ドライブ中に山に置き去りにされた女性の彼氏に反抗してみた1
その日、学校が休みの土曜日。奏介は姉の姫の運転する車の助手席に乗っていた。ぐねぐねとした山道を慎重に進んで行く。
「もう、スピードが出過ぎて怖いのよね」
母方の祖母の家へ行った帰り道だ。母、安友子が父方の実家へ遊びに行ったことを話したためか、『ずるい、うちにも遊びに来て!』と言われたらしい。
安友子自身は月一で顔を出しているため、今回は用事が重なった母の代わりに孫ズ(姉弟)で訪問してきたのだ。
「もうちょっとで山道ぬけるんじゃない」
奏介がナビを見ながら言う。電車では行けない山沿いの集落なので、安友子の車を借りてきたのだが、普段運転しない姫にとって山道は難易度が高かったようだ。
「菜恵おばあちゃんが喜んでたのは良かったけど、次はお母さんと一緒に行きたいわね」
奏介は苦笑を浮かべる。
「また近いうち来てって言ってたし、その時は運転任せれば?」
「まあでも、慣れればさすがに便利よね。自由に移動できるし」
姫がそう言った瞬間、急カーブの先に歩いている人が見えて急ブレーキを踏んだ。
「!」
一瞬シートベルトが食い込んだ。
「あっぶな。よかったぁ」
後方からも前方からも車は来ていないので、幸いだった。歩行者に接触することも、はねたり轢いたりすることもなく、停車することが出来た。
「ね、姉さん、気をつけて」
「ごめんごめん」
姫がアクセルを踏もうとして、歩行者の様子に首を傾げた。
「……あの人、大丈夫かしら」
姫に言われて先を歩く女性へ視線を向けた。薄着のワンピース姿、裸足で、手には右の足のパンプスを持っている。カバンや荷物も持っておらずふらふらと歩いていて、病人のようだ。
奏介は眉を寄せた。ワンピース、腰の辺りにこすったような汚れがついていて、肘に関しては擦り傷があるように見えた。
「もしかして事故でもあったのかしら」
「声、かけてみた方が良いかも。この先まだ山道だし」
奏介と姫は頷いて、路肩に車を停め、後ろから声をかける。
「あの、すみません」
振り返る女性は疲れ切った顔をしていて、はい、とだけ返事をした。
「大丈夫ですか。怪我をされているみたいだったので」
「……」
彼女は泣きそうな表情になる。年齢は二十前後だろうか。
「怪我が酷いなら、救急車呼びますけど」
奏介がスマホを取り出すと、首を横に振る。
「大丈夫、です。あ、いや。あの……もしご迷惑でなければ、ここにタクシーを呼んでもらえませんか。スマホや財布も手元になくて」
憔悴し切った表情で言うので、奏介と姫は顔を見合わせた。
「そういうことなら、近くの駅まで送りますよ。タクシーもそこで拾った方が早いし。どうしても信用できないってことなら、無理にとは言いませんけど」
女性は少し考え、疲れたように、
「では、すみませんがお願いします」
女性を後部座席に乗せて、出発した。
「あの、何かあったんですか? スマホも財布もなくこんな山道を歩いてるって普通じゃないと思うんですけど」
奏介が声をかける。警察に通報すべき案件の予感がする。
「ああ、いや。その、同棲してる彼氏と、ドライブの帰りに喧嘩をしてしまって。そしたら持ち物を取り上げられて山の中に置き去りにされたんです。ご心配おかけしてすみません。なんか、ありがとうございます」
「え」
奏介呆気に取られて目を瞬かせた。
時刻は午後三時半時過ぎ、ここから山道は車で三十分程で抜けるが、徒歩ならば一時間以上かかる。冬も近いので日が落ちると肌寒いどころではない。
「いやいやいや、置き去り? 喧嘩で? 信じられない男ね」
姫が叫ぶように言う。
「わ、私が悪いんです。不快なことを言って彼の機嫌を損ねてしまったから」
「いや、だとしてもそれはないですよ。特に荷物取り上げて放置するって悪意しかないです」
奏介は慌ててそう言う。
「でも、わたしどんくさいし、要領も悪いし、いつも失敗して彼氏に怒鳴られるんです。他人に迷惑をかけるなって言われてるのに……本当にすみません」
縮こまるようにいう。肩が震えていた。
