赤志-7
「ジーニア」
「ん?」
「平気か?」
軽く聞くとジニアは笑みを向けた。まだ恐怖は消えてないらしい。
「んなしょげんな。な? あの女はカルシウムが足りてないのさ」
「そうかな」
「そうさ」
「……うん。大丈夫。もう平気だから」
ジニアは赤志の服を掴んだままだった。
【そういやさ、木原が何か言ってなかったか? 今日の朝】
朝のことを思い出す。
『赤志~、助けて。貯金すっからかんになっちゃった。マッチングアプリで会った女の子に金取られちゃって……取り返そうと競馬したら全部すっちゃった』
ラウンジで会った時だった。てへ、と言いながら舌を出す木原を思い出した。
いや違う。余計なことを思い出した。重要なのはこの後だ。
『研究所にいる尾上さんから伝言。暇になったらでいいから一度連絡してくれ、とのこと。あまり親父さんに迷惑かけんなよ』
「親父じゃねぇっつうの」
「え?」
「いや、なんでもねぇ。尾上さんに連絡してみようかな」
赤志は後頭部を掻く。電車事故の話もきっと聞いているはずだ。昨日は研究とワクチン開発とその補充に忙殺されていたため自宅にいなかった。もう電話をする時間くらいは確保できたかもしれない。
スマホの電源を入れると同時だった。画面に「尾上」という文字が表示され、震え始めた。
「よし。無視しよ」
「出てあげてよ……」
【クズかよお前。出てやれや。心配してるぞ】
仕方ない。指を滑らせ通話に出る。
「もしも────」
『勇!! この馬鹿! お前どこにいる!』
耳鳴りがするほどの怒声だった。携帯を耳から離す。
「声がでけぇよ」
『いいから質問に答えろ。ジニアちゃんと一緒なのか? 大丈夫なのか?』
赤志はすんと鼻を鳴らす。
「聞いてねぇの? 警察と協力して事件の調査中」
『……お前な、自分の立場を考えろ。昨日あんな事故を起こしておいて』
「人聞きの悪いこと言うな! 俺が起こしたわけじゃねぇし止めたんだ」
『知ってるとも。だがお前が魔法を使ったという報告が大量に来ている。政治家共はこれ幸いに、私に詰め寄ってる。お前を研究所に閉じ込めろってな』
研究所所長の尾上は板挟みになっている状態だ。
尾上は赤志とジニアを守るために働いている。それに恩を感じない赤志ではない。
「わかった。ごめん。悪かったよ。もう用事は済んだ。今、横浜駅にいる」
しばらく沈黙が広がり、溜息が聞こえた。
『昨日は会いに行けなくて悪かったな。だが、せめて私が戻ってくるまで待っててほしかった』
「反省してるって。とりあえず今日はもう帰るから。はい、ジニアからも」
「尾上さん。今から帰るからね」
『ああ。気をつけて帰っておいで』
「あんた俺の時と態度が違────」
『我々は!!!!! ワクチンを嫌悪している!!!』
耳元で突然叫ばれたようだった。赤志を含め通行人全員の体が傾ぐ。
赤志はフードを突き抜ける大声を出した主を見つけた。魔法使いのような格好に身を包む反ワクチン団体、「グリモワール」だった。
5、6人集まり、ひとりが政治家の街頭演説よろしく、力強くマイクを握りしめている。
【マジかあいつら。あんなテロ起こしてもう活動か? 逞しいっつうか厚顔無恥っつうか】
近くにいる通行人が警察に通報していた。そんなことお構いなしに、「グリモワール」は喋り続ける。
『ワクチンを打つと遺伝子の70%が組変わり、子供に悪影響を及ぼします!! また微弱な電磁波を受信できるようになり脳内に多大な害を与えます!!』
地面に置かれたスピーカーから意味不明な言葉が続々と飛び出してくる。
『なんだ、どうした』
「あ~……悪い魔法使いが騒いでいる。絡まれたくねぇからさっさと帰るよ」
『わかった。揉め事は起こすなよ』
