26話 融和と再立
王立学園による大規模討伐作戦は、思いもよらぬ急展開によって成功とも失敗とも言えない結果に終わった。
討伐作戦自体は中止となったが、実施地域では結果的に相当数の魔物を間引いている。また不審な者達──隣国の工作員──によるテロ同然の妨害行為を受けたものの、犯人の一部を捕えた上に、彼らが使用していた魔道具も回収されている。
その立役者たるセリアの活躍は、ゲームストーリー以上のものだった。
本来のストーリーでは魔物の襲撃を何とか撃退しただけで、魔道具や襲撃を実行した工作員については存在が匂わされる程度。ところが今回は捕虜も魔道具も得られており、いきなり真相解明へ指が届きそうな展開となっている。
しかし、一方でその弊害も起きていた。工作員と魔道具の存在が早々に明るみとなったため、人々の耳目が一気に集まり衝撃と動揺が拡散されてしまったのだ。
「魔物を魔道具で操るなんて本当に可能なのか?」
「うーん、聞いたことないなぁ。でも確か他国は魔術より魔道具が発展しているっていうし、あり得なくはないのかも」
「それ外国が関わってるかもってことだろ、ヤバくねぇ?」
「帰省中に犯人の仲間が襲ってきたりするのかな……怖い……」
「大丈夫だって、心配し過ぎ」
「でも全員が捕まったわけじゃないし……仕返しに来ないとは限らないわ……」
今も学園のあちこちで、そんな会話が教師の目を盗むように行われる。
魔物を操る魔道具の存在、そしてそれを運用し学園生徒を襲撃した者達。これらの情報はあまりにも衝撃的であり、懸念や好奇心が跋扈するのも無理はなかった。
噂の根源である討伐作戦の当事者であったエミールとルイは、それらを無言で聞き流していたが、人気の無い廊下まで来るとやや重めの息と言葉をこぼす。
「思ってたより面倒なことになってるなぁ。学園としては、夏期休暇を直前に控えている中、生徒や民衆の不安を払拭しておきたかったんだろうが、裏目に出たな」
「だね……セリア様達が捕まえた男は騎士団に引き渡されてるし、騎士団から皆を安心させられる発表が出るまで学園の方はほとんど何も出来ない。先生方も苦しいだろうね」
「正しく八方塞がりだ。噂が薄れるのを待つか、消し飛ばせる朗報を期待するしかないわな」
そう言いながらも、エミールは内心思う。これでもゲームストーリーよりずっとマシなんだよな、と。
学生主体の魔物討伐中に、隣国工作員に操られた魔物の群れが襲って来るというストーリーイベント。ゲーム内では、初めて犠牲者が出ており、事態が深刻化していくことが示されていた。
それに比べれば、今の状況は悪いとは言い切れない。死者を出していない上に、捕虜と魔道具という重大な手掛かりまである。
ただエミールからすれば、学園側の対応がまずかった。
「先生方もなぁ……一旦は討伐作戦の参加生徒に箝口令を敷いて、騎士団からの公式発表を待てばいいものを。功名心か見栄か……下らねえ」
これだから騎士、貴族ってやつは、とエミールは胸中で唾を吐く。ところが意外にもルイは学園を擁護した。
「でも、あの人数の生徒が全員口を閉じていられたかっていうのを考えると、いっそ全部公表する学園の判断も仕方なかったんじゃないかなぁ」
「それは、確かに」
彼の言葉に、エミールが一理あると頷いた。人の口に戸は立てられない。騎士団の見解が出される前に情報が漏れるぐらいならば……という事情があったのかもしれないと考えれば納得出来る。
ふと前方から靴音の数々が聞こえ、エミールは視線を上げた。見覚えのある年上の学生達が歩いてくる。軍事学研究会でエミールとルイを扱いてきた上級生達だ。その十数人の学生の先頭に、討伐作戦で軍人家生徒の指揮した彼もいる。
「おう、エミール。……ルイも」
彼らはエミールに挨拶の言葉を掛けると、ルイの目をはっきりと見てから彼にも声を掛けた。それに敵意の色は以前と違って全く見られない。
「その……色々すまなかった。俺達が素直にルイを研究会の一員として受け入れていれば、お前らが必要以上の危険を冒すことも……エミールが負傷することもなかった」
上級生は言葉を一度止めた際、エミールの左腕を見やる。制服の袖に包まれて一見分からないが、彼の前腕部には真新しい包帯が巻かれており、先の戦闘で負った傷は当然ながら未だ完治していない。
