本郷-2
海岸通りにある、ひときわ高い白壁の建物が神奈川県警本部である。
ビルの上部分に円盤を埋め込まれた20階建ての建物は強烈な存在感を放っていた。
「11階の小会議室に行ってくれ。本郷と一緒に動けよ、”赤志”。”ジニア”」
運転している飯島はバックミラー越しに後部座席の2人を見ながら言った。敬語は外れていた。敬語をやめてくれと赤志が頼んだからだ。
3人は車を降りてビルへ向かう。道行く人々が視線を投げてきた。
ジニアは突き刺すような視線に委縮してしまう。
「隠してる場合じゃねぇよな」
赤志はフードを脱いだ。紅銀の髪が冬の風で踊る。
周囲の人間が息を呑んだ。誰もが視線を異世界から帰還した男に向ける。
「ジニア。顔上げろ。堂々としてればいい」
「……うん! ありがとう」
建物に入りエレベーターに向かう。他の利用者がその場から離れていく。
乗りこみ、扉が閉まる。
「赤志。先に言っておく」
「んだよ?」
「飯島さん含む立場が上の人間や、初対面の相手には敬語で話せ。ですますを付けるくらいで構わない」
「タメ口はやめろってか」
「面倒か?」
「堅苦しいし面倒くさいじゃん。なんで使う必要があるのって感じ」
「強いて言うなら礼儀、雑に言えば暗黙の了解というやつだ」
「礼儀ねぇ? そんなもん実力があればいらないだろ。金にもならないし」
「その通りだ。頭の固い連中は金にもならん物を重視している」
だがな、と言葉を紡ぐ。
「組織にいるならそれが重要になる。舐めた態度を改めなかったばかりに、お前の優秀な実力が発揮できなくなることもある」
「だから我慢して媚びへつらえって?」
「違う。己の思考に蓋をしろ、媚びを売れ、操り人形になれ、と言ってるわけじゃない。少し口調を丁寧にして言葉を選べば”敵”が減る」
「……都合がいいってやつか」
「そうだ。火のない所に煙は立たない。フリで構わん。常識が無いと烙印を押されるよりはマシだと思え」
「やっぱ面倒くせぇよ」
「世界を救った英雄なんだろ? 郷に従う必要性も、他人と円滑に動く重要性も理解しているはずだ。優秀だが気に食わない奴と思われるより、優秀で頼りになる実力者と思われたほうが、単純に気分がよくないか?」
赤志は腕を組み渋面になる。
「……わぁったよ」
「上出来だ。ジニアちゃんもいいか?」
「うん。本郷さん。私のことも、呼び捨てで大丈夫だよ」
「ああ。すまないな」
扉が開きフロアが広がる。赤志とジニアは思わず声を漏らした。
「広いな」
多くの人間がせわしなく動いていた。私服制服問わず、警察官が何十人も移動している。
けたたましい電話の音が鳴り響き、ざわつきが耳を劈く。都会の街中にいるようであった。
「行くぞ。あまりキョロキョロするな」
「へいへい」
移動している間もずっと視線と小声が聞こえた。だがそれらは本郷に向けられていた。
無視して小会議室に入る。会議用テーブルをふたつ並べ、パイプ椅子があるだけの部屋は、前回赤志たちを案内した場所でもあった。
ジニアを挟むように3人が座る。
「本郷さん、嫌われてるの?」
本郷は苦笑いを浮かべ、鼻を鳴らした。直後、ノックもせず飯島が入ってきた。紙の束とタブレット端末を抱えている。
「さっそくだが、これ見ながら話を聞いてくれ」
机を滑るように紙が投げ渡される。
「あ、やべ。渡してから聞くのもなんだが、赤志とジニアちゃんはグロいの平気か?」
「見慣れてます」
「わ、私も大丈夫です」
「お。なんだよ。急に殊勝になっちゃって。偉いじゃん」
飯島が破顔した。赤志が微妙な表情を浮かべた。
紙には「青葉台連続不審死事件」という題目が書かれていた。
