本郷-8
「何してんだ。本郷警部補は」
デスクに座る池谷はしかめっ面でコーヒーを啜った。
「面白過ぎません? あの人。赤志勇と喧嘩するとか」
隣にいる来栖がスマホをチェックしながら言った。
「どうだ? 動画とか、出回ってるか?」
「LienLivreの日本本社に掛け合って一応動画やら画像が出回らないようにしてますけど……マズいっすね。根回しがちょっと遅かったみたいっす。タイムラインが荒れてます」
LienLivreはフランスで開発された、世界で最も利用されているSNSだ。略称は「L.L」、「Lien」。全世界で30億人の利用者がおりメイン層は若者となっている。
国内でも最も利用されているため、もし魔法が使用されている動画などがアップロードされれば一瞬で拡散されるだろう。
神奈川県警の隠蔽工作の根回しは早い方だが、今回はそう上手くいかなかったらしい。
「しかし字面だけ見ると間抜けというか馬鹿っぽいっすよね」
「そうだな。あと、俺は赤志に対して少しガッカリしてる」
池谷はカップを置いた。
「人間ひとり簡単に倒せないのか、と思ってな」
「英雄って言われますからねぇ。腕っ節は強いイメージですけど」
「異世界っつうのは楽な世界なのかもな」
来栖は嘲笑を浮かべる。
「実際たいしたことないんじゃないですか? 赤志勇って」
「かもな。とりあえず、ご尊顔を拝んでみるか? せっかく神奈川県警本部にいんだしよ」
「そんな暇ないですよ。まぁた資料作成ばかりなんですから。早く「シシガミユウキ」捕またいっす」「このままじゃ違法薬物の調査資料で部屋が潰れるな」
池谷の言葉に来栖は苦笑いを浮かべ、スマホの画面を切った。
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『つまり人間に襲われていた獣人を助けたと。間違いないですか』
『そうだよ。いいから俺のスマホ返せ』
「何か見られるとマズいデータでも?」
『ねぇよ。だからロック解除して渡しただろ。俺の少ないLien友達しか見るもんねぇぞ』
取調室の様子を隣の部屋から観察する。壁はマジックミラーになっているため、赤志から本郷含む警察の者たちを捉えることはできない。
「本郷」
室内に飯島が入ってきた。赤志から視線を切らず本郷は「どうも」と返した。
「閉鎖の方は」
「魔力酔いの被害者は皆無だ。閉鎖ももう解けてる。それより赤志勇とやりあったんだって? 圧勝か?」
「引き分けですかね」
「お前の馬鹿力で倒せなかったのか? あれか魔法か。それとも……なんだっけ? そうだ、チートだ。それ使われたのか」
「魔法は、使われたかもしれませんね」
乾いた笑い声が響く。室内の赤志の顔を注視する。眉間に皺が寄り始めていた。
「赤志勇もお前には手を焼くか。怪我は?」
「アバラの骨折も、目も鼻も、もう治ってます」
鼻に貼ったガーゼを乱雑に剥がし、丸めてポケットに入れる。
「また医者が目を白黒させるな」
「バケモノ扱いは慣れてます」
言いながら本郷の胸中には、微かな不安が渦巻いていた。
自身の異常な筋力は生まれた時から持っていたものだった。
先天的な要因で、体内で生成される"あるタンパク質"の量が少ない。それが原因で筋量は増加し、肥大化し続けた。
服を着ていても巨大な筋量は見て取れる。だがそれでも、筋肉や骨は高密度に圧縮されている。異常な筋密度と筋繊維はもはや人の域を超えている。
圧倒的な力を天から授かった。幼い自分を診断した医者が、両親にそう告げたことを、今でも覚えている。
「そらお前は超人だよ。けど、その回復力は最初から持ってなかったはずだ」
飯島の言う通りだった。骨折がわずか数時間で完治するほどの自己再生能力は持っていなかったはずだ。自分が異常な回復能力を持っていることに気づいたのは、ここ最近のことだ。
「まぁそんなお前と素手で戦えてる奴もすげぇっちゃすげぇんだけど」
飯島が取り調べを受けている赤志に目を向けた時だった。
『うるせぇな!!』
突然赤志が叫んだ。取り調べを行っていた刑事が渋面になる。
『……ああ、もう。悪かったよ』
ワインレッドの髪を掻き上げ、足を組む。
「……源さん。今気づきましたか」
「あん? 何が」
「あいつ、"誰に向かって叫んだんだ?"」
「誰って……目の前の」
「叫ぶ前に奴の視線が泳いでました。誰かの声に耳を傾けるような」
押収した物の中に、片耳だけ付けていたイヤホンがあった。
「……音声か」
ぼそりと呟く。飯島が首を傾げると取り調べが終わった。
廊下に出ると飯島に肩を叩かれる。
「本郷。11階の会議室に来てくれ。詳細はそこで話す。ちょっと厄介な通報が入ってな」
今の日本で「ちょっと厄介」は「だいぶ厄介」を意味する。本郷は返事をし、丸めたガーゼをゴミ箱に捨てた。
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