。
「…………うん」
ジェーンの言葉でアシュレイの顔が赤くなる。
──いつも赤面させられているが、そんなジェーンだって彼を顔を赤くできる術を知っているのだ、と思い出した瞬間である。
アシュレイは、いつも冷静で優しくてとても格好良いけれど、たまーに可愛くもなる。
今も耳たぶが真っ赤で、誤魔化すように頭を掻いている姿が可愛い。
「アシュレイ様、耳が真っ赤……可愛い」
ジェーンは、つい心の声が出てしまった。
可愛いなんて、男の人に言ってはいけないと思って、言わないようにしていたのに。
「……ジェーン、あまり外でそういうことは言わないように」
「は、はい。ごめんなさい」
怒らせた──と、思った。
が、違った。
「二人の時にならいいから」
「……は、い」
やっぱり、ジェーンは今日も夫に赤面させられるのだった。
「おかえりなさぁい」
夕飯前にデートを終えて帰ると、シシーが抱き着いてきた。
まだまだ甘えん坊の可愛い妹の体温に、ジェーンはほっとして抱きしめ返した。
「ただいま、シシー。お土産買ってきたよ」
「わあ、うさちゃん」
シシーは腕に収まるクリーム色のうさぎのぬいぐるみを、ぎゅうと抱き締めて「ありがとう」と笑った。
「使用人にもお土産にお菓子を買ってきたからね」
自宅に帰るアンナや通いの使用人達に挨拶をして、ノラやココに土産を渡した後、メアリの顔を見に行く。
メアリは乳母の手を借りないことにしているので、今日のデートは良い気分転換になった。
「メアリ、ただいま」
抱き上げると手足をぱたぱた動かすメアリに、頬が緩み口角が上がる。
「ご機嫌だな、メアリ」
隣で娘を覗き込むアシュレイが、メアリの頬をくすぐるように撫でる。
「お父様が格好良いからですね」
ジェーンは特に深く考えずにアシュレイを褒めた。いや、心のどこかでまた耳を赤くした彼を見たかったのかも知れない。
「あれ? 『可愛い』って、もう言わないの?」
赤い目を細めるアシュレイに、どきりと胸が鳴る。
「……なんだか、言うのが怖いです」
「どうして?」
どうして、って──
「……アシュレイ様、私が『可愛い』って言ったの怒っていますか?」
「いいや、怒ってない。……ただ、俺なんかよりジェーンの方が可愛いって教えてやろうかなって思っただけ」
肩にアシュレイの大きな手が回り、ジェーンの顔に影ができる。
──何だか、アシュレイの目の色が少し普段と違う気がする。
「あ、あ、あの、メアリが、見てます」
「親が仲が良いところは積極的に見せろって、先輩が言ってたから大丈夫」
何が、『大丈夫』なもんか。
ジェーンは全然、大丈夫ではない!
ジェーンはいつも恥ずかしいのに、アシュレイは慣れてきているのが本当にずるい。
「ジェーンは可愛いな」
「……ぁう」
耳元で囁かれた声は、夜の色を孕んでいた。
アシュレイは、新しい服や化粧にはさらっとしか褒めないくせに、二人きりになるとこういうことをすらすら言うのだ。
──しかし、アシュレイはそれ以上は何もしなかった。
それは、ジェーンがメアリを抱いていることもあるが、とたたた、とシシーの足音が部屋に近付いてきたからだ。
「ゆうごはんですよーっ!」
「はいはい」と言ってシシーを抱き上げるアシュレイはいつもの優しい夫の顔をしていた。
「もうっ、あなたのお父様って本当にずるい人なんだから!」
腕の中のメアリにぼやきながら、ジェーンは二人の後に続いた。