彼女の名前は有田ヤチルというらしい。それだけ名乗った。話を聞いていくとヤチルの彼氏は彼女に暴言を吐くのが日常茶飯事らしい。そのせいか、彼女の自己肯定感は非常に低くなっており、置き去りにされたのは一〇〇%自分が悪いと思い込んでいるようだった。
以前、育児中の奥さんに暴言を吐きまくったモラハラ夫と遭遇したが、それと似たようなものかもしれない。違うのは物理的な制裁を与えていることだろうか。
「有田さん、俺はまったく関係ない立場なので強くは言えませんが、その人と一緒にいて辛くないですか?」
「……え?」
目を見開くヤチル。
「怒鳴られたり、こうやって置き去りにされて嫌じゃないですかね?」
「……もちろん、嫌ですけど、だって彼氏にそんなことを言ったら、また怒られます。前に、お仕置きでトイレに閉じ込められて二日くらい出してもらえなかったことがあるので、またそんなことになったら怖いです」
普通に警察案件だった。監禁罪である。
「姉さん、このまま警察行こう」
「そうね。駅の近くにあったし」
姉弟の流れるような会話にヤチルは目を見開いた。
「え、あ、やめて下さいっ、そんなことをしたらまた怒られます」
完全にモラハラ洗脳済みのようである。逃げ道を塞がれて、この状況から逃げようという思考を潰されている。
「落ち着いて下さい、有田さん」
奏介が後部座席を振り返る。
「怒られるとか怒られないとかの問題じゃないですよ」
「へ……?」
「有田さんの彼氏、多分、有田さんのことを殺そうとしてますよ」
奏介は自分の首を絞めるようなジェスチャーをする。
「え? ええ? そ、そんなこと、あるわけ」
「どう思う? 姉さん」
「話を聞いてたら分かるわ。どう考えても最終的にこの山に遺棄しようとしてるわよ」
「そ、そんな……?」
「だって、有田さんは殴られたり、トイレに閉じ込められたり、こうして寒い山の中に置き去りにされてるんですよね? 色んな方法で殺しに来てますよ」
ヤチルは青い顔をして小刻みに震えている。
「こ、殺される……?」
「とりあえず、警察に保護してもらいましょう」
説得していると、やがて、彼女の口から警察に行くと言ってくれたので、一緒に連れて行くことにした。
駅近くの警察署へはそれから三十分ほどで到着した。空は夕焼け、日が沈みかけている。建物から少し離れた端っこの駐車場へ停め、歩いて行くことにした。
しかし、車から離れてすぐ、三人の目の前にすらりとした体型の若い男が立ちふさがった。結構なイケメンである。
「探したよ、ヤチル」
男はにっこりと笑った。
「……っ!」
ヤチルの怯え具合を見ればすぐに分かる。この優男がモラハラ彼氏なのだろう。ヤチルは青い顔で冷や汗をかき、姫の腕を掴んでいる。
「さっきは悪かったよ。ほら、帰ろう」
「……」
「ほら、こっちに来なって」
「や、嫌っ」
強引に手首を掴んで引っ張ろうとしたところで、姫が思いっきりそれを手で弾いた。
「……あん? さっきから目障りだったんだけど、なんなの? お前ら」
「なんなのはこっちのセリフね。あんたどこの誰? ヤチルちゃんの何なのかしら?」
奏介も冷たい視線を送る。
「見ず知らずの女性の腕をいきなり掴もうとするとか、その気がなくても痴漢になりますよ? ヤチルさんの名前知ってるみたいですけど、本当に知り合いなんですか?」
キレの良い舌打ちが辺りに響いた。
「オレは、ヤチルの彼氏だ。同棲もしてる」
「へえ? ヤチルちゃんの彼氏ってあんたなのね」
「てか、お前らこそ、ヤチルの」
「「友達です」」
奏介と姫は食い気味に被せた。一瞬怯む彼氏。
「へ、へえ。ヤチルに友達なんかいたんだ? まあ、どうでもいいか。ほら、警察にまた迷惑かける前に帰るぞ」
奏介は首を傾げる。
「あれ、彼氏さんて確か、ドライブの途中でヤチルさんを車から突き落として怪我させて、スマホ破壊して財布盗んで逃げた人ですよね? こちらはその件で警察に来たんですけど、もしかして自首ですか?」
モラハラ男系です。モラハラ女系も書いてみたいところです。




