飯島-1
神に祈るように、両手でひとつの拳を作る男は震え上がっていた。貧乏揺すりを止めず、怯えた目で扉を見つめ続けていた。
「よう。お疲れさん」
その扉が開き男が姿を見せた。胡散臭いその笑みを見て、男は顔を明るくした。
「飯島さん……!」
「よぉ」
机を挟んだ対面に飯島は座る。
「それで? やっぱり思い出せないか。事件のこと」
「はい……。青葉台駅で暴れていたと言われても、本当に思い出せないんです。彼女とあざみ野駅で待ち合わせする予定だったのですが」
話している限り、男は真面目な青年といった印象だった。拘留され続けているため口回りに髭を蓄え始めていた。
「飯島さん、信じてください! 俺、本当にクスリなんてやってないんです! 市販の風邪薬くらいしか」
「わかってる。あんたを疑いはしないさ。ワクチンも打って魔力も無くしたんだろ? そんな善良な一般市民が街中で暴れる意味がわからない。何かの間違いの可能性が高い。俺が出してやるから正直に話し続けてくれ。な?」
藁にも縋りたい気持ちの男は必死に首を縦に動かした。それから雑談混じりに相手の話を聞き、取調室を後にする。
廊下に出て隣の部屋の扉をノックする。
「どうだ?」
反応を待っていると扉が少しだけ開き、紙を差し出される。
『桃色』
そう書かれてあった。
「ありがとよ」
飯島は礼を言ってエレベーターへ向かう。
「鶴見で暴れてたグリモワールの連中、数人取り逃がしたんだっけ」
「大半は捕まえたんですがね。数名は行方をくらませて逃亡中だと」
「さっさと捕まえないと、あいつら次は何をしてくるかわからないぞ」
エレベーターの扉が閉まるまで、制服警官たちの会話が聞こえていた。
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12月13日、火曜日。本郷が自宅で藍島を保護し始めてから3日が経過している。
戸塚駅を越え本郷の家の前に車を停めてインターホンを鳴らす。すぐに鍵が開き、本郷が出迎えた。
「お疲れ様です」
「おう。目当てのもん取ってきたぞ」
リビングに向かうと食欲をそそる香りが鼻腔を擽る。
「ジニアちゃんは野菜切ってね」
「……爪使えば一瞬なのに」
台所ではたどたどしい手つきで包丁を扱うジニアと、横で指導している尾上がいた。
「っあ~! 目がいてぇ!!」
赤志がタブレットをテーブルに放り投げソファに寝転がる。
「真面目にやれよ! こちとら仕事休んで手伝ってんだから!」
「やってるじゃねぇかよ! こんな細かい文字ずっと見てんだから目が乾いてんだ!」
藍島と赤志が言い争う姿を、本郷は呆れた様子で見つめた。
この3日間は情報整理を行っていた。主に集めたのは駅、並びにマンションで捕らえた「グリモワール」たちの声だった。
供述内容は本来であれば、既に本郷にも伝えられるはずだった。しかし謹慎中でもあり命令違反を繰り返していたため、柴田と上層部の妨害に遭っていた。
そして相談を受けた飯島は武中と協力し被疑者たちから間違いがないかもう一度話を聞いた。本郷も取り調べに協力したかったが藍島からの願いで自宅待機となっていた。
「源さん、適当に座ってください」
「おう。キッチンの2人は何作ってんだ?」
「焼きそばみたいです」
「足りるか? お前」
「さっき1人で牛丼屋行って、特盛牛丼3杯かっこんで来たので」
「……そうかよ」
「それで、どうでしたか?」
唸りながら座布団の上で胡坐をかく。
「覚えてないの一点張りだ。ただ供述を集めていると共通点があった」
「ワクチンを摂取していた、だよね」
藍島の言葉に頷く。
「赤志も色々とおかしな連中を見て来たんだろ」
「ああ」
駅で襲ってきた、頭から血を流し怯えた表情で見上げてきた相手は。
『あ……あの……俺……なんでこんな……』
『これ、これ……これはいったいどういう────』
明らかにあの暴徒は様子がおかしかった。
「私も見たんだよな。マンションで襲ってきた奴が倒された後、なんか目が覚めたみたいな感じになって。『俺は何をしているんだ』的なことを話してた」
飯島は相槌を打つ。
「赤志。本部にいる狩人から伝言を預かってきた。桃色だとよ」
「……これで洗脳魔法が使われていることは確定だな。白空魔力が桃色に染め上げられるのは"精神系"の魔法を使った時だ。しかも結構時間が経ってんのにまだ残留してるなんて。よっぽど強い魔法だ」
赤志は昨夜、武中と話していたことを思い出す。
『あの時はお前が助けに来てくれて助かったよ。必ず借りは返すぜ』
『別に気にしなくていいよ。ところで、あの時進藤に殺されかけた?』
『ん? ああ。野郎が手の平見せて、俺の出番がどうこう言ってたな』
それからジャギィフェザーがどうやって警察部隊を壊滅させたのか聞いた。
「武中警部の話を聞く限り、ジャギィの魔法は攻撃系だ。武中警部を即座に引き裂くのは容易だったのに進藤が名乗り出た。奴はきっと洗脳魔法を使って相手を傀儡にしようとしたんだ」
「洗脳っていうのは誰にでも効くものなのか?」
赤志が頷く。
「精神系の魔法は相手に一定量以上の紅血魔力があると効果を発揮しやすい。裏を返せば魔力量が少ない奴はかからないね」
「武中は洗脳できると?」
「できる。あの人意外と魔力持ってたし。努力すれば魔法使えるようになるね」
飯島が首を傾げる。
「待て。ワクチン打った人間は魔力が減るだろ?」
「源さん。「プレシオン」には副作用があるんです。打った瞬間に魔力量が増加し体内を循環する。そこから徐々に減っていくんです。魔力が増えたその瞬間に魔法を使ったと予測してます」
得心したような声を出し、すぐに顔をしかめた。
「っつうことは、進藤の野郎は────」
「そう。ワクチン接種会場に潜伏してんだよ。医者か看護師か知らねぇけど抱きこんで、摂取した人間を片っ端から仲間にしてる。つまり3日間、これだけ探しても痕跡ひとつ見当たらない奴の潜伏先も自ずと割れるでしょ」
沈黙が流れる。ありえるのか、と飯島は唇を動かす
すると台所から出てきたジニアが神妙な面持ちで赤志に近づき袖を掴む。昼食が出来上がったわけではないらしい。
「どした?」
「あの、ね。話しかけてきた。スフィアソニードが」
本郷は訝しむような視線をジニアに向ける。
「赤志が倒した獣人は警察病院の地下にいるんだぞ。拘束されていて、24時間体制で銃を持った職員が監視している。特殊な防護壁で囲われた部屋から簡単には出られんはずだ」
「その防護壁って、魔法を遮断するような効果ないだろ? スフィアソニードは魔法飛ばしてジニアに話しかけてんだよ。で、あいつ。何て言ってた?」
「えっとね……「病院は嫌いだ。殺される危険性がある」……とか……」
少し前に言われていたら訳の分からないメッセージだっただろう。だがこの状況に置いてそのメッセージは予測が的中していたことを語っていた。
「赤志。源さん。飯を食ったら行きませんか」
「どこに?」
「本部にです」
キッチンからコンロの火を消す音が聞こえた。




