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6話 戦闘訓練


「おはよう! 今日もいい天気だよ。ほら起きてー」

「うぅーん……」


 寮室の寝台の上で布に包まれたエミールが(うな)る。ルイがうきうきとした様子で毛布を(はが)してしまい、エミールはやむなく寝ぼけ(まなこ)で身を起こした。早朝から騒がしいルイにため息を漏らしたエミールが、渋顔から苦笑へ面持ちを変える。


「おはよう、ルイ」


 ようやっと彼は入学最初の友人へ挨拶を返した。


 互いに寝衣から制服へ着替えながら、一方的にされるルイの話にエミールが相槌を打つ。そんな取り留めのない雑談の中で、ルイがエミールに問い掛けた。


「今日の授業って何なの?」

「えーと、確か午前が座学で午後は実習だったな」

「騎士科の実習ってことは……」


 ルイの表情に心配の色が混ざる。対してエミールはきっぱりと言う。


「ああ、戦闘だよ」




 繰り返すが、エミールのいるこの世界『クリスタル・コシュマール』は「悪役令嬢モノ」の乙女ゲームである。だが、システム内容に戦闘(バトル)要素も存在していた。剣と魔法のファンタジー世界ならではの、魔物や盗賊との戦いである。


 そしてエミールは、その一端を体感することとなった。実習授業、すなわち戦闘訓練だ。


 学園校舎の裏手に置かれた広い訓練場。そこにエミールを含む初年生二十余人が大きく間を取って二つの列を成している。騎士科の彼ら彼女らは男女の別無く、その手には簡素な木剣や槍を模した長い棒などが握られ、それぞれが一対一の形で対面していた。

 今回の実習は、対戦形式の極めて実戦的なもの。エミールも槍に見立てた長さ二メートル程の棒を持ち、直立不動の態勢で教師の指示を待つ。なお、乙女ゲームの世界だからなのか、メートル法を始め現代日本と同じ単位が都合よく普及している。


 やがて教師……というより教官とも呼ぶべきであろう、がっしりとした体格の壮年の男が、大鐘のような声を張り上げた。


「始めぇ!」


 その一言を合図に、いくつもの二人一組の試合が開始される。木剣同士や棒杖が打ち鳴らされ、軽やかな音が何重奏にもなって響く。一方のエミールは棒を両手で保持し、無闇に攻撃すること無く相手の出方を待った。

 対戦相手である生徒、木剣を片手で構える青年は、じりっと()り足で半歩進む。その次の瞬間、一気にこちらの懐に踏み込まんと突っ込んできた。

 すぐさまエミールが棒を繰り出す。が、その突きは空を切った。上体を傾けて突きをかわした相手に対し、エミールの冷静な薙ぎ払いが襲い掛かる。


 かっ!


 小気味良い音と共に、木剣が棒を弾き上げた。棒から両手に駆け抜けた衝撃の重さに、エミールの表情が歪む。しかしエミールの思考はまだ落ち着いていた。頭上まで跳ねた棒先を戻すのは諦め、逆に弾かれた勢いを利用して、槍であれば石突に当たる足元側の棒先を相手へ振るう。

 だがこれも避けられ、空気だけを裂いた。腹部に打撃が入ったのを感じる。かと思えば、身体が浮き背中から軽く吹っ飛んだ。咄嗟(とっさ)に身体を(ひね)り、両足で地面を滑って衝撃を逃す。

 痛みは無い。全身に(まと)った魔力が鎧の役目を果たしているためだ。この世界では、魔力を(まく)のように纏うことで、あらゆる攻撃に対する一定の防御力を得ることが出来る。

 ゲームでのキャラクターステータスにある、防御力や魔法防御力の正体が、この魔力の鎧だった。そして、筋力の強化にも魔力は利用される。


 エミールが態勢を整えている間に、相手の生徒が凄まじい瞬発力を発揮して接近、木剣を振りかぶった。上段からのそれを何とか棒で受けるも、魔力で強化された肉体による一撃はあまりに重い。早くも膝を曲げさせられるエミールの方も、両腕に魔力を込めて押し返そうとしたが、力尽くで押し切れられた。

