夏の夜
数日後の夜。巡回を終え、他の仕事に向かう部下と別れたダガートは一人馬上で揺られながら考えた。
今から騎士寮に戻ればまだ食堂はやっているが、正直急いで戻ってまで食べたいものではない。
この近くの店で……何日か前、イエンに連れられて行った食堂はうまかった。
夜もやっていたはずだし距離的にもこちらの方が近いのだからそこで夕食を取ろう。
そう決めてダガートは下町にある屯所に馬を預けるため方向を変えた。
夜の食堂は酔客で騒然としていると考えていたダガートは、レイラの食堂が意外と落ち着いてることに少し驚いた。
笑いさざめく声は聞こえるが、客たちはみんなリラックスして食事と酒を楽しんでいる様子である。
今度は期待を込めて店に入った。
・・・
やはりうまい。
テリーヌを食べ終えホっと息をつく。ワインは安物だが食事とよく合う。
ダガートは品評家でも食通でもないので料理について細かいことは分からないが、ここの味は単純に自分の好みに合っている、と思う。
昼と夜の雰囲気は違うがどちらも嫌いではない。
チラと厨房の方を見ると相変わらず金髪の少年…いや少女がひっきりなしに出入りしている。
ただ昼と違って少し余裕があるのか、常連らしい客がカウンター越しに声をかけると笑顔で応じる。
「エディーちゃん次の試食会いつかな?」
「えーとすいませんそれは不定期なんで…」
「えー?どうせなら日にち決めようよ」
傍に立ってる食堂のおかみが苦笑して嗜める。
「そもそも試食会は私らの賄いを兼ねてるんだ。思いつきでやってるのに日にちなんて決まらないよ」
「そこをさあ、本日は試食の日みたいにやって新メニューをずらっと出したらどうだ?きっと繁盛すると思うよ?」
「冗談じゃない。まとめての仕入れが利かなくて割高になっちまうよ」
ばっさりと却下された常連客はそれでも食い下がる。
「んじゃあの鴨のなんとか煮込み?あれをせめてメニューに載せてくれよぉ。うまかったんだ」
「なんだい、鴨のセビーチェが目当てかい?あれは煮込みじゃなくて…いやまあ、それなら近いうちに出すよ」
「お、なんだ、やった!」
どうやら新メニューが登場しそうだ。会話を聞きながらダガートはカウンターに近づいた。
「馳走になった」
銅貨をカウンターに置きながら少女に目をやると、なぜか顔がこわばっていた。今日はイエン曰く「難しい顔」にはなっていないはずだが…。
「あら、先日隊長さんと一緒に来た騎士様じゃないかい。ウチの味が気に入った?」
「ああうまかった。特にメインの豚がな。コック長にも伝えてくれ」
「だってさ!よかったねエディー!」
どうやらこの少女が作ったものらしい。そういわれると豚肉にトマトやらなにやら包み込んで、おそらく蒸し焼きにした料理は少し女性的な柔らかい味な気もする。
褒められて戸惑っているのか答えれない少女の代わりにおかみが口を開く。
「気に入ってくれてなによりですよ。ウチはエディーのおかげで色々と斬新なメニューが出たりもするから、もし騎士様の口に合うならまた来てくださいな」
「ああ、イエンと同じ中隊長のダガートだ。また来る」
それを聞いて目を瞠った少女に笑いかける。
「新メニュー楽しみにしている。ごちそうさま」
「またぜひいらっしゃいね」
おかみの声を背に店を出る。
今度の巡回はいつだったか…昼に合わせるのは少し難しそうだが夜なら早めに勤務が終わった日にここを訪れられそうだ。
ここの屯所に所属していればもっと立ち寄れるのだが…。ダガートは少しばかりイエンが羨ましくなった。
・・・・・・・・・・・・
なななななぁぜにダガート様がここにいい!?