通話を切り速足でその場を去ろうとする。
「お願いします!! ワクチンの危険性についてのチラシです! ご家族やお友達に共有してください!」
ビラを配っていた。通行人は迷惑そうに受け取りを拒否している。
赤志の前にも出されたが無視する。今日は揉め事を起こさないと決めていた。
「や、やめてください。いらないので」
「しつけぇな! いらないって言ってるでしょ!」
カップルが絡まれているのが見えた。彼氏の方が苛立ちを露わにしている。
「若い人たちにこそ知って欲しいんです! 魔力さえ知れば若い人はワクチンを打つ必要がないんですよ!」
「わかったから。もうどっか行ってくれよ……」
「わかってない! もし彼女さんがワクチンを打った結果、体中が変異したり洗脳されたりしたらどうするんですか! それでも愛せますか! 貴重な若い時を乗っ取られていいのですか!」
グイグイと紙を押し付けてくる相手に、彼氏はたじろぐ。
「さぁ! 受け取って! さぁ! さぁ! さぁ!!! 受け取れ!!」
【頭イカれてんなぁ。揉め事は起こさないと決めたがどうする?】
「決まってんだろ。助けるぞ」
【気をつけろよ。もう連中はテロ集団だ。爆弾抱えてるかもしれねぇからな】
ジニアを心配するが、
「行こう。アカシーサム、助けないと」
真剣な表情をしていた。もう怯えはない。
「変化な。少しだ」
赤志は両者の間に割り込む。肩越しにカップルに目を向ける。
「行け。早く」
「……あ! ありがとうございます!」
察しがいい彼氏は彼女の手を引いて駆け出した。
「あ、待っ……お前! 妨害行為しやがって! これは立派な犯罪……」
赤志がフードを脱ぐとグリモワールの男は声を失った。
彼は今、獅子の顔と瞳に睨まれているからだ。
「文句あんのか?」
唸るように言った。男は委縮するばかりだった。
「も、申し訳ございません……」
赤志は相手の手からビラを奪い取る。
「二度とあんな風に絡むな。わかったな」
「は、はい。すいません」
「常識だろ馬鹿が」
背を向けフードを被り、同時に変化の魔法を解く。ビラを丸めてポケットにしまう。白空魔力に色が付着しただろうが、探知に優れた狩人や獣人でもない限り探知は不可能のはずだ。
【誰にもバレてない。尾行もない】
横浜駅に入る。改札を通り駅のホームへ。
「お疲れ様、アカシーサム」
「ああ」
【また魔法使っちゃって。楠美ちゃんに怒られるぞ~】
ベンチに座り電車が来るのを待つ。時間潰しに丸めたビラを広げてみる。
両面にビッシリと文字が書かれていた。表面にはワクチンの危険性を綴っている。そして東京で一番大きいワクチン接種会場である病院の画像と住所、電話番号、ご丁寧に地図まで書かれていた。
絶対に行くな、というトゲトゲの吹き出しの中に書かれている文字が陳腐だ。
裏面は関東圏の主だったワクチン接種会場の、同じく画像や電話番号やらがビッシリと書かれていた。案内図まではなかった。
電話突撃推奨。医者の目を覚まさせるべき。
会場の前でデモを行うため、人員募集。
会場関係者の方は、ワクチンを撲滅する作戦を伝えるため至急ご連絡を。
「なんか……変なことばかり書かれてるね」
【バカじゃねぇのか? これ作った奴】
「な。頭おかしいよ、本当」
気持ちはわからないでもないが、他人に迷惑をかけては逆効果だ。
ビラを再び丸めてゴミ箱へ。
入れようとして、止めた。
「アカシーサム?」
「……いや、これ、なんかおかしくないか?」
【あ? なにがよ?】
言葉にするのは難しい。
ただ、違和感が、あった。
「違和感があったら、放置しない……」
ここで捨てたら後悔するかもしれない。
丸めたビラをポケットにしまうと、電車の到着を告げるアナウンスが鳴り響いた。




