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奏介と土岐と過去と現在

 弾力がある何かを潰したような、鈍い音がした。はっとして我に返ると、目の前にはこめかみから血を滲ませて倒れている菅谷奏介がいた。意識は失っているらしく、動かない。

「う……うあ……わ、わたし……?」

 震える手でモップの柄を見ると少量の血がついていた。

「あ、ああ」

 怒りで理性が飛んでしまった。まさか、彼は死んでしまったのだろうか。その恐怖にブルブルと震える。

 と、その時。

「あれ、開いてるね。お疲れ様です」

「……お疲れ様です」

 入ってきたのは椿水果と須貝モモだった。彼女達はモップを手に震えている土岐に眉を寄せる。

「どうしたんですか、せんせ」

 水果の目が見開かれる。

「菅谷っ」

「菅谷君っ」

 二人は慌てた様子で彼のそばにしゃがむ。

「……あ、大丈夫。生きてる」

 水果が彼の口元で呼吸を確認したようだ。

 それからこちらを睨んできた。

「土岐先生……」

「まさか、菅谷君を」

 モモが青ざめる。

「モモ、誰か呼んできてっ。出来れば男の先生をっ。あと、救急車」

 水果が鋭い声で言う。

「わ、わかったわ」

 モモが飛び出して行くと、水果はそばにあった長めの箒を掴んで剣道のような構えを取った。

「動くな。これ以上菅谷に近づいたらこっちも容赦しないよっ」

 水果が威嚇すると、土岐はその場に座り込んだ。

「ち、違う。違うの」

 モモはすぐに戻ってきた。一緒に入ってきたのは奏介のクラスの担任、山瀬だ。

「菅谷っ」

 彼は奏介のそばに膝をついた。

「大丈夫です。息はしてます。それより土岐先生を」

 水果が静かに言う。

「っ! なんでこんなことを」

 山瀬が焦ったように言う。

「違うのよ。そう、わたしは彼に襲われたの、とっさにモップで。これは正当防衛で」

 山瀬は拳を握りしめた。

「菅谷はそんなことをするやつじゃないですよっ」

 怒鳴られて土岐は震え上がった。

 やがてサイレンが聞こえ、救急車と警察が到着し……。


 土岐の手首に手錠がかけられたのだった。



○○○



 数時間後。

 市内の病院の一室にて。

「生きてたか、俺」

 ベッドに寝たまま、頭に包帯を巻かれた奏介がそう呟いた。

 そばでタオルを畳んでいた詩音が顔を引きつらせる。

「目が覚めて五分で不吉なこと言わないでよ……」

 奏介の母親は急いで担当医を呼びに行っているところだ。詩音は無理を言ってその母親についてきたのである。

「いや、殺人罪に出来なくて残念だ」

「奏ちゃん……」

「で、土岐は?」

「ああ、うん。逮捕されたよ」

 奏介は息を吐く。

「そっか」

「奏ちゃん、さすがに無謀だよ。自分を犠牲にしてまで」

「あの頃、俺がどれだけ辛かったか、俺にしかわからないだろ?」

 詩音は反論しようとして、諦めたようだ。

「…………そだね。わたしにとやかく言う権利はないかも」

「小学校の頃のことは今でも夢に見るんだ。過去が変わるわけじゃないけど、あいつは許さないし思い知らせておかないとな」

「宣言通り、土岐先生の人生潰したよね……」

「別に目が覚めなくても、それはそれでよかったんだけどな」

「奏ちゃんっ」

 見ると、詩音が真剣な顔をしていた。

「そんなこと言わないでよ。皆、悲しむよ」

 しばらく詩音の顔を見た後、奏介はふっと笑った。

「そうだな。まだ制裁加えてないクラスの奴らが十人以上いるし、死ぬわけに行かないよな」

「穏やかな表情で言わないでよ!?」

「いじめの証拠は全部取ってあるからな。今度はその辺りから責めるか」

「あぁ、もう」

 詩音は額に手を当てた。

 やがて母親が戻ってきて、担当医が診察を始めた。



 後日。

 風紀委員会議室にて。

 弁当を持って中へ入ると、皆揃っていた。

「あっ、菅谷くんっ、大丈夫!? 心配したんだよっ」

 そう声をあげたのはヒナである。

「まったく、あんたの行動力と執念は本物だわ」

 わかばが言って、

「よかった」

 モモが胸の前で手を合わせる。

「後遺症とかなくてよかったね、菅谷」

 水果の笑顔に少し申し訳なくなる。

「いや、演劇部の劇、延期になったんだったよね。ごめん、俺のせいで」

「いいさ、菅谷が無事だったからね」

「とりあえず、こっそり退院お祝いのケーキ持ち込んだから、食べようっ」

 詩音が白い箱を天井に掲げる。

「す、凄い。どうやって持ち込んだの?」

「それより半日、どこに置いておいたのよ?」

「家庭科室の冷蔵庫だって」

 それぞれヒナ、わかば、モモである。

「ケーキ?」

「皆で金出しあって、伊崎に任せたんだよ。予想外の来たよなー」

 真崎がいつものように笑っている。

 確かに、と奏介は思う。

 自分にこれ以上の何かがあったら、このメンバーは悲しんでくれるだろう。

 それは凄く、嬉しいことだと思った。

 そして、

『菅谷はそんなことをするやつじゃないですよっ』

 意識を失いながらも山瀬の言葉が耳に残っている。後で、改めてお礼に行かなければ。

普通に続きますが、なんかちょっと区切りの話っぽくなりましたねー。



※この物語はフィクションです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 奴らの所為で奏介の人格が変貌してしまったことについては取り返しがつかないけど、 山瀬先生や大山先生の存在がおそらく、 奏介が最後の一線を踏み越えさせないだろうなーという希望はありますよね。 …
[一言] 仮に奏介の発言をすべて録音録画されていたとしても別におかしな事を言ってないしな。 なんか知らんが痴女ってる人への言動としておかしくない。 多少、痴女の汚名をかぶせたことに釈然としない部分は…
[一言] 次は勿論裁判回とその後回ですよね? 当然被害者の主人公は呼ばれて証言するでしょうから更に追い詰められますね。凄い楽しみです。
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