23話 突撃
突撃する軍人家生徒は、手当たり次第に魔物へ剣槍を突き出し、辺りを血の海に変えていく。
エミールもまた、相棒の槍を下方から振り上げて、己に飛び掛からんとする小柄な怪鳥の体を引き裂いた。そして槍と両手をくるりと逆手に変えて穂先を突き落とし、別の魔物サラマンドラを貫く。その猫程はあるイモリに似た火吐き蜥蜴へ、足を乗せて己の体重を押し付けると、槍を一気に引き抜いた。
エミールは一度周囲を見渡して、ひとまずの安全を確認した後、穂先に左手をかざす。掌より魔術で生成された水が流れ出し、槍先にこびり付いていた血や脂を洗い落とした。
「無事かぁ、お前らー!」
赤毛の青年──ダミアンが魔物の死骸を踏み越えた先へ安否を問う。その声に連れられてエミールが視線を動かせば、汗と戦塵、そして多少の血で汚れた騎士科や魔術科の生徒らの姿が近くにある。とりあえずは無事な様だった。
だが、彼らの一人が荒い息を整えもせずにダミアンへ言い返し、すぐに言い合いへ発展してしまう。
「何だ、何しに来たっ、お前らの助けなんか、必要ない」
「言ってる場合かって、この場を切り抜けて教師陣か他の集団と合流するぞ」
「平民上がりが、偉そうに何を」
「だから、言ってる場合じゃないでしょーに」
ただでさえそれどころではないというのに、今度は軍人家生徒と、騎士科との怒鳴り合いまで始まってしまった。
「いいから一旦俺達と一緒に離脱しろってんだよ! このままじゃ全滅だ!」
「僕らが退いたら魔物が人里へ向かうかもしれないだろ!」
「そうだっ、貴族たる者が民を守らんでどうする! そもそも騎士落ちの言う通りに出来るか」
「んな下らねえこと言ってる状況じゃねえだろうが!」
「魔物から集落を守るためにも俺達が全滅しちゃいけないんだよ、だから一度退くって話だ!」
この醜態にエミールが奥歯を噛む。
ゲームでもあった魔物の大群が現れるストーリーイベント。ストーリー上では、襲撃を受けた生徒の集団をセリアが救出していた。が、その「襲撃を受けた生徒集団」が今の自分達であるとの保証はない。
魔物の群れを見た当初、エミールは自分達こそが「イベントにおいてヒロインに助けられるモブ」なのだと思い込んだ。故に持ち堪えてさえいれば、全員無事に助かると。
しかし、先の打ち上げられた複数の救援信号を考慮すると、そう楽観──それも極めて楽天的と言える──は出来ない。
セリアの助けがあるのかどうか、あったとしても最初に自分達の元へ向かうのか否か、或いは……壊滅する前に間に合うのか。
何より気掛かりな点として、ゲームストーリーでは……死傷者が出ていた。
それを思えば、自分達が危機を脱するだけでなく、恐らく同等の危険に見舞われているであろう、他の生徒達を一刻も早く救援しなければならない。
だというのに──! 焦燥がエミールの胸を焼いていく。
それを感じ取ったのか、ルイの右手がエミールの肩に置かれた。彼の方へ振り向くとルイの真剣な表情が問い掛ける。
「どうしたらいい、指示を」
自分を使えという提案に、エミールはありがたく頷き、意識を思考に割く。
魔物の群れは未だ炎の壁に阻まれており、大きな動きは見られない。しかしいくらルイといえども、これほどの規模の魔術を行使し続けるのは大きな負担である筈で、長くは持たないと思われる。
そしてこの窮地を一時は脱したとしても、追撃を受ける可能性が高い。何故ならゲームストーリーでは、魔物の群れを魔道具によって誘導されていた。つまり群れを操る術者がいる。こちらを見逃す理由などまず無いだろう。
騎士科、魔術科と共にこの場を切り抜け、かつ追撃の危険を潰すにはやはり、魔道具か術者をどうにかする必要がある。
そう考えたエミールは決心した。術者を狙うと。
「ルイ、さっき言った魔物を統率してる奴、見つかったか?」
エミールが上級生に他生徒との合流を提案する直前、あの時に彼がルイへ耳打ちしたことがこれだった。
群れの様子を見るに、彼らには一定の統制が認められる。なら群れを制御している統率者がいる筈で、群れ全体を把握出来る位置に潜んでいるに違いない。それを闇魔術で探って欲しい、とエミールはルイに頼んでいたのだ。
ルイはエミールの問いにはっきり答える。
「いたよ、群れから右斜め後方の木の陰、そこに誰かいる。人だよ、フードを被ってる」
誰か人がいるという言葉に、エミールの目付きと口元が引き締まった。それでも平静を装って問う。
「人だと、助けに来た教師じゃないのか。何か怪しいところが?」
「うん、それがずっと隠れてこっちを窺っているみたいなんだ。それも強力な魔力を感じる魔道具を持って」
──ドンピシャだ。
魔物の活発化を通して王国の弱体化を図る黒幕、その一味の一人に違いなかった。そしてその者が持つ魔道具こそ、魔物を操る道具なのだろう。
エミールはすぐさまルイに居所を問い、彼もすぐに指し示して答えた。
「どこにいる」
「あそこ、木の陰に潜んでる」
ルイの指先と平行になる様、真っ直ぐ視線を伸ばす。魔物の背後で鬱蒼とした森の木々しか見えなかった。
