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31話 我が家


「大体の話はエミールからの手紙で把握しているよ。いやはや、随分と我が愚息が君の世話になったようで」


 長さを揃えて耳まで覆う(つや)のある茶髪と、整えられた短い口髭を生やした、人の良い助教授のような壮年の男性──エミールの父親は、そう言って朗らかな笑みを浮かべる。

 控えめな装飾と簡素な家具が置かれた石壁と木柱の部屋。赤絨毯が敷かれたその中央でエミールとルイ、そしてセルジョン家当主にしてエミールの父たるエドモンが机を挟んで相対していた。

 エミール一行は、城館の前でエミールの両親と顔合わせを済ませると、すぐにこの応接室へ通されている。


 エミールはちらりと隣を見る。ルイがやや硬い表情で、エドモンの言葉に「いえいえこちらこそ」などと無難な言葉を懸命に返していた。やはりまだ相応に緊張はしているらしい。門前で挨拶してからずっとこの調子だった。

 そして、父もそれを感じ取っていたようだ。早速ルイを安心させるための言葉が紡がれる。


「ルイ君、私は君の事情も当然知っているが、何ということはない。闇の魔力など、ただの魔力属性の一つに過ぎないし、何よりその魔力に息子が救われているのだから、(うと)ましく思うなど毛頭無いとも」


 落ち着いた声色と真剣な顔付きから、本意で言っている分かったのか、ルイの硬い顔に付いていた紫の瞳に水気がほんの少し増した。


「……エドモン様、ありがとうございます」

「そのように(かしこ)まらないでくれたまえ、息子の恩人にして親友である君とは、もっと気兼ねない関係でありたい。それに……王国軍一個中隊の長といっても所詮(しょせん)、私も大半の軍人の例に漏れず、裕福な平民に毛が生えた程度のものだからね。今の君と地位はそう変わらんさ」


 片目をつむって(おど)けて見せたエドモンに、ルイのぎこちなかった表情が緩む。それを見てエミールもまた自然と口角が上がった。

 無骨な部屋と同じく硬質だった空気がほぐれると、話題は学園生活へと移り、エミールとルイがエドモンへと思い思いに語る。

 エドモンは父親として、また先達としてにこやかに相槌や質問を重ねていたが、その中で最も興味深そうにしたのが、ルイによるエミールへの魔力操作指導だった。


「ほう……エミールからの手紙にもあったが、具体的な話を聞くと──非常に心引かれるね。大抵の騎士は魔力の操作がかなり感覚的なもので、魔力量が大きく違う者に教えることは不得手なんだ。故に軍人も騎士からの指導を受けても実力が伸び続けることは稀だ」


 騎士や上級貴族の一部には、軍人に好意的な者もいる。しかしそうであっても、軍人の魔力操作の能力や教育ノウハウはほとんど向上していない。


 流石に好意的な彼らであっても自らの職務や責務に忙しく、軍人への魔力教授までは手が回らないという事情もあるが、最大の理由がエドモンも語った「魔力量が違い過ぎると教育が難しい」という問題だった。

 魔力操作は幼い頃からの指導の影響が大きい。また産まれた時からの“当たり前の感覚”が異なる以上、どうしても認識や理解に齟齬(そご)が生まれてしまう。

 例えるなら、二メートルの高さをごく普通にジャンプ出来る種族が、人間に高跳びを教えるようなものだ。持って生まれた感覚の違いが大き過ぎる。


 一方、ルイは王の血を引く者として大貴族に並ぶ魔力を持ちながら、騎士家生徒に大きく劣るエミールの魔力操作の技能を大幅に改善させていた。


「ルイ君は魔力操作を感覚だけでなく理論的にも理解しているのだろう。だからエミールに的確な指導が出来たと考えられる。これは稀なことだよ」

「というか、この国の人間がどいつもこいつも脳筋過ぎるんだ。学園の授業でも理論化されているのは魔術ぐらいで、魔力操作は入学前の個人教育任せ。おまけに座学以外は武術訓練ばかり……魔力操作も教えろってんだ」


 エドモンの感心に、エミールの呆れ声と恨み節が重なる。息子の直球な物言いを前にして、父親は苦笑を作りつつもたしなめはしない。内心同意している証左と言える。


「騎士や貴族にとっては魔力を操ることが当たり前過ぎて、わざわざ教えることじゃないと認識してるんだろうね……僕が独学で学べたのは魔力操作に関する研究書のおかげだし」