カウンターに近づく騎士の顔を見て私の脳内でジョーズのテーマが鳴り響いた。
「馳走になった」
なんだ来るのか?かかってこい!!??
脳内錯乱状態になりまったく反応できないでいると、彼はなにやら話を続け、ふっと私に笑いかけて機嫌よさそうに店を出て行った。
呆然とする私にレイラさんが声をかける。
「よかったね、騎士の隊長さんがあんたの腕にほれ込んだようで」
「え?」
「しかも若くていい男だな。エディーちゃん腕によりをかけて胃袋を掴んだらもしかしたらもしかするよ?」
常連客のおじさんがニヤニヤ笑いながら話しかけると、レイラさんも笑いながらばしっとおじさんの肩をはたいた。
「いてっ」
「ちょっとおやめよ!エディーが抜けたらウチが大変なんだから」
「へへ、でも騎士様なら玉の輿だろ?今度お相手がいるかどうかおじさんが聞いてみるよ」
「え?いえええ、いえいえいえ、結構です!!」
ふと正気に戻って全力で拒否する。冗談じゃない!
「届けこの愛~ジュリメイト学園の春~」攻略対象の一人ダガート・クレメイン。
学園で爵位はく奪を王子から告げられた時、表情を消しながらも、明らかに軽蔑の色を目に浮かべた彼もその場にいた。
不正を嫌う彼の気質からしたら、平民で優秀という理由でヒロインを卑怯な手でいじめたエディエンヌなど受け入れがたい醜悪な存在でしかない。
そのダガートが私に笑いかけて「また来る」などと話しかける理由は一つ。
「気付いてないのかよ…!」
がくっと肩を落とすとレイラさんが心配そうに声をかける。
「どうしたの?エディー?」
「あ、いえ」
慌てて顔を上げる。
「普段接客にあまり慣れていないものだから、騎士様相手でなおのこと緊張してしまって…」
なんとか誤魔化そうとするとおじちゃんがまた目をキランと光らせた。
「しかも飛び切りの色男とくりゃあ、な?やっぱりエディーちゃんも悪い気はしなかっただろ?おじちゃんひと肌脱いじゃうよ?」
勘弁してくれ…。
この後私は引き攣った顔で全力でお断りしたのは言うまでもない。
・・・・・・・・・・・・
レイラの食堂に何回か通って、ダガートはいくつか分かったことがある。
少女の名前はエディー。コック長の娘だと思ってたがどうやらただの雇われだったようだ。
基本的にコック長とエディーの二人でキッチンを回しているが、昼はコック長がメイン、夜はエディーがメインを作ることが多い。
おそらく昼間は調理場が戦場と化しやすいので体力があるコック長でないと勤めれないのかもしれない。
双方がたとえ同じ料理を作っても違いが出るようで、ダガートは昼間のコック長の豪快な料理も嫌いではないが、やはりエディーのが好みだった。
彼女の作る料理はなんというか丁寧でどこか軽快だ。
実際あの後何回か言葉を交わしたが、下町の娘にしては彼女は言葉遣いや所作がどこか上品かつ繊細で本人の作る料理と似ている。
特にエディーが作った新メニューの試作はそんな彼女の気質が色濃く出た。
試作は運が良ければ常連客がご相伴に預かることができ、ダガートも一回だけ味見させてもらった。
ウズラと夏野菜にさくらんぼジャムを絡ませた料理を新鮮な驚きと共に平らげると彼女は困ったように笑う。
「いつもの悪い癖で、趣味に走りすぎました」
「いや、味付けに驚いたが、俺はうまいと思う」
素直に賞賛の言葉をかけると、今度は照れながらも嬉しそうに笑う。
夏の青空のように屈託なく笑うその顔を見るとイエンの言葉を思い出した。
『どうだ?うまいもんがさらにうまく感じるだろ?』
ああ、まったくその通りだな―――
速攻で胃袋掴まれたダガート様。




