表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/117

尾上-1

 流れてゆく街並みから空に視線を移す。

 曇天が広がっていた。深海のように重苦しく、太陽の光が届かない天気だった。

 予報によるとクリスマス以降まで晴れることはないらしい。


「空に光が無いなら、地上が輝ければいいでしょう? そしたら、空から雪という贈り物が落ちて来るわ」


 そんな彼女の言葉が好きだった。だからクリスマスは、必ず雪の降る街に行って、お祝いをしていた。

 しかし彼女は最近忙しい。今年も離れた場所でクリスマスを迎えることになりそうだ。

 だが今年は違う。家族が増えたのだ。見た目は派手だが優しい男の子と、可愛い獣人の女の子が一緒にいる。きっと、クリスマスは最高の日になる。


「お客さん。ここでよろしいでしょうか?」


 タクシーの運転手が聞いてきた。通行止めの黄色いテープと工事現場のフェンスが見えた。


「はい。大丈夫です」


 料金を渡し外に出る。冷たい風が尾上のコートを揺らす。フェンスの隙間を通りマンションへ向かう。


 スマートフォンが振動した。

 12月20日、13時5分。

 赤志からのメッセージだ。


 返信せず歩いていると、タワーマンションの入口に赤志がいた。


「尾上さん!」


 手を振っている。相変わらず血のように綺麗な赤い髪だった。


「悪いな! 突然呼び出して」

「構わないさ。それより、大丈夫なのか?」


 赤志から連絡が来たのは昨夜の深夜だった。新横浜駅の事故で怪我などはしていないと言っていたが、もしかしたらと考えると心配だった。

 だが杞憂だったようだ。相変わらず愛くるしい笑みを浮かべている。


「お疲れ様です。尾上所長。突然お呼び出ししてしまい申し訳ございません」


 赤志の後ろにいたのは本郷縁持刑事だった。その隣にはジニアチェインがいる。

 2人ともどこか悲しげな雰囲気が漂っていた。


「中で話しませんか?」

「マンションに入ってもいいのですか?」

「構いやしねぇよ。誰も気にしないさ」


 赤志がかわりに答えた。その顔は、少し強張っていた。


「どうした? そんな怖い顔をするなよ。勇」


 尾上は笑みを向けたが、雰囲気は変わらなかった。

 一同は崩壊したエントランスを通り、エレベーターに乗る。まだ電力は生きていた。そのまま赤志が以前住んでいた部屋に入る。


「部屋の中は綺麗だな」


 尾上は窓を背にするようにソファに座る。テーブルを挟み、3人は横並びに座った。

 沈黙が広がる。


「どうしたんだ? みんな。さっきからずっと怖い顔をしてるぞ」


 3人の緊張が伝わったため、尾上は顔から笑みを消し、心配そうに視線を巡らした。


「無駄話をする気はない。単刀直入に聞く。聞かれたことだけ答えてくれ」


 赤志は一度息を吸い、意を決したように口を開いた。


「シシガミユウキって……あんたなのか?」

「ん?」


 首を傾げる。


「いや。俺の恋人の名前だ。言ってなかったか?」


 赤志は目を丸くし、口を開けた。


「……あんた……あんた何言ってるかわかってんのか!? 俺が探している人間の名前、何度も聞いていただろ?」

「それが? 「シシガミユウキ」だろ?」


 赤志が目を丸くしている。


「なにを驚いてるんだ。漢字が気になるのか? 獅子の神に────」

「そうじゃなくて! なんでその時に言わなかったんだ! 恋人と同じ名前だって!!」

「なんでって……言う意味がないからだろ? お前の探しているのは「シシガミユウキ」で、俺の恋人は「シシガミユウキ」だ。違うじゃないか」


 赤志は口をパクパクと動かす。


「なに? は? なに言ってんだ? あんた」

「お前こそ。大丈夫か? やっぱりどこか怪我したんじゃ────」

「あなたは、トリプルMを三鷹組に提供してましたか?」


