29話 兵隊
『軍人はイギリスの柱よ』
『クズさ。ロクでなしの集まりだ』
──映画【ワーテルロー】(1970)より、リッチモンド夫人と英蘭連合軍総司令アーサー・ウェルズリー・ウェリントン公爵
ややくたびれた王国軍の軍服、その一つ揃えのボタンも留めず、髭を野放図に伸ばした山賊のような三人の男達が、にやにや唇を歪めながらこちらへと歩み寄って来た。
関わりたくないとばかりに通行人が彼らを避け、自然とエミールとルイまでの道が作られる。三つの髭面は肩で空を切りながら、その道を堂々突き進んだ。
彼らの接近に、エミールの面相がどんどん渋いものになっていく。それを見ていたルイがエミールの前へ出ようとするも、エミールは腕で遮り、必要ないと首を振った。
「あいつらはウチが抱える中隊の兵士だ、俺達に危害を加えられることはまず無い。無いが……」
げんなりした顔で尻すぼみになるエミールとそれにやや困惑するルイだったが、前方よりお構い無しに熊の如き声が飛び掛かってくる。だがエミールも負けじと怒鳴り返した。
「お久しぶりですなぁ坊っちゃん、ご帰郷ですかい」
「その呼び方やめろ言っただろうが! 少尉殿と呼べ!」
「へえへえ。で、そっちはご友人で?」
「坊っちゃんがお友達を連れて来るたあなぁ」
「いやもしかすると恋人かもしれねえぜ、あの綺麗な面を見ろよ」
男達は怒声をへらへらと受け流し、ふざけた態度を続ける。そんな兵士らの軽薄さ──特にルイを見る目に対し、若過ぎる士官の憤怒がぶちまけられた。
「だから坊っちゃんは止めろっ、とっととその汚ねえ口を閉じろクズ共め!」
「おお怖い怖い」
「坊っちゃん、お口が悪いですぜ。それじゃ女が出来ねえや。いやお隣の美人さんがソレなんですかい?」
罵声の強過ぎる響きに思わずルイが、ぎょっと身をすくめた。しかし身体に染み付いている”兵隊と上官”という関係に嵌まり込んでしまったエミールは、それに気付かぬまま、挑発的な男達の言動にますます瞳を鋭くさせ拳の中の空気を握り潰す。
「──いい加減にしろ! まだ舐めた態度を取るなら、上官不敬罪として猫鞭で背中の肉引っぺがすぞ! それともいつぞやの馬鹿みたく、タマに魔術を食らいたいかクソッたれ共!」
しかし、そこまで言い放ったところで、男達にルイの様子を指摘されてしまう。
「いいんですかい、そんな言葉をご友人の前で言って。驚いちまってますが」
「おやおや、いけませんなぁ」
「ぐっ……」
はっと気付いたエミールは、ばつが悪そうに口ごもった。その一瞬の隙を突くように、初めてルイが口を挟む。
「流石に言い過ぎだよ」
「いいんだよ、こいつらにとっちゃ日常会話だ。兵隊語ってやつさ」
だが彼の諫言は、早々に立ち直ったエミールに弾かれた。そして、ぶっきらぼうに言い捨てる若き上官に対し、兵士の一人が戯けてみせた。
「おおひでえ、俺らが下民だからってそんな言い草──」
「すっとぼけんじゃねえぞ酔っ払い共! 酒と娼婦しか頭にねえくせに。何度お前らの喧嘩や醜態の尻拭いをしたか……」
罵倒と深いため息を吐くエミールに、悪びれもしない兵隊達がげらげら笑う。まさしく、この一連のやりとりが王国軍士官と兵の日常であった。ルイからすれば全く信じ難いだろうが。
もう怒鳴る気も失せたようで、見習い士官のエミールは力無く「いいからとっとと兵舎へ帰れ」と言い捨てるなり、ルイを連れその場を後にしていく。
その背中を追いかけながら、ルイが一度だけ男らの方に振り返る。兵士達はなおも野盗のような笑顔を浮かべてこちらを見送っていた。通行人に侮蔑や嫌悪の視線に晒される中で。
二人はセルジョン家の私邸に戻ったが、玄関を閉めた途端にエミールが首をがくりと落として、本日二度目の重いため息を吐いた。
「アイツら、マジで……」
やがてエミールの頭が持ち上げられたが、そこにある目付きは真剣な形を作っており、真っ直ぐルイへと向けられる。
「言っておくが、アイツらを始め兵隊ってのはどうしようもない連中ばかりだ。大体が貧民の出で、前科者も多い。軍隊ってのはロクでなしの集まりなんだよ」
魔物や犯罪者を打ち払い王国の平穏を守る花形の騎士団と異なり、平和な時代の国境防衛という日の目を見ない役目を負う王国軍は、人々から全く好かれていない。その大きな要因の一つが、兵士の素行の悪さだった。
そもそも志ある者は騎士を目指す一方、人の嫌がる軍隊に志願するような者などいる筈もなく、十分な兵員を確保するには強制徴集しかない。しかし、このリュクス王国は徴兵制を敷いておらず、平時に一般民衆を召集する事も軍人に許可されていなかった。
故に王国軍は、路地裏の住人や軽犯罪で収容された囚人などに募兵契約書へ署名させ、常備の兵員としている。そうして軍には社会からの爪弾き者ばかりが集められた。士気が低く規律の欠けた兵士が多いのも当然だろう。
そのため王国民にとって日陰者である軍人以上に、兵士は軽蔑の対象だった。
「……はっきり言ってしまうとな、現状の王国軍兵士は、数合わせの捨て駒なんだよ。孤児に浮浪者、前科者、酒や賭博ばかりで妻子に家を出ていかれた奴もいる。何で国が軍に民を徴収させず、そういう奴らばっかり兵にさせるのか、分かるか?」
