22話 隊列戦闘
魔物の大群を前にして、迷わず打ち上げられた魔術による信号弾。その判断自体は決して間違いではなかっただろう。ただ──状況が悪過ぎた。
あちこちで同じ救援信号が上がったということは、他の集団も自分達と同じく夥しい数の魔物と遭遇したか、複数の中級の魔物といったそれに匹敵する脅威と対峙しているに違いなかった。
教師らの救援がどこから優先されるのか、どの程度時間が掛かるのかは分からないが、何れにせよ、当面は自分達だけで魔物の群れに対処しなければならない。最も速く現状に適応したのは、軍人家生徒だった。
「軍事学研究会員、集合っ! 二列横隊!」
上級生の一人が叫ぶ。それを聞いた生徒の一部──全て軍人家生徒だ──とエミールの隊が、声の元に集まり、列を作っていく。戸惑う騎士科と魔術科の生徒を置き去りにして。
騎士科生徒の一人が静止の声を上げるも、即座に軍人家生徒に怒鳴り返された。
「な……おい、勝手なことを──」
「あの数相手に、パーティ編成なんざ意味ねえよ! 俺達が中央で連中を抑えるから、騎士科は左右を固めて魔術科は後方で援護射撃頼む!」
そうこうしてる間に三〇人強の軍人家生徒が集合。瞬く間に二列横隊を完成させる。エミールとルイもその一部として、前列に立った。横隊が成ると、すぐに次の号令が飛ぶ。
「前列片膝つけっ、魔術攻撃用意!」
号令通り一列目の生徒達が右膝と武器を地面につけ、全員が魔力を利き手に集中させた。ルイは勿論のこと、エミールも槍を地面に寝かせてから右手に水属性の魔力を宿す。
その間にも魔物の群れは森を震わせながら、真っ直ぐこちらに向かって来ていた。もう残り五〇メートルを切ろうかという距離。魔物の一体一体の姿もはっきり見え、種類まで見分けることが出来る。
火吐き蜥蜴を始め、有角野兎 のような小動物型の魔物に、踵突きや鷲木兎といった人間に対して好戦的な怪鳥など、低級魔物の数々で溢れかえっている。
しかし本来、このように雑多な魔物が一塊の群れとなることはあり得ない。かといって以前の竜のような、上級の魔物に追い立てられている様子でもなく、一定の統制が見て取れた。
やはり、とエミールは確信する。ゲームのストーリーイベントと同じように、魔物の行動を誘導する魔道具が使用されているに違いない。
魔物達は依然として迫り続け、既に残り三〇メートル。軍人家生徒の指揮を取る上級生が、あらん限りの声で吼えた。
「放てぇ!」
その号令を合図に、軍人家生徒らが魔術を発射する。火、水、風、雷、土、そして暗黒の、刃や弾丸が雨霰と魔物の群れへ降り注いだ。
どれも基本的な攻撃魔術であったが、小型の魔物相手であれば十分な威力を発揮する。機関銃の掃射でも受けたかの如く、魔物がばたばたと倒れた。
しかし、それでも群れの勢いはまるで衰えず、突き進み続けていた。後僅か一〇メートル。
「総員、近接戦闘用意!」
指揮官の命令に、軍人の卵達は足元に置いていた槍を手にするか、腰の鞘から剣を引き抜く。エミールも片膝をついた姿勢のまま槍を低めに構えると、石突を後方の地面へ当て、両手との三点で槍を固定。魔物の突撃に備える。
二列に並ぶ彼らの内、前列の槍持ちはエミールと同じ形で槍を保持し、直立している後列は腰の位置で構えた。槍ではなく剣を持つ者は、腕を引いて刺突の動作を用意している。
そしていよいよ魔物の群勢が、エミール達の隊列へその体を届かせた。だがそれは、槍と剣の壁との正面衝突を意味する。
突っ込んで来た先頭の一部が、待ち構えていた穂先に貫かれて鮮血を噴き出し、槍先から逃れて隙間に飛び込む魔物も、素早い剣の刺突にその命を絡め取られた。
「退がるな、突けっ、突けぇ!」
上級生の叱咤を受けて、二列の横隊が剣槍を懸命に前後させる。その度に魔物の血肉が引き裂かれた。エミールの顔にも返り血が降り注ぎ、彼は嫌な生温かさをべっとり感じつつ、それでも槍を片膝の体勢で突き上げては引く。
何度も相棒の鋒を繰り出すが、眼前に迫り来る魔物は、次から次へと現れキリがない。流石に自重の多くを支える右膝も、痛覚を通して過負荷に過ぎるぞと抗議のトーンを次第に強めていく。
「危ない!」
右隣より聞こえたルイの叫び声に、エミールがはっと視線を向ける。隊列の右方を黒い炎が走り、何体もの魔物を火達磨にしていた。