「え、そんなのあるのか」

「でもそれも魔力の多い貴族が読者であるのを前提とした記述ばかりで、結構抽象的な部分が大きかったよ。参考になるか分からないし、そもそも王宮の書庫にあったものだから」

「そうか……」


 ルイの言葉にエミールは彼へと視線を急転換させるが、一瞬膨らんだ期待はすぐさま潰れた。思わず頭を落としてしまう。それにエドモンが手を叩いてやや沈んだ空気を追い払おうとした。


「その話はこの辺にしておこうか」


 それでもエミールの視線が落ちたままだったが、扉を叩く音と聞き馴染みのある女性の声にすぐさま首を持ち上げる。


「申し訳ございません、お待たせしました。使用人と歓待準備への差配に熱が入り過ぎてしまいまして」


 入室してきたのは使用人を連れた、水色の瞳を伏せる貴婦人。エミールの母だった。そつのない所作でするりと前に出ると、謝罪を口にする。


 方便だ、とエミールは即座に見抜く。下級貴族の出とはいえ本物の貴族だった母親が、何日も準備期間があったにも関わらず、差配の手抜かりをするなどあり得ない。ルイの人となり──悪評の真偽、危険人物か否かを見極めるまで、父エドモンが席を外させていたのだろう。入室許可の合図は先程の拍手か。

 門前での挨拶では息子の恩人への歓迎として、彼女を表に出さないわけにはいかなかったのだろうが、やはりエドモンも最低限の警戒はしていたらしい。


 しばしの間、セルジョン家当主夫妻が揃ってルイと向き合い、時折エミールを交えて談笑する。そしてすっかり打ち解けた空気が出来上がり、灯りが次々と点けられる頃、夕食の用意が完了したとの報せが入った。


 歓談を楽しんだ部屋から食堂として使われる大部屋へ一同が移り、一つの食卓を囲う。卓上には料理の数々が並んでいるが、いわゆるフルコースの形式を全く取っていない。乙女ゲームそっくりなこの世界であっても、流石に一九世紀以降に普及した食事形式はまだ存在していないらしかった。

 勢揃いした皿や器の上には、サラダやポタージュといったものから野太いソーセージに、私邸でも見られなかった高級食フォアグラまである。

 賓客を迎えるような滅多にない豪勢さを見て、エミールは驚きを禁じ得なかった。息子の恩人に対する両親の礼と歓待は本気だ。そこまでの思いにエミールは、自身とルイへ向けられている両親の感情を察して、目頭が熱を持つ。


 静かな夕食を終え、四人は懇談を再開したが、その途中でエドモンは再びエミールへの魔力操作の指導を持ち出した。


「ルイ君、どうか息子のことを頼むよ。軍人一族の悲願は君も承知しているだろう? ぜひとも、魔力操作鍛錬の件を、今後ともよろしくお願いしたい」

「は、はい」


 前のめりになるエドモンにルイが思わず首を引くのを見て、エミールが注意するかのように口を挟む。


「父上、そうルイに圧を掛けないでください」

「何を言う。お前が騎士になれるかどうかの半分以上は、彼に懸かっていると言っても過言ではないのだ。ルイ君、頼んだぞ」


 エミールの言葉を弾いた彼は、改めてルイに念を押す。エドモンの熱意に肩をがっちり掴まれたルイは、頷くしかないようだった。

 親友へプレッシャーを掛ける父に対し、エミールだけでなく、母も「如何(いかが)なものか」という視線を送っている。このやり取りで一度室内の空気が変なものになるが、そう経たずに元の団欒(だんらん)へと戻っていく。


