父親の説得を頼んでみた1
立派な門の柱には『市塚』という表札がかかっている。門扉の向こう側は和風建築の大きな屋敷が建っている。
須貝モモはため息をついて、敷地内へ足を踏み入れた。
玄関先で履き掃除をしているのは家政婦の一人だった。彼女はモモを見つけると、ふいっと視線をそらせ、そのままどこかへ行ってしまった。
母が亡くなり、父の家に預けられて二週間。食事や着替えなどが用意されないといったことはないが、家政婦達からは無視されている。母は元々この家の家政婦だった。屋敷主でイチヅカフーズという会社の社長の父とは一夜の過ちをおかし、モモを身籠ったらしい。
いわゆる妾の子というやつだ。父には正式な妻がいて、娘が一人いる。境遇的にモモが受け入れられるはずがないのだ。
玄関を開けて小さく、ただいまという。誰も答えてはくれないが。
靴を脱いで上がると、すぐに玄関の戸が開いた。
「ただいま」
スーツ姿の初老の男性を連れた少女が入ってきた。すると奥から家政婦がかけてくる。
「おかえりなさい、イリカお嬢様」
荷物を持ち、彼女が脱いだ靴を揃える家政婦達。
「あら、いましたのね」
向けられたのは嘲笑だった。モモは頭を下げる。
「おかえりなさい」
「あなたに言ってもらいたくはないですわね。さっさと部屋へ行きなさい? 目障りですわ」
モモはもう一度頭を下げて、屋敷の離れへと向かった。四畳半の小さな部屋だが、唯一落ち着ける場所だ。
食事は運ばれてくる。まるで牢屋に入れられたような気分だ。
夕方まで何をしよう。そんなことを考えていると。
入り口の戸がノックされた。
「え?」
慌てて戸を開けると、
「あ、ここが部屋?」
「へえ、狭くて落ち着くかも」
友人の橋間わかばと僧院ヒナだった。
「どうして」
「遊びに来ちゃった」
ヒナが歯を見せて笑う。
「なんか元気無さそうね。大丈夫?」
わかばが少し心配そうに言う。
「え、ええ。それよりここがよくわかったわね。二人とも」
「玄関のところで家政婦さんに聞いたのよ。なーんか嫌そうな顔してたけど」
わかばが肩をすくめる。
「そうなの」
モモは少し間を置いて、
「よかったら上がって。何もないのだけれど」
「差し入れ持ってきたから大丈夫だよ。ペットボトルのジュースと炭酸とお茶、後ポテトチップス」
沈んでいた気持ちが一気に引き上げられる気がした。
あっという間にプチ女子会になる。
「うぇ、そんな感じなの? 娘、性格悪そうね」
「……ええ、少なくとも私には当たりが強いから、そう感じるわ。でも当然よね。父親をたぶらかした女の子供なのだから」
「ボクが言うのもあれだけどお金持ちってめんどいよね……」
「絵に描いたようなお嬢様よ。ヒナみたいに話しやすくないし」
「うーん。ボクがなんか言ってやってもいいんだけど、家の付き合いとかあるしなー。あんまり言うとねぇ」
「あ、お金持ち同士だとそういうのあるのね」
わかばが苦笑を浮かべる。
「ちなみに性格悪い上に高飛車で高圧的で、わりと学校の勉強できないらしいよ。ボクの中でのあだ名は性格ぶっすーちゃん」
「さすがに酷すぎない?」
「だって、ボクの父さんのことバカにしまくるんだもん。この前、耳元で殴るよ? って言ったら静かになったけどね」
そう言ってジュースを一口。
「菅谷の影響がやばいんだけど」
「菅谷? それってこの前の」
床から見上げた冷たい目を思い出し、ぶるると体を震わせた。絶対に喧嘩を売ってはいけない相手だ。
「あっ、モモさボクんちで住み込みバイトしてみる? 雇うよ?」
モモは、はっとしてヒナを見た。
「え……」
「ね、厄介者扱いされてるなら、オッケー出るでしょ」
「さ、さすがお嬢様」
「ふふん。ただし、友達だからってお仕事は甘くしないよ? ちゃんと働いてもらうから」
「え、あ、良いの?」
「もちろん! 部屋用意して待ってるね?」
「え、ええ」
この家から出られるかもしれない。そう思ったら、気が楽になった。
今日、父が帰ったら頼んでみよう。
〇
翌日、モモの足取りは重かった。昨日のうちにヒナへ連絡を入れたのだが、父からの許可は出なかったのだ。仮にも市塚家の血を引いているのだから他の家に働きに出るのは許さない。そう怒鳴られた。
「市塚とか、知らないわよ」
ずっとこのままあの家に閉じ込められるのだろうか。気が重い。
それはそれとして、昼休み、二人に呼び出された。
中庭の自販機がそばにあるベンチだ。
「ん?」
中庭への出口へやって来たところで足を止めた。
人影は三人。
わかば、ヒナ、そして何故か男子の姿が。
「あ、あの人」
菅谷奏介だった。
(私が休んでいる間に何があったのかしら)
二人は彼と仲が良さそうに話しているのである。
わかばは喧嘩するほど仲が良い、といった様子で、ヒナに至っては懐いた子犬のよう。
「ん」
意を決し、歩み寄った。
「お待たせ」
三人が一斉に振り向く。
「やっと来たー」
「やっぱ沈んでるわね。平気?」
モモは頷いて、
菅谷奏介へ視線を向けた。
「こんにちは」
「ああ。須貝だっけ。なんかこいつらに頼まれたんだけど」
「頼まれた?」
「須貝の家出を手伝ってほしいって。なんかよく分からないから、詳しく聞かせて」
モモは目を瞬かせた。二人の意図が全く読めない。
放課後、モモはわかば、ヒナ、奏介と一緒に自宅へと戻って来た。
門の前、奏介が複雑そうにしている。
「なんでそんな複雑な家庭事情に俺が巻き込まれなきゃならないんだ。俺は何しに連れて来られたんだよ」
モモの境遇から何から、全て話した。わかばとヒナの意図は奏介に父親を説得してもらおうということらしい。
「得意でしょ。言い負かすのは」
「俺を便利屋だと勘違いしてない?」
「大丈夫、ボクも加勢するからさ。とりあえず、性格ぶっすーちゃんに言い返して」
「性格ぶっすーってその正妻の娘?」
「絶対あんた、あいつの物言いにムカつくから大丈夫よ」
「……わかったよ。言い返せばいいんだな?」
モモは奏介の顔を見やる。
「なんか、ごめんなさい。巻き込んじゃって」
「ああ、いや。巻き込んだのは橋間と僧院だから。須貝は気にすることないよ」
普通に優しい。先日は本当に怒らせてしまったのだろう。それも含め申し訳なく思う。
門をくぐって、玄関に入ると家政婦が廊下の掃除をしていた。モモを見るなりささっといなくなってしまう。
「感じ悪っ」
「あれ、酷いよね。誰でも傷つくって」
「とりあえず、私の部屋に」
廊下を歩き、離れへと向かう。と、前方から家政婦を引き連れた市塚家のお嬢様、イリカが現れた。
すれ違う瞬間にイリカがくすりと笑う。
「貧乏人共を引きつれて、何がしたいのかしら。ほんと、薄汚い不倫女の娘って感じですわ」
奏介は横目で彼女を見て、
「自分が会社を経営して稼いでるわけでもないのに金持ちアピールしながら、威張り散らして笑えるな。だっさ」
イリカは立ちどまって、勢いよく振り返る。奏介もゆっくりと、彼女と視線を合わせ、にやりと笑った。




