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24話 死神


 真っ黒な触手に足を絡め取られて、茂みから引きずり出された男。彼こそが魔物を操っている術者に違いない。そう確信したエミールは、槍を構えながら駆け寄る。鋭い穂先を男の首に突きつけ、低い声がその体を押さえつけた。


「動くな。ガキだからと(あなど)るなよ、こちとら軍人家の人間として命のやり取りは心得てんだ」


 その言葉に男は動きを止める。フードの下にある男の面持ちは固く、感情は読み取れないが、突き出された槍先を前に抵抗するつもりはないようだった。


 エミールは男の風貌を観察してみる。

 目立たない灰色の外套(がいとう)とフードで全身を隠すその格好は、公爵家の隠密ノワールの物にも似ていた。そのことからも、この男が裏工作に関わるような人物であり、また先程まで姿が見えなかった事実から、闇魔術の使い手であることが察せられる。

 ゲームストーリーの通りなら、この男は隣国の工作員。エミールは手強そうな相手だと感じ、内心固唾を呑んだ。そして虚勢を張るように強い言葉を叩き付ける。


「お前が魔物を魔道具で操っているんだろう。今すぐ魔道具を停止させろ」


 手にした槍をほんの少し前へ押し出し、(きっさき)が今にも男の首に触れようかという位置まで進む。それでも目の前の男は鉄仮面を崩さない。流石は隣国からわざわざ潜入してきた工作員といったところだが、エミールとしては厄介でしかなかった。


「魔道具を停止させろ! さもなきゃ、体の穴を一つか二つ増やしてやろうか」

「……」


 槍を握り直して大声で一喝するも、男は何の反応さえ見せなかった。脅しが通用しないのであれば、力尽くでやるしかない。

 痛めつけるのも一つの手段だが、槍を突きつけられても動じない相手の様子から、拷問の効果は期待出来ないと思われた。しかしながら幸いにも、魔術に長けた親友が今まさに隣にいる。


「ルイ、こいつが隠し持ってる魔道具を取り上げろ。妙な真似しないかは俺が見てる。分析して停止出来るかやってみてくれ」

「分かった」


 ルイは己の影から伸びる触手を増やし、男への拘束を強めてから、魔道具を探しに掛かる。触手で雁字搦(がんじがら)めにされた男の体を彼が(まさぐ)ろうとした、その時だった。


 濃厚な殺気と草を踏み締めて駆ける音に、エミールの意識が向く。視線だけを向けると、毒々しい赤い瞳を爛々(らんらん)と輝かせる狼が、何頭も突っ込んでくる光景があった。


「なっ⁉︎」


 突然の出来事にエミールもルイも一瞬体が固まる。その僅かな隙を突かれた。

 それまで闇魔術の触手に拘束されて微動だにしていなかった男が、弾かれたように身を(ひね)る。男の動きを察知してエミールが目の向きを戻した時には、もう彼は地面を転がることで槍先と触手から逃れていた。

 千切れた影の触手の一部がぼろりと転がって霧散していく。男が何らかの魔術を行使して拘束を解いたらしい。


「うわっ」


 ルイの怯んだ響きについ首を回すと、二頭の魔狼──通常の狼より一回りは大きい体躯を持つ中級の魔物──をルイが触手で押さえているところだった。しかし、更に二頭の魔狼がルイを挟み込むようにして唸っている。

 流石のルイも、四頭もの魔狼を同時に相手するとなれば手一杯なようで、再び男を拘束する余裕は無いらしい。


 自分一人で男を捕らえねばならないと理解し、槍と体を目標へ向け直した。ほとんど同じタイミングで、素早く立ち上がった男がエミール目掛けて飛び掛かる。

 それにエミールは槍を横薙ぎに振るうことで対応した。が、身を極限まで低くした男の頭上を掠めるだけに終わる。

 地を這うような姿勢でエミールの攻撃を避けた男は、体を起こしながら右手を振りかぶると、そのまま殴りつける形で腕を伸ばした。その手にはぎらりと光る小剣(ショートソード)が握られている。