もう少しで右側面を強襲されるところだったようだ。それに気付いたらしい生徒の一人が怒りを露わにする。
「騎士科は何やってんだ、側面を固めろって言われただろうが!」
エミールも同じ気持ちで、槍を突き出し続けつつ騎士科生徒の姿を探すと、信じ難い光景を目撃した。
なんと彼らは、エミールらの隊列からやや離れたあちこちで、ばらばらに戦っていた。後方にいるべき魔術科の生徒も、彼らに同行している。
つまり無思慮に魔物の群れへ飛び込んで、自ら孤立状態に陥っているのだ。軍人の立場からすれば、無謀以外の何物でもない。
今すぐに彼らを一度退がらせ、態勢を立て直す必要がある。が、上流階級中心の彼らが軍人家生徒の言葉に耳を貸す可能性は低い。現に先程の「騎士科は左右を固め、魔術科は後方から援護射撃」との要請を、まるっきり無視された状況が目の前にある。
苦々しく面相を歪めるエミールだったが、ぱっと顔色を変えてルイを呼ぶ。
「クソったれ、どうにかあの馬鹿共を退げないと──そうだっ、ルイ!」
「な、何?」
「さっきみたいに魔術で炎の壁を作ってくれ、俺達と魔物の間に。連中と俺らを分断するんだ。それと……」
エミールはルイへ何かやや長めの耳打ちをした。その間、ルイは傾聴しつつも、魔術でエミールのカバーを行う。足元の影から漆黒の触手が伸び、エミールへ飛び掛かろうとする魔物を片端から叩き落とす。
黙って聴き入っていたルイだったが、耳打ちが終わると即座に言葉を返した。
「分かった!」
了解の言葉を言うなり、彼は両手を前に掲げる。闇の魔力が目に見えて濃くなっていき、やがて勢いよく放出された。足元へ流れる黒いそれが一気に燃え上がり、隊列の数歩先に凡そ二メートルの高さまで黒火がそびえ立つ。
魔物達は轟々と炎上する仕切りに阻まれ、慌てて突撃を止めた。一方、突如として禍々しい焔の壁が出現したことに、軍人家生徒は誰もが息を呑んで固まった。
その隙を突くかのようにエミールが指揮を執っていた上級生へ叫ぶ。
「意見具申! 意見具申!」
エミールはその単語を繰り返すことで、献策があると伝えた。強張った面持ちの上級生がこちらを向く。
「ルイの魔術で魔物と前方の他生徒を分断させた後、我々が前進して彼らを収容。その後全員でこの場より撤退、教師陣或いは他パーティ集団と合流を図るべきかと」
「……」
具申されたエミールの意見に上級生は黙り込んだが、その沈黙は長く続かなかった。彼は指揮官として必要な即断即決そのものを体現する。
「意見を採用する。総員、炎が消えると同時に一斉射、その後突撃せよ! 射撃用意!」
「おおっ!」
指揮官の命令に、軍人家生徒は雄々しく応える。各々魔術攻撃の準備を行い、事態の打破に向けて次の令を待った。
エミールも魔力を手に集める。槍を左手で保ち、空いた右手へ水色の魔力を納めた。そして隣のルイに視線を向けて頷く。
紫水晶の瞳を持つ青年がそれを受けて立ち上がると、前方へと手を掲げ、何かを払うように横へ振った。途端に、眼前の黒い炎壁が霧散して視界が広がる。炎の幕が遮っていた向こう側には、呆然として動かない魔物達の姿。
「放て!」
隊列を成す人間全てが一斉に魔力を解き放つ。彼らの手から飛び出した様々な属性の魔力の矢弾は、何の慈悲も容赦もなく魔物達の生命を薙ぎ払った。
火球がぶつかってその身を燃え上がらせ、凶悪な氷柱が脳天を貫き、血肉を焼く稲妻が心臓を止める。または、魔物の小さな体が風の刃によって無惨に引き裂かれ、土塊の砲弾が頭蓋を押し潰す。
瞬く間に数十の魔物を射倒したが、それでも魔物全体どころか、他パーティ集団と軍人生徒らを隔てる者共の一部に過ぎない。故に次の手がすぐさま打たれた。
「ルイ、やれっ」
エミールの声にルイが無言で、こくりと首肯する。濃密な闇の魔力がルイの足元から出現し、彼の身を覆う衣服が、ぶわりとはためいた。すっと手を前にかざし、ルイはその魔力を解き放つ。
黒い魔力が燃え盛りながら凄まじい勢いで宙を駆け、魔物の群れへ突っ込んだ。それは地を走り回って魔物を焼き払いつつ、乱戦を繰り広げる騎士科と魔術科の生徒を囲い込むように、広い火の柵を巡らせる。
魔物と彼らが分断されたのを見て、指揮官の上級生が血走った号令を下す。
「突撃にぃ、前へぇぇ!」
咆哮と共に二列の横隊が、魔物の群れへと突っ込んでいく。王国軍一個小隊相当、三〇余名による突撃が始まった。




