本郷-4
突然の声に、その場にいるほとんどの人間が”それ”に意識を向けた。
唯一、ジニアだけが椿たちを見ていた。
『政府は嘘をついてます! ワクチンを摂取してはいけません!』
立ち止まった人波で進藤と椿が隠れた。
「隠れちゃった……!」
『なんだ、おい! 演説を止めろ!』
『「グリモワール」? デモ申請書類なんか出してないぞ、あいつら』
魔法使いの恰好でマイクを持ち話し続ける「グリモワール」の周囲に人だかりができる。
「アカシーサム! 本郷さん! あれ!!」
ジニアが指を差した。人並みの隙間から進藤を確認すると椿に耳打ちしていた。椿の表情が怒りに染まっている。
「椿の様子がおかしい! 飯島さん、指示を────」
進藤が笑いながら腰の後ろに手を回した。椿が大口を開け詰め寄る。
直後、乾いた音が駅構内に響き渡った。
銃声だと気づいた時には、椿が腹を押さえながら両膝を折っていた。
「なっ」
赤志が絶句していると2発目の音が鳴り響いた。椿の首から上が後ろに倒れ、虹のような弧を描きながら、鮮血が散らばる。
椿が仰向けに倒れた数秒後、通行人の女性が悲鳴を上げた。
それは波紋のように広がり、悲鳴と驚嘆の声が渦巻き始める。
「椿っ!!!!」
本郷が叫んだ。白昼堂々の殺しに駅構内が大混乱に陥る。
『か、確保! 援護を!』
群衆に紛れた一課の刑事が駆け出そうとした時だった。その後ろにいた一般男性が、棒状の何かを振り上げ、突如殴りかかった。
掠れた声を出し刑事が倒れる。すると瞬く間に複数人の男女が集まり、容赦なく刑事を踏みつけ始めた。
「毒を吐き出せ!!」
「毒ワクチンを打った奴は人間じゃない!!」
「殺せ!! こいつは私たちの未来を奪う極悪人だ!!」
異様な光景を目の当たりにした3人は言葉を失う。
『グ、「グリモワール」が暴走してます!!』「おいどうなってんだ!」『なんだ、てめっ────』『凶器を持ってる奴がいる! こっちを対応しろ!』
「な、なに!? 誰が何を喋って────」『全員確保しろ!!』『何者かに襲われてます!』『作戦中止!』
『中止してください!! 市民の避難誘導しつつ怪我人を……うぁっ!!』
無線はすでに機能していなかった。
「ワクチンを接種するな! ワクチンは人間を殺す悪のウイルスだ!」
飛び交う怨嗟の声と悲鳴、暴力、そして赤い血。何人かが金属バットを持って暴れている。ついには刃物や鈍器も出し始めた。
『助け、助けて!!』 『人命救助優先でいいんですか!?』
『演説の前にいる刑事が刺されました!! 応援を!!』『凶器を持つ者を撃て! 許可を待つな!』
『管理官!! 指示を!』『聞こえません! 指示が錯綜しているんです!!』
乾いた音が響いた。誰かが発砲したらしい。
『一般人がいる!! 発砲するな!! 撃つなぁ!!』
警察側も警棒を取り出し、容赦なく足や腕に振り下ろしていた。
怒号が飛び交い悲鳴がそこらかしこで上がる。地獄のような世界が広がっていた。
「なんだ、こりゃあ……」
赤志がボソッと呟いた。
歯を剥き出しにした本郷が先に駆け出す。
「クソ。行くぞ、ジニア! 気をつけろ!!」
「う、うん!」
本郷に続くように、荒れ狂う人の波に、2人は身を投じた。
先に群衆に突っ込んだ本郷は、スーツの刑事が刺されている場面を目撃した。
羽交い締めにされ、男にナイフを突き刺さされている。スーツの上から何度も、何度も、何度も。
刑事は呻き声を漏らしながら吐瀉物と共に血を吐き出していた。
「やめろ!!」
本郷は懐から特殊警棒を取り出し、横から殴りかかる。
男が顔を横に向け、もんどりうって倒れる。羽交い締めにしていた者も殴り飛ばす。
「おい、大丈────」
両膝をついた刑事は返答代わりに血をゴボッと吐き出し、ビクンと一度肩を上げた後、動かなくなった。
視線を切り進藤を探す。ボストンバッグを持ちながら改札口を乗り越える姿が見えた。
本郷は弾丸の如き速さで駆け出す。
「どけっ! 鬱陶しい!!」
目の前にいた「グリモワール」の女性を警棒で殴り倒す。
続けて男に向かって、雄叫びを上げながら腕を思いっきり振る。二の腕を使ったラリアットを食らった男は空中で一回転し、頭から地面に着地した。
背中にどん、と何かがぶつかった。振り返ると、怯えた表情の男がいた。ローブを羽織り、とんがり帽子を被っている。
「た、助けて……」
言いながら、逆手に持ったナイフを振ってきた。反射的に手が切られ、特殊警棒を落としてしまう。
「違うんだ!! 助けてくれ!! 頼むよ!!」
声が震えていた。錯乱しながらナイフを振ってくる。
自分たちで襲っておいて何を言っている。本郷は怒りを拳に乗せ突き出した。
正拳が男の腹部に突き刺さった。嘔吐しながら膝を折る。口許を押さえようとした男の手からナイフが滑り落ちた。
不気味な相手を憎々しげに睨んだ後、改札機を飛び越える。2番線の階段を上る進藤の足が見えた。
後を追いホームに着くと、妙な違和感が本郷を襲った。
”ホーム内はおろか、ホームに入ってきていた電車内にも人の姿がなかった”。
「な、んだ、これは」
電車の扉が開き進藤が乗車する。
迷っている暇はない。頭を振って目の前の車両に乗る。
後部車両に移動する進藤を追い、連結部分を超えた。
そこで、足を止めた。
立ち止まらずにはいられなかった。
進藤が立ち止まりゆっくりと振り向く。
「流石。流石。あの暴動を切り抜けて追いかけてくるなんて。暴対の鉄巨人の武中さんか、どっちかが来ると思ってたよ」
肩で息をする進藤はふぅと息をつき椅子に座る。
「ただ優秀過ぎるのも考えものだ。ひとりで来たのは敬意を表するが結果的は大失敗だ。そうだろう?」
進藤は”隣に座る者の腕を叩いた”。
座している状態でもわかるほど、巨大な体躯をしていた。全身の筋肉がはち切れんばかりに発達しており、着ているスーツに陰影を作っている。
「頼んだよ。”ジャギィフェザー”」
巨漢が立ち上がった。相手の頭は天井につきそうだった。
そして相手の顔を見た本郷は額に汗を浮かべた。
輝くような金赤の鬣。
横幅のある大きな顔。
獰猛な肉食獣そのものの瞳。
突出した鼻。
口まわりに筋肉が発達している屈強な顎。
口が少し開く。鉄の臭いが鼻をつく。真っ赤な口内には無数の牙。上顎と下顎の犬歯は鋭く伸びている。
その顔も体も、作り物ではない。
「獅子人……」
凄まじい威圧感から震えた声を出す。
サバンナの中で百獣の王と言われるライオン。だが近年では草食動物のキリンやカバの方が強いなどと言われている。
だがバビロンヘイムで生きるこの獅子は違う。
本当に、獣人の王様なのだ。
電車が動き出すことを告げる音楽がホームに鳴り響いた。
もう逃げられないことを、本郷は自覚した。
『次は、藤が丘────』




