本郷-1
肘をつき指を額に当てながら、目の前の資料を見つめる。この資料にいる朝日に、思い出の中で生きている朝日を上書きされたくなかった。
妹の敵を討つと誓っているのにこれだ。いつまでも、逃げ続けている。
本郷は覚悟を決め捜査資料を手に取る。検視官を勤めたのは熊谷利一。検視官の中ではベテランの男性だ。
鑑識係が収集した画像が視界に入る。
「っ」
本郷は机を叩き視線を落とす。
「……問題は、ない」
呟き視線を戻す。
横浜中華街の裏路地に朝日は倒れていた。現場付近に立ち込めていたアンモニア臭から発見されたらしい。
腸が煮えくり返る思いだった。犯人を見つけ出し、その首を絞めたい。この万力で頭蓋骨を割りたい。
なるべく苦しめて殺して、もう一度生き返らせて殺したい。
歯を噛み締めながら詳細を確かめる。
『検視並びに解剖の結果、被害者は本郷朝日と断定』
『監禁されていた形跡あり。頭部に軽い殴打痕あり。性的暴行の形跡などは見られない』
『歯肉の出血や浮腫などは確認できず。胃の内容物から食事はあたえられていた』
『血液を摂取し薬毒物の反応を確認。トリプルMの数値を検知』
『血液を使用し「テンプレート」にて紅血魔力を測定』
テンプレートとは5年前から世界中で使われている魔力測定器だ。血液から紅血魔力の量を測定する。今は定期的に、これを受けることが義務付けられている。魔力暴走を防ぐためだ。少なくとも半年に1回は受けるよう、政府は国民に説明している。
だが1ヵ月後に突然魔力が上昇してしまうという例も少なくはない。つまりどうやっても魔力を下げ、上昇させない特効薬は必要なのだ。
「お疲れ」
飯島に声をかけられた。差し出されたコーヒー缶を受け取る。
「どうだ? 何か、不自然な点はあったか」
「特には。調査していた時と情報は変わりません。ただ」
「ただ?」
「やはり聞いてみたいです。解剖医から詳しい話を」
飯島は了承すると、業務用スマホから熊谷に電話をかけた。
ΠΠΠΠΠ─────────ΠΠΠΠΠ
近場のレストランに入る。熊谷は昼休憩中だったらしく、渋々同席を許可した。
イタリア風の洒落た店内の奥に熊谷がいた。短い黒髪にピシっとしたスーツを着ていた。壁にかけてあるコートは随分と大きい。
「座ってくれ」
黒縁の眼鏡をかけた熊谷はフォークでパスタを巻きながら言った。
「お食事中に申し訳ございません、熊谷さん」
「相変わらず連絡が急だな。飯島」
「うちの部下が聞きたいことがあるそうなので」
パスタを口に運び本郷を見上げる。
「本郷縁持です」
もごもごと口を動かしながら喉を鳴らす。
「妹殺しの疑いをかけられた元刑事か」
「熊谷さん。事件の遺体についてお聞きしたいことがあります」
「食事中なんだがね」
じっと見つめる本郷に対し、熊谷はフォークを置いた。
「何が聞きたい」
「被害者である本郷朝日の魔力量に関してです」
熊谷はテーブルの上で指をトントンと叩く。
「テンプレートのことをどこまで知ってる?」
「最大値は100。単位はMG。「マジックギフト」の略称であるということ。検知した魔力が30MG未満なら魔力暴走事故の危険性なし。50未満なら注意が必要。それ以上はワクチン接種を推奨」
熊谷が正解だというように頷きを返す。
「そして70MG以上になると魔力暴走を起こしやすくなり、90はもはや暴走寸前」
「そこまで知っているなら話は早いな。死亡する前の被害者のMGは62だった」
ワクチン接種推奨枠に分類される。その数値は本郷も朝日から伝えられていた。ここに嘘はない。
「発見され解剖直前に計った値は、81MG。発見まで時間がいることを考慮すると、90以上の可能性は高かった。魔力暴走を引き起こす前にオーバードーズで死亡してしまった、というのがこちらの見解だ」
「上がり幅が以上です。トリプルMだったらそんなに数値が上がるでしょうか?」
「大量に使われたか、真相はわからん。それで?」
「……その数値はあり得ないんです。妹は、朝日は「プレシオン」を摂取しているんです」
「……ワクチン接種?」
熊谷は頭を振った。
「被害者にワクチン接種歴は無かった。君の妹はワクチン未接種の人間だ」
「確かですか」
本郷の声が少し大きくなった。
「解剖前、医療関係者にも聞いて確かめた」
「ありえない」
朝日は去年のクリスマスの時に言っていた。2回受けて次で最後だと。ワクチンを接種した後なら魔力が増えることはない。
そのことを熊谷に伝えたが相手の表情は変わらなかった。
「君の話からすると妹さんが嘘をついている可能性があるな。それより、どうしてもっと早くそれを言わなかった」
「なに……?」
「報告書や検視を行った結果には被害者がワクチン未接種者だと記載していた。捜査会議で共有されなかったのかね?」
拳を握りしめる。
本郷は口を開け。
「────」
何も言葉が出なかった。
ΠΠΠΠΠ─────────ΠΠΠΠΠ
「大丈夫か? 本郷」
2人は本部へと向かっていた。BMWのハンドルを握る飯島は助手席の本郷に声をかける。
「まぁ、なんだ。むしろ有益な情報が手に入ってよかったじゃないか」
本郷は、ドアアームレストに肘をつき、手で目頭を押さえていた。
本郷が歯を噛み締める。死から逃げていたせいで大事なところを全て見落としていたのだ。
何もかも。
大切なものは警察が調べていたのに。自分の証言でこんな未来が回避できたかもしれないのに。
自分が逃げたせいですべて遅れていた。すべて後手に回った。妹の仇を打つはずがただただ遠回りをしていた。
自分の弱さのせいで。
自分は無能そのものではないか。
情けなくなった本郷は口角を上げ、悲しげに喉奥を鳴らした。




