赤緑-2
"ブリューナク"は、紅血魔力を限界まで活性化させなければならない。
そして必要に応じて、白空魔力で"足りない分"を補助する。
その際、祝詞を口にする者がいる。だいたいは紅血魔力の活性を緩やかにするため唱えている。祝詞は、いわば調整時間なのだ。
ジャギィフェザーは一瞬で"ブリューナク"を展開できただろう。
だが万が一を考え、祝詞を読んだ。安定して顕現するために。己を愚弄した人間を必ず殺すために。
結果として、青色に染まる魔力に包まれた獅子の姿は変貌を遂げていた。
額に一本の角が生え、爪は明滅を繰り返している。
全身を覆うのは硬質な西洋鎧。重々しい黒に染まっている。ひし形に突出した胸当ては厚みがあり、具足も大きい。ただ、肩当や籠手はどこか和風であった。
頭部は獅子のままで兜を被っていない。
膝関節からは青い炎が噴出している。
邪悪さをおくびにも隠さない姿だった。
【亡霊だな。まるで】
獅子が静かに赤志を睨む。吐血する様子もない。すでにダメージは消えているらしい。
「完璧な展開(装備)だな。魔力活性で自己再生能力も高めれば完治するわな」
赤志は不敵に笑う。
ジャギィフェザーは具足の爪先でコンクリートを踏みしめながら口を開いた。
【どうして"ブリューナク"発動を止めなかったのか、わかったよ。強力な助っ人がいるんだね】
「そういうこと。だから思う存分かかってきていいぜ」
【後悔させてあげるよ】
相手の体に、テレビの砂嵐のようなノイズが走る。
同時に背中から太い木の枝が2本生えてきた。伸張を繰り返しながら折れては別の枝が生え、最終的に翼のような大きさになった。
【アカシーサム。君の攻撃はもう、僕には届かない】
枯れた翼が動き砂塵を舞わせた瞬間、獅子が消えた。
忽然と消えたことに慌てず、赤志は集中する。気配は完全に消えていた。
微かに、右耳に風を切る音が飛び込んだ。
前方に転がる。直後、赤志がいた場所にジャギィが爪を振り下ろしていた。
【よく避けたね】
「前方に誰もいねぇなら、安全圏は自然と前になるだろ。頭使え馬鹿」
相手は再び姿を消した。
敵の"ブリューナク"は何なのか。赤志は思案する。
【透明じゃないな。視力と聴力を魔法で強化しても、攻撃直前まで感知できてない】
ならば瞬間移動か。
【だとしたら白空魔力がもっと振動する】
その時だった。左肩に鋭い何かが食い込んだ。
赤志は目を見開きながら右に飛んだ。鮮血が散る。
「ってぇな」
【傷は深くないな。勇。わかったかもしれん。奴の能力。もう一度攻撃を喰らったら、相手の姿を捉えてみろ】
その言葉を聞くと今度は左足に痛みが走った。飛び退きつつ、傷をつけた正体に目を向ける。
「あぁっ?」
地面から獅子の爪だけが出現していた。赤い血を滴らせる爪は、すぐに塵となって消えていく。
「なんだありゃ?」
【見破った。どうやら、こちらが認識でない場所に身を潜めているらしい】
「どこよ」
【別次元だ】
「は?」
赤志は素っ頓狂な声を上げた。
【ジャギィフェザーは高次元に、存在そのものを移動させてる。だから捉えることもできなければ気配も読み取れん。風切り音を上げたのは、ただの手抜き攻撃だろう。これからは爪が体に食い込んだのを感知してから避けるしかない】
一瞬赤志の視界が白に染まった。
「っ!!」
倒れ込むようにしゃがむと爪が空を切り姿を消した。
赤志の頬が裂ける。血を拭いながら、舌打ちする。
【爪だけこちらの次元に合わせているのか。カウンターが狙えないな】
「それで全部か?」
【ああ。これから魔法も撃ってくるかもしれんが】
「そっか」
溜息を吐き、こめかみに人差し指を当てる。
「残念だよ。ジャギィフェザー」
一定間隔で舌打ちを繰り返しながら左足で地面を叩く。
【……見つけた】
赤志の姿が塵となって消えた。
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ジャギィフェザーにとって、それはあり得ない光景だった。
高次元に移動しているため、赤志はこちらに触れることはおろか、認識することすらできない。
はずだった。
【嘘だ】
赤志は、まっすぐこっちに向かってきた。
【み、見えて】
「いるよ。同じ次元にいるから、もう触ることもできる」
【馬鹿なっ!! 僕と同じ次元(場所)に立つことなんか、できるはずがない!】
「そう言われても現にいるわけだし」
獅子の羽がバキバキと音を立てて広がる。
【……どうやって】
「同じような魔法を使ってお前と同じ次元に来た。それだけだよ」
【できるわけがない……!】
「できるんだよ。万物の魔法を教わってるから」
赤志が鼻で笑う。
「俺を愛してくれている神様が教えてくれたんだよ。「恩知らずで恥知らずの獣人共をぶっ殺してやる」。そう言ったら喜んでな」
足を前に出すと獅子が後退りした。
王を名乗る獣の瞳は、怯える草食動物のようだった。
【う、ぉおお!!】
叫びながら力で押し潰そうと拳を放つ。赤志は避けず片手でそれを受け止めた。
爆音と共に衝撃波が周囲に散る。
獅子が吠える。二の腕が隆起した。
「どうした? それが全力か?」
だが赤志はピクリとも動かなかった。
【ぐっ……!】
獅子の毛が逆立ち力を込める。甲冑が擦れる音が鳴る。
赤志は汗ひとつかいていない。
【そ……っちは……使わない、のか? "ブリューナク"】
「あ?」
【僕には……切り札がある】
「そうかい? じゃあさっさと使えよ」
ミシミシと獅子の腕が音を立てる。
ジャギィは大きく吠えるともう片方の腕を動かす。五本の爪で赤志を突こうとする。
「おせぇよ」
赤志が拳を握り潰した。
【グッガッ……アッ……!!】
ジャギフェザーの動きが止まった。
距離を詰め、アッパーカットが顎を捉える。獅子の巨躯が浮く。
赤志は相手の片足を掴み、
「おらっ!!」
背負い投げの要領で獅子を投げた。前面から地面に叩きつけられた獅子はくぐもった声を出す。
赤志は続けざまに背中に飛び乗り羽を掴む。
「飛ばねぇならいらねぇだろ、これ」
根元から圧し折った。ジャギィフェザーが悲鳴を上げた。
もう片方の羽も同様に折ると、赤志は両手でひとつの拳を作り、振り上げる。
「戻ろうか。元の場所にさ」
未だ悲鳴を上げるジャギィフェザーを黙らせるように、後頭部に向かってハンマーフックを振り下ろした。




