10話 転進
ルイの周囲に噴き上がる黒色の魔力が、幾つもの球形を成す。彼は紫水晶の瞳に戦意を宿して叫んだ。
「僕も戦えるよ!」
そして黒球が、物を投げるような彼の腕の動きに合わせて前方へと進み出す。放物線を描いて飛ぶそれらは、不気味に黒々とした靄の尾っぽを引きずりつつ、やがて三体の魔物サラマンドル達目掛け突っ込んだ。
彼らは向かって来る黒球に慌てた様子で、蜘蛛の子を散らすような逃走を図った。しかしそれは遂げられない。速度を増した群れ成す魔力の球が、三体のサラマンドルの身体を捉えて次々に炸裂する。黒い魔力の塊が霧散した後は、やや抉れた地面と一部が消し飛んだ草葉以外何も存在していなかった。
恐ろしい威力に、エミールは息を呑む。通常、魔術師は魔術の発動を専用の杖や魔術書を用いて行う。そうでないと魔術の威力が十分に発揮されないためだ。しかし、魔力に優れた者は、生身だけで自在に魔術を行使出来る。ルイもその一人である事実を、今のでまざまざと見せられた。
ふと気付けば、いつの間にかルイが隣に立っている。
「どう? 僕だって魔術師として十分戦えるでしょ。一人で全部やろうとしないでよね」
「あ、ああ。いや実力は疑ってないが、実戦は初めてだろう。戦闘の空気に慣れるまでは俺が先行しようかと」
「大丈夫。最初はびっくりしたけれど、もう落ち着いて戦える」
「ならいいが」
「仲良いなお前ら。ルームメイトとは小耳に挟んでいたが……」
会話がひと段落したところで、監督役の上級生が口を挟んだ。そう言って、ちらりとルイの方を見る。それだけで何を言わんとするかは察した。厄介な身の上である彼とよく付き合えるなと言外に示す上級生に、きっぱりと述べる。
「ルイは“友人”ですから。私が騎士科の上級生に絡まれた時に助けてもらってから、今のような関係です」
そう断言したが、ルイは驚嘆の声を上げる。
「ええっ、先にエミールが僕を助けてくれてからじゃないの」
「あの頃はお前が一方的に懐いてただけだろ」
ルイとの掛け合いに、上級生はまた、仲が良いなと言って笑う。そこにはもう、ルイへの微妙な感情は見えなかった。三人で笑みを浮かべ合い、和やかな空気に包まれる。やがてルイが上級生に質問をぶつけた。
「そういえば先輩はエミールの家とどういう御関係なんですか? 上官と部下のようなものとは実習開始時に聞きましたが」
「エミールのセルジョン家は辺境伯の領軍の中隊を率いる一族だが、俺の家は中隊を束ねた大隊を率いる大隊長の一族だ。まさに上官と部下の間柄だな」
「なるほど。それと──」
問いを重ねようとしたルイだったが、そう離れていない場所からの物音によって中断される。エミールら三人が一斉に音の方角を見やると、またもやサラマンドルの姿があった。それも複数。更に人の頭より大きいガマガエルまでいた。
「またかよ。しかも魔蛙付き」
文句を言いながらエミールが槍を構える。だが今度の魔物達は、先程までの連中とは違い、立ち向かう意志を見せた。
先頭の一体が喉元を膨らませ、エミールに向けて何かを一息に吐き出す。赤とオレンジが混ざったそれを、後ろに下がって避ける。地面に落ちた物は、じゅわりと音を立てて草土を焼いた。
「……サラマンドルは炎を吐くと聞いていたが、どっちかっつーと酸とか毒液の類いっぽいんだが」
ゲーム内のエフェクトとは違う攻撃と焼けた土を前に、冷や汗を一つ垂らしたエミールは槍を握り直す。ルイも闇の魔力を出現させ、射出の準備に掛かった。迂闊に近付くのは危険と見て、二人共距離を取りつつ戦う形を取る。一方魔物達は、警戒の姿勢のまま動かない。が、睨み合いは長く続かなかった。
攻撃の用意を終えたルイが魔力球を放つ。それにサラマンドルが炎の如き毒液で応射。しかし闇の球は毒液をものともせず突き進み、先頭のサラマンドルに衝突すると、弾けて黒霧を撒き散らした。
途端にエミールが地面を蹴って、靄の右側から魔物達のいた地点へ回り込む。視界に映るは、魔力球に気を取られ隙だらけなサラマンドルとガマガエル達。目前の出来事に囚われているばかりの彼らとの距離を詰め、槍を繰り出す。
柔らかい横腹にずぷっと鋭い穂先が埋まった。肉を貫く感触と、筋肉が締まって槍が固定されてしまう感覚を柄越しに感じながら、槍を思い切り捻る。強引に筋肉繊維を引きちぎり、傷口を広げて槍を引き抜いた。
その際、左手は柄を握らず輪だけを作って、槍を滑らせる。そしてすぐに二体目へ目標を移し、右手だけを押し込んで得物を突き出す。相手はこちらに反応していたが、その回避行動よりエミールの攻撃の方が僅かに速かった。
