名前
夏の暑さが少し薄れたきた。
お客さんたちの食欲も秋に向けて盛り上がっているようで、そのおかげかレイラの食堂はさらに繁盛している。
忙しさとともに嬉しいことにお給金もあがりました!
ほくほくと銅貨と銀貨を数えて、私は生活費を取り分けた後、残りの硬貨を半分に分けた。半分は貯金、そして半分はレティスフォント家へ―――
レティスフォント侯爵家が取り潰しに遭った後、私の両親はお父様の弟、レティスフォント伯爵の領地へ身を寄せている。
言い方を変えると王都に残すと何かしらやらかしそうな二人を無理やり隠居生活に押し込めている。
当然今までのような贅沢な生活は送らせないが、やはり生活費はかかる。
不労所得のない今、父母の必要経費は全て叔父――ディヤードおじさまが支払うことになってしまったのだ。
いくらこれが一番いい方法だとおじさまがおっしゃってくれてもやはり心苦しい。そして置手紙一つで行先も告げず飛び出した私の我儘で、さらにおじさまに心配をかけているかも知れないと思うと居ても立ってもいられず、私は定期的に手紙を書くことにした。
もちろん自分の居場所がばれるとまずいので、元気にやってるから~みたいな当たり障りのない挨拶や季節の話を書いて送っている。
レイラの食堂で働いて1年近くなった頃には少し余裕も出て、雀の涙のほどの貯金を仕送りと称して手紙に添えることにした。
エディエンヌとレティスフォント家から迷惑を蒙った人たちはたくさんいる。魂に三田恵の意識が混ざっても、エディーと名乗って生まれ変わったつもりでもその事実は変わりない。焼け石に水の自己満足だと分かっている。自分にできることなど大したことはないと分かっているけど、それでも少しでも償いになればと送り続けている。
おじさまへの手紙を書き終えて、もう一通書き始める。
秋になり狩猟で得る野生肉、ジビエが出回るようになって、郊外に食材収集に行ったとき農家にキジを分けてもらったのだけど、これがなかなかに難しい。家での試作でアパートのみんなに食べてもらって、おいしいと褒められたがあれはソースで味を誤魔化していると自分では分かっている。皮が硬いのか塩が馴染まないのだ。うまく馴染ませる方法をパウロさんなら知っているかもしれないので、授業の日まで待たずに手紙で聞くことにした。ついでにジビエ料理でなにかヒントをもらえないかと図々しく書き足す。
「よし、と」
帰ったら残りのキジ肉でソーセージにチャレンジしてみようかなと、そう考えながら私は一目散に近所の配達請負所へ向かった。
・・・
手紙は王都内であれば銅貨1枚で送れる。手続きも簡単なのでさっさと手配をお願いして帰途に就いた。できれば少しでも節約したいのだが、おじさまもパウロさんも住んでいるところは貴族の家が林立する高級住宅街のため、正体がばれる危険を冒して近づけないのである。
そう、正体。
あれからダガート様に何度もお会いしているが、本気の本気であの人は私の正体に気付いていない。
おいおい、顔を覚えてないのかよ、それで騎士が務まるのかよと思わず突っ込みたくなるほど気付かない。
それどころかなんか、ダガート様ってあんな人懐っこかったのかというぐらい、こちらによく話しかけたり笑いかけたりする。
常連のおじさんがこれは本格的にいけるかも、と囃し立てるがマジで勘弁してほしい。
もし私があれほど軽蔑していたエディエンヌ・レティスフォントだとばれたら、武人で一本気なダガート様は愚弄されたと怒り狂うかも知れない。
自分を守ってくれる家がない現状だと、下手すると剣の錆に―――
「エディー?」
「だぁあ!?」
いきなり低い声で名前を呼ばれて、色気も何もない悲鳴を上げて振り向くと、少し驚いたような顔でダガート様が立っていた。
「すまない。驚かせたか」
「あ、あぅ、いえ…」
バクバクした心臓の音を聞きながら努めて冷静に答える。
「今日昼に食堂に行ったのだが、エディーはいなかったんだな」
「あ、はい。今日は休みですので」
「ちゃんと休みがあるのか。いい職場だな」
「ええ、本当に私にはもったいないぐらいいいところで…。騎士様はお休みがあるのですか?」
し、しまった。会話を続けさせてどうする。
「ああ。もちろんあるぞ。忙しくなければ週に1日か2日はある」
「それは羨ましいですね」
「なんだ、転職したいのか?その代り有事は休みなど吹っ飛ぶぞ?」
ダガート様が冗談っぽく言う。
「それは…大変ですね。騎士様、いつもお仕事お疲れ様です」
ぴょこんと頭を下げるとダガート様はちょっと困ったように笑う。
「ダガートだ」
「はい?」
「俺の名前。いい加減覚えてくれ」
……。
ええ、ええ、全力で覚えておりますとも。忘れるものですか。
『あ~らごきげんようダガート様。そんな下賤な者と親しくしていたらダガート様の品位が疑われてしまいますよ?』
などと呼んでいた日々を。思い出すたびに身悶えしてしまう黒歴史を。
ここで「ダガート様」と昔と同じ呼び方をしたら下手すると思い出されるかもしれないかと、こっちは頑張って回避しようとしてるんですぅ!
