11話 グラウリー
監督役だった上級生を先頭に、エミールら三人が木々の間を抜け、下草と木の根を踏み越える。戦闘に備えて、体力を無闇に消耗させぬよう早歩きより速い程度の足取りを上級生が維持。お陰で、日頃から鍛えられている騎士家どころか、軍人家系の人間ですらないルイでも、問題なく付いて来れていた。
森の中に響き渡る三度目の爆発音。焦燥でつい早まる足を理性で押さえながら、音のした方角へ進む。右手の槍を、水平に近い形で保持しつつ足を動かすエミールの耳に、喧噪が遠くに聞こえてきた。いよいよ轟音の現場が近いらしい。
「もうすぐだ、急ぐぞ!」
全速で駆け出した上級生が剣で邪魔な枝を切り払い、エミールとルイが続く。木枝を避け、茂みを突っ切ると、開けたところに出た。そこには十人以上の人間がいたが、それより目を引くのが、蝙蝠に似た翼を持ち鱗に覆われた大きな身体。竜だ。
馬より一回りどころか三回りはあろう巨体、それに付いた二本足は象のそれと同じ太さがあり、腕の代わりに伸ばす翼は片方だけで大の大人はある。頭部も全長が一メートル弱程度で、牙が並んだ凶悪な口は人の頭を丸齧りに出来るだろう。
そんな二足竜が、蛇の大群を背後に連れて唸り声を上げている。酷く驚いた様子で上級生の足が止まった。
「な……グラウリーだと。何でこんなところにいやがるんだ」
グラウリーは王国領内に生息する竜の一種であり、通常は人里離れた遺跡や洞窟などを棲み処としている。竜としては低位だが、それでも討伐には最低でも騎士の小隊が必要とされる強力な魔物だ。
単体でも強大だが更に厄介なことに、グラウリーは蛇の魔物を眷属として従え、彼らが先鋒として敵対者へ押し寄せる。どう考えても学園の生徒の手に負える相手ではない。
しかし、この魔物こそゲーム内で最初に登場したボス級の敵である。本実習にて例年にない魔物の群れが出現したことも、グラウリーから追い立てられてのことだった。
それを知っていたエミールは、狼狽えたりこそしなかったが、グラウリーの迫力に気圧される。思わず石のように固い生唾を飲み込んだ。
……足が動かない。クソっ、奴が出て来るのは知ってたろうが、現物を前にしただけでこの様か。
奥歯を噛み締め、足を動かそうとするがぴくりともしない。石化でもしたような重い体の再起動を何とか試みる。が、指一つ動かなかった。そのくせ心臓と息だけはやたらうるさく、激しい。
その間にも竜が一吠えし、その背後の蛇の群れが進み始めた。進軍先には多少の傷を負った生徒や怯えて足腰に力が入らない者達。このままでは間違いなく彼らの生命が刈り取られてしまう。
どっと冷えた汗が噴き出し、頭の中に早鐘が響いた。「まずい」という単語が脳内に満ちていくばかりで、目の前の光景をただ見ているしかできない。蛇の舌からしゅるしゅると鳴る音が重なり響き、その鎌首を次々にもたげた。
爆発が起きる。
「え……?」
爆風で髪が揺れた。突然のことに呆然となるが、巻き上がった土埃が晴れた後の景色を見て得心がいった。抉れた地面だけを残して蛇の大群が消え去っており、その浅い大穴の前には一人の女子生徒が立っている。
学園の制服とケープこそ他の生徒と変わりないが、金の長髪を後ろで纏め上げた、その凛々しい姿より漂う高貴さは唯一無二だった。
「セリア嬢……!」
この世界のヒロインが両手を掲げると、配下をごっそり失い唸ることもできなくなっていた竜の足元に、冷え切った霧が出現した。それに合わせて草に霜が降りたかと思えば、グラウリーの下半身が急速に凍り付く。地面に固定された魔物は驚いた様子で、腕の翼を羽ばたかせ身を捩るが、両足を覆い尽くした氷塊はびくともしない。
これで終わらず、セリアが腕を指揮者のように振るい、その動きに合わせて新たな氷が出現。巨大な氷の鎖がグラウリーの首を大地に繋ぎ止め、口先にも巻き付いてしまう。これでは首を動かすどころか口を開くことも叶わず、流石の竜でさえ翼をばたばたとさせる見苦しい姿を晒すしかなかった。
身動きの出来ないグラウリーに、セリアが数歩近付く。上げていた腕を更に頭上へ持ち上げると、空中に光の槍が現れ、その矛先が竜の頭部に向いた。そして彼女の両腕がギロチンの如く落とされる。
途端に、光線と化した槍がグラウリーの眉間を貫いた。額に綺麗な真円の風穴を作った二足竜の瞳が一瞬大きく見開かれ、生気がみるみる失われていく。じっとグラウリーを観察したセリアが、ややあって両手を払うように振る。
魔力によって生成された氷が砕け散り、光り輝く幻想的な水晶の雨と共にグラウリーが崩れ落ちた。騎士の一個小隊で対処すべきとされる竜は、たった一人の女学生によって、一滴の血も流すことなく息絶えた。
「……ゲームのセリアより強くね?」
安堵と同時にエミールの口からぽろっと本音が零れた。ゲーム本編でも魔物達のボスとしてグラウリーが登場し、セリア達に討伐される。だが、ここまで呆気ない戦いではなかった。そもそも彼女のパーティの姿が見えない時点でおかしい。
