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27話 夏期休暇


 晴天の下で、革張りの屋根だけの質素過ぎる箱型馬車が二頭の馬に()かれ、平原を貫いた土の道を行く。

 馬車の中には少年にも見える大分若い茶髪の男と、彼と歳が同じであろう漆黒の黒髪を流す青年がいた。二人とも王立学園の制服を身に付けている。

 水色の瞳を持つ片われの若者はともかく、紫水晶(アメジスト)の瞳を持つ黒髪の彼は物憂げな貴公子という風で、簡素な貸馬車の安っぽさと全く似合っていない。

 制服に包まれた長めの手足も袖から覗く白絹の肌も彼の気品を際立たせており、馬車とのアンバランスさは、まるでぼろの木桶に一流の工芸品が放り込まれているようだ。


 彼らの乗る二頭立ての小さな馬車は、後輪より前輪がやや小さく、乗客の乗る車体後部が高くなっている一方、御者の座る前部は低い形をしている。この馬車は旅客輸送を担う物だが、風雨から身を守るのは細い支柱に支えられた屋根一つだけ。窓どころか扉すら無かった。

 その貧相な見た目に違わず、乗り心地は快適とは決して言えない。なにせ二、三人で一杯の狭い座席も板に薄い革を張っただけの代物に過ぎないのだ。今も土の道に転がる小石や(わだち)(ひづめ)跡といった凹凸(おうとつ)を乗り越えた衝撃で、馬車は揺れに揺れ、その度に乗客の三半規管が振り回される。


「……」

「少しは慣れてきたか、ルイ」


 茶髪の方の若者が、隣席の美男子へ声を掛ける。ルイと呼ばれた青年はややぐったりした様子で、八の字を描く眉の下の紫水晶を相方へと向けた。そして蚊の鳴くような声で頷く。


「うん……何とか……エミールは流石だね……」

「俺も最初はきつかったぞ。お前は宮廷生活が長くて遠出の経験も実習程度だから仕方ないさ」


 茶髪の青年エミールが揺れる座席の上で泰然と振る舞う。


 ──まあこれでも原始的なサスペンションがあるから、そこらの荷馬車よりずっとマシではあるんだが。


 そう思いながらも、エミールは「きついなら遠慮なく言えよ」とルイを気遣った。


 彼らは今、エミールの故郷へ向かっている。きっかけは学園の夏期休暇、つまり学園の夏休みに入る三日前。

 学園の生徒は王都在住者だけでなく、エミールのように地方から上って来た者も多い。そのため生徒の大半は夏期休暇中は帰省するか、保養地の別荘などに向かう。エミールもまた生家へ帰る一人だった。


 これに対しルイは学生寮に留まろうとしていた。彼は公妾──公式に認められた王の愛人──の息子という出自から王宮が実家と言えるものの、既にそこから追い出され、現在形式上は平民という立場にある。今更王宮に戻れる筈もない。

 このように事実上の天涯孤独状態にあるルイは、現状寮以外に身を寄せられる場所が無かった。所持金も王宮を出る際に渡された多少の手切金のみのため、将来の生活を考えれば常に節制を意識せねばならず、長期の旅行など論外。


 そのためルイは夏期休暇中は寮室に閉じこもり、食事の際だけ街中へという生活をするつもりだった。

 ところが、エミールが休みの間をどう過ごすかルイに尋ね、彼の予定を知った途端、ルイの休暇計画は吹き飛ぶ。


「俺の家に来い!」


 そう叫んだかと思えば、エミールは生家へ「ルイと共に帰省する。承諾と準備を願いたし」といったほとんど事後承諾な手紙を速達で送り付ける。その返事を待たずにルイと共に荷造りを済ませると、夏期休暇に入るなり他の学生達と同じく、寮を出て故郷への帰路についてしまった。


 返答の便りを受け取ったのは、王都から北へ四日進んだ宿場町でのこと。

 王国南部の王都からエミールの家がある北西部地方までの距離は、たとえ宿場町などに置かれた駅で馬を乗り換える早馬や郵便馬車であろうと何日も掛かる。そのため、あらかじめ手紙には返信先を学園ではなく、北西部への途上にある町の役所とするよう記していた。

 実家からの返事は──。



「受け入れてくれるのはありがたいけれど、本当に良いのかな……」

「平気だって言ってんだろ。先の騒動でもお前の鍛錬や助けのおかげで生き残れたって書いといたし、恩人として歓迎されるだろうよ」


 ルイの力無い言葉に、エミールの声が胸を張れと背を叩く。

 北西の方角に向けて進み、都度宿屋で寝泊まりする一週間弱の旅を続けた二人だが、左側に遠く西の隣国と国境を隔てる山脈が見えてきた頃、遂にそれも終わりを告げた。御者の男が突然振り返る。


「御二方、見えてきやした」


 男が指差す道の彼方、草地と農地の向こうに赤みがかった何かがあった。やがてその輪郭がはっきりしてくると、赤煉瓦(レンガ)を積み重ねた城壁だと分かる。

 それは王国北西部の過半を占めるトルス辺境伯領の中心都市トルスの市壁だった。

 門前までくれば、城壁だけでなくその内側の街も、紅色からオレンジ色までの暖色で揃えられた煉瓦造りで満ち溢れていることが、視覚に叩き付けられる。

 身分と荷物の検分を受けて門を潜った後、視野の至る所で広がる王都とはまた違う鮮やかな街並みを前にして、ルイはまるで都会を初めて見る田舎者のように視線をあちこちへ向けた。

