再訪
何日も休むことなく私の風邪は治り無事お店に復帰できた。
とりあえずマイサーさんたちにはそれこそいろんな方面で迷惑をかけてしまったことを深くお詫びをしたが、気にするなとにかく無事でよかったと豪快に笑い飛ばされた。主日明けでお店はそこまで忙しい状態ではなかったため、私が抜けてても大丈夫だったらしい。ホッと胸を撫で下ろす。
とはいえ新年早々のんびりした雰囲気に浸るのもどうかと思うので、ここは去年から画策した「牡蠣計画」を実行することとなった。
レモン汁を加えた生牡蠣と白ワインはまさにこの時期の王道であるのでメインに据え、合わせて何品か牡蠣料理を考案して牡蠣フェアと称するのである。
ビールに小麦粉、コンスターチ、塩コショウを合わせたひたひたの生地にパセリ、シブレット、コリアンダーのアッセにメレンゲをさっくり合わせた衣でふんわり揚げた香草の牡蠣フリッター、または牡蠣のゼリー寄せ、牡蠣のブランダード…。やはり生牡蠣が一番人気だけど他の牡蠣メニューも概ね好評で、今年の初めの滑り出しは順調…というには色々あったけど、調子がついてきた。
よし、チャーリーいつでもかかってこい!
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エディーに再会して数日後の夜、約束通り彼女の働いている店を訪れた。
ダガートと同じようにエディーにも服装のことを言われたので屋敷の使用人に頼んで質素な服を入手したが、それを着て夜の街を歩くと、まるでお忍びに出ているようでどうにも落ち着かない。
店に入ると笑いさざめく酔客たちが目に入り眉をひそめる。こんな下品なところに彼女は本当に嬉々として働いているのだろうか。
席に着くとがたいのいい中年の女が注文を取りに来る。
「いらっしゃい。今日は何を…あら、あんた、この前の!」
ギョッとなって身を引くと女が眉を下げて謝る。
「ウチの亭主が乱暴をして悪かったね…怪我とか大丈夫かい?」
そうあの時、エディーを引っ張って家に連れ帰ろうとしたらこの店のコック長とやらに首を締め上げられた。見た目通りの力でエディーとダガートが引きはがそうとしても腕はびくともせず意識が軽く遠ざかったが、あろうことか後から駆け付けたこの女は「あんた!何やってるんだい!?」と叫びながらあの巨体を軽々と吹き飛ばしたのである。
思い出して顔を若干引きつらせながら答える。
「いや…。こちらこそいきなり押しかけて悪かった。誤解されても仕方がなかったと思う」
ダガートの説明でチャートリーはダガートの友人でエディーのことも知っていて、彼女に会いに行ったら風邪であまりにも辛そうだったので医者に連れて行こうと引っ張っていたということになってる。まあ半分ぐらいは当たっているのだが。
「そうかい。ああ、今日の勘定はサービスするから、何でも好きなものをお食べよ」
「いや、ちゃんと払うから気にするな…。それより牡蠣の料理が多いな」
「ああはい。今は牡蠣が旬だからねえ」
確かに先日の家での晩餐にも生牡蠣が出てたがわざわざここで食べても仕方がない気がする。
「フリッターとか私は好きだけど、ブランダードなんかどうさね?エディーちゃんの考案だよ」
「ブランダード?」
女が頷く。
「ブランダード・ド・モリューってあるだろ?あれの牡蠣バージョンさ」
どっちも知らん。下町料理か?
「…それでいい」
「はいよ。これだけでいいのかい?」
「ああ」
「ビールとエールとワインどちらにするかね」
「ワインで」
「はいよー。ブラン一丁ー」
威勢よく女はカウンターの方へ歩いていき、知らずホッとして肩の力を抜いた。
カウンターの向こうが厨房か?エディーはそこで働いているのだろうか。じっと見ていると太い腕がにゅっと伸び思わずのけぞる。あのとき自分の首を絞めた熊のような男が一瞬顔を出しまた引っこんでいった。くそっ、心臓に悪い店だ。
しばらく待つと小さく細い姿が厨房から出てくる。エディーだ。
店内を見回しこちらに気付くとニコッと笑い、料理をカウンターに置きまた厨房に戻る。
一瞬の邂逅に固まっていると、すぐにあの豪快な女が料理を運んできた。
「お待ちどお!エディーちゃん特製牡蠣のブランダードさ!」
料理も酒も、普段食べているものとは程遠かった。女の説明によると、ブランダード・ド・モリューというのは塩タラとじゃがいもをつぶして生クリームと混ぜた定番料理で、パンに塗って食べるそうだ。そのタラを牡蠣に置き換えた料理を目の前にしても何も感慨がわかない。
焼きたてのそれをパンに塗りたくると香ばしいガーリックの匂いが鼻をつく。白ワインと一緒に流し込みながら思わず笑い出す。
エディー、お前はこの場所がいいのか?
