遭難
収穫の月に入り晩餐会の日にちが決まった。
収穫祭当日。各国から招かれた賓客は騎士のトーナメントを観戦するなど祭りを楽しんだ後に晩餐会で締めくくられるわけだ。残念ながら収穫祭でレイラの食堂を手伝うこともダガート様の試合を応援することもできない。晩餐会にこの無念をぶつけて燃え尽きるしかない。そのはずだったのに…
やあみなさんこんにちは、さて、私は今どこにいるでしょ~~~~かっ?
答え:谷底
もうちょっと正確に言うなら沢の傍なのだけど、転落したのには違いない。なんでこうなったかというと話は半日前に遡る。
「それではちょっと山菜を取ってきます!」
うん、この一言で大体察せると思うけどちょっと待って欲しい。確かに足を滑らせて沢に落ちたのだがそこにはのっぴきならない事情があったのだ。
収穫祭のその日にできるだけ新鮮な食材をと思い夜も明けないうちに出かけ、いつもの調子ですいすいいつもの山に分け入って見当をつけていた採取ポイントに到達した。
今考えると道を逸れた上に背の高い藪の中を進んだため意図せず対象を見失わせる動きになっていたと思う。だが足を止め採取を始めてすぐに近くから複数の人間の気配がして声が聞こえた。
「いたぞ!」
「くそ、ちょろまかと…」
「そいつだ、捕まえろ」
その気配、というかすでに木立から見え隠れする人影はまっすぐにこちらを向かってきている。一瞬だけ固まりすぐに背を向けて走り出した。
「おい逃げたぞ!」
「待てっ!」
背中から聞こえる声は危険を喚起する登山客のようなたぐいではなく、明らかに害意が含まれていた。我ながらよく反射的に逃げ出せたと思う。
一旦尾根を下り月桂樹をよく採取する灌木が生い茂る一帯を抜け、そこからまた登って山道に出て近くの集落に逃れよう。そう冷静に判断を出して実際に追っ手を撒いたまではいいが、沢に転落してしまったのである。
「完全に遭難フラグ…」
とりあえず切り傷擦り傷はいいとして骨や関節は無事か確認する。…多分大丈夫。興奮して痛みを感じないだけかも知れないけど、少なくとも動けるようだ。
「よかった…」
周囲を確認したがさすがに現在位置を特定できるほどのサバイバル能力はない。転落した斜面を見上げた。登るのが難しい角度でよくも大した怪我せず済んだとぞっとする。道へ出る当初の予定を変更し、沢の下流に向かって歩き始めた。落差で道が途切れなければいいけど…。
石がごろごろあって歩きにくいところを慎重に進みながら考える。人の恨みを買った覚えはないけど、素人同然の元貴族が調理に口を出すのを嫌がる料理人の誰か、という考えが浮き上がり慌てて打ち消して自己嫌悪に陥る。
ミザンヤさんはじめ皆さんプロだ。晩餐会に水を差すようなことはプロの誇りが許すはずがない。となると王太子妃主催の晩餐会でリリアーナ様への嫌がらせの一環の可能性もある。陰謀とかそういうレベルのものとなると追跡も執拗になり集落にたどりついても嗅ぎ付いてくるかもしれない。考えれば考えるほど思考がマイナスに陥り、私は半べそになりながらのろのろと歩き続けた。
恐れていた通り、沢は途中で小さな滝となってゆく手を阻む。引き返すかしばし逡巡したあと私はとにかく慎重に滝のそばを降りることに決めた。日はすでに高くなっており、パウロさんたちが私が帰ってこないことに気付いて欲しいなと期待しながら、小さな滝の脇を降りるというより腹ばいに滑るといった体で下りて行った。
半ばまで行った時、微かに人の声が聞こえた気がした。動きを止めじっと耳を澄ませると確かに人の声だ。一瞬声を上げようとしたが追っ手かもしれないと思うと声が出なくなった。葛藤しながらじりじり待つと気配もなくなったが私は相変わらず動けずにいた。なんで自分がこんな目に遭っているのか理不尽な思いが込みあがってきて涙がこぼれ始める。
「…ふっ、うっ、ダガート様…」
あの人の名前をつぶやいたところで王子様のように颯爽と現れるわけでもない。目元を袖でぐいっと拭い、乙女ゲームならそれぐらいの演出をしてもらいたいなどと誰に言うでもなく悪態をついて私は再び沢を降り始めた。
滝を降りてから2時間か3時間経っただろうか、沢の両脇の傾斜が心持ゆるくなった気がして私は沢からの脱出を試みることになった。そこらのツタや枝を必死に引っ張りながら少しずつ上ると道らしいところに出れて心底ほっとした。思わずがくっとしゃがみこみそうになったがなんとか力の抜けた足を励まし今度は道沿いに歩き始める。
少し歩くと途端視界が少し開けて空に人里の煮炊きの細い煙が幾筋も見え、逸る心を抑えることなく歩く速度を上げた。
「あっおい!」
「そいつだ!!」
そっちかよ!!お呼びではない!!
声が後ろから聞こえるのに感謝しつつ私は猛然と走り出した。ここまで来て捕まってたまるか!
集落にかなり近づいても追っ手の足音は続いていた、むしろ距離を詰められている。畑仕事をしているじっちゃんばあちゃん程度邪魔にならないと踏んだのか、こうなったら自分で鍬でも鋤でも斧でも、なんでもいいから武器を見つけて最後まで抵抗してやる!私は必死に村に駆け込んだ。
数軒の民家と畑がこじんまりと集まっている村は人の気配がなく軽く絶望しかける。だが村の中央まで行くと小さな広場があり、そこに馬といくつかの人影があった。紺色のマントに包まれた青灰色の制服のそれは―――
騎士だあああああああ!!!
こちらに気付いて騎士たちが身構えたが気にせず最後の力を振り絞って駆け寄り一番近い騎士さまのマントにしがみつく。
「た、だず、け、はぁー、だずけて、ださい…っ」
ここまでの全力疾走で息も絶え絶え、言葉も上手く出ないが、とにかく後ろを指さし必死に助けを求めた。
視界にいかにもゴロツキといった感じの男が何人も広場に飛び込み、騎士の姿にぎょっと足を止め慌てて引き返した。が、私がしがみついた騎士さまを残し、広場にいた騎士たちは一斉に追いかける。騎馬も2名混じっていたので逃げきれないだろう。ざまぁ。
私はようやっと気が抜け、いくつものユリ根が足元を転がるのも構わず地面に崩れ落ちた。
追われようが遭難しようがこのユリ根は離さない! (`・ω・´)