 本郷が割って入った。


「そんなことをするわけがないだろう。それをやっているのは「シシガミユウキ」なのでは?」


 本郷は目に角を立てる。


「結論から言うと、私たちはあなたが「シシガミユウキ」なのではないかと疑ってます」

「……なんです? それは? 冗談はよしてください」

「あなたの恋人はワクチン接種後に亡くなってますね。「シシガミ」さんは副作用などで死亡したのですか? それとも事故や、病気で?」

「……失礼な人だ」


 尾上は目に角を立てた。


「彼女は生きている。昨日だってやり取りをしている。これが証拠だ」


 メッセージのやり取りを見せれば納得すると思い、Lianのやり取りを見せる。


「失礼」


 本郷がスマホを手に取り中身を確認する。ジニアも隣から見る。赤志だけは尾上を捉えていた。

 しばらく画面をスクロールしていた本郷は、指を止め、目を見開いた。

 ジニアが小さな悲鳴を上げる。


「なに、これ……」


 本郷は尾上に画面を見せる。


「これを見てください。昨日のやり取りです」


 尾上は視線を向ける。


「今年のクリスマスは寂しくなくなるよ。面白い子たちと一緒に暮らすようになってね」

【あら。じゃあレストランなんか予約しないで、家でゆっくり過ごしてみたら】

「いいね。ああ、でも、キミのハンバーグが久しぶりに食べたいよ」


 その次のメッセージは、自作だろうハンバーグを見せながら自撮りをする「シシガミユウキ」が映っていた。


「これが一昨日のやり取りです」


 本郷が指を這わせた。


「最近忙しいけど、今年のクリスマスは家に戻れるかも」

【なら、クリスマスはレストランを予約しないで、家でゆっくり過ごさない?】

「いいね。ああ、でも、キミのハンバーグが久しぶりに食べたいよ」


 次のメッセージは、自作だろうハンバーグを見せながら自撮りをする「シシガミユウキ」が映っていた。

 さらに前の日のメッセージを見せる。

 次のメッセージにまた同じような問答と料理と自撮りが映っていた。


「一週間前に遡っても、少し言葉は違えど同じ内容のやり取りが繰り返されてます。ひと月前も。2ヶ月前も! 全部が、この短いやり取りで終わってるんです」


 本郷が焦りながらも赤志に横目を向ける。赤志は唇を噛み締めていた。

 尾上は、


「いやぁ、恥ずかしいな。彼女とのやり取りなんか見られると」


 純粋な笑みを浮かべて後頭部を掻いていた。


「……尾上さん。俺の話、聞いてくれるか?」

「ああ。何を話すんだ?」

「あんたが「シシガミユウキ」だっていう根拠だよ」


 赤志は仮説だ、と言って話し始めた。言葉を震わせながら。

 シシガミユウキだという根拠。ワクチンを使った計画。トリプルMや偽造ワクチンに関して。そして復讐。

 一通り聞いた尾上は鼻を鳴らした。


「面白い話だが、俺には何のことだかサッパリだ。偽造ワクチンなんて、そんな荒唐無稽な────」

「お母さんは?」


 ジニアが言った。


「私のお母さん、どこにいるの?」


 ジニアの目からは涙が零れ落ちていた。彼女は家族を探していた。「シシガミユウキ」に合うと約束していた母親を。


 そうだ。そう言っていた。たしか、そう。

 尾上の目がスッと細くなる。




「彼女の名は解放という意味を持つフランス語だった。運命だったよ。それで完成したんだから」




 一瞬の静寂が流れる。ジニアが肩と唇を震わせた。


「トリプルMを若い子たちにばら撒いていたのは布石だったんですね。「グリモワール」や進藤を使ったのは、既存のプレシオンを破損するために必要だったと」


 赤志とジニアが睨みつける中、本郷だけは淡々と喋った。


「そして補充するワクチンに偽造ワクチンを紛れ込ませて、新横浜駅や各地で事件を起こす。多発している魔力暴走事故の影響でワクチン接種者が急増すれば、補充された病院に駆け込む者が多くなる。被害は、大きくなるばかりだ」