しかし、ルイがいると言ったのなら、そこにいるのだろう。エミールはそう信じる。だが他の者はそうもいかない。ならば──。
「ルイ、さっきと同じだ。炎の壁で囲いを作るんだ。ただし、あそこへ一直線の通路の形でな」
ルイが指し示した先と同じ場所へ指を指し、そう言う。
エミールの言葉にルイが頷き、手を振るった。すると先ず、それまで生徒達を守っていた黒炎の壁が消える。次にルイが再び魔力を乗せた手を動かすと、下から振り上げるような動作に合わせて、漆黒の業火が地面より湧き起こった。
学生らを挟み込む形で噴き上がった焔は、地獄が地上へと溢れたかのような勢いと共に、真っ直ぐ前方に伸びる。
突然出現した炎の壁に挟まれ、生徒達の言い争いが止まる。呆然として動かない彼らの耳朶をエミールの声が打った。
「意見具申!」
その一言で注目を集めたエミールより、指揮官である上級生へ今日二度目の提言が為される。
「ルイが誘導路を作りました。全員がこの炎に沿って群れを突破すべきです、突撃の御命令を!」
「……よしっ、総員、突撃せよ!」
少しの間が置かれるも、指揮官の決断は十二分に速かった。剣を振り上げて進行方向を指し、突撃を下令する。
「お、おおおっ」
一瞬戸惑った軍人家生徒らも、命令に吶喊の声で応えつつ走り出した。一度目の突撃によって、既に隊列は崩れていたが、それでも三〇人強の人間がある程度横に広がって駆ければ、人垣がそっくり進むことになる。
そしてその左右には黒い火炎壁がそびえている以上、避けることなどできない。
「お、おい、ちょっと!」
「押すな押すな!」
結果、その前に立つ騎士科も魔術科も、一人残らず押し出されるようにして共に走らざるを得なくなった。
なし崩しに全パーティが一つの塊となり、彼らは炎の壁に誘導されるがままに突き進む。当然、その進行方向にいる魔物とぶつかることになったが、騎士科の斬撃と魔術科の射撃によって、ことごとくが討ち倒されていく。
そうして突進を続けるうちに、魔物の群れを突破。他の魔物は未だ黒炎に阻まれ、追撃には移れない様子。エミールからすれば、呆気なさすらあった。
──騎士も魔術師もパーティという形で分散せずに、その火力を一点へ集中させればここまで強力なのか。
エミールは関心とも呆れともつかない感想を抱きながら、再びルイに例の術者の位置を尋ねる。すると彼は右目に魔力を集中させたのか、片方の紫水晶の瞳が漆黒に染まった。ややあって、目標の状況を確認したらしいルイの答えが返る。
「魔道具持ってる怪しい奴、今もいるか?」
「……うん、移動はしてない。けれど僕達が向かって来てることに慌ててるように見えるかな」
「そうか、よぅし。まだ逃げ出してないなら、とっ捕まえてやるか。なぁ?」
そう悪戯っぽく笑うエミールに、ルイは苦笑いを浮かべた。
自らを含めた生徒集団が、魔物の群れを突き抜けることに成功した以上、次に取り掛かるべきは群れを操る魔道具を止めることだ。可能であれば破壊するか奪取したいが、逃げられる可能性は低くない。
とはいえ、この場から追い払うだけでも魔道具の稼働を一度止めることが出来るし、魔物による追撃を避けられる。
「おいっ魔物が来てるぞ!」
駆け続けていた騎士科の生徒達の一人が、ふと背後へ振り返り驚愕の声を上げる。
同じ方角を見れば、黒い炎の向こう側から魔物が続々と姿を見せていた。身を焦がして苦悶を吐く彼らは、どこか狂気的であり、自らの意思とは別のものによる行動とも取れる。
おそらく術者が魔道具を通して無理矢理追撃を強行させたのだろう。だとすれば、自身が潜む方向に生徒らが雪崩れ込んで来るのを見て焦ったに違いない。
「背中を突かれるわけにはいかん、迎撃する! 反転して隊列を組み直せ」
「平民上がり共に後れを取るな、続けっ」
全ての生徒達が足を止める。業火の幕を突き破って自分達に追い縋る魔物に対し、彼らはそれぞれ迎え撃つ構えを取った。
しかし、エミールはルイの肩を掴んで前に進み続ける。本来規律を重んじるべき軍人としては、独断専行は厳に慎むべきだ。が、それをかなぐり捨てても、魔物を操る術者を捕捉出来る好機を逃すわけにはいかない。
背後で戦闘音の合奏が沸き起こるのを感じながら、ルイを連れて木々の間を抜けていく。エミールは目標の潜伏地点をルイに問う。再びルイの目が闇の魔力で黒くなり、彼の腕が持ち上がった。
「ルイ、奴さんの正確な位置は?」
「あそこに──って、あっ」
ルイの指差した先の木陰から、不可視な何かが飛び出す。それが何なのかはエミールには分からなかった。しかし姿が見えないものの、揺れる草葉と微かな気配から、何かが逃げ出したことだけは理解できた。咄嗟にルイへ叫ぶ。
「逃がすな!」
闇の魔力を持つ親友の足元より、不気味な黒い触手が伸びる。獲物を前にした蛇のように、しなやかな動きで飛び掛かり、今まさにがさりと騒いだ茂みへと突っ込む。
「なっ、うあぁ!」
悲鳴と共に草木の中から引きずり出されたのは、フードの付いた暗い灰色の外套で身を包んだ成人男性。魔物を操る黒幕の尻尾そのものだった。




