本郷-6
『なってよ。兄さん。そのコートが似合う男にさ。見たら犯罪者が震えあがっちゃうくらい、凄い刑事に』
途切れかけていた意識を繋ぎ止めたのは懐かしい声と。
『────────!! ────────郷!』
インカムからの雑音だった。
重く固まった瞼をこじ開ける。世界が横に倒れているのがわかった。
辛うじて見えるのは、濃い青色の風を纏う獅子の獣人。
『本郷! 応答しろ!!』
飯島の声だ。
返事ができない。脳が揺れたせいだろうか。
指先を動かし、丹田に力を入れ、横隔膜を上下させる。
『聞こえていることを前提に話す。お前のスマホの位置情報から電車内にいることはわかってる。いいか、何としてもその電車を止めるんだ』
顔の中心部が熱い。我ながらよく生きていると思う。
歯を噛める。どこの歯も抜けていない。
『その電車は停車駅を無視してどんどんスピードが上がってる。暴走してるんだ』
視界が徐々に色を取り戻していく。
『鉄道会社と協力して運行中の電車を避難させていたが、お前たちの前を走る電車が「たまプラーザ」駅で緊急停車した』
大きく息を吸って目に力を戻す。
『このままだと互いに衝突して甚大な被害が出る。駅構内はイベントがあったせいで人が多い。まだ一般人の避難が完了してない。停車している電車の乗客は避難が完了しているが、大規模な列車事故はなんとしてでも防がなければならない!』
充分な酸素が脳を活性化させる。
『本郷。進藤を無視して構わない! 電車を止めることを最優先に考えろ!』
「……了解」
大きな拳を床に叩きつけ膝をつく。体中が軋む。
本郷は叫びながら立ち上がった。体全体に痛みが走る。足元もふらついており、視界も揺らぐ。
「……問題は……ない」
勇気を振り絞る言葉も青色吐息に塗れているせいで、効力は大幅に減少していた。
片足を引きずり再び獅子が待ち構える車両に戻る。
「ビックリだ」
獣人は呆けたように呟いた。座っていた進藤も顔を引きつらせている。
「おい。しっかり殺すように殴ったか?」
「そのはずなんだけど、ね。ちょっとショック。なんで生きてるの? どういう体してるの? 傷も回復してる。”魔法を使ったわけでもない”。”魔力もほぼ無い”くせに」
まるで自問自答しているような疑問が投げられる。
知ったことか。本郷は今すぐ相手に掴みかかり、首の骨を折りたかった。だがそんな匹夫之勇が通じる相手ではないと理解していた。
「ん? ……あぁ、ああ! なるほど。”そういうことか”。凄いな。大切なんだね」
感嘆の声を漏らした獣人は耳をピクリと動かした。
「幸一。ここまでだ。逃げよう」
「なんだよ。どうした突然」
「誰かが接近してる。この魔力には覚えがある」
「……赤志勇か? もしかして」
「そう」
進藤は手を叩いた。
「いいね! 会って話したい! 待っててもいいかい?」
「死にたいならどうぞ。僕は勝手に逃げるから」
「つれないねぇ。相変わらずドライな友人だ」
進藤は本郷に対し愉快そうに歪めた口許を向ける。
「先頭車両に眠っている乗客がいる」
「なに?」
ニヤリと笑った。その後ろで、獅子が「よいしょ」と言って、襖でも開けるかの如くドアを開けた。
本郷は、はたと気付いた。
なぜ進藤が、進行方向とは逆の車両に移動していたのかを。
電車事故が目的だったのだ。もし先頭車両に近い場所で戦っていたら、乗客を速やかに確保され電車も止められ、身柄も拘束される危険性があったと考えたのか。
圧倒的な力を持つ獣人がいるにもかかわらず油断せず、万が一の可能性を捨てず警戒していた。
だからこちらの車両に逃げたのだ。
「早く行った方がいいぞ。この後来る赤志くんにも伝えといて」
その時スピーカーから音が流れた。
『まもなく、あざみ野です────』
進藤が人差し指を天井に向ける。
「次の駅で前の電車と衝突する。このスピードだ。必ず脱線する」
「……貴様!」
「動けよ本郷。俺を捕まえてる場合じゃないだろ?」
笑い声を上げた進藤は獅子に抱きかかえられ、外に飛び出した。黒い影が一瞬で遠ざかる。
即座に思考を切り替え、本郷は先頭車両に向かう。足が重く、走れもしない。本郷は体の痛みを我慢し、折れかける膝を鼓舞するため太腿を叩き、全力で足を動かす。
『次は、たまプラーザ────』
3両目に来た時だった。
「本郷!!」
「本郷さん!」
2人の声が後方から聞こえたが反応しなかった。というよりできなかった。
追いついた赤志とジニアが本郷の顔を覗き込む。
「うえぇ、ひでぇ顔。爆発しそうなくらい腫れてんな」
「獣人と戦ったの?」
「……獅子人に、やられた」
2人は虚をつかれたように目を丸くした。
「マジで!? 獅子人と戦ったのか!?」
「なんで生きてるの……!?」
「やかましい! 無駄話してる場合か!」
そうこうしているうちに先頭車両に来る。
乗客がいた。数にして30人前後。年も性別もバラバラだが全員椅子に座らされ、脱力して目を閉じている。
「車掌は」
運転席まで来る。窓から中を覗き込むが誰もいない。
運転席に続くドアの取っ手には、太く大きな銀色の鎖が巻かれていた。赤志が手に取ろうとしたところで、本郷が割り込む。
「おい邪魔だ! 俺が魔法で……」
本郷は両手で鎖を握りしめる。ミシ、という音が鳴る。
「う……うぉぁぁぁぁあああ!!!」
雄叫びと共に鎖を引きちぎった。
「ま、マジで」
「うわぁ……」
絶句する両者を他所に扉を開け中に飛び込む。車掌が倒れていた。生死を確認する暇はない。
『まもなく、たまプラーザ────』
正面を見据える。たまプラーザ駅とすでに停車している電車の姿が見えた。ホーム付近で停車を呼びかける駅員の姿が微かに見えた。
「や、やべ!! やべぇって! 止めないと!! どれ動かすんだよ!」
電車の操作などやったことがない。位置情報を感知しブレーキをかけるシステムも今は作動していない。手動で止める必要があった。
「わ、私、後ろで防御魔法展開する! みんな守るから!」
「悪い! 頼む!!」
ジニアが後ろに移動した。
こうなれば信じられるのは直感だけだった。
本郷は勘でレバーを掴んで動かした。
甲高い音が鳴り電車の速度が急激に落ち始めた。正解を掴んだのだ。
だが遅すぎた。
減速しているが停車している電車が迫りくる。衝突するのは火を見るよりも明らかだった。
「くっ……うぅ……!!」
それでも諦めず手を離さなかった。
「仕方ねぇか」
隣にいた赤志が右手を突き出す。
【「使うぞ!!」】
刹那、”赤志の右手首から先が紅蓮に染まる”。
呼応するように、停車中の電車が赤い靄に包まれた────。




