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30話 二人乗り


 管理人の男がその場を辞して職務に戻ると、ルイも自身へあてがわれた客室に入り、シャツの(えり)を開く。

 セルジョン家私邸の客室は迎賓の役を果たせるよう、数人が十分(くつろ)げる広さと、下級貴族としては恥ずかしくない程度の調度品が揃っており、クルミ材を使用した家具も控えめな真鍮製の装飾も全てよく磨き上げられていた。

 それらからセルジョン家の見栄と矜持(きょうじ)、そして管理人の仕事の丁寧さが垣間見える。


 窓の外で陽が少し傾こうとしている中、ルイは夕食まで室内に備え付けられた本棚の中身を物色して過ごす。本音ではエミールと共に居たかったが、さっさと自室に引き篭もったあの様子では、無理に傍へ行くのは得策ではないだろうし、夕食までの辛抱に過ぎない。そう素直に引き下がった。


 ふとルイは管理人の男と別れる際、言い残された言葉を回想する。


「兵隊は親無し家無しばかりですから。これ以上失うものが無いことこそが強さだと虚勢を張っている、寂しい者共なんですよ」


 そう言って彼は最後に噛み締めるような言い方で言葉を結んだ。


「私も今のお役目に任じられるまで、同じようなものでした」


 自分も彼らと似ているかもしれない。ルイは思う。両親はいるが、事実上の絶縁状態。帰るべき家も無く、どこにも寄る辺が無かった。

 今でこそエミールというかけがえのない存在がいるが、もし彼と出会えていなければどうなっていたことか。闇の中を彷徨(さまよ)い続け、終いには彼ら兵士達のように投げやりな人生を歩んだ果てに、ろくでもない何かをしでかしたかもしれない。

 そう考えれば、エミールはまさしく()り所を持たざる者にとって最後の砦。一方でそれは、彼を必要とするのは自分だけではないことを意味していた。

 エミールは学園卒業後、軍人として軍に身を置き、兵士達の上官にして彼らの()()()となる以上、ルイはいずれ彼と離れなければならない。


「嫌だよそんなの……」


 口から漏れ出た本心は、誰の耳に入ることもなく虚空へと消えた。一人きりの客室がいやに広く感じ、布が擦れる音さえ響かぬ静寂だけが満ちる。

 管理人から夕食の用意が出来たとの待ち望んだ報せを受けたのは、それから一時間程度経ってからだった。


 私邸の小さい食堂にて、エミールと向かい合って食事を前にする。全て管理人とその妻の手によるものだという夕食は、簡素ながら品のあるものだった。

 振る舞われたのは白インゲン豆とソーセージに加えて仔羊肉をまとめて煮込んだ“カスレ”という郷土料理。フォアグラが特産の一つであるトルスの町では、鴨やガチョウの油煮(コンフィ)が中央に居座ることが多いのだが、値の張る高級食材のためセルジョン家ではもっぱら領地で確保出来る仔羊を使っていた。


 リュクス王国の食事作法に(のっと)り、二人は互いに黙々と食事を済ませる。たっぷり脂を摂った胃袋が満足気に膨らみ、食器が片付けられると、ルイはようやくエミールとの会話へ踏み入ることが出来た。


「今日はありがとうね。わざわざ仕立て屋を紹介して交渉までしてくれて」

「ただ街に連れ出しただけだ、紹介なんて大してもんじゃない。値切りも王都以外じゃ当たり前の光景だしな」


 ゲーム内での装備、アイテムの売買は当然ながら定価での取引となっている。だが本来、近代社会が成立するまで定価販売は一般的ではなく、地球上でそうだったようにこの世界においても、売買は基本的に価格交渉、つまり値切りを前提としていた。

 そのズレの帳尻合わせなのか、王国一の人口を誇る王都では、物価安定のためとしてあらゆる商取引に対し、同業組合(ギルド)の合議で決められた物品毎の公定価格に従うよう法で定められている。王都以外の都市においても価格統制は行われていたが、あくまで食料品などの必需品に限られていた。

 どうやらゲーム内においてヒロイン(セリア)が利用する店は、これら王都の商店に限定されていたらしい。


 無論そんなことをルイは知る由もない。ただ宮殿と王都という狭い世界しか知らなかったが故の、軽いカルチャーショックを受けた程度だった。


 ルイとエミールはしばらく談笑に興じる。その中で、今後の予定に話題が移っていった。


「そういえばエミールの実家には、いつ向かうの」

「あっちもまだ迎える準備があるだろうから、連絡が来るまでの数日はトルス観光だな」


 そしてエミールの実家で何をして日々を送るかを、思いつくままに語り合う。いよいよ夕暮れが訪れて管理人が片っ端から私邸内の照明に火を(とも)していく頃、二人は会話をお開きにして早めに明日へ備える。

 ルイはエミールが部屋に戻ったのを見届けてから、客室に足を向けた。既に管理人の手によって室内の燭台全てが灯っていたが、ルイの影より伸びた漆黒の触手が一つ一つ光源を握り潰していく。その間に寝衣へ着替え、ベッドの上へ横たわり薄い羽毛布団を被った。