「その言い方は違うな」


 尾上は不快感で顔を歪めた。


「偽造ワクチンなんて汚い言い方をするな。あれはリベラシオン。彼女と黄瀬さんと作ったワクチンだ。最高のワクチンだよ」


 それはジニアの母親の名だった。ジニアが悲痛な表情を浮かべる。


「認めるのですか? 偽造ワクチンを作っていたことを」


 本郷が声を荒げた。


「偽造!? 何を言っている! 俺が作っていたのは真のワクチンだ! もう少しであの場所に行ける!! 全員俺に感謝して欲しいくらいなのに!!」


 声を張った尾上は口角を上げた。輝くような無色透明な瞳。その冷たい瞳はジニアに向けられていた。


「……お前なのか? 朝日を殺したのは」


 本郷が歯を噛み締めた。尾上は小首を傾げた。


「彼女は、そうだね。リベラシオンと仲がよかったことを覚えてるよ」


 本郷が素早く立ち上がり拳を振った。

 巨岩の拳が尾上の鼻に叩き込まれる。耐え切れず尾上は吹っ飛び、ソファの背もたれより後ろに転がり落ちる。


 赤志はすぐに、相手が上体を逸らし衝撃を逃したことに気付いた。

 3人が立ち上がる。同時に素早く体制を整えた尾上は焦点のあってない目を動かす。


「いや。大丈夫だ。不安にならないでくれ。勇」


 窓ガラスに背を当てる。


「もうすぐみんなで戻れる。聖夜に贈り物を送るから。きっと優希も────喜んで────」


 言葉が徐々に小さくなり浅い呼吸を繰り返す。


「……尾上、さん?」


 呼びかけた時だった。


 尾上が吐血した。ジニアが小さい悲鳴を上げる。


「尾上さん!?」


 赤志の呼びかけに応じず尾上が叫ぶ。背中に穴が空き鮮血が吹き出る。

 一気に魔力濃度が濃くなっていく。


「あんた……まさか、自分にも打ったのか!!?」


 様子がずっとおかしい理由を赤志は理解した。

 尾上も打っていたのだ。リベラシオンと呼ばれる偽造ワクチンを。


「赤志動け!! 確保するぞ!!」

「わかって────」


 赤志と本郷が動こうとした瞬間、窓ガラスが派手に割れた。

 破片と共に突風が室内に吹く。あまりにも強い風に全員両手で顔を隠す。

 赤志と本郷は腕の隙間から尾上を捉えていた。


 その風は黒い色が付いていた。息を吞み尾上を見つめていると、その背後に影が現れた。


 顔も見えない。ただシルエットだけが見える。

 影が尾上に纏わりつく。


「勇。帰ろう。何も変わらないんだから」


 黒い風が視界を埋め尽くす。その合間を縫うように、尾上の言葉が届いた。

 1秒後、赤志たちを襲ったのは浮遊感だった。


「────」


 3人は言葉を失った。

 ソファもテーブルもテレビも窓も壁も何もない空間に放り出されていた。灰色の空と氷のような風が彼らを出迎える。

 部屋が焼失したからだ。

 いや部屋だけではない。




 マンション自体が消失していた。

 そのため30階にいた一同は浮遊し、落下し始めている。




 本郷とジニアがそれを理解し叫ぶよりも早く。


「【本郷!! ジニア!!!」】」

 

 赤志は2人の腕を掴んだ。

 深紅の雷が空で瞬く。直後、全員の姿が消え失せた。


 残されたのは静寂。

 そして空に漂う、大量の黒い魔力だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