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楠美-4

「黄瀬悠馬を確保する」


 赤志はスマートフォンの画面を見ながら言った。音量を下げているとはいえスピーカー状態にしているため、隣にいる楠美にも声が届く。


『何かの間違いじゃないのか』


 尾上の言葉は震えているようだった。


「だと嬉しいんだけどね。詳しくは取り調べをしてからだ」

『……俺は仕事が忙しくて離れられん。勇。黄瀬さんは立派な科学者だ。俺の大学時代からの友人だ。敵であるはずがない』

「その言葉を信じたいね」

『どこで確保するつもりだ。大阪に行ってるはずだが……まさかお前』

「いや。新横浜駅にいる」

『……そうか』


 沈黙が流れる。赤志は相手の言葉を待った。


『勇、彼はこの国に必要な人だ。なるべく安全に確保してくれ』

「わかったよ」


 短く伝え通話を切った。尾上自身は黄瀬の潔白を信じているらしい。友人であれば当然だろう。

 だがこちらに情はない。容赦せず捕まえると、楠美は誓った。


 スマートフォンを確認する。17:45だった。12月17日土曜日の新横浜駅は人の海ができている。クリスマスイブ並びに、レイラのライブイベントは来週の金曜日に迫っていた。

 日に日に数を増す人々の表情は幸せに満ちているようであった。それを見て、楠美は目を細める。


「いちゃつきやがってチクショウ。私も彼氏欲しいわぁ~」

「……勝手に変なアテレコしないでくれませんか?」


 隣にいる赤志を睨む。


「いや怖い顔してたから。嫉妬してんのかな、って思っちゃうじゃん」

「むしろ真逆です。平和そうで何よりって思ってるんですよ」

『あまり無駄話するな』


 柱巻きのデジタルサイネージの前で待機しているとインカムから音声が流れた。

 2階の喫茶店にいる本郷の声は少し緊張を帯びていた。


「「シシガミ」に近づいてっからって、興奮すんなよ」

『わかっている。ジニアの前で暴れはしない』

「ジニアは集中してんの?」

『牛乳とパン食べてる。張り込みに必須なんでしょ?』


 ジニアの言葉に、赤志と楠美はクスッと笑う。少し肩の緊張がほぐれた気がした。

 上層部はプレシオン自体を回収することはできないと判断した。供述だけで明確な証拠が無いため動きようが無い。


 ただ黄瀬悠馬を確保することに関しては止めなかった。

 彼を確保することで"計画"や「シシガミユウキ」の情報を手に入れることができるのであれば、止める理由などない。


「にしても、よく黄瀬と連絡がついたよな」

「柴田管理官が小御門を使って連絡を入れたからですね。「計画の相談がしたい」っていう一言で、仕事を中断してまで戻ってくると約束したみたいです」

「計画ってのは、よっぽど成功させたいものってわけか」


 約束を取り付けて以降、警察は早急に新横浜駅に警備を配置した。機動隊と特殊急襲部隊(SAT)はすでに近場で待機している。

 ちょうど狙撃班からの連絡が入り、楠美が返事をする。


「狙撃犯、準備完了です。ただあまり乗り気ではないみたいですね」

『研究員ひとり捕まえるだけで大袈裟だと柴田が愚痴ってたからな。伝染したかもしれん』

「あのクルクル天パ。余計なこと言いやがって。痛い目見てからじゃねぇと動けねぇのかよ」

「その通りですよ」


 楠美は不平不満を漏らすように呟いた。


「警察は常に後手に回らないといけないんです」

「人間相手なら構わねぇが、今回の相手は後手じゃ勝てねぇんだっつうの」


 赤志が不満を口にしたところで、飯島の音声が一同に届く。新幹線に乗っているせいか、彼の声は小さかった。


『黄瀬の姿を捉えてる。予定通り18時5分に着くぞ』

「働き者ですね、飯島さん」

『まったくだ。朝から大阪行ってすぐとんぼ返りだぞ。たこ焼き食う時間すら無かったんだ』

「そらご苦労さまです」


 適当に褒めた赤志は楠美と移動する。新幹線改札口を通りホームへ。

 ベンチに囮である小御門が座っていた。両隣には一般人に扮した警察官がいる。

 間もなく白い輝きを放つ面長の車体が滑り込むようにホームに侵入してきた。スマホを構えた一般人が先頭部分を撮ろうとしている。


「鉄の塊撮って何が楽しいんだか」

「どうでもいいこと気にしないで。集中してください」


 楠美は売店の近くで待機する。


『標的は8号車にいる。俺は7号車から出るからな』


 フードを被る赤志は少し離れた位置に移動し、反対側路線に体を向ける。


『標的が立ち上がった。他に乗客も降りる』


 新幹線が止まった。転落防止用ドアと共に、新幹線の扉が開く。


『他の警察官はすでに後ろを取ってる。黄瀬がホームに出たら────』


 飯島の通信がブツリと途切れた。


「? 飯じ────」