 明確な殺意の形に、エミールの背筋が凍りつく。冷たい汗が全身から噴き出るのを感じつつ、全力で大地を蹴り、飛び退くことでその刃をかわす。


「ぷはぁ、はぁー……はぁー」


 ひとまず危機を回避した直後、思わず情けない息が漏れた。魔物との戦闘と対人戦は、勝手も覚悟も違ってくる。特に武器という実態を持った殺意を前にすれば、相手が自分を殺そうとしているのだと嫌でも実感してしまう。

 エミールは相棒たる槍の感触を確かめ、相手より遥かに長いリーチを持つ武器という存在をもって、自らを落ち着かせた。


 一般的に、間合いの広い槍は剣の三倍も有利だという。長剣(ロングソード)ですらない小剣(ショートソード)であれば、尚更向こうが不利。なら必要以上に恐れることはない。そう己を奮い立たせ、腰の位置で槍を構え直す。

 工作員の男は、刃渡り三〇センチ程度の短い剣を真っ直ぐエミールに向け、隙の無い気配を漂わせつつ、じりじりと接近。感情が読み取れない鉄のような相貌と相まって、エミールは気圧されそうになる。

 一気に懐へ踏み込まれてしまえば、おそらく敵わない。そう思い、槍の間合いを活かして先手を取ろうと、()えてこちらから前に出た。左足を踏み出すと同時に左手の中で槍を滑らせる。柄を持った右腕のみを一気に押し出し、槍先を数メートル離れた相手の胴体目掛けて突く。

 はなから当てるつもりはなかった。他国からの侵入者、しかも魔物の領域に潜み続けた工作員だ。相応の実力はある筈で、簡単に攻撃が命中するとはエミールも考えていない。

 案の定、男は少し体を斜めにずらしただけの半身(はんみ)で穂先をかわし、槍竿を掴む。そのまま柄を引っ張るようにして体を前に出し、剣を突き出した。


 エミールは顔を歪ませる。想像していたより男の動きが速い。

 そんな感想を抱く間に、がら空きなエミールの胸へ、剣の鋭い先端が刺さる。それは無慈悲に制服を貫き、その内側に埋まる。ルイの悲鳴が聞こえた。


「エミール!」

「うぐ……痛ってえなクソったれ!」


 鋭い痛みにエミールが口汚く(ののし)る。刃先は確かに肉を裂いて血を流させているものの、一センチ以下の浅いところで止まっていた。

 反撃を予想していたエミールは、(あらかじ)め厚い魔力の膜で胸部を覆い防御している。学園の制服は、魔力が浸透及び帯同しやすい特殊な繊維で作られており、魔力を帯びさせれば簡易的な防具となる。魔力に優れた者なら、下手な甲冑より強固な装甲にもなり得た。

 故にエミールが形成した魔力の胸甲(きょうこう)は、男の一撃から制服こそ守れなかったが、その内側にある肉体へのダメージは最小限に留めている。ルイとの魔力操作鍛錬の賜物(たまもの)だった。


 その防御力は流石に男も想定外だったのか、彼の両目がやや大きくなる。男が見せた一瞬の隙をエミールは見逃さず、槍を手前へ回転させ、右足を踏み出しながら石突側の柄を男へ叩き込む。

 右下方より襲い掛かった槍竿は、男の腰を捉え、がんっという金属質な音を奏でた。その瞬間、男の表情が僅かに引き締まった気がした。


 ──今のは……まさか!


 人の体から出るには異様な響きと柄を通じて感じた硬い衝撃。その二つはすぐさまエミールの頭の中で、ある情報と結びつく。

 魔物を操る魔道具に違いない。そう確信したエミールは、今さっき攻撃を加えた男の左腰辺りを集中的に狙う。

 まず、衝撃で跳ね返った柄の勢いを利用して、前へ戻る槍先を一気に右へと振り回す。ぶんっと空気を裂きながら男の左側頭部に向かう一撃は、空を切った。その場にしゃがみ込んで攻撃を避ける男に、エミールは口角を上げる。狙い通りだ、と。


 先程は想定以上の速さに対応出来ず、初手からあっさり懐に踏み込まれたが、今度こそ槍の間合いを活かし切るつもりだった。

 エミールが左手を逆手にして槍を握り直し、上方より突きを繰り出す。右の順手と逆手の左手で槍を握る形は、右側から刺突を繰り返すのに向いている。つまり、男の左半身へ集中的に攻撃を加えることに、都合の良い戦い方だ。


