職場の人間関係を引っ掻き回す新人パートに反抗してみた3
「証、拠……」
店長の呟きに奏介は頷いた。
「身に覚えのない罪で辞めさせられるわけにはいかないので」
「いや、辞めさせるなんて。ただ、君がセクハラ紛いのことをしているなら、きちんと注意をしなければと」
「俺、随分と信用ないんですね」
本当に残念だ。そういう目で見られていたとは。
「いや、私も君と同じ年の頃にそういうことに興味を持ってしまってね。だからこそ、大人として言おうと」
「……店長、問題発言です。つまり、昔店長はセクハラしてたと?」
目をそらす変態店長。
「そ、そこまでは行かないけど、危なかったというかグレーゾーンというか。でもねっ」
店長はまっすぐにこちらを見てくる。
「もし、君もそうなら誰かが止めないといけないと思ったんだ。それに、こういう相談を放置するとまた面倒なことになるから一応の確認を」
「従業員からの相談があったなら確認は確かに必要でしょうけど、完全に最初から俺を疑ってましたよね?」
中立の立場とは思えない態度だった。
「いや、その……写真も見せられたから信じてしまって。……すみませんでした」
素直に頭を下げたので、その件はとりあえず置いておいて、
「この動画を見てもらえますか? その相談者さんの勤務態度を撮影させてもらいました」
スマホに映ったのは、休憩室内の椅子で楠原とお喋りをする近江の姿だ。彼女達の向こうダッシュボードにタイムカードの機械があり日にちと時間を示している。
「これは俺が出勤した直後に取った動画です。そして、これが一時間後、休憩室にゼリーやアイスのスプーンを補充するために入った時の様子」
明らかに隠し撮りだが、セクハラ冤罪がかかった戦いだ、とやかく言われる筋合いはない。さすがに店長は文句は言わなかったが。
「ん……?」
店長は眉を寄せる。一時間前と一時間後、近江と楠原は同じ状態でお喋りをしていたのだ。
「ほら、タイムカードの日にちと時刻表示を見れば一時間丸ごとサボっていたと分かりますよね?」
タイムカードの時間表示は特殊な鍵がないと変更できない。恐らく店長が持っているので従業員がこっそり改ざんするなんてことは出来ないだろう。
店長の顔がみるみるうちに険しくなっていく。
「まさか、こんな状態が毎日?」
「はい」
察したらしい。
「しかし、私が見回りする時はきちんと働いているが」
「二時間ごとに見回ってますよね? 時間で見て出てきてるみたいですよ。それで、このシーンみてもらえますか」
奏介と小川さんが二人に歩み寄る動画だった。この時は事前にカメラを仕掛けて置いたので、休憩室にいる四人の姿がバッチリ映っている。
以後、奏介、小川さん、近江、楠原の会話。
『近江さん、楠原さん、そろそろフロアに出てお仕事してもらえませんか? 出勤してきて何十分経ってるんですか』
『今、レジが大変だからお願いしたいんだけど……』
奏介、小川さんがそれぞれ言う。
『無理矢理仕事させようなんてパワハラでしょ?』
と、近江。
『レジなんて、パートリーダーなんだから小川さんが頑張ってよ』
と、楠原。二人で笑い合う。
『二人共、仕事しに来てるんですよね? そういう契約なんでしょ? なら仕事をして下さいってお願いするのはパワハラには当たらないでしょ』
近江がぎろりと睨んでくる。
『労働基準監督署に電話するわよ』
どうやら、労働に関する悩みを相談出来る機関らしい。脅し文句なのだろう。学校で言う、『教育委員会に電話する』的な意味で使っているようだ。
『この職場のブラックなところが噂になったら潰れてみんな働き口がなくなるんじゃない? それでもいいわけ?』
『そういえば、高平さんも文句言ってきたけど』
楠原の言葉に近江がうなずく。
「パワハラもパワハラよねぇ〜」
奏介は呆れてしまい、小川さんも引きつった表情を戻せなくなってしまったよう。
そこで動画が終わる。
「これは……」
変態疑惑がある店長、引き気味である。
「こういう感じなんですよ。ちなみに」
ボイスレコーダーのスイッチを入れる。
「こういうこともやってます」
一瞬ノイズが走り、
『近江さん達、それ、賞味期限まだあるものなんですけど? なんでバッグに入れてるんですか』
休憩室にて。つい昨日、近江と楠原が賞味期限間近の菓子パンなどをカバンに詰めているところを見つけたのだ。
『ああ、この菓子パン? もうすぐ切れるんだから良いじゃない』
『どうせ廃棄なんだから』
『いや、賞味期限切れてないんだから店頭に並べといてくださいよ。お金払ってないのに持って帰るとか』
百歩譲って、期限切れなら目を瞑るかもしれないが、これは立派な商品だ。値引きシールを貼れば買ってくれるお客さんもいるだろう。
『はぁ、うるさいうるさい。バイトのくせに』
『ほんとよねぇ〜』
ボイスレコーダースイッチオフ。
「俺、何か間違ったこと言ってます?」
「いや、君が正しいよ。これはもう窃盗だ」
奏介は頷いて、現像した写真を店長の前に置く。
「これが証拠写真です。動画は撮れませんでしたけど」