 瞬間、轟音が鳴り響いた。

 8号車が業火を噴き、降車していた人々を炎が包み込む。窓という窓が割れ巨大な槍の如し炎が突き出てくる。


 息を呑む暇もなくもう一度爆音が地面と空気を揺らした。楠美の体がフワリと浮く。

 突如発生した衝撃波に、楠美含む周囲にいた一般人が吹っ飛ぶ。


 楠美の視界には夕陽のような炎の光がゆっくり流れていた。目を見開きそれを見つめたまま浮遊する。

 時間にすれば1秒ほど。反対路線の安全柵に体を打ち付け、時間が戻ってくる。


「あっ────ぐっ……!」


 全身に痛みが駆ける。背中を強打し息が詰まりながらも、目の前の状況を把握する。

 爆発したのは8号車だけだった。耳鳴りが酷く音が聞こえない。


『……ん!? ……!! 聞……か!!』


 赤志の声が微かに聞こえた。

 ヨロヨロと立ち上がると、炎に立ち向かう赤志が視界に映る。


『……炎、魔……!! ……人を保護……遠ざ……!!』


 フードを脱いだ赤志の周囲に、蒼い空気が渦巻く。

 楠美は奥歯を噛みインカムに耳を当てる。まだ眩暈は治ってないが、聴力は戻っていた。


「……状況をっ!」

『爆破魔法で車両が吹っ飛んだ! このままじゃ魔力酔い(ドランク)が防げない! 炎は俺が消すからいったん逃げろ!!」

『楠美! 赤志!! 飯島さんと黄瀬は!?』


 2人が黙った。炎に視線を向けても()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「どちらも……確認できておりません!」


 楠美が言うと、本郷はクソッ、と声を漏らした。


 楠美は頭を振って周囲を見回す。慌てふためく一般人。炎に飲み込まれのたうち回る者。地面に突っ伏す複数の人間。警察に誘導されながら逃げる小御門。


 そして横向きに倒れている女性と、それを揺する少女がいた。

 楠美は少女に小走りで近づく。


「大丈夫? 倒れているのはお母さん?」


 膝を折って目線を合わせる。少女は涙目で頷いた。


「大丈夫ですか! 聞こえますか!?」

「うっ……は、はい」


 女性に呼びかけると、頭から血を流しながらも、女性はノロノロと体を起こした。


「大丈夫ですか? 立てますか?」

「だ、大丈夫です。娘は……」


 言いながら少女を確認すると優しく抱きしめた。


「こちらへ! ここは危険です。移動しましょう」


 手を差し伸べ女性を立たせる。ふらつきながらも2人をエスカレーターまで連れて行く。隣の階段には人が飛び込むように集まっている。


 耳鳴りが酷くなっている。群衆の足音と悲鳴と罵詈雑言が飛び交っているはずなのに、音が遠ざかっている。


 眩暈が酷い。楠美は足を止めこめかみに手を当てる。ヌメリと熱さを感じた。

 手の平を見ると赤い血がべったりと付着していた。


 瞬間。視界がぼやけ始めた。当たり所が悪かったことを認識するには遅すぎた。


「赤志……本郷さん……ジニアちゃん……聞こえる……? 誰か……返事を」


 掠れた声を出しながら振り返った時だった。


 一瞬視界が黒く染まったのかと認識した。誰かがぶつかったのだ。体ごと。


 こんな状況なのだから体だって接触するだろう。しかし、この人物は、体を当てすぎていた。


 直後、楠美は腹部に熱さを感じた。朦朧(もうろう)としながら視線を下に向ける。

 同時に両手を動かしていた。頭で理解するより早く腕が動いていた。


 視界に映ったのは、黒い手袋をした大きな手。そして銀色に鈍く光る長方形。

 楠美の両手は、その手を掴もうとした。

 が、黒い手袋が視界から失せるように引かれ、空を切る。


 次に映ったのは赤い水だった。

 自分の腹部から溢れ出ているらしい。空を切った両手を動かし腹部に当てる。


「……かっ」


 瞬間、背中から頭のつむじに向かって、熱が駆けた。


 熱い。熱すぎる。


 血だ。血が流れている。熱くて。血が流れているのは。


 刃物じゃない。刺されていたら痛みが先に来る。


 撃たれた。

 銃で。

 撃たれた。

 誰かに。


「あっ────」


 楠美は顔を上げ、襲撃した相手を捉えようとした。

 瞼を限界まで開く。


 だがもう消え失せていた。周囲には表情を恐怖に染めた一般人たちしかいない。


「邪魔だ! どけ!」


 逃げて来た一般人が楠美にぶつかった。困惑している楠美は足を踏ん張ることができず後方に突き飛ばされた。


 地面は、ない。襲ってくるのは血の気が引くような浮遊感。


 次の瞬間、楠美は階段を転げ落ちていった。

 体を打ち付け、逃げ惑う人々にぶつかり、踏まれ、蹴られ。


 顔面に数度大きな衝撃が走ると、楠美は意識を手放した。


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