 相手は身を転がせて回避するも、エミールは何度も素早く突いた。執拗(しつよう)なエミールの突きを、男が剣で受ける。

 身を起こせずにいても、彼は工作員らしく手練(てだ)れた動きで、柄を叩き上げる度に槍の軌道を見事に逸らしていた。だが、リーチの差はあまりにも大きい。二度三度と防いだ直後、四度目の刺突が男の外套を貫く。

 引き戻された穂先が布を引き裂き、外套で隠されていた内側が露わとなる。男は目立たない茶色のベストに緑のシャツという、街中や村で見掛けても違和感が無く、かつ野外活動にも向いた服装をしていた。

 そして腰のベルトからぶら下がる短い鎖と、それに繋がれた四角い手提げランプのような物。金属の骨組みに透明度の低いガラスがはめられ、内部から濃い紫の光が漏れている。

 あれだ、あれが例の魔道具に違いない!

 そう確信したエミールは、何の躊躇(ためら)いもなく、それ目掛けて槍を思い切り突き出す。


 鋭い穂先は、空を切って草に覆われている大地に埋まった。

 しかしエミールはそれを見ていない。()()()()()()。突然視界が真っ暗になったためだ。


「クソッ、目くらましとは」


 悪態を吐くエミールの眼前には、黒い(もや)が漂っている。男の左手より放たれた闇魔術だった。姿を隠す魔術を使っていた時点で相手が闇の魔力持ちだと分かっていながら、エミールは不覚にも戦闘中はそれが頭から抜け落ちていた。

 このままでは攻撃も防御もままならない。そんな状態のエミールを、相手が指を(くわ)えて見ている筈もなく、視界が効かない中で工作員の男と思われる気配が動いた。


 相手は、エミールの胴体が魔力の装甲に守護されていることを思い知っている。ならば次に狙う急所は首と考えた。自分ならそうする。そう思ったエミールは、咄嗟(とっさ)に槍を左へ振りながら引き戻し、牽制と防御を同時に行う。

 左手を逆手から順手に持ち変え、体の前で槍を左斜めに保持することで正面を守り、左腕を首の位置に持っていく。首筋を守る左腕に魔力を集め、不可視の籠手とした。


「ぐあっ!」


 次の瞬間、左前腕に強烈な衝撃がぶつかり、バランスを崩したエミールの体が右へ浮く。即座に右足がたたらを踏んで持ち堪え、倒れることは防いだ。

 しかし、左腕が激痛を訴え泣き(わめ)く。痛覚以外が遮断された前腕に代わり、肘の神経が脳へ腕がとろりと濡れていることを伝えた。どうやら出血しているらしい。


 ようやく視界を覆っていた(もや)が晴れてきた。体を巡るアドレナリンの力を借りて痛みを無視しながら槍を握り直し、男の姿を探す。左から首を狙ってきたのなら、更に回り込んでくるか、あるいはこちらの右側へ潜り込んで首か腹を突きにくるか。

 右を見る。木々と枝葉だけが揺れていた。ならば背後かと(きびす)を返し、槍ごと体を左へ半回転させる。だがそれでも工作員の男を捕捉出来ない。


 一体どこに──、そう思った瞬間、殺気を感じ視線を下げる。エミールの腰より低い位置に、男がいた。その視覚情報を受けたエミールの脳が判断を下す前に、男は猫のように背中を丸めて飛び掛かる。

 彼の両手に包まれた剣の刃口が、既に真っ直ぐエミールの腹部へ向けられていた。そして男が体ごと剣を前に、つまりエミールへと突き出そうとする。

 異様にゆっくりとしたその動きに対し、エミールは全く身動きが出来なかった。脳が普段制限している処理速度を無理矢理上げて、危機回避の方法を懸命に探っているのだ。

 しかし、あまりにも男との距離が近過ぎる。ただただ、この攻撃が不可避であり、魔力による防御も間に合わないという非情な現実を、緩やかな時の中で長々と突きつけられただけだった。


 やがてスローモーションの情景が時を取り戻す。猛烈な勢いで飛んでくる刃が、死神の大鎌の代わりとばかりに残忍な輝きを放った。


 ──あ、死ぬかも。


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