そう思っている間に、セリアが振り向き呆然としていた生徒達に声を掛ける。
「皆、大丈夫だった?」
初めて聞く彼女の声は、凛として耳に心地良く染み込む響きだった。幻想的なエメラルドグリーンの瞳と相まって、妖精の女王を思わせる。
その場に居合わせた全員が彼女の雰囲気と旋律に酔わされていると、唐突に慌てた声が転がり込んだ。声の方を見れば枝葉の合間から亜麻色と赤髪が目に映る。
「セリア!」
「おい、無事か!」
茂みの中から飛び出したのは、王太子シャルルに近衛騎士子息テオドールという騎士科の二巨頭。どうやらセリアはパーティを組んでいた二人を置き去りにして、グラウリー討伐に向かっていたらしい。
ゲームストーリーと異なり、パーティを置いて単独かつ的確にグラウリーの元に辿り着いていること、そしてゲーム序盤のセリアを明らかに上回る実力でグラウリーを屠ったこと。学園で収集したセリアの情報を踏まえて、この二点について考えれば、彼女が転生者である、しかもゲーム経験者の可能性がより高まった。
彼女がこれまでメインキャラとの交流を控えていたというのも恐らく、この戦闘イベントに備えて自己鍛錬を最優先してのことだったのかもしれない。であれば、あの強さも納得だった。
高貴な生まれのメインキャラ二人が公爵令嬢に駆け寄った。麗しい令嬢と美男子が向かい合う光景は随分と絵になるもので、エミールは流石は乙女ゲームのキャラクター達だと場違いな感想を抱く。
「いきなり走り出して驚いたよ。それでこれはいったい……」
シャルルが辺りを見渡した。負傷者を見ても表情を変えなかったが、額に穴を空けて倒れ伏す竜の姿にぴしりと固まる。逆にテオドールは素直に驚きを出した。
「うぉっ、グラウリーじゃん。何でここに、っていうかセリアが倒したのか?」
「ええ、何とか私だけで討伐できたわ」
「セリアが一人で!?」
シャルルも竜の死骸から目を離して驚愕を露わにした。
その三人のやり取りを横目に、怒涛の展開で呆気に取られ続けていたエミールのパーティが、正気を取り戻す。
「惚けてる場合じゃねえ。エミール、ルイ、負傷者を手当するぞ」
「はっ!」
「は、はい」
上級生の指示で負傷生徒らの容態を確かめに向かう。
エミールは軍人家系の人間として、基本的な応急処置を心得ており、ある程度の外傷には対処出来る。一方のルイは、おろおろするばかりでどうすれば良いのか分からない様子だ。それを見てすぐにエミールが呼び掛ける。
「ルイ、彼を運ぶのを手伝ってくれ。肩を貸すんだ」
グラウリーと出会す前に魔物との戦闘で、足を負傷したらしい男子生徒を指し示す。ルイはこくこく頷き、エミールの言葉通り行動した。二人で生徒の両腕をそれぞれ担ぎ、安静に出来る場所に運ぼうとする。
その時、透き通った高い声が耳朶を打った。
「ま、待ってください。私が治療します」
声の主は一人の女子生徒。全力疾走した直後なのか呼吸は荒く、肩で息をする度、緩やかに伸びた薄桃の髪を揺らす。入学式で見たその顔にエミールは瞳をほんの少し大きくさせた。
セリアを除くメインキャラで唯一の女性キャラクター、平民子女フィーユだった。
彼女は負傷生徒の足元にしゃがみ込み、深呼吸を一つして傷口に手をかざす。その両手から淡い光が湧き出し、光に包まれた傷は瞬く間に塞がっていった。
「治癒魔術……!」
ルイが目を見張る。無理もない。魔術のあるこの世界でも、瞬時に傷を治す高度な治癒魔術の使い手は、大半が歴史に名を遺す程度には希少だった。とはいえ、この学園で治癒魔術を使えるのはフィーユだけでなく、セリアもなのだが。
そのことを前世のゲーム知識として知っていたエミールは、驚きこそしないが実物を目の当たりにして、興味を隠せず、じぃっと治療状況を凝視していた。
傷が完全に消えると、エミールとルイの肩を借りていた生徒が、目を丸くさせながら足首を回す。足の具合を確認した彼が地面を踏み、預けていた自重をゆっくり自分のものとする。
「す、凄い。こんな短時間で完璧に」
己の足で立つ彼の姿にルイが称賛の言葉を漏らした。エミールも前世ではあり得ない出来事に、感嘆の息を吐くしかない。
魔術による治療を終えたフィーユは、柔らかい笑みを浮かべた。さながら慈愛の天使の如く。
「よかった……それじゃあ、行くね。他の人も看なきゃ」
そう言って別の負傷者の元へ駆け寄った。次々と外傷を負った生徒を癒して回る彼女を眺めながら、エミールとルイが言葉を交わす。
「あれが平民の出ながら、治癒魔術の才能一本で入学した特待生か」
「彼女、本当に凄いよ。治癒魔術は他の魔術より魔力操作が繊細で、個人の資質に大きく左右されるんだ。それをあんな簡単そうにやってのけるなんて」
「……流石はメインキャラ張るだけはあるか」
「ん? エミール何か言った?」
「いや何でもない」
そんな二人を──エメラルドグリーンの瞳が見つめていた。