 自らの武器で額を(したた)かに打ち、思わずエミールの手から束の間の相棒がぽろりと離れてしまう。そして再び木の剣が頭上の左斜めより強襲し──こめかみ寸前で止まった。


 エミールの完敗である。

 勝利した生徒、若き次代の騎士家当主は、すまし顔でエミールに背を向けた。悔しさ半分、諦め半分の顔をするエミールが、地面に落ちた棒を拾って立ち上がる。


 この世界の生物が必ず有する魔力。その総量はほとんど遺伝で決まるとされ、王侯貴族や騎士の家柄とそれら以外とでは、魔力量に明らかな差があった。

 エミールのセルジョン家は、軍人家系の多くがそうであるように先祖が平民であったが、売官制──金銭と引き換えに官職を得る制度──を利用して貴族化した家柄であり、一〇〇年以上は上流階級に属してはいる。

 またセルジョン家のように平民から貴族となった家は、下級貴族の末娘や未亡人、庶子などを幾度も妻を迎えることで、遺伝する魔力量という畑をこつこつ広げ耕し、平民を大きく上回る魔力を手にしていた。一族が所有する土地と同じように。


 だがそれでも、やはり生粋の貴族と比べればどうしても魔力量は劣ってしまう。貴族と平民だけでなく、貴族間でも努力鍛錬では埋まらない差が存在していた。


 売官制で貴族化した軍人家は、大貴族どころか騎士の一族にさえ敵わない。エミールはそれを、先程の対戦で痛感する。攻撃魔法を使わず、魔力による身体強化のみであの(ざま)だ。本物の戦闘では、十秒も持たないだろう。

 ふと周囲を見れば、自分と同じように軍人家の生徒が、あっさり敗北して対戦が終わっている一方、貴族の生徒同士の対戦はまだ続いていた。

 教官も貴族や騎士家の生徒の動きのみを捉え、エミールら軍人家生徒を一瞥(いちべつ)すらしない。それが階級の別なく広く開かれた教育機関と触れ込む学園の、ゲーム内で描かれなかった実態だった。


 ……ルイも向こう側の人間なんだよな。


 ついエミールの頭に暗い思考が巡る。すぐに首を振ってそれを追い出し、僅かでも自らの成長の(かて)にせんと貴族生徒達の対戦を観察した。だが、あまりに素早い動きを前に圧倒されるばかりで、余計に軍人と貴族や騎士との差を感じ、今まで(つちか)ってきた自信が揺らぐ。

 エミールとて、セルジョン家歴代随一と称される魔力を宿し、初めて家から騎士に昇る者が出るやもという、一族の期待を背負って鍛錬に励んできた。騎士家の人間に真っ向から勝てはせずとも、魔法抜きなら互角に近い戦いが出来るという自負はあったのだ。

 しかし入学してひと月も経たずに、厳しい現実を叩きつけられてしまった。それでもエミールは過度に悲観しない。

 学園生活は始まって間もない上に、焦りや諦めを覚えるのはまだまだ早過ぎる。それに幸か不幸か、ルイという魔力に長けた友人もいる。彼から学業と同じく、魔力や魔法の扱いも補助指導してもらえるなら、これからの成長が期待できた。


 まさかルイの存在に励まされるとは。


 エミールは心中で苦笑する。彼と今のような関係が築かれていなければ、自分は早々将来への悲観から潰れていたかもしれない。そう考えると、あの時ルイを助けたことは間違いではなかった。


「よし、そこまで」


 教官の声で思考が中断される。まだ続いていた対戦も、残らず手を止めた。


「今度は魔法の使用を許可する。名前を呼ばれた者は俺のところに来い、それ以外は向こうで待機。まずはテオドール、そしてシャルル殿()()!」


 その指示に従い、挙げられた二名を除く全員は教官が指した地点……訓練場を囲う柵の外側へ向かう。エミールはちらりと振り向き、対戦者の二人を目に映した。

 テオドールと呼ばれた一人は、近衛騎士の息子テオドール・ド・ガルディアン。ゲームのメインキャラクターの一人だ。赤髪の好青年という雰囲気で、木剣を持つ姿も近衛騎士の子息らしく(さま)になっている。また大柄ではないが、制服越しでも分かる厚めの胸板から、よく鍛えられた筋肉質な身体が見て取れる。