 それを横目にエミールは小さな麻袋に包まれた馬車の賃代を御者へ渡す。馬車を進ませていた御者の男はその中身を素早く確認した。


「連れを軽く案内しながら私邸に行くから、この辺りで降ろしてくれ」

「へえ、毎度」


 門前広場の隅に馬車が停まる。屋根に頭をぶつけないよう立ち上がったエミールは、馬車の縁を乗り越えると、その下にある金属製の足掛けへ右足と体重を任せ、左足で着地。御者と共に車上のルイから荷物を受け取る。最後にルイが地面へ降り立った。

 御者と別れた二人は、エミールの先導によってトルスの町の奥へと進む。目に映るのは、密集して屹立(きつりつ)する赤い三階、四階建ての煉瓦造りと、その谷間を行き交う人々。その多くは青を基調とした格好をしていた。


 やがて二人は街の一角にある建物へと辿(たど)り着く。通りに面した二階建てで、一階正面は扉の両側に大窓が一つずつだけのものだが、三階の位置へ小さな屋根と出窓が伸びており、決して大きいとは言えないが貧相とも言わせない程度の造りとなっている。


「ここがセルジョン家の私邸だ。ちゃんと中庭もあるんだぜ、小っちぇけど」


 エミールはそう少し自慢気に言うも、すぐに表情を歪ませた。


「……上流階級の辛いところは見栄を張らなきゃいけねえことだよなぁ……軍人も上流階級の末席に連なる以上は社交に私邸が必要だが、維持費も馬鹿にならん。馬車も本当は安い乗合(のりあい)馬車の方が良かったんだが」

()えある王立学園の生徒が乗合馬車に、なんて格好がつかないもんね……」


 エミールの愚痴(ぐち)にルイは苦笑を浮かべるしかない。

 大貴族や大商人といった裕福な者達はともかく、エミールの生家のような小貴族などにとって、上流階級らしさを誇示することはかなりの負担だ。

 それでも“贅沢”は貴族の義務。特権階級としての示しがつかないようでは、下の者から敬われるどころか(あなど)られる。そしてそんな迂闊(うかつ)な者は、早々に上流社会から弾き出されてしまう。余裕の少ない中小貴族の悲哀がここにあった。


 気を取り直して扉の前に立ったエミールが、吊り下げられた呼び鈴を鳴らす。がりゃあんと極小の鐘が屋内に呼び掛けた後、しばらくして片側の扉が手前に動いた。

 顔を出したのは一人の老人。(しわ)が深くなりつつあるものの、背は真っ直ぐ伸び手足も細くはない。


「ここを任せている我が家の管理人だ。爺さん、世話になるぜ。で、聞いてるだろうけどこいつがルイ。俺の親友にして恩人だ」

「承知しております。ルイ様、ようこそいらっしゃいました」


 管理人の男性は無表情ながら綺麗な一礼を見せる。ルイも「お世話になります」と礼を返したが、どこかそわそわ落ち着かない。すぐにエミールが反応する。


「どうした」

「いや、その、さっき私邸って言ってたけれど、エミールの御両親は実家の方に?」

「ああ、大体領地の方に居て、こっちは社交とか限られた時だけだな。なんだ俺の親といきなり会うかもって緊張してたのか」


 笑って言うエミールにルイはどこかほっとしたような顔をした。

 腫れ物扱いされてきた彼の生い立ちを思えば、エミールを始め交流のある学生相手と違い、見知らぬ大人と相対するのはまだ心理的なハードルがあるのだろう。そうエミールは想像する。


 二人は管理人と共に荷物を抱えてセルジョン家私邸に足を踏み入れた。

 内部は外観同様、貧相とは思われない程度には整えられている。廊下は中庭側に窓を設けて、採光と中庭を見せつける役目を兼ねさせており、大きくはない屋敷を出来るだけ広く感じさせようとした造りとなっていた。


 管理人の案内で、エミールとルイの二人はそれぞれ用意された個室へと通される。エミールは荷物を置いて制服を脱ぐと、荷物の中から私服を取り出した。

 学園の制服はそれ自体がある種の身分証明となる上、万一の事態に備えての防具でもある。そのため、これまでの馬車旅ではやむなく着たきりであったが、それももう不要。ようやく気楽な格好が出来る。

 着ていたシャツはそのままに、上から膝丈のジャケットへ袖を通した。素材は輸入木綿というそこそこの高級品、ここでも上流階級としての見栄(義務)が表れている。


 着替えを終えて部屋を出たが、廊下に突っ立っているルイの格好を見て若干面食らう。彼は制服の上着を脱いだだけのシャツ姿。つまり──。


「ルイ、まさか制服とシャツしか持ってないのか」

「あ、うん」


 彼のあっさりとした返答に、エミールの視界が一瞬くらりと揺れる。そして怒鳴るように叫んだ。


「買いに行くぞ、服!」


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