あと少しの距離
―――誇りを持っています(ドヤァ)
じゃないよ。何格好つけてるんだ私は。
ミナールとシェリーヌとの対決でええ格好しいを引きずってしまったのか。
エディエンヌ嬢にとってはほんとうに大変なことでもダガート様にとっては当たり前のことだし三田恵から見ても自活なんざ基本中の基本だろうが!
言ってすぐに後悔してじゃあなぜそんなことを言ったと自己嫌悪の嵐にまみれているとダガート様が口を開いた。
「君は」
「え?はい」
「君はやはり―――エディエンヌ・レティスフォントなのだな」
そう言いながら、ダガート様は手を伸ばし、私の頬を撫でた。
……。
ああうん、うん?
ダガート様なんか台詞と行動が合ってませんよ?というかなぜ目を細めてこちらを見るのでしょうか。
手…ちょっと指先が冷えて…いや私の頬が熱いのか?うわあああ意識すると心拍数上がってきたああああ!!
「エディー」
「は、ははいいい!?」
「俺と結婚してくれ」
・・・・・・・・・・・・
「なに断ってるんだよ。お前にはもったいないぐらいの話だろ」
年が明けしばらくは寒さが続いたが、それもどんどん和らいできた。
市場には初春の野菜がぽつぽつ出回り始め、子牛や子羊も肉が柔らかく、この季節は食材的にもあっさりとした繊細な料理になるので腕の振るいがいがある。
この前の休日にはディヤードおじさまに会いに行った。
おじさまは私を責めることなく労ってくれて、それが逆に申し訳なかった。
腕を上げたらぜひおじさまにご馳走したいと言ったら本当に嬉しそうに今すぐにでもと言ってくれたけど、とりあえずチャーリーという関門を突破しないと、と約束して、本日もディナータイムでカウンターの前に座るこの男と勝負することになった。のだが、本日のチャーリーはダガート様から話を聞いたのか開口一番不満を言われる。
「だってチャーリー、私はあのレティスフォントだよ…?」
狼藉を働いた悪徳貴族だ。爵位はく奪され無一文になってその娘は下町の食堂で働いているなう。
対してダガート様は騎士団の隊長で彼の父のクレメイン公爵は清廉な人物。クレメイン一族も醜聞とは程遠い人格者揃いである。結婚となれば二人だけの問題ではないのだ。
「だからなんだ。あんたのその面倒くさい事情を知っててなお引き取ってくれる奇特な男だろ?逃がしてどうする」
「チャーリー…」
「まぁお前も薄々そう思ってるんだろ。じゃなきゃきっぱりさっぱり振って今頃ダガートは腑抜けになってたろう」
「チャーリー口がどんどん悪くなってるね」
そう、今回珍しく現実的なはずの「三田恵」の意志が揺らいでいる。おそらく出会い自体なくそのままお一人様コース決定の前世から見て、プロポーズを受けるという稀有な事態に動揺してしまったのだろう。YOU若いうちにやっちゃいなYO!!などというお囃子が脳内でリフレインされて一つため息をつき私はチャーリーから注文をとるよう促した。
「今日のおすすめは?」
「えーと、子羊とカブの煮込み、ホワイトアスパラガスときのこのアラクレーム」
答えたのは私ではなくマイ。そう、レイラさんは給仕が一人だと間に合わないとついに新しく雇い入れたのだ。マイはその腕っぷしと気の強さで前々から目をつけていて、ついに引き抜きに成功したとのこと。…給仕の条件としてなんかおかしくない?