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チャーリーが食べ終わる頃に心配になり厨房から出て彼の席の方に向かった。
「チャーリー、会計分かる?」
「ん?いや…」
「カウンターでお金を払うんだよ」
「分かった」
席を立ったので一緒にカウンターに向かう。
「金貨はだめだからね?」
「……」
給仕の女がひょっこり横に並び笑う。
「そんなこったろうと思った。あんたいいとこの坊ちゃんぽいからね。さっき言った通り、サービスでいいよ」
「いや、それは」
「レイラさん、私が払います。つけておいてください」
「は?」
チャーリーが素っ頓狂な声を上げたが背中を押して店の外に押し出す。
「いいからいいから。一度チャーリーにおごってみたかったんだよ」
「おい…っ」
こっちを振り返ろうとするが構わず店の外に出して小声で話しかける。
「ごめんね、口に合わなかったでしょう?」
「いや…」
「無理しなくていいよ」
使っている食材の等級からして違う。ガーリックのような匂いの強いものに至ってはそもそも貴族の食卓では敬遠される。チャーリーのお屋敷のコック長の腕だっておそらく凄いと思うし、良し悪し以前に彼の普段の食事とかけ離れすぎているのだ。
「でもいつかチャーリーがおいしいと思えるものを作るから」
「まずいとは思ってない!」
怒ったように言い切られる。
「でも口に合わなか」
「合わないとも言ってない」
「おいしい?」
「……」
うーむ、微妙ってことかな…。笑いながらチャーリーの肩をポンポン叩く。
「自信作ができたら押しかけるからリベンジさせてね」
あれ、なんか更に不機嫌な顔になった。
「また来る!」
「え?」
「リベンジなんだろ?」
こちらの返事も聞かず背を向け足を踏み出したがいきなりグルンと振り返る。
「父上にはちゃんと説明しに来いよ!」
「あ、うん、分かった」
「忘れるなよ!」
今度こそチャーリーは足早に夜道に消えて行った。
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「で、なんでまだ来ないんだ」
「…まだ休みの日じゃないよ」
「次の休みいつだよ」
「えーと、4…5日後かな?直前まで決まってないこともあるし」
「お前月何日休みなんだ?」
「忙しくなければ3日」
「……」
「飲食業じゃこんなものだよ」
あ、眉間のしわが深くなった。
あれからチャーリーは日を置かずに来襲した。ランチタイムに。
威勢のいいおっさん層の勢いに押され特に会話も交わせず這う這うの体で帰って行った彼の姿は申し訳ないが笑いを誘った。
と思いきや翌日の夜にはちゃっかりカウンターに座って話しかけてきたのだから肝が据わっているのかなんなのか。
そういや忘れそうになるけどチャーリーって攻略対象なんだよね。確かキャラクター紹介では「穏やかで優しい貴公子」とか…私の知っている姿とあまりにもかけ離れていて、ここはもうゲームの世界じゃない気がしてきた。
そんなことを考えているとはつゆ知らずに店の壁に掲げている黒板のメニューを眺めながらチャーリーはあれこれ質問してくる。
「そこに書いてるミートボールというのは?」
「ひき肉を丸めたものだよ。貴族の食卓ではまず出ないかな」
「ふぅん?じゃあそれで。酒は任せる」
…不安だ。ミートボールは前から食堂にある定番料理で私は好物なのだが、いかんせんひき肉は安価で肉のごまかしが利くため、昔からひき肉料理は庶民用の料理なのだ。
とはいえ注文されたら応えるしかない。マイサーさんにわがままを言ってチャーリーの料理は私が担当させてもらっている。貴族だということはこの前の騒ぎで知っているから、そんな彼の舌を納得させるため料理で勝負していると言ったらなぜか納得してくれた。
がんばれと親指を立てたマイサーさんに頷き返しソースを作る。おじさまにもいつか私の料理を食べさせたいなあ、チャーリーに聞いて味の好みリサーチしとこう。
「おまたせ。ビールとパンと一緒にどうぞ」
「ああ」
「トマトソースだから跳ねるの気を付けてね」
「問題ない。安物の服だ」
ずっとチャーリーが食べているのを見守るわけにもいかないので私は再び厨房に戻って仕事を続けた。
何度目かカウンターに出た時にチャーリーが声をかけてきた。
「ごちそうさま」
「あ、ありがとうございます。大丈夫?食べられた?」
「まあな」
おいしいとは言わないけど、とりあえず残さず食べてくれたのでよしとしよう。
「それより忘れるなよ」
「分かってるってば」
何度目かも分からない言いつけにいい加減辟易しながら答える。