休憩室のドアの隙間から撮ったものだ。菓子パンなどをカバンに詰めている。
ちなみにスーパー飲食店の食材商品は期限切れであっても、持ち帰ることは原則禁止。腹を壊すなど体調不良が起こっても自己責任ということでオッケーを出す店もあるらしい。
「俺はことあるごとに注意してましたからね、それでセクハラで訴えて嫌がらせしてやろうということかと思います。ちなみに葉堂さんはそもそもああいう挙動なだけで、否定したならそれが本当のことだと思いますよ」
「な、なるほど」
しかし、店長は腕を組んで唸った。
「しかし、こういう人は私が呼び出して証拠を突き出してもあの手この手で残ろうとしてくるからね」
経験があるのだろう。苦虫を噛み潰したような顔になる。
「俺や他のパートさんやバイトにとっても凄く迷惑なので俺がなんとかしますよ。警察を介入させるのと、させないのだったらどっちの解決方法が良いですか」
店長の顔がさっと青ざめた。
「え、選べるなら、警察沙汰にするのだけは」
「分かりました」
奏介は頷いた。
その日の午後六時過ぎ。
奏介は休憩室で談笑中の二人に歩み寄った。
「またあなた達ですか。良い加減働きません?」
「はぁ」
近江のため息返し。
「うるさいわねぇ。あんた、周りから浮いてるの分からないの?」
ほぼ全員が不満に思っているのは確かだが、注意すると騒がれるため、誰も何も言わなくなっていた。
高平には自分に任せるように言ってある。
「周りからって、仕事して下さいって言ってるだけでしょ。……もしかして、体調不良か何かですか? 調子が悪いから動けないとか?」
近江と楠原は顔を見合わせ、
「あー、そうそう。辛くて立てないのよねぇ」
「今日寒いしー」
奏介は心底呆れて、
「そうですか。もう良いです」
そのまま休憩室を出ると、笑い声がいっそう大きく聞こえてきた。
○
店長が見回る時間。
いつものように近江はフロアへと出た。唯一覚えた仕事、店内の棚卸し作業を開始する。すると、すぐに店長がフロアに入ってきた。午後七時過ぎ。夕飯の買い物を終えた客達が店を出て行き、ようやく空いてきた。
「ああ、近江さん。仕事はどうですか。覚えました?」
「ええ、ゆっくりとですが、頑張って行きます」
店員達の白けた視線もなんのその、穏やかに笑む近江。
しかし、
「近江さん、その箱の商品、そこの棚じゃないです」
思いっ切り割って入ったのは奏介だった。
「え?」
「だしの素はお隣の棚です。そこは缶詰コーナー。後、乱暴にやってると箱の角がぶつかって 折れるので、丁寧にお願いします」
「なっ……!? ちょっと嫌がらせ!? 店長さんがいる前で」
もちろん嫌がらせだ。新人に対して行うと、大ダメージを負わせられる精神攻撃である。心をボキボキに折る、最低の行為だ。それはそれとして、
「嫌がらせというか、店長が見回りしている間しかお仕事しないので、今教えるしかないじゃないですか」
「……っ! 店長、こいつがあたしにパワハラとセクハラしたんですよっ」
びしっと指を指してくる近江。
店内フロアで叫ぶことではないだろう。
と、奏介のポケットでスマホが鳴った。店長にギャーギャー言っている近江の目を盗んで確認すると、高平からだった。準備が整ったようだ。
「サボりを注意しただけでセクハラとか言われても困るんですけど。パワハラでもないし」
店長は言い合いになりそうな雰囲気にあわあわしている。ちなみに彼には口出しはしないようにお願いしている。
「はぁ? こうやって嫌がらせしてんだから、パワハラでしょっ、それに言葉だけでもセクハラになるんだから」
「仕事のやり方について指摘しただけですよ。『はい、分かりました』で済むところをなんでそう騒ぎ立てるんですかね」
「あんたの教え方が悪いんでしょ!?」
「俺、教育係じゃないでしょ。ちなみに小川さんの教え方は上手いほうだと思いますけどね」
奏介は淡々と、感情を込めるでもなく言い返す。普通の話し声より小声だ。
近江は奏介を睨みつけて、
「店長、あたしこの子にいじめを受けてるんですよ。こうやって仕事のこととかグチグチと言われて心が折れそうで」
「気のせいじゃないですか? そもそも仕事してないし。サボってるし」
「なんですって? デタラメを」
「じゃあ、レジ出来るんですか? 入って二週間経ってますよね?」
「ぐっ……」
出来るわけがない。小川さんが教えていたのに放棄したのだ。
「それにあなたは」
「ほんっとにうるさいわねっ、このセクハラ男っ」
「……」
と、その時。
「お母さん、何やってんの」
近江ははっとして後ろを振り返った。そこにはセーラー服姿の女子中学生とスーツ姿の中年男性が立っていた。
「ミエ……あなた……?」
男性は口を半開きにしてポカンとしており、中学生は顔を真っ赤にして肩を震わせていた。
「信じらんない。お店の中で何考えてんのよ。外まで聞こえてたんだけど?」
彼女らの後ろには高平が立っている。奏介と目が合うと、何度か頷いた。
何故か……近江の娘&夫登場。