 やがて、いよいよ月が天高く登り、地上の眠気を誘い出し始める頃、談笑の場がお開きとなった。両親と別れたエミールはルイを連れて寝室へと案内する。

 セルジョン家の城館は私邸と異なり、経費を少しでも節約するべく、照明の魔道具どころか蝋燭すら廊下に設置されていない。

 小さな窓からの月明かりだけの暗い廊下を、魔術で照らすエミールはルイに軽い謝罪を口にした。ルイも軽い態度でそれを受け取る。


「父上がスマンな、あまり気にしないでくれ」

「いいよ、軍人家の騎士昇格への思いは理解してるつもりだし」

「悪いな。これでも俺はセルジョン家一族歴代の中で最も魔力の量が多いとされてるもんで、父上もひょっとしたらと欲が出がちなんだ」


 そう言ってエミールは短い会話を終わらせた。入学前は自分も父親と同じように、騎士家の人間に並べるのではないかと無邪気に期待していたことを棚に上げて。


 普段は滅多に使われない客室へとルイを送り届け、就寝の挨拶を交わしたエミールが己の部屋に向かう。


「騎士昇格……か」


 ぽつりと言ったそれが、自らの耳に潜り込み頭の中で駆け回る。


 軍人家の悲願にして、未だ叶えられた例が無い夢。何故軍人は騎士へ昇格出来ないのか。その要因の一つとしては騎士と軍人の実力差が一向に埋まらない点が挙げられる。

 軍人一族は下級貴族の子女を妻として迎えることで、代を経るごとに少しずつ魔力の総量を増やしてきた。だが、同じことは騎士、貴族家にも言える。それどころか、魔力量や技能の向上率は彼ら王侯貴族の方がずっと有利だった。

 故に軍人は貴族は勿論、騎士との戦闘能力の格差を埋めることが出来ず、それがために王国騎士団が用意した合格ラインを突破することが叶わないのである。


「ルイの指導があるつっても、厳しいだろうなぁ」


 足が止まり、ぼやきながらなんともなしに天井を見上げる。古びた分厚い木板の中で年輪だけが見つめ返していた。

 人々から“騎士落ち”と呼ばれる軍人の現実。背後に付き纏うそれを、エミールは受け入れている。しかし、決して諦めたわけではない。

 元より、生身で断崖を登るような道だと承知していたのだ。そこへルイという心強い支えを得られた以上、騎士家の生徒に並べずとも、彼の助けを借りながらやれるだけやる。それで騎士団への加入が果たせればいいだけだ、と割り切っていた。


 僅かに口角を上げ、再び歩き出す。だが久しぶりの自室の扉を開けた、その瞬間。


「うおっ!」


 エミールは飛び上がらんばかりに驚く。暗がりの中に溶け込む真っ黒な格好をした男が、部屋の中心で(ひざまづ)いていた。


「驚かせて申し訳ございません、ノワールにございます。こちらをお届けに参りました」


 シャグラン公爵家の隠密にして、エミールとセリアを結ぶ連絡役ノワール。その人がいた。

 彼は感情の無い声で謝ると、蝋封のされた一通の手紙を差し出す。公爵家の紋章が押された蝋封印が、公爵令嬢セリアからの物だと教えている。


「あ、ああ……ご苦労様で……?」


 いつの間に入り込まれたのか、そもそも何故自分がこの部屋に来ると分かっていたのか。尽きぬ疑問と困惑で一杯になった頭がまともに働かなくなりつつも、半ば条件反射的に手紙を受け取る。

 すると、では御無礼(つかま)りましたと言って公爵家の(オンブル)の一人は音も無く消えた。一拍置いて窓が開閉される音が響く。


「え、学園を出てから、ずっと()けられてたってこと? 怖……」


 困惑で満ちていた脳が再起動した途端、自分が尾行され監視されていたことに思い至り、冷や汗が流れ肌が粟立(あわだ)つ。薄気味悪さを振り払うように、エミールはセリアからの密書を開いた。


 内容はいつもと同じ近況報告。夏期休暇中は彼女も家で過ごしているが、王宮の要職を務める宮廷貴族としての顔も持つシャグラン公爵家は、基本王都の屋敷から領地に動くことは少ないようで、今も王都にいるらしい。

 そのためルイが王都を離れたことを気にしていたらしく、そちらの状況を教えて欲しいとのことだった。


 たかだかそれだけのために、隠密(ノワール)を送ってくるとは。こっちにも彼にも迷惑な話だと、エミールは呆れる。


「休み明けまで待ちゃあいいだろうに。まあいいけども」


 読み終えた手紙に魔術で火を点けると、壁際の小さな暖炉へ放り投げた。めらめらと上質な紙が身を丸めながら黒くなっていく。

 それに背を向け、ベッドの上に置かれていた寝衣を手に取った。


 数ヶ月ぶりの我が家の寝台に横たわり、薄い掛け布団に(くる)まると、この上ない安らぎに抱擁される。眠りに落ちるまで、そう時間は掛からなかった。


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