あの騒動の後、私はマイサーさんとレイラさんにこのようなことになったいきさつを全て話した。また同じようなことが起きない保証がないため、食堂を辞める意志も伝えたがそれに対して二人は本気で怒ってくれた。いなくなればウチは困るし何より寂しい。ああいうのが来ても下町のみんなが相手してやるから屁でもない、とか
『どんな過去があってもエディーはエディーでしょう!?』
この一言は本当にうれしかった。
食堂の常連さんたちにも簡単に前身の説明だけしておいたら、常連のおじさんが
『うんん?エディーちゃんって食堂で働き始めた最初のころから貴族令嬢って感じしなかったよな』
などと若干失礼なコメントをいただいたりもしていたが、多少好奇な視線に晒されたりするぐらいで、食堂はその後も通常営業できている。
今もレイラさんがビールのジョッキを両手に運んでいる傍ら、マイとチャーリーがやり取りを続けている。
「アンコウは?旬じゃないのか?」
「今年は不漁らしくて、仕入れるには値段が高すぎたんだって」
「そうか…。ここのも食べてみたかったけどしょうがない。じゃあそのアスパラと、チョリソのワイン蒸しを頼む」
最近気付いたのだがチャーリーは庶民的なメニューが好きらしい。最初は普段食べない料理が珍しいから頼むかと思ったのだが、ハンバーグとかソーセージとかオムレツとか、そういう安価な料理をモクモクと平らげる姿を見るとお子様ランチでも作りたくなる衝動に駆られる。今度ナポリタン作ってみようかな。
「いらっしゃい!」
レイラさんの掛け声で入口に目を向けて思わずどきっとした。ダガート様が来たのだ。こちらを見ると目を細め一直線に向かってきた。
「エディー、こんばんは」
「こんばんは…」
思わず赤くなってダガート様から目を逸らしてしまった。素敵笑顔が私には眩しすぎます。
「隊長さん注文なんにしますか?お勧めは子羊とホワイトアスパラガスだよ」
マイがすかさず注文を聞くとダガート様はチャーリーの横に座りながら子羊とワインを頼んだ。
どぎまぎして落ち着かなくなった私はこれ幸いと厨房に戻り調理に取り掛かる。
エシャロットのアッセときのこを炒め、塩コショウとブイヨンと合わせ出汁にする。アスパラの茎を輪切りにして炒めながら白ワインでフランベ、さきほどの出汁ときのこを加えて皿に敷き、上に湯がいたアスパラの穂を載せると見目も味もいい一品となる。
すでに子羊は朝の仕込で焼き色を付け、その煮汁でたまねぎを炒めた後肉を戻してニンジン、トマトペースト、にんにくなどハーブを加えオーブンで肉が柔らかくなるまで煮込んである。それを鍋に移しカブを入れて軽く蒸し煮して味を調えれば、春の味覚も楽しめる子羊の煮込みの出来上がり。
『ごめんなさい結婚のこととかはまだ考えられないんです』
あのときそう言って断るとなぜかダガート様は笑顔のままだった。
『そう言うと思った』
『え?』
『なら聞き方を変えよう、エディーは俺のことをどう思っている?』
『ど、どうって…』
『嫌いか?』
『まさか!』
『なら好き?』
『……っ』
『俺の身分とか、感情以外のしがらみは全部抜きで答えてくれ』
『……』
いつも食事を食べ終わると「うまかった」と言葉だけではなく表情を表す人。普段は難しい顔をするのに好意を素直に行動に示して、その破壊力を自覚してない人。子供っぽいところがあると思えば仕事のこととなると一転生真面目に理想を追い求めている人。
自分の過去とか仕事のこととか身分とか、そういうのを全部なしにすると残るものなんて…
『…好きです』
視界が暗くなって気づいたらダガート様に抱きしめられていた。暖かさに包まれながらすぐ近くの呼吸の音をしばらく聞いてるとささやくような声が響いてきた。
『俺はエディーと結婚したいぐらい好きだ』
『…っ』
『エディーは沢山のためらいを抱えているのなら俺がそれをならしていくから、時間をくれないか』
ふと体を離され顔を覗き込まれる。
『エディーもしがらみを越えるぐらい俺をもっと好きになれるよう努力するから』
机をはさんで二人が座ってるとしたら、私はせっせと二人の間に問題を積み上げているんだろう。それをダガート様が取り除いてなおかつ私が手を伸ばしてくるよう努力すると言った。
なんかそんな妙な構図が頭に浮かんでおかしくて笑おうとしたのに視界に膜が張ったようになりうまく笑えない。
ぼやけた景色の向こうでダガート様の顔が近づいたかと思うと、額に、頬に、そして唇に柔らかい感触を覚えた。
前世分?を入れて50年以上生きて初めてのファーストキスはあっけなく。なのに思い出すたびに身もだえするほど恥ずかしい。
「お待たせしました」
なんとか仕事モードに切り替え、つとめて冷静に子羊の煮込みをカウンターに置き、これで二人の料理は出そろったと一息つく。
目の前でダガート様はもくもくとメインディッシュに取り掛かり、チャーリーはチョリソをつまみながらワインをのんびり嗜む。
令嬢時代には実現しそうになかった光景に微笑ましい気持ちでずっと見続けたいのをぐっと我慢して、厨房に戻り仕事を続けた。
・・・
仕事が終わりマイサーさんたちに声をかけ帰途に着こうとすると裏口の横でダガート様が立っていた。
「送っていく」
そう笑って背を向き歩き始めた。
告白された日からダガート様は仕事に余裕があるときはこうして私を待って家まで送ってくれるようになったのである。
手を繋いだりはせず、会話はまばらだが沈黙は気まずいことはなく、友人というには近い距離で私はダガート様と並んで歩く。




