28話 トルスの町
ルイの服を買いに行く。
そう言い出したエミールは、翌日ルイを連れて街に繰り出した。
辺境伯領の中心都市であるトルスは、街中を河川が横切っており、市街を曲線でばっさり切り分けた大河とそれを跨る大きな橋がいくつも架かっている。
至る所で赤煉瓦の山脈が競い合うようにそそり立つ中を進み、運河として整備された幅二〇メートル程度の川の前に出たエミールは、そのまま川沿いを歩きながら、ルイにこの都市の特徴を説明していく。
「トルスの町は貿易と染物で栄えた土地でな。古くからこの川を水運と工業に利用してきたんだ」
そう言っている間にも、眼前の水上を複数の平底船が行き交っていた。一本の小さな帆柱を持つ小型船や艀はどれも貨物を満載し、この街の経済活動を物語る。なおもエミールの解説が続いた。
「特に“ホソバタセイ”っつー植物から採れる青の染料の生産と利用が盛んでな、町の人間が着てる服もそれで染めた物だ」
彼の言葉に連れられてルイは周囲を見渡す。人々が着用する衣服の多くが、目の覚めるような青や空色に染まっていた。
なるほどと頷くルイにまたエミールの声が掛かる。
「この辺りがウチの私邸から一番近い仕立て屋が並ぶ通りで、俺の服もここで仕立ててる」
エミールの示す先に、服飾関係の店が軒を連ねる通りがあった。仕立て屋の看板がいくつか見受けられるが、古着屋に布問屋なども見える。通行人に混じって、町の特産であろう青い生地を川手に向かって運ぶ人夫もいた。これから船に積み込まれるのだろう。
「店は自分で選んでくれ。俺が薦めちゃ、お前は言われるがままに何も否定しなさそうだからな。それじゃいけねえ。自由に、自分の好きなように選べばいいさ」
そうエミールは言うが、ルイはやや戸惑った様子で黙り込む。するとまた彼の親友が肩を組むような言葉を掛けた。
「流石に王立学園の生徒が一張羅の制服だけってのは頂けねぇだろ。心配すんな、ここならある程度口が効く。それに地元へ金を落として欲しいってのもある。本音を言えば領地で金を使ってもらいてえが……」
牧地ばかりの領地に服屋は無いからな、と最後は戯けて首を振る。それのおかげかルイの顔はやや明るさを増した。
「分かったよ。まあ一、二着ぐらい買っても、まだ大分余裕があるしね」
ルイは通りに視線を戻し、瞳をじっくり動かす。そしてゆっくりと歩き出した。その背後をエミールが追う。
通りを進む二人の足は他の人々よりも遅い。同じ方向を歩く通行人に次々追い抜かれていくが、二人は焦りも慌てもせず、店を一つ一つ観察した。やがてルイの足が止まる。その後ろで立ち止まったエミールは口を挟まず、彼の次の行動を待った。
ルイの前にそびえるは一軒の仕立て屋。こういった都市の店は、一階が店舗となっており、二階と三階は事務所や住居となっているのが一般的だ。この仕立て屋もその例に漏れず、一階部分に店を構えている。
ガラス窓の向こう側には、色とりどりの布が棚に並び、従業員らが布を裁断し服へ針を通していた。彼らの作業風景をルイがじっと眺める。そして彼は止めていた足を再び動かし、その仕立て屋の扉を開いた。
客の入店を報せるドアベルの軽い音に、この店の主人であろう人物だけが首をこちらに向けた。従業員は誰一人として作業の手を休めず、鋏や針を動かし続ける。
「いらっしゃいませ、何が御入用ですか」
背筋をぴんと伸ばす四、五〇代程の女性は、愛想笑いもせずにそう言ってルイとエミールを出迎えた。ルイが自分の服を見繕いに来たと伝え、それを受けた店主の女性は、やはりにこりともせずに奥へ案内する。
ルイの後に続くエミールは、ちらりと針作業をする従業員達の方を見やった。彼ら彼女らは一切手を止めず黙々と針を操って服を仕上げていく。机と同程度ある高さの、台の上にあぐらをかいて。
前世では信じられない光景に、エミールは初めて見た時の驚きを思い出す。しかしこの世界では、いやこの時代とも言うべきか、人々が床や作業台の上に座って仕事をすることは珍しくない。そうした方が楽だからだ。
効率や勤労意欲というものが欠けているように見えるが、この店を知るエミールは何も心配せずにルイの後を追う。
──ルイもお目が高い。ここは主人も職人も無愛想な代わりに、仕事はかなり出来る良い仕立て屋なんだよな。
友人の目利きを内心称賛しつつ、彼と仕立て屋の主人が交わすやり取りに耳を傾ける。どうやら上下一式を二着注文することになったようだ。結構な出費となりそうだが、そこはエミールの出番である。二人の受け答えが一段落したところで、口を挟んだ。