エミールの瞳に激情の色が混じる。ルイは黙りこくって次の言葉を待った。一つも聴き逃さないように。
「社会からすればそんな連中、“死んでも誰も困らない”からだ。兵隊共の方もそれを自覚してる。だから『どうせ自分達は死んだ方が良いと思われてる』と自暴自棄に酒と娼婦に溺れて好き勝手振る舞う……はぁ……」
やり場のない怒りと哀しみが、鉛の息に包まれて地面を転がる。しかしすぐにため息と共に落ちていたエミールの視線が上がり、傾聴する親友の顔を見据えた。
「だが軍は、そういう社会から弾き出された連中が犯罪に走らず、ぎりぎり真っ当に生きていける最後の寄る辺でもある。だから俺は、アイツらが何をしようが言おうが見捨てないし見下さない」
薄水色の瞳に真剣味が増す。そして軍人としての決意と覚悟を言い切った。
「俺達軍人だけは、アイツらを見捨てちゃならねえんだよ」
全てを聞き届けたルイは、肯首で理解を示し、親友の覚悟を慮る。
「エミールが騎士を目指すのは、彼らのためでもあるんだね。軍人の地位が改善されれば、兵士の扱いも変わる。変えられる。あの人達も白い目で見られる事が減るかもしれない」
「……」
エミールの唇は固く閉じられたままだったが、否定を口にすることも行動も無く、友の言葉をただ受け止めていた。
そして無言を貫きながら己の部屋へと向かう。ルイも倣うように後を追おうとした。その時である。
「ルイ様、少々よろしいですかな」
自身を呼び止める声にルイが振り返った。そこには鉄柱のように立つ老人、セルジョン家私邸の管理人がいた。その間に扉が閉まる音が静かに響く。エミールはもう足早と部屋に引っ込んでしまったらしい。
ルイが体を管理人へと向け直し、用向きを尋ねた。
「なんでしょうか」
「大変失礼ながら、先のお二人の会話が耳に入りまして。烏滸がましいと重々承知の上で申し上げておきたいことがございます。若様──エミール様と、兵士達の関係について」
管理人の言上にルイは背筋を正し、顎を上下させて続きを促した。始めに管理人は自らの身の上から語り出す。
「まず私の素性からお話しさせて頂きますが、私はかつてセルジョン家の中隊に所属する下士官でありました。本来、王国軍兵士は終身勤務でございますが、老齢と怪我で以前ほど体が動かせなくなった際、幸運にも旦那様つまりエミール様の御父君の便宜で、この私邸の管理人を務めさせて頂いております」
彼の年齢と反比例した真っ直ぐな背筋に矍鑠とした動きの裏側を知って、ルイは得心がいく。同時に一つの問いをぶつけた。
「ということは、エミールとも長いんですか?」
「はい、幼少の砌より。故に兵とどう関係を築いていったかもよく存じております」
管理人の男がはっきり肯定し、エミールの過去へ誘い出す。昔を懐かしんでか、老人は温かみのある瞳で遠くを見始めた。
それだけでエミールとの浅はかならぬ関係を察し、ルイはほんの少し前のめりになって耳に過半の神経を集中させる。これはエミールの濃い話が聞ける、と。
「若様に限った話ではございませんが、年若い士官、それもまだ一〇代という若過ぎる上官に、荒くれの兵隊がどう振る舞うかなど、容易に御想像がつきましょう。それはそれは小馬鹿にされておりました」
確かに先程の兵士達とエミールの応酬を思えば、簡単に想像がつく。かなり苦労したのだろうと、ルイは思った。
「特にある一人の兵士が大変失礼な言動を取りまして。其奴めは過去に婦女暴行の前科があることに加え、若様の前でも地元の少女に暴力を振るったのですが、それを叱責した若様を侮辱したそうです」
男は一度言葉を切ると、思い出し笑いを交えて昔語りを再開した。
「そしてその愚か者は、ふふっ、股間に初級攻撃魔術を受けたと聞きました。以降、若様を侮る輩は鳴りを潜めたようです」
エミールが兵士達に向けた罵倒にあった『いつぞやの馬鹿』とはその者だったのだろう。大の男が地面に転がり悶絶する様子を想像してルイは苦笑を浮かべた。一方で管理人の男は微笑を保ったまま続ける。
「ですが、若様が兵に手をあげたのはその一度きりです。他の部隊では士官が拳や鞭を振るうことも珍しくありませんが、若様はそういったことは好まない質なようで、その点は御父君譲りですなぁ」
その柔らかい語り口に、ルイの目尻が緩んだ。友の人が良いところは、昔から変わっていないのだと知り、口端が自然と上向く。
同時にエミールの父の人柄、その一端に触れ、どうやら直接顔を合わせても嫌な顔をされる可能性は低そうだと、安堵の念も湧いた。
その様子を見てとってか、目の前の老人が満足気に話を締めくくる。
「故に兵士達も、若様を次期中隊長として信用しております。幼き頃から知っているがために揶揄う者も多いですが、信頼の裏返しのようなもの。お気に病む必要は全くございませんので、御安心を」
ああ見えてエミールと兵士の関係は良好なのだと示した管理人に、ルイは友の過去を噛み締めて頷きを返す。
「ま、本当に“小僧”と舐めている場合があるのも否定できませんが。なにせごろつき揃いですから」
最後に付け加えられた言葉は、両者の苦笑を誘った。
※兵士の扱いについては史実における前近代の軍隊がモデル。詳細は活動報告にて。