11月20日、奇妙な男性の変死体が青葉台公園の近くで発見された。遺留品から男性のアパートに向かうと、続けざまに2名の遺体を見つかった。
遺体解剖の結果、3人は死因に共通点があった。
「薬物過剰摂取」
赤志は譫言のように呟いた。
「アパート内で死亡していたのは別所貴明。48歳」
「竜道会系二次団体、福澤組若頭?」
資料に書いてあった文字を機械音声のように読み上げた赤志は首を傾げる。
「ヤクザなの? じゃなかった。なんですか?」
「新宿歌舞伎町をシマにしているヤクザだ。よくわかったな」
「組、なんて名乗るのは幼稚園生か建築会社かヤクザだけだって小さい頃教わったんで」
「お前面白いこと言うな」
飯島は喉奥を鳴らした。
「もうひとりは鈴木翔。22歳」
2人の遺体が映る写真を注視する。
刺青を見せびらかすように全裸でうつ伏せになって倒れているのが別所。
上裸で下にジーンズを履き、椅子に座って天井を見上げている、色黒の男が鈴木だ。
どちらも目と口を大きく開け、叫んだ直後のような、絶望している表情を浮かべていた。
「現場は派手に荒れ、両者にはナイフで刺されたような創傷があった。薬でハイになって喧嘩する、というのはよくある話だ。証拠に、リビングには両者の血痕が付着した出刃包丁が2本転がってた」
部屋は1DKの6畳。ダイニングテーブルと木製椅子、小さな冷蔵庫と食器棚。
テレビやパソコンといった機械製品はない。
テーブルの上、床には白い粉が散乱していた。一部血に染まっている。
「公園で亡くなっていたのは浅田栄治。大学生。22歳。次のページな」
浅田の遺体は、最も悲惨だった。
背中が滅多刺しにされている。検視官の報告には、”中身”が見えていた、と書かれている。
「この満身創痍の状態で10分ほど歩いて公園で死んだらしい。薬物で痛みを忘れていたのか。出血多量でショック死しててもおかしくないんだがな」
本郷は眉をひそめた。
「鈴木は、色々と”前”がありますね」
「元半グレって奴だな」
「元?」
「そう。その元ってのが問題点なんだよ。野郎はひと月前、三鷹組の盃を貰っていたらしい」
「横浜の武闘派ヤクザですか」
飯島は頷く。
「だから抗争の臭いまでして来やがった。他県の極道がシマを踏み荒らしてるとなっちゃ三鷹組が黙ってるわけがねぇ。あの組は中国マフィア対策に”兵器”を買ってた噂もあるくらいだしな」
「兵器?」
「本当かどうかもわからない与太話だ。だから組対の暴対課と刑事部捜査一課による合同捜査が現在行われている」
赤志がゆっくり手を上げた。
「ぼうたいか、って?」
「暴力団対策課の略だ」
本郷が答えた。
「前者を率いる中心人物は武中鉄真警部。後者は俺だ。あと助手で楠美紫音」
「楠美……ですか」
「優秀だよ。あの子は。お前の穴を埋めようと必死だ」
「そうですか……。武中警部は三鷹組を警戒しているんですね」
資料に目を落とす。
金品が消え失せている形跡はなかった。当然財布も無事。
だが、写真を見ていると違和感を覚えた。
「両陣営はどう考えてるんすか? 室内にいた2人は本当に争ったのか、浅田も一緒に喧嘩してたと?」
「そう。そこだ。警察(俺ら)も連中がただ喧嘩してただけ、なんて思っちゃいない」
ノック音が木霊した。飯島が怪訝そうに眉を上げドアを開ける。
「誰だ? 悪いが今使用中────」
言葉を途中で止めた。
「失礼します。私も参加してもよろしいでしょうか。本郷さんと、”噂の”赤志さんと、獣人さんとお話したいので」
長い黒髪を靡かせるパンツスーツ姿の楠美紫音が会議室に入った。