「主人、代金については俺の顔を立ててもらえると嬉しいのですが。彼は訳アリの親友で、それに俺にとっては恩人でもある。ここで彼を少しでも手助け出来ねばセルジョン家の家名にも関わりますし」
「……エミール様の御友人がどういった御方かは私も存じ上げております。だからといって仕事の手を抜くことも扱いに差を設けることも致しません。無論優遇することも、です」
上流階級を相手にすることが多い仕立て屋だけあって、ルイの素性も把握していたようだ。その上で職人としての矜持からか、誰も特別扱いはしないと言い切る。
だがエミールは負けじと食い下がった。
「それは承知していますとも、そちらの仕事振りと誇りはね。しかしこちらとしても、恩人である親友を何ら手助け出来ないなど、個人的にも良家の末席を汚す者の立場としても到底容認出来ないわけでして」
それでも仕立て屋の女主人はまるでびくともしない。それが何か? と言わんばかりの鉄仮面を崩すべく、エミールは早々に切り札を切った。
「あまり言いたくはありませんが……我がセルジョン家の“事業”が貴店にどれだけ関わっているか、を今一度思い返して頂きたいですね」
セルジョン家の事業という言葉に、主人は初めて眉を動かした。それはほんの僅かなものだったが、エミールは勝利を確信する。微笑をたたえて無言の圧力を放ち、彼女の返答を待った。
仕立て屋の主人はたっぷり時間を取ってから口を開く。
「……分かりました。エミール様に一つ貸しを作るのも悪くないと考えさせていただきます」
彼女は表情を変えずに淡々と言う。要求を飲む一方、さらりとエミールが借りを作ったことにすり替えるところは流石というべきか。上向いていた口角がひくつく。
その後、海千山千の女主人にやり込まれたものの、ルイが発注した服の代金は良心的な額でまとまった。
交渉が成立し、仕立て屋を後にするとルイが質問をエミールへ浴びせる。
「さっきセルジョン家の事業って言ってたけれど、もしかしてエミールの実家は繊維業か何かに手を出してるの? 町通りに案内した時も領地は牧地ばかりって言ったし」
「おっ、仕立て屋に関わってるってだけで分かったか。その通り、ウチは領地で羊を育てながら、トルスの紡績工場や織物工房に出資してるのさ」
歩き出したエミールは、そのまま生家の歴史を語り出す。
「そもそもセルジョン家が軍人一族として上流階級に食い込んだ始まりは、毛織物への投資だったんだよ」
セルジョン家は従卒の名の通り、元々はトルス辺境伯の従卒であったとされる。普段は辺境伯領の治安維持を、戦時には正規軍の一兵もしくは徴収民兵をまとめる下士官として、またはお偉方の雑用係として従軍する程度の家柄に過ぎなかった。
しかしある時、槍働きの手柄を挙げたことで辺境伯より報奨金を賜わる。
「御先祖の凄いところは、それを全部投資に回したことだな。人は身分がどうであれ必ず服を着る、そして服には布が要る。なら繊維業や織物へ投資すれば絶対利益が出ると踏んだらしく、トルスの織物工房へ報奨金を注ぎ込んだそうだ」
そして資産化した工房からの利益を郊外の土地購入に充て、羊の牧場とした。そこまで言えばルイも合点がいったようだ。
「じゃあ、それでトルスの工房は原料の仕入れ先に困ることが無くなったわけだね。後は羊を工房へ出荷して、その羊毛から得た収益で更に羊や土地を買うことを繰り返すだけ……」
「御明察、時間は掛かるがそれで確実に利益を積み重ねてきた。そうして代々こつこつと紡績や織物の事業を拡大させ、遂には中隊指揮官の地位を王国から買った。それから百年経っての今があるわけだ」
軍人一族セルジョン家の立身物語に、ルイが感嘆の言葉を素直に吐く。
「エミールの祖先は凄いね、従卒だったのにそこまでの商才があったなんて」
「当時成長途中だったトルスの町とその産業をよく見てたんだろうな。で、これからトルスはどんどん成長すると見込んだ。その先見の明のおかげで、一族はただの兵卒から一個中隊一〇〇人を率いる身分まで出世できたんだから、御先祖には頭が上がらねえや」
少し誇らしげな様子でエミールがそう言った時だった。野太い男の声が二人の耳へ無遠慮にぶつかる。
「おや、坊っちゃんじゃねえですかい」
「げっ……」
声の方へ振り向くと、エミールが分かりやすく顔をしかめた。
そこに立っているのは、いかにも柄が悪そうな髭面の男三人。エミールにとって帰郷中に最も会いたくなかった顔触れだった。
彼らは皆、王国軍の軍服を身に纏っていた。




