本郷-終
車を近くのコインパーキングに止め、店に入る。
カウンター席に座っていたウロングナンバーが、ハッとして立ち上がった。
「縁持さん! おかえりなさい!」
「ああ。話は聞いてるか?」
「うん。魔法と立てこもり事件でしょ? 本郷さんの顔、今のところ出回ってないから平気」
本郷はカウンター席に座ると天を仰いだ。椿はいないらしい。
「カンディットは?」
「上で寝てる」
ウロングナンバーは水を注いだコップを差し出す。
「ねぇ。休んだら? 今日はもうお仕事終わったんでしょう?」
「……いや。眠りたくない。寝たら、悪夢しか見ない」
相手は腰に手を当てため息をつく。
「コート。汚れ取るから脱いで。もう休みなさい。2階で寝ていいから」
「……ありがとう」
ここにいると気持ちが少し落ち着く。
壁時計を見る。11月26日、深夜1時になっていた。
「今日明日は、休日かもな」
「それはいいわね。有効活用しないと。カンディットにひらがなとか簡単な漢字でも教えてあげて」
「……それもありだな」
穏やかに会話していた時だった。店の扉が開いた。
「すいません。今日はもうお店────」
ウロングナンバーが息を呑んだ。入ってきた相手をきつく睨む。
「……帰ってください」
「本郷警部補。ご無沙汰しております」
声を聴くだけで嫌になった。本郷は顔をしかめ、背を向ける。
「帰ってください」
「まぁまぁ。一言聞きたいことがあるだけですよ」
日光新聞の記者、白山飛燕は本郷の隣に座るとメモ帳を取り出した。
顔は韓流アイドルにいそうな、いわゆる「イケメン」の容姿をしていた。パーマをかけたセンターパートの髪型。太い眉毛にパッチリとした目は幼さが残る。唇が健康的であることを物語るように赤い。
「妹殺しの疑いをかけられている警察官。異世界帰りの英雄と喧嘩をして、両者雷に打たれる。いい見出しになると思いません?」
相変わらず神経を逆撫でするような声だった。それでいて痛いところを突いてくるから質が悪い。
本郷は視線を向けた。
「いやぁ。やっぱり特別な人間は観察するに限りますね。ネタの宝庫ですよ。とりあえず今日の事件についてを聞かせてください。立てこもり犯の現場に何故、赤志勇が来たか。その詳細を独占できれば自分の評価が上が……いえ、国民も正しい情報を聞けて喜ぶので」
白山のニヤついた顔を睨みつける。
「好きなように書けばいい。日光新聞は偏見記事と裏取りが済んでない記事を乱発したせいでゴシップ雑誌化している弱小メディア媒体だ。誰がお前の書いた記事など信じるか」
白山は口角を上げながら舌打ちした。
「妹を殺した刑事がこの街の平和を守っている……横浜市民は怖いでしょうね。殺人鬼が何をしようとしているのか。まさか真っ当な刑事をしていれば疑いが晴れるとでも? 無理でしょ。現に、今日も街中で喧嘩するような警察とは思えないクズ……失礼。人間には」
「出て行って!!!」
ウロングナンバーが声を荒げた。
沈黙が流れると白山が立ち上がる。
「私はね、あんたが金のなる木だと思ってる。だから妹殺しの真実を記事にする。それまでせいぜい死なないでくださいよ。自首する気になったら電話してください。独占インタビューするので。ああ、ただ。こんな獣臭い場所を指定しないでくださいよ? いい部屋を取るので」
それでは、と言って白山はその場を後にした。
扉が閉まるとウロングナンバーがカウンターから出て、鍵を閉めた。
「……本郷さん」
気分は最悪だった。店内の奥へ行こうとした時、携帯が鳴り響いた。小柳課長からだ。
「お疲れ様です」
『本郷警部補。ごめん、ね。その、お疲れのところ』
脳裏に、額に浮かんだ汗を拭きとる小柳が見えるようだった。
「構いませんよ。要件を教えていただけますでしょうか」
『うん。明日に言おうと思ったんだけど……いや教えるなと言われたんだけど、ね』
「聞かせてください」
『トリプルMの被害者がまた出たんだ。男の子。酷い中毒症状で、ね。今は意識を失って警察病院にいるんだけど……助かるかどうかは、ね? わからないって』
ただ。小柳が言葉を紡ぐ。
『気を失う直前、救急隊員に言ったんだ。本郷さんの名前を、ね』
「え?」
『譫言みたいに呟いてたらしいけど、名前だけは聞き取れたみたいで』
「被害者の特徴などを教えていただけますでしょうか」
『えっと、財布とか身分証明書、スマホも持ってなかったみたい。髪はちょっと茶髪で、肌が浅黒い。腕にトライバルのタトゥーが、ね、入ってるみたいで。年齢は20代前半』
トライバルのタトゥー。頭の中で情報を反芻する。思い当たる記憶はなかった。
「承知いたしました。すぐに行けるかはわかりませんが」
『うん、大丈夫だよ。謹慎命令が出てもすぐに、ね。帰ってこれると思うし』
「教えていただき、ありがとうございます。課長。失礼します」
『うん。体あったかくして寝て、ね。おやすみなさい、お疲れ様』
通話を切るとウロングナンバーが心配そうに横目を向けた。
「仕事、行くの?」
「いや。結局のところ、しばらく休みだろうな」
「そう」
「シャワー、借りてもいいか? 一度サッパリしたいんだ」
「どうぞ。ゆっくり浴びて頂戴」
「迷惑ばかりかけるな」
「私たちの方が迷惑かけてるでしょ。気にしないで」
ウロングナンバーは微笑みを浮かべた。
その表情の中に後ろめたさが隠されていることを、本郷は黙って見抜いていた。
熱い水を浴びながら、飯島との会話を思い出す。
店に入る前、電話がかかってきた。車の中で本郷は通話を始めた。
『どうだ? お前の所感は』
「……赤志勇を信頼するには、材料が足りません」
『そっか。俺の印象は、お前によく似ているって感じなんだけどな。人助けを優先する気持ちはあるだろうが、好戦的で後先考えない行動力。あまり世間のことを考えず自分の思いだけで突っ走るイノシシ。獣に近いな』
喧嘩中ではなくその"前"のことを思い出す。
「彼は……「シシガミユウキ」の名を出してました。誰かと話しているような呟きで」
『それで?』
「押収したスマートフォンを確認したところ、通話履歴はありませんでした。ただ独り言にしてはハッキリとしすぎていた」
『誰かと話していた、と』
「喧嘩中も、ブツブツと何か呟いてました。取り調べ中もです。彼は幻聴が聞こえているのかもしれません。それとも」
赤志の言葉を思い出す。
────お前、黙ってろって。
『まぁ何はともあれ、よかったじゃないか本郷』
「なにがですか?」
『赤志は敵か味方かわからないが、コンタクトの機会は増えた。「シシガミユウキ」捕まえるために利用しようぜ』
そう。そこだけは事実だった。
赤志もまた「シシガミユウキ」を探している。理由は定かではないが。
「毒を食らわば皿まで、か」
本郷はシャワーを止め、明日のことを考え始めた。
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