「改めて、俺達の不祥を詫びる」
ざっと音と立てて一斉に上級生らの頭が下げられる。傾いた背中の角度まで綺麗に揃っていた。エミールとルイはただただ呆気に取られる。
二人は互いの顔を見合った後、エミールの方が先に口を開いた。
「いえ、私達も上級生の皆様への不信が過ぎていました。私としては友のルイを認めて頂けるだけでも十分です」
そう言ってルイに視線を向け、後を譲る。
「エミールの言う通りです。皆様の思いは受け入れますので、どうか頭を上げてください。むしろこちらが心苦しくなってしまいます」
ルイは上級生達を慮り、あえて“謝罪”という言葉を使わずに彼らの詫びを受け入れる。直接的に「謝罪を受ける」と言っては、相手の面子に関わってしまう。貴族社会を知る人間であれば当然の対応であった。
上級生らはルイの言葉を受けて背中を起こすと、表情を緩める。そして遅まきながら歓迎の態度を示した。
「今更だが……ルイ、軍事学研究会にようこそ」
それは今まで拒絶しかされてこなかったルイが、初めてエミールやダミアンといった個人的関係以外で容認された瞬間だった。
これにルイではなくエミールの方が感情を揺さぶられる。込み上げた想いが目頭に熱を帯びさせていく。
「謹慎中ですけどね」
「まあそれはそうだが、夏期休暇が明けたらエミールと一緒に研究会に是非とも来て欲しい。今度こそ、仲間として迎える」
苦笑を浮かべるルイの肩に上級生の柔らかい声が手を乗せた。そしてルイの前に右手が差し出される。一切の逡巡もせずに彼はその手を握った。途端、上級生がにかりと笑う。
「調練の手は抜かんがな!」
「あはは……お手柔らかにお願いします」
ルイも微笑を返し、それをもって和解の儀式が終わった。それじゃあと軽く手を振りながら去っていく上級生らの背中を見届けたエミールは、やや赤い目もそのままに、友の背中を叩く。
言葉は無かった。必要がなかった。ルイもただ微笑みを返し、エミールもまた面持ちを緩める。
自分達の努力や奮闘は、決して無駄ではなかった。そう感慨を噛み締めるようにエミールが空を見上げると、雲がほとんどない群青がどこまでも広がっていた。
視線を戻し隣を見やれば、二つの紫水晶が同じように天を見上げて煌めいている。思えばルイと寮の同室だと分かった入学時、ルイの瞳にここまでの光はあっただろうか。
両親から疎まれ、ただ一人味方であった養母同然の侍女さえ実母によって遠ざけられ、果てには王宮から追い払われた。
そんな彼にとって、あの時エミールと顔を合わせた際の心情たるや、どんなものであったか。不安と悲観垂れ込める曇天だったに違いない。
しかし今やルイの顔は頭上の空のよう晴れ渡っている。
先のセリアの活躍に、自分が踏ん張る意義や意味など存在しないのではないか、とエミールは打ちひしがれたが、ルイと上級生の和解、そして今の彼の瞳の輝きを見てすっかり考えを改めた。
この不遇だった親友の人生を、少しでも上向かせられたのであれば、それだけでエミールにとって価値も甲斐もあるというものだった。
それを自覚すると、すべきことが明確になっていく。
もっと己自身が強くなればいい。セリア達に追い付けなくとも、今後のゲームストーリーに対応出来る力を持てれば、自分も更には周りの身命を守れるようになる。
元より騎士への昇格が今世での一族の悲願だったのだ。騎士に並べる実力を目指すことは、初めから変わりない。なら、覚悟と動機がより強まり一本化されたと言える。
エミールは気炎を吐いた。
「よし、今日から昼休みの時間も使って特訓だ。討伐作戦の時みてえな失態は二度と御免だからな」
「僕も付き合うよ。あの時魔狼を全滅出来ていれば、エミールを助けてあの男も捕まえられたかもしれない。僕も強くならなきゃ」
熱に当てられたようにルイもそう決意を口にする。
そのまま談笑する二人の若者が廊下の曲がり角の向こうへと消えていった。窓の外では世界を照らす太陽が燦々(さんさん)と日光を振り撒いている。
季節は夏の半ばを迎えつつあった。学園が休止し、学生らが帰郷する夏期休暇はすぐそこまで迫っており、誰もが不穏な噂と休養の計画に気持ちが落ち着かないでいる。
それでもエミールとルイの二人は進み続けると決めた。何が待ち受けようとも──待ち伏せるそれが大口を開けていようとも。