鋒が肉を喰むと、一歩踏み出し、身体ごと左手を前進させ柄を握る。そして槍先を上へ跳ね上げてサラマンドルの肉体を切り裂くと、今度は魔蛙に槍を叩き付けた。ガマガエルの頭頂部がぱっくり割れる。
「エミール、危ないっ!」
ルイの警告と共に、じゅっと何か嫌な音を聞く。右を見れば、闇の魔力による幕が浮かんでいた。これがサラマンドルの毒液を防いでくれたらしい。
「助かった!」
手短に礼を伝えつつ槍を振るって、毒液を吐いたサラマンドルを仕留める。一度その場から飛び退き、周囲の状況を確認すると、自身が倒した四体とは別に数体の死骸が転がり、地面や木々がところどころ齧られていた。ルイも十分に戦っていたようだ。が、それにもかかわらず、魔物の群れは全滅とは程遠かった。
「増えてね?」
明らかに当初見た時より数が増えている。エミールの思わずといった言葉に、ルイではなく上級生が応えた。
「妙だぞ、ここまで一遍に魔物が押し寄せてきたことなんて初めてだ」
この状況に異常さを感じたらしき彼は、腰の左に佩いていた剣に手を掛ける。ルイも表情を硬くさせていた。一方のエミールは冷静を保つ。
前世の記憶によれば、この実習では例年にない規模の魔物の群れが出現。怪我人も大勢出る中でヒロインのセリアが活躍し、事態を収束させていく。それがゲーム最初の戦闘イベントだった。
その影響が眼前の光景なのだろう。そう現在状況の裏側を推測出来るが故に、エミールはやや悠然としていられたが、少々予想より魔物の数が多い。
ゲームイベントの巻き添えでこれなら、メインキャラクター達の方はどうなっているのか。
「……ここが片付いたら他のパーティを助けに行くことも考えた方が良さそうだな」
エミールは槍を握り直す。自分達はまだサラマンドルにクラポーという低級の魔物だけだが、他の場所、特にメインキャラのいるパーティは、ゲーム内で中ボスとして登場した魔物を相手にしている可能性も十分あり得る。であれば、ゲームストーリーより被害が拡大するかもしれない。
今更ながらそれに思い至ると、エミールは己の思慮不足と油断を省みつつ、上級生に意見を具申する。
「先輩、一度他のパーティや先生方と合流して状況を把握するべきです。何かがおかしい」
「……そうだな。こいつは異常事態と見た方がいいか……監督者としての判断でお前らの実習を一時中断する」
そう言うと上級生は握っていた剣を躊躇いなく鞘から抜いた。
「魔物を蹴散らしてこの場を離脱するぞ。ルイ、魔術で連中を薙ぎ払え。エミールはその直後に俺と突っ込むんだ。最後に俺の合図で撤退、分かったか」
「はっ」
「了解です」
「よし、ならやれ!」
エミールとルイそれぞれの返事を聞くなり、上級生は攻撃命令を下す。ルイの手より黒紫の焔が現れ、目前の地面を邪炎の大蛇が這い回った。魔物達の一部が闇の魔力に焼かれ、その急襲に群れ全体が怯む。まだ紫炎が残る中、上級生が叫んだ。
「突撃!」
弾かれたように剣士と槍使いが駆ける。上級生がサラマンドルの首を刎ねたのを横目に、エミールは抱えられる程の巨大なガマガエルへ槍を刺突。捻り込んで抜こうとしたが、肉付きが良過ぎるのか素直に抜けない。
「あっこの、血と脂で切れ味鈍ったか」
やむなく、仕留めた魔蛙を足蹴にして、槍を無理矢理引っこ抜く。その間、視界の端で漆黒の触手が動き回っていた。隙だらけのところをルイが援護してくれたようだった。
槍を構え直し、ざっと周囲を確認すると、既に数体を片付けた上級生が魔術を放って魔物の群れを牽制している。その彼が魔物から目を離さないまま、撤退命令を出した。
「退くぞ! ルイ、援護しろ」
「はいっ」
もう一度ルイの手のひらより黒と紫の炎が放たれ、自分達と魔物の群れとの間に燃え盛る境界線を引く。壁とは言えぬ低い障害だが、低級の魔物を足止めするには十分なようで、火から生まれ出るとされるサラマンドルも、流石に闇の魔力の炎に近付こうとはしない。
お陰で楽々とその場を離れることが出来た。速足で森の中を進みながらルイが問い掛ける。
「これからどうするんです」
「出発地点に戻りつつ、他のパーティを探す。移動しながら聞き耳を立てろ。戦闘音を聞き逃すな」
上級生が振り返ってそう返した直後、進行方向とは逆──斜め後方から爆発音が響いた。全員の足が止まる。
「……先輩」
エミールの言葉に、上級生は無表情のまま静止した。数秒後、再び聞こえた轟音を受けて彼が決断を下す。
「救援に向かう。ついて来い!」
二人の青年が迷いなく頷き、踵を返す上級生身の後に続いて駆け出した。