だからといって皆と同じ「ダガートさん」と呼ぶ勇気もない。なにせダガート様は周囲には言ってないようだけど公爵のご子息。不敬罪も怖いがそれよりも悪役令嬢に「ダガートさん」と気安く呼ばれてたと、万一正体露見してダガート様がそのことに気付いたら下手すると憤死されかねない!
そんな思いなど露ほども知らずダガート様は言葉を続ける。
「イエンは隊長さんと呼んでるだろ?俺も同じ隊長だから名前で呼べば区別もつく」
いや、それなら「騎士様」で十分区別つくから。ツッコミを入れたくなるのを我慢していると、ふと声の響きが変わった。
「だめだろうか?」
真面目な顔でじっとこちらを見下ろされて思わずどぎまぎした。なんかフラグっぽいものが立った気がするけど、つい乙女ゲームのスチルが絶妙な加減に現実化したダガート様を観察してしまう。
黒い目と言っても日本人の焦げ茶色の虹彩と違い、よく見ると青みがかった深い深い闇色の瞳。こんな近い距離からダガート様の瞳の色を観察できるなんて学園時代には想像もできなかった。
騎士をやっているだけあって顔は日に焼けてて、よく見たら薄い傷がついているのが逆に精悍な印象を強めている。
スチルでは分からなかったリアルな細部を目の当たりにし何ともいえない感情がこみ上がる。見惚れて気付くとダガート様が不安そうな顔になっていて慌てて答えた。
「わ、分かりました…」
「ああ」
あからさまにホッとした顔になり次いで嬉しそうに笑いかけられ心拍数が一気に上がった。
待て!お前無口無表情キャラじゃないのかよ!!なんだこの謎の押し!?ゲームではヒロインの方がんがん押してやっと落とせるキャラなのに!パッケージの人物紹介に書いてあった「寡黙で武骨な騎士」どこいった!?
脳内パニックになりながら退路を探していた私にダガート様はとどめとばかりに言う。
「じゃあ今から呼んでみろ」
「……」
衛生兵どこだ!しんがりは任せた!!これより戦略的撤退だーーーー!!
「ダ…」
「ん?」
「ダガート…隊長…」
「おい」
結局「ダガート様」と呼ぶまで解放してくれず、しかもついでにと家まで送られた。
そのあとはそのあとでアパートのみんなに「あれは誰?彼氏?」と追及され、もはやソーセージを作る気力もなく、私は疲労困憊になってベッドに沈みながら乙女ゲーの恐ろしさを噛みしめたのだった。
ここは乙女ゲームの世界だ。料理道を夢中で歩んで気づかなかったが、ダガート様との出会いで嫌というほどそれを実感した。
なんかこう、神様、レティスフォント家尻拭いの報酬のつもりか?この先ハッピーエンド確定なら遠慮なく恋を楽しませてもらうが、自分と相手の立ち位置を冷静に分析すると泥沼しか待ち構えてない気がする。
ここはアラフォー喪女のバリアー力を駆使して回避につとめたい。
残念恋愛タグついてます。