 しかし、夕食の間晴れていた胸中に暗雲が噴出され、脳内にまで入り込んではぐるぐると駆け回る。


 エミールと共にいられる時間は永遠ではない。三年も経てば学園を卒業し、別れが来る。三年という残された年月はあまりにも短いように思えた。

 ルイは己を抱く薄布団を手繰り寄せ、強く抱き締め返す。それでも、夏だというのに胸の内に充満する冷たい不安を溶かす温かみは得られなかった。



 翌日以降、ルイは赤煉瓦で満ちたトルスの町をエミールの案内で見て周る観光三昧を過ごす。建築や産業を見物し、土地の物を食べ、友人と語り合う日々は、暗い感情の全てを吹き飛ばし、ルイはすっかりあの暗澹(あんたん)たる夜など忘れてしまった。

 充実した休養を三日続けた次の日の昼。エミールの実家からの迎えが来訪する。


「完全に確認し忘れてたわ。ルイって馬に乗れるのか?」


 二頭の馬を前にして、エミールはそう問いをルイへ投げ掛けた。セルジョン家の迎えは馬車ではなく、馬丁が連れた小柄ながらも体格の良い馬三頭。一頭に馬丁が乗り、他二頭の手綱を引っ張りながらここまで来たらしい。

 エミールの問いにルイは首を振る。学園入学まで宮廷から出たことがないルイに、乗馬を習う機会など一度たりとも無かった。すると後頭部を掻いていたエミールが、とんでもない提案をする。


「あーじゃあ、どーすっかなぁ……二人乗りで行くか?」

「へ?」


 思わずルイは間抜けな声を上げた。一方で馬丁がエミールに向けて呆れたような顔をする。


「若様それは流石に御友人様の格好がつかんでしょう。あっしが(くつわ)を取りますんで」

「それだと徒歩とそう変わらねえ、時間が掛かり過ぎる。とはいえ流石に前じゃなくて後ろに乗ってもらうけどな。それに町を出たら道中に人なんてそうそういねえし、見られる心配ないって」

「……二人乗りは馬に負担が掛かりますが……お二人を合わせても太めの大人一人分でしょうから、何とかなりますかね」

「えっ、えっえっ?」


 あれよあれよという間に、三人は管理人に別れと宿泊の礼を告げてトルスの町を出発。一行は市壁を背にするなり、エミールの乗る馬の背にルイを跨らせて歩かせ始めた。その背後を騎乗した馬丁の男が、残った空の馬を連れて追う。

 手綱を握るエミールの腰に手が回したルイが、硬い表情と上気した頬という何とも言えない面相で固まったまま、馬の背に揺られ続ける。やがて三人は主要道を外れ、森が点在するなだらかな田園風景の中を進んだ。エミールが言った通り、馬車一台程度の太さを持つ道の上には誰の姿も無い。


「速度上げるぞ、いいか?」

「う、うん」


 しばらくは馬の歩法の中で最も遅い“常足(なみあし)”で進んでいたが、やがて速歩(トロット)へと至る。常足でも人が小走りする程度の速さだが、速歩は(およ)そ時速一三km。肌に感じる風にルイの顔が強張っていく。

 加えて馬に騎乗した際は馬の後ろ脚に近い方がより揺れるため、いくら安定性の高い速歩(トロット)でも多少身体を揺さぶられてしまう。それでも次第に慣れてくると、ルイは自分がエミールの背にぴったり張り付いていることを改めて自覚した。これほど他者と密着することなど、いつ以来だろうか。

 今までで最も物理的に近いこと自体が、心情的な距離も縮まっているように思え、じわじわと白い肌に薄桃色が差す。ルイはただただ、今を噛み締めた。


 二騎と一頭の馬が、農地や森の合間を縫う人通りのない道を突き進む。途中、一行は小休止の度に馬丁が連れていた(から)馬に乗り換えて、馬の負担を軽くしつつ、日が暮れ始める前に目的地へ着けるよう先を急いだ。

 トルスを()って六時間。ひたすら駆け続けた末に、いよいよ目当ての館が見えてくる。石造りの外壁に小さな尖塔が生え、どっしりと構えた小規模な城館。その姿はまるで城をそのまま小さく縮めたようだ。


 エミールが軽く首を(ひね)って振り返り、背後のルイに一度視線を向ける。


「あれはな、ウチの先祖が中隊長の地位を買うより前に、主が居なくなって売りに出されたのを買い取って、我が家の居館にしてるのさ」


 セルジョン家の城館、つまりはエミールの実家がとうとう視界に映ったことに、ルイは唾液を飲み込んだ。

 やっとゆっくり出来るという安堵や、親友の実家に招かれた実感から来る喜びは確かにあった。だがそれ以上に緊張と不安がのし掛かる。


 ──城館の門前には、複数の人影が立っていた。


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