 もう一人は亜麻色髪を短く流し、白絹の肌に碧眼を埋め込んだ美青年。入学式でも見た、この国の王太子であるシャルル・ド・ブロンシュ・リュクス。

 彼もメインキャラの一人であるが、それを知らずとも彼の容貌(ようぼう)だけで只者ではないと分かる。何しろシャルルの見目は、良く言えば正統派のイケメン、意地悪な言い方をすればベタな王子様キャラそのものという、まさしく物語定番の人物といった風情(ふぜい)なのだ。


 両者は教官からあれこれ指示を受けた後、少し距離を取って相対する。そして教官が彼らからやや離れた位置に立つと、対戦開始の宣言が()された。


「始め!」


 先に動いたのはテオドールだった。目にも留まらぬ速さで飛び出し、地面を蹴った勢いだけで土埃(つちぼこり)を巻き上げる。一瞬で距離を詰めた彼の木剣が、シャルルに容赦なく向かう。王太子殿下への配慮など一切感じられない本気の一撃。

 しかしシャルルは表情を固くしながらも、それを難なく避けてみせた。そして彼の剣を握る逆の手には青い魔力の塊が。次の瞬間、青い魔力は水に姿を変え、凄まじい勢いで放射される。

 突如出現した鉄砲水に、テオドールは眉一つ動かさず、その場から跳躍(ちょうやく)した。数メートルも大地を離れた彼は一切水を受けておらず、服の裾さえ濡れていない。


 至近距離のあれを避けるか!


 エミールは人間離れしたテオドールの動きに驚愕する。分かっていたつもりだったが、自分とは次元の違う両者の戦いに、脳を殴り付けられた思いだった。


 その間に宙へ浮いたテオドールは、重力に運ばれてシャルルに接近していく。一方のシャルルは空中という、翼を持たない生物にとって、回避行動などほぼ不可能な状況を狙い撃つ。火球を複数浮かべ、次々にテオドールへ向けて放った。

 すると赤髪の剣士は、身体をぐるりと回転させる。その勢いを剣に乗せ、自身へ(せま)る炎の玉を切り払った。それを見たシャルルが、ぐっと地面を踏み締めて膝を曲げたかと思えば、飛び上がりながら木剣を振るう。宙で木剣同士がぶつかり合い、互いに相手を弾いた。これによりやや離れた場所へ降り立った両者は、それぞれ地に足が着くなり駆け出す。

 再び木材が衝突する高い音が響き、剣戟(けんげき)の調べが観戦するエミール達の耳を打った。互角に見えた戦いだったが、徐々にシャルルの方が押され始める。

 剣術においては、やはり近衞騎士一族のテオドールに分があった。それでもシャルルは臆さずに前へ出る。木剣に魔力を纏わせた突きを繰り出し、急に現れた光の大剣がテオドールの木剣を砕いた。


「そこまで!」


 教官の一声を合図に、二人の剣士が動きを止めた。シャルルは木剣を天に向けて顔の前に構え、テオドールも同じように柄だけの剣を構える。剣による礼をもって対戦は終了した。

 観戦者から拍手が巻き起こる。エミールもぺちぺちと手を叩くが、表情から呆れが(にじ)む。


 ──光の刀身もそうだが、木剣で炎をかき消すなんて無茶苦茶な。ファンタジーの戦闘って実際に目の当たりにすると、化け物の戦いにしか見えないんだな。


 とても彼らの背を追えるとは思えない。先程の、騎士の実力に食らい付くことを諦めないとの決意はどこへやら、そうエミールは遠い目をする。


 ふと校舎の方に視線を向けた。窓という窓から多くの目がこちらを見ているのを感じる。中には窓を開け放って、シャルルとテオドールへ黄色い歓声を上げる女子までいた。いつの間にやら先の対戦は学園中の見せ物となっていたようだ。

 流石は乙女ゲームのメインキャラクターか、と何とも言えない気持ちになるエミールは、偶然見つけてしまった。


 遠目に窓ガラス越しでもはっきり確認できる美しい金の長髪と、それを留める漆黒のリボン。ゲームの主役と全く同じ特徴を持つ女子生徒の姿を。


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